第124話 半妖精マリアーベル
ああ、東からの風が気持ちいい。
雨季の名残りを感じさせるその風は、たっぷりの水分を含むものだ。熱を払い、おかげで僕のくたびれた身体はようやく動かせる。
クレーター状の砂丘へ飛び降りると、どふりと厚い砂の感触が待っている。その焼け焦げた爆発の中心点には、半ば砂に埋もれた金髪の男……勇者候補ザリーシュが見えた。
絶対防御障壁。
初めてそれを見たのは、彼の館でホラー的なお遊びをしている時だ。じっくりと眺め、それをウリドラと共に分析できたのは僕にとっての幸い、彼にとっての不幸だろう。
これは定めた領域へ侵入してきた存在を嗅ぎ取り、対物理、対魔術と相殺するための力場を放つものだ。
相殺ということは、攻撃を弾くと同時に障壁も傷つくことになる。しかし彼のレベルと相まって、ダメージが通ることは今まで皆無だったろう。
おそらく魔導竜ウリドラであれば、たやすく貫通できたと思う。しかし僕の場合は面倒だ。
一点突破のためにクロス状の傷を作る。これは自動迎撃されないよう、音速を超えた速度が必要だった。
そして死ぬ直前まで気力を振り絞ることで星くずの刃は、絶対防御の許容量を超えたエネルギーを爆発させる。
障壁による閉鎖空間、それにより内側へのダメージが跳ね上がることは半妖精エルフから教わったことだ。膨大な生命力を持つ彼を、そして絶対防御を持つ勇者候補を倒すには、たぶんこれしか道は無かったと思う。
「やあ、しかし……驚くほど頑丈だね、君は」
半身を黒焦げにさせた彼は、片目を失った瞳でこちらを見上げた。
怯えきり、命乞いをするような表情をしているけれど、まさかそれは僕に向けているのかな。
「なに、イブとの約束だから殺しはしないよ。その代わり、君の大事にしているものをいただこう」
「~~……ッ? ………っ? ひぃっ!」
ぐり、と右手を踏みつけ、そして指輪へ触れると彼は悲鳴をあげた。硬く握り締めようとする指に、僕は小首を傾げてしまう。
「おや、指ごと切り落として欲しいのかな。さあ手を開くんだ」
「ふっ……、ふぅっ……、ふーー……っ!」
ぶるぶる震える指は、言いつけ通りに開かれる。
そこについている4つの指輪――反対側も含めると8つか――は、どうするのかもう決めてある。
ひとつひとつを外してゆく。
これは彼の生み出した最悪の技能であり、女性をただ束縛し続ける恐ろしいものだと思う。
というよりも、これが僕にとっての目標だ。
気を失っているとき取り上げることもできた。しかし、そうしたならば彼は血まなこで僕を追っていただろう。
だからこそ完全な状態で倒さなければ、このように彼の心を折り、平穏を手にすることは出来なかった。
余程の思いをしているのか、搾り出すような声を彼はあげた。
「やめてくれ……それが無いと俺は……ッ!」
「安心して欲しい。これは君の部下たちへ手渡すよ。どうするかは彼女たち次第だけど、ちゃんと接していたなら君へ返してくれるんじゃないかな?」
「……ッッ!?」
まあ、たぶん壊すか捨てるかだろうけど。いや、そういえばウリドラも欲しがっていた気がするな……。
全てを手に取り、そして立ち上がる。
空にはもう雲は無く、この世界の雨季も終わりと告げていた。
久方ぶりに見る青空はまぶしく、傷だらけの身にも関わらず、つい魅入られてしまった。
鞄を取りに川原へ戻ると、僕はそこで立ち止まる。
荷物のすぐそばで3人は待っていたのだ。
驚きはした。そして同時に予感もしていた。
騙したね、とウリドラを見ると彼女の瞳は「お互い様じゃ」と物語る。確かにそうだ。僕は少女らを騙していたのだから。
約束をしていたのだ。
何かをするときには必ず相談をすると。
