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思考の中のあらゆることが、ギターとその機材で溢れていた。手持ちのギターと伯父さんのスタジオにあるアンプで最適な機材が見つかると、今度は前から欲しかったギターを今買ったらどんな組み合わせがいいのか考える。幸か不幸か、ギターには組合せによって無限に音色が変わる。木材からピックアップからエフェクターからアンプから、そのどれもに星の数ほど種類があり、組み合わせはまさに天文学的だった。僕はその天体のなかに脳みそを浸して時間を過ごした。大学で講義を受けている時も、CDショップでバイトしている時も、左脳にはギターがあり、右脳にはアンプがあり、その接続部としてエフェクターがあった。そのように僕の一週間はギターの音作りに満たされていて、今まさに自分の部屋で暮らしている哀れな元彼女の事なんか考えてもしなかった。あまつさえ、僕はその一週間の間に自慰すらしなかったのだ。もちろん、伯父さんのスタジオを借りている手前もあるし、ドラムセットの横で自慰をするのは気分としては妙なものだけれども。
そんな体だったので、僕は一週間後に自宅へ戻る道すがら、そういえば小春に一度も連絡していなかったな、と思いたった。彼氏と別れたばかりの元彼女に対するマナーとしては理想的のように思えるし、純粋に寂しがっている女性に対しては冷たい仕打ちのような気がしないでもない。あるいはみすみす寂しさに付け込んでセックスできるチャンスを逃したのかもしれない。でも、別れた彼女とはヨリを戻さない、というのは僕なりの決まりごとだった。ヨリを戻すくらいなら、別れる前にできる事があったはずなのだから。
部屋に戻ると、小春はあんな調子だった。すっぴんのぼさぼさ頭を目にして、僕はかえって安心した。
「荷物はどうしたの」さゆの入ったカップを見つめて、小春が言う。
「まだスタジオだよ」僕は彼女の横顔を見ながら、カフェオレのカップをすする。
「ふうん」
沈黙。別に喧嘩もしていないはずなのに、妙に重い沈黙だった。僕は小春に一週間何を食べてたの、だとか、こちらは機材漬けの日々だったよとか、当たり障りのない話を振ってみた。小春は聞かれれば一言二言答えるだけで、僕の話には3回に1回程度しか相槌を打ってくれなかった。スマートフォンを見やると、午前の8:32になっている。一限目があるなら、そろそろ準備をして出かけなくてはいけない時間だ。僕は今日の授業は2限からだが、彼女の時間割は分からない。昔なら、ほとんど一緒だったけれど。
「荷物を取ってくるついでに、朝ご飯を買ってくるよ、何かいる?」僕は相手に話す気がない事を悟って、切り出した。この分なら、明日以降もここにいるつもりはないのだろう。
「カップラーメン」小春が言った。
「朝から?そういうの苦手だった気がするんだけど」
小春は昔から朝は米派だったのを、僕はよく覚えている。朝から自炊するのが彼女の最も優れた美点だと思っていたからだ。
「いらないこと言わなくていいの。カップラーメン買ってきて」
「わかったよ。何味がいいの」
「何味でも。わかってよ」小春はそういうと毛布にくるまった。
僕は大きくため息をついて、家を出た。無意識に鍵を閉めようとして、中に小春がいる事を思い出して、開けたままにした。