第129話 たまにはエルフさんとアニメ鑑賞を
映画を見る用意というのは色々あり、飲み物、長時間でも疲れないためのクッション、そして今トイレからマリーが出てきたような準備もある。
「じゃあ消すわよー」
カーテンを閉じ、壁にあるスイッチを切ると間接照明だけになり、余分な情報はカットされる。いつものように僕らはベッド脇へと座り、少女はいそいそとクッションを置く。
あぐらをかいた僕の脚のあいだへ座り、一度ちらりとこちらを見てから寄りかかってくる。お風呂上りの香りをほんの少しだけ残し、背をもたれてからマリーの耳はピンと揺れた。
「ねえ、重くないかしら?」
「ぜんぜん。マリーはね、もう少し肉をつけても良いと思うよ」
まだダイエットのことを気にしていたらしい。
正直に答えたというのに口元をむすりとし、そして眉を不機嫌そうにする。肩へ頭をころんと置き、こちらを見上げてくると文句を言いたげな瞳は目の前に現れた。
「そうして甘やかしていると、いつかお相撲さんのようになってしまうかも……」
言いかけた言葉は、どん、というテレビからの音にかき消される。紫水晶に似た瞳は、重苦しい音へ引き寄せられた。
この映画は、アニメであっても舐めないほうが良いと思う。
重苦しい音楽は、そのまま世界観を表している。過去、人類の犯した過ちにより世界は壊れ、そして長い時を経たというのに人々はまだ苦しんでいる。
慌てて姿勢を正したマリーは、ぴぴっと汗をかきながら画面を食い入るよう見つめた。
「え、あれって……、ビルじゃない……あんなぐずぐずに溶けて……」
どこか胸を打つ音楽と共に、人々の長く苦しむ時は描かれる。
わずかに浮いた汗は、おそらく映画の迫力によるものだろう。火による粛清は、きっとその後のことまで考えていなかったに違いない。
「でなければこんな風に、様変わりした世界になりはしなかったろうね」
そう囁くと、ぴくりとエルフは肩を震わせた。
今夜の僕は、語り手だ。世界観を壊さないよう注意をし、少女の耳元へと囁きかける。
これまでに見たどの映画より、この世界はとても残酷だ。人の成したことのせいで、後の世代の者はいつまでも罪を背負い続ける。消えることの無い罪を、背負い続ける物語と言って良いだろう。
「凄いわね、このアニメは。文明の滅んだあとの話だなんて……。わ、木がこんなことに……」
気の抜けた声は、様変わりした森を見てのものだ。
今とまるで異なる新たな秩序。そしてこの物語の主人公は、共もつけずただひとりで森を歩む。
「あっ、森から色んな音がして……」
「僕らの知らない森の音だね。羽虫、それに風の音もどこか違う」
圧倒的に異なる世界を見せられて、少女は呆然とうなずく。
音というのは重要な要素かもしれない。生態系があり、息づいていることを意識の外から伝えてくる。
「見て、すごく大きな抜け殻! これは何という名前なのかしら、竜よりも大きいかもしれないわ」
見れば黒猫さえ、ぽかんと口を開けている。
脱皮というのは向こうの世界にもあるけれど、恐らくスケール感が違いすぎる。主人公の放つカキンという金属音も、たぶんこの世界の現実感を伝えたいのだろう。
そのとき、とても重要なことを主人公はつぶやく。
この世界のことをまだ理解していないのだと、映画を見る人と同じ目線なのだと伝えたのだ。
「世界って不思議ねぇ……、私たちの世界にも、何か意味があるのかしら」
「どうだろう。ただねぇ、長旅をしていると思うときがあるんだ。誰かが意図的に作った世界じゃないかな、って」
先ほど、ヒロインの発した言葉は謎かけだ。
探究心へと楔を落とし、グイと世界観へ足を踏み入らせる効果がある。そのたったの一言で、エルフ族はアニメの世界観へ飛び込んだ。
しかし、不可思議な世界に浸る間もなく、異変をとらえたヒロインは、颯爽と乗り物へとまたがり飛び立ってゆく。