しかし今回は相談することなど到底無理だった。
気絶したあの男、ザリーシュを最も確実に始末できる方法を選びかけたのだ。それは同時に皆を騙したことになる。
後ろめたい気持ちで、僕はじっと立つしか出来ない。
半妖精エルフは陽光により長い髪を輝かせ、透き通るような肌、そして紫水晶へ似た瞳……は、やはり睡眠不足の疲れを見せていた。
雨上がりの空は綺麗に澄んでおり、水分を多く含んだ風を吹きかける。今の気持ちとは裏腹に、とても清々しい空気だ。
ざくざくと砂を踏み、エルフの少女はゆっくりと僕へ近づく。その瞳は何度も泣いたのか、腫らしている様子に胸は鈍く痛んでしまう。
「おかえりなさい」
「ただいま」
ほんの少しの距離、1メートルほどの距離での挨拶だ。
しかし、いつも手をつないでいた時と比べ、果てしなく遠くへ感じられる。
「僕は……」
ザリーシュは弱い人をいつまでも叩き続ける人物だ。僕一人で心を折り、指輪を取り上げない限り、これからもずっと同じ事を続けてしまう。
いや、それはただの言い訳か……。
単純に、僕はザリーシュを憎んでいたのだ。
マリアーベルへと触れ、手を伸ばしたあの男を。
しかし少女は、言いよどむ僕へと己の頬を見せてくる。わずかに赤い様子だが……それに何の意味があるのだろう。
怪訝に思っていると、色づいた唇はぽつりと開かれた。
「謝る必要は無いわ。私も河原での映像を見てたけど、気を失ったザリーシュの指を切り落としなさいと言ったもの。その後、イブととっくみあいの喧嘩になったわ」
「…………え?」
慌ててイブを見ると、褐色肌のせいで分からなかったが、片方のまぶただけ腫れているように見える。ぶすっとした顔は、ひょっとしたら痛みわけの引き分けだったのかもしれない。
いや、小柄なマリーが引き分けただって?
ぽかんとした僕へ、マリーは薄紫色の瞳を真っ直ぐに向けてきた。物騒な発言をしたせいで、少しだけ眉をハの字にさせている。
「だってあんな好機は無いでしょう。館の女性はひどい扱いをうけていたし……そうでもしなければ、これからずっと続いていたもの」
「それは、そうだけど……ああ、だからウリドラは僕を止めたのか」
目を向けると、黒髪美女は肩をすくめてとぼけてみせる。
友達のイブと喧嘩をやめるように、そしてついでに僕へより良い道を示したのだ。
だからほら、謝ることなんて無いでしょう、とエルフの少女は微笑みかけてくる。
そして胸につかえていたものが、あっという間に消えてしまったことへ驚かされた。あれほど後ろめたい思いをしていたというのに、この2人はあっさりと消し去ってしまう。
東からの風はやはり心地よく、たなびかせる白い髪をした少女をじっと見る。彼女は薄紫色の大きな瞳をこちらへ向けており、輪郭を飾る白いまつ毛をパチパチと瞬かせていた。
彼女はとても大事な存在だ。
しかし今回の件でひとつだけ気付かされたことがある。
たとえ勇者候補が相手であろうとも、僕は立ち止まることも出来なかった。がむしゃらに突き進み、無理だと思っていた障害さえ今はもう無い。
たぶん、僕が考えていた以上に、ずっとずっとマリアーベルは大事な存在なのだ。
好きかもしれない。
いや、たぶん僕はずっと前からマリーのことが好きなのだ。日本で手をつなぎ、一緒に歩き出したその日から。
気がつけば、今までになく素直な感情を口から漏らしていた。
「マリアーベル、ずっと君を想い続けているよ。できれば、僕と付き合って欲しい」
「ん、どういう意味かしら? だって、いつも一緒にいるじゃない」
ド直球で跳ね返され、しばし僕は凍りつく。
えぇーー……、お付き合いという表現は分かりづらいかな? それとも交際って言えば良かったの?
