第120話 黒薔薇の咲く館で③
アリライ国、ザリーシュ邸、21時――――。
さわさわと女性たちは小さな声で話している。
大部屋の寝室へランプを灯し、内緒話をするよう使用人であり宝石である皆は顔を寄せあう。話題はもちろん、普段と様子のことなる主人についてだ。
「どうしたのかしら、ザリーシュ様」
「なにかに怯えているみたいで……プセリを扉の前へ立たせていたのを見たわ」
ええ、と皆は眉を寄せ、不安げな表情をした。
プセリとは黒薔薇の騎士という称号を持ち、近接火力と防御力においてザリーシュに次ぐ戦力を有している猛者だ。鉄壁の装甲でありながら、幻獣を呼び出しての馬上突撃は堅固な防壁にも大穴を開けてしまう。
その彼女を朝まで警護に使うなど、通常であれば考えづらい。
「でも星占でもおかしな気配は無かったのでしょう?」
「はい、何も反応はありませんでした。そう伝えに行ったのですが部屋から一歩も出なくて……」
未来予知でさえ見つからぬものへどうしておびえているのだろう、と彼女らは思う。まあ、魔導竜が屋敷全体にあらゆる探知阻害をしているなど、予想をしろというほうが無理かもしれない。
顔を合わせ、それからゆっくりと皆は同じ方向を見る。その視線の先には無人のベッドがあり、いくつかの綺麗な花を乗せていた。イヴリン――イブという愛称を持つ彼女は、今はもういない。
かつては最も低い戦闘力により蔑まれていたが、まさかあのような別れになるとは思いもしなかった。主人であるザリーシュから胸を貫かれるなど、悪夢そのものの終わり方ではないか。
「でもよぉ、ウリドラとマリアーベルと言ったかな……あと一人、宝石箱には空きがいるんだろ?」
「ぜ、絶対、私です……もし今回の星占が外れていたら……」
額へ汗を浮かべてしまう様子に、最年長の女性は歩み寄り、そして豊満な胸に抱く。砂丘の民である少女は、すがりついて押し殺した泣き声を漏らした。
長く冷たい夜は、まだ始まったばかりだ。
しかし少なくとも彼女たちは、暖かい寝床でぐっすりと休めるだろう。
カア、と夜だというのに屋根の上でカラスは鳴いた。
その声は、どこか同情的な響きを含んでいる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大丈夫、大丈夫だ。俺はなにも問題ない。
いつも通り冷静な頭をしているし、恐れるものは何も無い。
ベッドの隣で、ザリーシュは床にうずくまりブツブツと呟いていた。
周囲は青白い燐光に包まれ、いんいんとわずかな音を放っている。これはあらゆる外敵から身を守るという彼独自のファーストスキルだ。
最近になって獲得したこれは【領域封殺】と呼ばれるものであり、己の定めた領域を絶対的に守護する効果を持つ。あらゆるダメージを防ぎ、さらには完全な情報遮断の効果を持つことから、隣国との密談をする際によく使用している。
試したことは無いが、恐らく軍隊を相手にしてもこの守りは崩されない。
彼に勝てる者などいない。
それは誰もが分かっている事実だ。
しかしいま、彼は床にうずくまり、ただただ軍にも打ち勝てるほどの防御スキルを行使し続けていた。
ちらりとベッドを見る。
半ばまでめくれた布団はもう血に濡れてなどおらず、先ほどのアレは幻覚なのではと思わせる。
そう、精神的に参っていたせいで見た幻覚なのだ。でなければおかしい。部下の使用する星占の精度は高く、侵入者などいればすぐに見つけられるはずだ。
そう思い、ゆっくりと身を起こすことにした。酒を飲みすぎたせいで膀胱は限界で、そろそろ部屋から出なければならない。
とても嫌だ。いま自分の部屋から出るのは嫌で嫌でたまらない。しかし間違っても漏らすわけにはいかないので、ふうと息を吐いてから立ち上がった。
そして【領域封殺】を解き、危なげな足取りで戸口へ向かう。
ふっふっとまた息は荒くなり始める。この向こうには黒薔薇の騎士、プセリが守っているはずだ。しかしまだ彼女はいるだろうか。先ほどから物音ひとつせず、それが逆に不安を駆り立てる。
ひんやりとしたノブへ触れ、そして下へ押す。
ぎぃ、いぃ、と扉が開かれてゆくと廊下からの冷たい外気は頬に触れる。湿度のあるせいで、ぬるりと首元までまとわりつくような空気だ。
真っ暗な廊下に身じろぎもせず立つ女性……プセリ。
こちらへ背を向けていた彼女は、ゆっくりと振り返ってくる。その緩慢な動きに、心臓はどくどくと鳴り始めた。
「あら、ザリーシュ様。具合は如何でしょうか?」
母性さえ覚える笑みを向けられ、ほおおと深い息を漏らしてしまった。