なるほど、こういう乗り物はエルフも竜も浪漫を感じるものなのか。
どしぃ!という音へ2人は前のめりになり、真っ青な空へと舞い上がる主人公を目で追った。
「ああ、砂漠っ! 森の外はアリライ国のようになっていたのね……!」
はあ、と地平線を埋める砂漠に見とれる暇もない。先ほど見かけた巨大生物は、ただの抜け殻だ。ならば本体は……。
ドォッ!と森から吐き出された存在に、そして唐突になる音楽は心臓より早い旋律を刻み、マリーは背中越しに体温の上昇を伝えてくる。
頭を左右へ揺らすマリーに合わせ、テレビのなかで主人公は危機をかわし続けていた。
「んんーーっ、熱いっ!」
乗り物を自在に操り危機を乗り越え、そして奇策により巨大生物を翻弄し……。
「わああー、かっこいいー……!」
危機を乗り越えた者だけの見せる笑みへ、マリーは素直に見とれていた。目にも鮮やかな青空を、悠々と飛んでゆく姿は恐らく初めて目にする光景だろう。
さて、巨大生物のいる未来世界は、少女の目にどう映ったろう。
「凄いわねぇ、ファンタジーという感じがするわ。ねえねえ、あの乗り物は日本にもあるのかしら?」
「流石にあれは空想の……あ、いや、そういえば実物を見かけた気がするぞ」
おや、エルフさんと黒猫がこちらへ真ん丸な瞳を向けてきたぞ。
いやいや違うから。あれは熱烈なファンたちの生み出したものであって……まあ、飛んでいる以上は本物に近しいのか。
「やっぱり変態ね、日本人は。料理や果物もそうだけれど、熱意がすこし外の国の人と違うのよ」
「ええ、そこまで言うほどかな。これでも戦争に負けて、焼け野原になった国なんだけどねぇ」
ドの付く変態です、と少女から言われてしまい、そうですねと僕は答えた。
なんだろう、日本というバイタリティに溢れた国は。それほどの熱意ある世代の作ったアニメのせいか、何年経とうと並の映画などより奥深く、キャラクターの誰もが強い個性を発揮する。
例えばそう、周囲から愛される主人公が激昂したときもそうか。
獣のような相貌へと変わり、怒りに飲み込まれて周囲の者の命を奪う。あまりの迫力に少女は絶句し、そして静と動とも言える演出により双方の剣は納められる。
ふうーー、と少女はようやく息を吐き、それから傷ついた主人公へと複雑な表情を向けた。
「彼女が怒るのも納得できるわ。でもこのアニメは得ることが多すぎて、どうしてものめりこみ過ぎてしまうの」
「言われてみれば情報が多いかな。でも面白いと感じるのは、どういう所で決まるんだろう」
ぱちくりと少女は目を瞬かせる。
簡単よ、と言いかけてからその口は止まった。
そうなのだ、何をもってして「面白い」と感じるのか、冷静になってみると意外に分かりづらい。
「音楽はとても素敵……、でもそれだけでは飽きてしまうかもしれないわ」
「キャラクターが生き生きとしているだけでも駄目だろうね。銃を撃つだけの派手なものも、マリーは苦手だし」
その答えのひとかけらが、この映画にあるかもしれない。
主人公は周囲の人々へ必死に訴えかける。それは魂の叫び、彼女自身の願いかもしれない。
平和を、という願いは得てしてチープなものだ。
しかし古代からある世界の理を目にし、彼女には一本の芯ができあがる。世界を支えている存在たちを目にし、それまで漠然としていた願いは鋼のような意思を持つ。
例えばそう、船から脱出を果たした時もそうだ。
人々の願いをたくされた主人公は、決意と共に乗り物を操る。そこへ迫る悪の手、そして胸を打つ重低音な音楽へ、マリーはざわりと後ろ毛を逆立てた。
「大丈夫よ、強い人だもの。きっと平気……」
固唾を呑む、という表現は少し生ぬるいか。
面白い物語の条件として、彼らがどれだけ真剣なのかという要素があるかもしれない。その苦難を乗り越えることがいかに重要か、そして失敗したときの恐れを視聴者へと抱かせる。