勇気を振り絞って言ったというのに、今から言葉の意味を説明するだなんて……難度が高すぎる。ただでさえ顔が熱を放っているというのに。
皆が「ああー見てられない」と天を仰いでいるのを背景に、マリーはきょとりと小首を傾げる。
「主語が無いから分かりづらいの。そういえば海へ行くと言っていたかしら。もちろんそこへ一緒に行きたいわ。水着というのも……え、違う? どういうことかしら?」
あちゃーという顔をする後ろの女性たちへ、きょろきょろ顔を向けているのも……これ、ほとんど拷問なんじゃないかな。
見かねた竜は、こそりと少女の耳元へ囁きかけた。しかし、わずかに漏れてきたその声は「つまり求愛ということじゃ」と聞こえてしまう。
「きゅー……あい……。えっ!?」
きょとりと驚いた顔をし、そして瞳を真ん丸にして僕を見つめてくる。元から白い肌をしているせいで、頬を真っ赤に染めてゆくのは……うっ、これは恥ずかしいぞ。
まさか25歳にして初めて女性へ告白するなど……そして相手がエルフになるなんて思いもしなかった。
直視できない思いをし、硬直している僕へと何かは触れてくる。
ふかりと柔らかく、そして女の子の甘い匂いへ視線を戻すと、すぐ近くで少女は見つめていた。
手を伸ばせばすぐに少女を抱きすくめられるだろう。より密着することも許される。
ちょんと鼻を触れられ、そして少女は囁きかけてきた。
「わ、わたっ、私に、求愛、したの?」
「うっ、しました……その、だいぶ前からだけど、僕は君のことが好きなんだよ」
ぼふんと煙を上げたと思うほど、少女は瞳も口も開いてしまう。
小さな額を僕の肩へと押し当て、じゅううと音を出しそうなほど温かい。
その姿勢のまま、少女はボソボソと話しかけてくれる。
「わたっ、わたしも、好きですよ、一廣さん。初めて一緒に桜を見て、ベンチでうたた寝した私を支えてくれたとき『いいかも』って思い、ました」
おーーっと、これはいかん!
顔から火が出るどころじゃない。2人とも体温を上げすぎて、汗をだらだら流し始めているぞ。ロマンチックさを求めるなら抱きつくべき所だけど、ねっとりした抱擁になりかねない。
それを互いに分かっているから、抱き合う間際で目をグルグルと回しているのだ。
ちょんと指先同士が触れあう。
たまたま触れた指先だけど、互いに何かを覚えて小さく摘みあう。
たっぷりと熱を持つ指は柔らかく、ついすりすりと擦り合わせてしまう。もう少し絡み合うと少女の肩はぴくりと震え、そして「ふぅぅ」と熱っぽい吐息を吐いた。
「あのっさぁーー……」
「ひゃいっ!」
「はい、なんでしょうかイブさん!」
弾かれたよう身を離し、初めて口を開いたイブへと目を向ける。ダークエルフの彼女は、ちょいんと王都方面を指差した。
「もう分かったから、昨日の離れで一晩すごしてエッチしてきた……らァッ!?」
ごすんとウリドラからヘッドバッドを喰らい、彼女は悲鳴を上げた。
うーん、馬に蹴られて……とは言うけれど、まさか竜から頭突きされて、という事態になるとはなぁ。
思わぬ過激な発言に、そーっと少女へ振り返ると……先ほどよりも顔から長耳まで真っ赤にし、口をぱくぱくするマリアーベルがいた。
わ、困った。これは困ったぞ。たぶんこちらも真っ赤だし、ちょんと指を握ってこられると可愛さへ卒倒しそうになる。
互いに明後日の方向を見て、そして時間をかけて緊張をときほぐす。
数回の深呼吸をすると、幾分か赤みは薄れてくれた。
ようやく少女の手を取ると、僕らにとって記念すべき瞬間はやって来た。
「では、本日からお付き合いしましょうか、マリーさん」
「ええ、 一廣さん。これからあなたは私の恋人よ」
くすりと互いに笑いあう。
こうして半妖精エルフ、マリアーベルとの交際は始まったわけだ。