大丈夫だ、大丈夫。彼女は指輪により管理下に置いている。たとえ危険な何かが現れても、命をかけてザリーシュを守るだろう。中途半端な恋人や友人などよりも、ずっと頼りになる女性なのだ。
決して弱い姿を見せるわけにいかない立場だが、ここまで醜態を見せてしまったなら仕方ない。つい先ほどなど女性的な悲鳴を放ってしまい、血相を変えて彼女が飛び込んで来たときなど……もう、それは忘れよう。
「付いてきてくれ。トイレにまで行きたい」
「はい、ご一緒いたします」
その返事は、ひどく己の不安を払ってくれた。
誰かと一緒に歩くというのは、ひどく安心させられる。
廊下を進み、片方に壁のない柱の並ぶ回廊へたどり着くころになると、ザリーシュはだいぶ調子を取り戻していた。
屋根の向こうには雨の満ちた夜があり、樹木や草を濡らしている。そのひとつ、トゲのついたものが目に入る。
「黒薔薇か……今年は花をつけそうか?」
「この時期に水を良く吸い、雨季の終わりに花をつけるでしょう。ここしばらく花開くことなく蕾を枯らしておりましたが、今年はきっと……」
言いかけ、プセリは言葉を止める。
その先の記憶はザリーシュにより封印されている。黒薔薇のよく咲いた日に、彼はこの屋敷にいた一族へ罠をしかけたのだ。
かつて栄華を誇った家だけに、恨みを持つ者たちは数多い。彼らを招きいれ、血で血をあがなわせ、最後に彼が全てを刈り取った。あの黒薔薇の騎士、プセリ以外を。
あれは凄惨な夜であり、同時に極上の宝石を手に入れた夜でもある。
その時を思い返しながら、丸々と膨らんだ蕾へと触れた。大きさとしてはニンニク程度、雨の水滴に濡れたものは意外な重さを感じるものだ。
「ザリーシュ様、花をつけるまえに触れるのは館で禁じられております」
「……はっ」
ぐしゃりと握りつぶす。蕾はあっけなく千切れ、地面へボトリと音を立てる。この館の主人は俺だぞという意味で、口端へ笑みを浮かべて振り返った。
するとプセリは無表情な顔をみせ、静かに頭を下げる。悲しい表情をすることさえ主人に対し無礼であると分かっているのだ。
しかし、ふとザリーシュは思う。あの日に刈り取った彼らの怨念は、まだこの館へ渦巻いているのだろうか、と。
いつもであれば気にもしない事だが、今夜はどうにも感覚が鋭敏だ。だからこそ、彼にしては珍しく思ったことをそのまま口にしてしまう。
「時に、この館には亡霊……いや、忌まわしい伝承などはあるのか?」
「え? ええ……私も幼少のころに聞かされておりましたので、ザリーシュ様のご期待にも応えられるかと」
ぴくりとザリーシュは反応をする。
それは暗い話だというのに、嬉しそうな表情をプセリは見せたからだ。
宵闇を思わせる髪は弧をえがいて頬を覆う。ウェーブがかった後ろ髪をメイド服の肩や背へ絡ませているのは……そう、あの黒薔薇を見ているよう。
すい、と彼女は雨のなかへと手を伸ばす。
砂混じりの雨はメイド服に当たり、ポツポツと黒い染みを広げていった。語り手としての雰囲気はどこか神秘的で、彼はつい耳を傾けてしまう。
「我らは国にのみ忠誠を誓う。故に、我ら主を持たず。――そのような家訓を持っております」
そう、それを知っているからこそ、ザリーシュは力ずくで奪い取った。彼らの血を、そして生み出された極上の果実である黒騎士を。
王政となる前からこの地を統べていた血筋ならではの考えなのだろう。
「しかし長い歴史を歩むうち、我らアイガーン家の上に立とうという王が現れました。さて、どのような結末を迎えたと思われますか?」
「……さあな。お前たちのことだ、黙って従いはしなかったろう」
はい、と彼女は首を縦に振る。
彼女の指差すその方向を見ると、先ほどの黒薔薇は雨に揺れていた。
「千日戦い続けた末、わずかな血筋を逃がし、皆、自害して果てました。すぐそこの庭で」
冷や汗がわずかに浮かぶ。
ざあ、という雨の音は一層強まり、そして先ほど蕾を握りつぶした己の手を見る。
手にはべったりと黒い色素を残し、ちぎれた花弁はゴミのよう。がろりと雷が鳴ると、思わず指先に震えが走った。
「祖先の血を吸って以来、鮮やかな薔薇は黒く変色したのだとか。その花言葉は……お聞きにならない方が宜しいかと」
彼女の声の生々しさは絵空事と思いづらい。そして、暗い宵闇色の瞳はほんの少し楽しげだ。
気のせいか、恐ろしい何かを手に入れたように思えてしまう。その彼の表情に何を思ったか、プセリは微笑を浮かべて雨のなかから腕を降ろした。
「故に、主を迎えたのはザリーシュ様が初めてでございます。ふふ、ご期待に応えられましたか?」
「……ああ」
なぜだ……なぜなんだ……。
4年もここで暮らしておいて、よりによって何故今夜それを語るんだ……!