このような戦いを描く上で、希望と恐怖というのは表裏一体かもしれない。
強烈な個性ある信念に人々は惹きつけられ、美しささえ覚えるほどの輝きを放つ。だからこそ少女は全身を緊張させ、全てを委ねられた主人公を応援するのだろう。
「ああっ!」
そのとき、どどお!と友軍からの一撃により道は開かれた。
唐突な救い主へと黒猫とエルフは思い切り拍手をし、「やった、やった」と僕へハイタッチを求めてくる。
ぺちんという音、そしてマリアーベルの綺麗な笑みを見ると、何故か僕まで嬉しくなってしまう。
「ああ、汗をかいてしまうわ。んーー、冷たい紅茶が美味い」
ちらりとコップを見てみると、近くをクラゲ状の氷の精霊が漂っている。ははあ、少しだけコップを冷やすという芸当まで出来るのか。
こうして見ると……、彼女らこそファンタジー世界からやってきた気がするんだけどね。
「え、何を言っているのかしら? この日本がファンタジーでしょう?」
「ん? 違うよ、ファンタジーは夢の世界のことじゃないかな」
きょとりと互いに小首を傾げてしまう。
んん、少女らはあちらの世界は現実で、日本こそ幻想的に見えるのだろうか。その疑問はひとまず置いておき、佳境を迎えた物語、アニメの世界へと僕らは戻った。
主人公の信念が花開く。
決して折れず、貫き続けてきた意志は奇跡を生み、世界において辺境に過ぎない場所から世界を変えることを予兆させる。
これこそが「面白さ」かもしれない。
成し遂げた者だけが見ることのできる世界、応援し続けた者だけに感じれる世界。その命をかけた主人公へと、エルフはべしゃべしゃになって泣いていた。
「ううーーーっ!」
タオルを寄せると素直に受け取り、顔を押し付けていた。
普段、実はマリアーベルはあまり泣かない。悲しさに泣いた所を見たのはほんの数回で、それはきっと長い時を生きたことで成長しているからだと思う。
「ううー、こういうの、ぜんぜん駄目っ。良かったね、良かったねって思っちゃうぅ……」
はぐはぐと、息をするのも苦しそうにマリーは教えてくれる。悲しいわけでなく、喜びを爆発させるとき、大泣きすることもあるのだと初めて知ったらしい。
優しい姿を見せてくれるのは、映画の終わり、スタッフロールのときだ。
物語の一場面だけを見せ、主人公らはどんな人生を歩んだか教えてくれる。ぼんやりと空想し、そして優しい音楽に包まれているうち少女の涙は止まってくれた。
汗をかいたマリーは、ぼすんと背中を預けてくれる。
DVDを止め、テレビを切ってもそのままだ。じっと少女からの言葉を待つと、こちらへころんと腫れぼったい瞳を向けてくる。
「最高に面白い映画だったわ」
「ん、ならとても良かった。子供のころから大好きな作品なんだ」
そう伝えると、こくりとマリーはうなずいた。
たっぷりの余韻を残す作品のせいか、その体勢のまま夜遅くまで「どこが良かったか」を語り合うことになった。
たまには良いものだね、誰かと一緒に映画の世界から戻って来れないのも。
腕を枕に、たんぽぽの綿毛のような髪をした少女、マリアーベルはとろんとした瞳を見せてくる。
うつらうつらと船を漕ぎ、そして「すう」と息を漏らして夢のなかへと旅立った。
温かい体温と、静かに回る扇風機、そして布団のなかから響く猫のグルグルという音。夏を迎えた僕らの部屋は、たぶん季節に合わない快適さがあるだろう。
というよりも、こんな夏を僕は知らない。
普通ならどうにか眠りにつくため、ごろりごろりと寝返りを打ち続けるものだが。
「まあ、僕の部屋にはエルフさんがいるからね」
おやすみなさい。
そう心の中で伝え、そして僕もいつの間にやら眠りにつく。
あとにはそう、どこかの部屋から響く風鈴の音だけが残された。




