そうだ子守を呼ぼう
もう限界だ、と思った。
もともと体力などさほどでもないのに、仔猫たちに飛びかかられ登られ走り回って、毎日いくら強化魔法を掛けていても追いつかない日が続いている。
無理だ。
ついこの前だって、後ろからいきなり飛びかかられて腰を痛めるところだったのだ。寿命の半分どころか半分の半分もいってないのに、今から腰だの首だのを痛めるのはまずい。
「ニアム、明日、ちょっと薬師さんのところに行ってくるから、その間、子供たちをお願いできるかな」
「いいよ」
こともなく頷くニアムにほっとして、ユーインは、ここからいちばん近い村に住む薬師兼魔法使いに、使い魔の呼び方を聞いてみることにした。
仔猫たちの相手も難なくできる、できれば子育ての上手な生き物に使い魔に来てもらえるとありがたい。
「子供の相手が得意な生き物がいそうな場所、ですか」
ううむと考え込む、村の、代替わりしたばかりの薬師はまだ若い魔族だ。先代から、彼はこの村近辺の山にも詳しいと聞いている。
「もしくは、子供の相手をしても苦にならないような生き物に来て欲しいんだ」
どちらかというと町のそばに引きこもって、魔道具作りを生業にしていたユーインにとって、若いといっても薬と野外に詳しい彼の存在は心強い。
「以前よりは体力がついたとは思うんだけど、子供たちはそれ以上なんだよね。
ちょっと目を離すとどこかに入り込んでるし、念のため外へは迂闊に出られないよう結界は張ってるんだけど、何か事故とかが起こる前にもうひとつ目があったらと思って」
「このあたりは狼が多いから、狼系の生き物が来る可能性が高いと思います」
「狼か……」
「狼は家族を大事にするっていうし、条件に合うかもしれないですね」
「なるほど」
うん、と頷いて、ユーインは必要なことを教わると、礼を行って帰って行った。
彼のように妖精竜でも来てくれたら、仔猫たちも喜ぶのだろうが、このあたりに妖精竜がいるなんて話は聞いたことがない。なら、立派な狼が使い魔になって仔猫たちの相手をしてくれれば御の字だろう。
帰宅して、さっそくこの辺りの地図を広げ、どの辺りまで出ようかと考える。あまり里から離れてしまっても危険だろう。
「ユーイン、何してるの?」
「ん? 今度、使い魔を呼ぶんだよ」
「使い魔?」
「子供たちの相手を手伝ってくれる生き物に、使い魔になってもらおうかなって」
「ふうん? どんな生き物?」
ニアムはユーインの背に覆いかぶさるようにぺったりとくっついて、ふんふんと匂いを嗅ぎながら地図を覗き込む。
「来てもらうまでよくわからないよ。僕の使い魔になってもいいって思ってくれる生き物が来るはずなんだけどね」
「ニアムはふかふかでふわふわな動物がいいなあ。背中に乗っかれたら楽しいよ」
「そういう生き物が来てくれたら、子供たちも喜ぶね」
尻尾をぱたぱたさせながら、ニアムはふふっと笑う。
「ユーインが呼ぶんだから、きっとすごくてかわいいのが来るんだよ。ニアム楽しみだなあ。ニアムを乗せてくれるといいなあ」
そう都合がいい生き物がが来るものかなと笑いながら、ユーインはとんとんと机の上の羊皮紙をまとめた。
「準備があるから、呼ぶのは2、3日後になるけど、その日はニアムに子供たちをお願いすることになるよ。よろしくね」
「うん、任せて!」
楽しみ楽しみと、ニアムはご機嫌でユーインにくっついていた。
数日後、段取りを整え、預かってる仔猫たちの世話をニアムに頼んで、ユーインは家を出た。あまり遠くはないけれど、それなりに山の奥へと入ったところに落ち着いて、召喚円やら何やらと手際よく準備をしていく。
聞いた話では召喚には丸一日かかるそうだし、終わった後はしばらく休息が必要だともいう。だから、それを見越してすぐにでも野営ができるような用意もした。
「これでいいかな」
ようやく用意ができたところで、ほ、と息を吐く。改めてもう一度だけ確認をしてから、ユーインは召喚円の真ん中に座り込んだ。
長い魔法の詠唱をしてじっと集中し、周辺の生き物たちにゆっくり呼びかけ始め……少しずつ少しずつ、呼び声の範囲を広げていく。