一筋の光は地上を打ち、聞かなければ良かったという顔を一瞬だけ白く浮かび上がらせる。
ごろり、と遠方から雷の音が響いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
廊下の柱に隠れ、僕とシャーリーは様子を伺っている。
どうにもザリーシュはあのお供の女性を連れまわしており、なかなか手を出せないのが困りものだ。まあ、彼以外の女性を怖がらせる趣味は無いからね。
しかしアレだなぁ、霊体だとふわふわしているというか、どうにも足元が頼りない。それとシャーリーから両肩を握られており、振り返ればふわりと衣服ごと彼女は宙へと浮いている。
ああ、なんとなくプールで泳いでいるときの感覚に近いのか。
と、そのとき意思疎通から声が響く。
「うーん、この人は良いキャラクターをしているわねぇ」
「あ、マリー。ようやく本部も復活したのかな?」
このザリーシュ邸からほど近い場所で、マリー、ウリドラ、そしてイブにより本部を築いている。邸内の様子は全てモニタリングされており、もちろん彼らの会話も筒抜けだ。
「ええ、恐ろしい破壊力だったわ。まだお腹が痛くて、もしかしたら腹筋が崩壊するのではと思えたほどよ」
「あたしも笑い転げたわー。すごいね、この映像化魔法ってやつ。面白すぎてハマっちゃいそう」
「わしもここまで楽しめる魔術とは知らなかったのう。さて、そろそろ次の面白い映像が欲しいところじゃな」
ああ、視聴者様からお替りを求められてしまったぞ。しかも先ほどから何かを食べる音まで聞こえてくるけれど……僕のぶんはもちろん残してあるんだよね?
それよりも、先ほどマリーの言っていた事が少しだけ気になる。
「良いキャラクターって、あのプセリさんのこと?」
「ええ、良い物語には核があるでしょう? ただ怖がらせて満足をしちゃ駄目。次のステップへ私たちは向かうときなの」
おお……エルフさんが妙なところへこだわり始めたぞ。
まあ梅雨時期だったこともあり、ずっと本を読んでいたからね。ついでに巨大テーマパークへ遊びにいったのだし、多少は物語性やクオリティーに目が肥えてもおかしく無いか。
ならば凝り性なエルフさんの為に僕も協力したいところだ。
会話を聞いていたイブは、パンか何かを食べながら声をあげた。
「でもザリーシュの指輪……【お前は俺のもの】っていう支配スキルなんだけど、あれがあると説得なんて無理だよ」
うわ、あっさりスキルの秘密を暴露してもらえたな。
まあ仕方ない。イブとの指輪をはずしたのはザリーシュであり、因果応報と考えるべきだろう。
「ふうん、なら彼女には申し訳ないけれど強引に協力してもらおうか」
そう言ってシャーリーへ振り返ると、青空色の瞳はぱちくりと不思議そうに見開かれた。
役者は揃い、あとはこの屋敷へと血塗られた物語を足すのみだ。
完成されたそれは、きっとザリーシュの心を深く深くえぐるだろう。
物語を深く楽しむ僕、そして半妖精エルフは首をこきりと鳴らした。