村の薬師は、自分を餌にして相手を釣り上げるようなものだと言ってたが、では、ユーインを餌にどんな生き物が釣れるのだろうか。
できればニアムや仔猫たちを好いてくれて、彼らにも好かれるような気立てのいい生き物がいい。体力お化けの仔猫たちにも負けないくらい体力があって、面倒見がよくて……ニアムが喜びそうな、ふわふわでふかふかな毛皮の動物がいいな。ニアムの希望通り、背に乗せてくれるような生き物なら、なおのこと良いだろう。
そんなことを考えながら、ユーインはひたすらに集中する。
とうとう日が暮れて、あたりが真っ暗になった頃になってようやく、がさがさと茂みをかき分けて大きな獣が姿を現した。
「……君が、使い魔になってくれるのかな?」
丸1日飲まず食わずのまま集中し続けて、ユーインの喉はからからに乾き、声は掠れていた。目も少し霞んでいる。
獣はユーインの問いに応えるかのように歩み出て、その目の前に座った。
現れたのは、ふさふさの尾とたてがみのような毛を持つ大きな山猫だった。顎の先には山羊のように長い毛が下がっているし、背には金茶の毛皮に細かい斑点を散らしたような模様がある。耳と尾の先は黒に近い濃茶で、お腹は白い。
立ち上がったユーインの膝よりもずっと上に頭が来るほど、大きな山猫だ。
山猫は座ったままじっと待つように小さく首を傾げながら、明るい緑色に輝く目でユーインを見つめた。
「その顎髭、まるで山の賢者みたいだね。君の名は“賢い者”でどうだろう?」
山猫は、了承した、とでもいうかのように、ユーインの差し出した手をざらざらした舌で舐める。
「これから、よろしく」
ほっと息を吐いてウィズの頭を撫でると、ユーインは用意しておいた天幕の中にふらふらと潜り込んだ。置いてあった水袋から水を飲み、「ごめん、すごく疲れたから、帰るのは少し寝てからね」と告げると、すぐにごろりと横になってしまった。
ウィズは、ちょっと呆れたように首を傾げ、それから自分も天幕に入り込み、横になったユーインに背を押し付けるように丸くなった。
翌朝、ユーインは少し寝ぼけながら背に当たる毛皮を撫でていた。その感触がなんだかとてもふさふさで、いつものニアムとは違うことにようやく気がついて、はっきりと目を覚ます。
「ああ、そうか」
ここは家じゃなくて外だっけ、と考えながら、「おはよう」と声を掛けた。ウィズは身体を起こし、喉を鳴らしてユーインの手に頭を擦り付ける。
それから、ふたりで手持ちの食料を分けあい軽く腹ごしらえを済ませると、荷物を片付けて帰路についた。
「ニアム、角のにいちゃん帰ってきた!」
お昼を回った頃、山から戻ってきたユーインを目ざとく見つけた子供が声を上げると、たちまち「わあ!」と仔猫たちが集まってくる。
「ユーイン! 使い魔はどんな子が来たの?」
ぴょん、と飛びつくようにユーインに抱きつきながら、ニアムが尋ねた。
「僕の後ろ。紹介するよ、ウィズだ。よろしくね」
にゃあ、と思いのほか猫らしい声で鳴いて、ウィズが前に進みでる。
とたんに、うわあ、とか、ふさふさだ、とか、仔猫たちは大騒ぎだ。
「ほら、そんなに騒がないで皆落ち着いて。
ウィズ、子供たちが無茶をしたら、遠慮なく怒っていいからね」
わかった、と返事をするようにもう一度にゃあと鳴き、ウィズは無遠慮に伸ばされた子供の手を、ぺしっと尻尾で叩いた。
「ちゃんと挨拶するんだ。初めて会う人には自己紹介をするものだろう? それから、触るときはウィズに聞いてからだよ」
はあい、と順番に名乗る仔猫たちをひとりずつじっと見つめて、満足したようにウィズはまたにゃあとひと声鳴いた。
それから、ころんと転がるように横になり、撫でてもいいぞという体勢になる。
わあ、と大騒ぎで手を伸ばす仔猫たちに、撫でる時の作法を教えるかのように尻尾や前脚で時折ぴしゃりと手を叩くウィズを見て、これなら大丈夫そうだとユーインはほっとした。
夜は、ウィズの歓迎会だと、ニアムの腕によりを掛けた鹿肉料理が振舞われた。
ウィズが来てから仔猫たちの行儀もよくなったと、里での評判も上々である。