中編
「お前!」
獣人の彼はいきなりそう呼びつけた。
……が、食べることに忙しいニアムはちらりと一瞥しただけで、すぐに意識を鳥へと戻す。
「年は、年はいくつだ!?」
なんだか必死なようすの彼に、ユーインはなんとなく予感を覚えながら、「たぶん、10を過ぎたくらいだと思うよ」と代わりに答えた。
「お前は? この子の名前は?」
「僕は魔法使いユーイン。この子はニアム」
「ニアム……」
一心不乱に鳥を食べるニアムを、彼はじっと見つめる。そんな彼のようすに、ユーインはひとつ溜息を吐く。
「この子は、10年前に拾ったんだ」
「……拾った? 10年前に?」
「そう。布に包まれてて、もぞもぞ動いてる毛玉みたいで、子猫にしては大きいから猫かなって思ったんだ。ニアムっていう名前は、布の縫い取りがそう読めたからだよ」
「ニアム、か」
ようやくひとつ食べ切って、次の鳥を食べようと手を伸ばすニアムを、彼はじっと見つめる。
「10年前に、末の妹が行方不明になったんだ。動物にさらわれたのか、誰かに連れ去られたのか、よくわからなかった。産まれてまださほど経ってないから、自分では歩けないはずだったし」
「うん」
「皆で近辺を探したけど見つからなくて、泣く泣く諦めたんだ。でも、母さんはその後もずっと落ち込んでて、しばらくは食事も喉を通らないくらいで」
「うん」
そこまで聞いて、ユーインにもなんとなく結論が見えてしまった。ちらりとニアムを見ると、鳥の軟骨をこりこりと齧っている。
「末っ子の名前は、ニーアンというんだ。お包みには、母さんが名前と守りの刺繍をしていた」
「そうだろうと、思ったよ」
彼の毛色と纏った“におい”は、ニアムとよく似ていた。それこそ、近い血縁でもなければありえないくらいに、似通っていた。
拾った直後は、いつもニアムの氏族の獣人が探しにくるんじゃないかと思っていた。来ないまま10年経って、すっかり忘れた頃に現れるなんて。
……自分が魔族じゃなければわからなかったのに。魔族じゃなければ、“におい”が似ているなんて気づかなかったのに。
ユーインはまたひとつ溜息を吐いて、それから、あいかわらず我関せずと鳥を食べ続けているニアムに苦笑する。
「……ニアム、ニアム」
「なあに? 話終わったの?」
顔を上げたニアムには、ユーインがいつもとは何か違うように見えた。
けれど、何が違うのかよくわからない。
「ユーインは、鳥、食べないの?」
「後でもらうよ。それよりも、ニアム。たぶん、君のお兄さんが見つかったんだ」
ぽかんとした顔で「お兄さん?」とニアムは呟いて、初めて彼を正面からしっかりと見つめた。
「ミエスだ。お前は覚えてないだろうけど……こんなところにいたなんて」
「ニアムにお兄さんはいない。ニアムにいるのはユーインだよ」
訝しげにミエスを見やって、ニアムはまたユーインに視線を戻す。
いったい何を言ってるんだという顔をして。
「ニアム、ニアムにはお兄さんがいるんだよ。このミアスさんだ。ほら、ニアムにそっくりだろう?」
「……似てないもん」
「ちゃんと、ニアムには家族がいるんだよ。よかったね、見つかって」
「ニアムはユーインがいるから、家族はなくても大丈夫なんだよ」
にっこりと微笑むユーインに対し、不機嫌一直線という顔で、ニアムは頰を膨らませる。
「でも、ニアム。家族が見つかったんだし、帰らなきゃね」
「ニアムが帰るのは、ユーインと一緒のあのおうちだよ」
「……ニアム」
「やだ」
「ニア……ああ、鳥の骨を齧っちゃダメだ! 刺さるから!」
ムッとした顔のままガリガリと鳥の骨を齧り始めるニアムを、ユーインは慌てて止める。
「ニー……ニアム、別に、今すぐじゃなくてもいいんだ。でも、なるべく近いうちに来てくれないか? 父さんも母さんも会いたいと思うんだ。
それに、お前には他に兄がふたりに姉が3人いるんだよ。弟もいる。皆、ニアムが見つかったってわかったら、喜ぶから」
まるで人攫いを警戒するかのようにじっと睨むニアムを、ミアスも困ったような顔で見返す。
「急なことで、混乱するのはわかるよ。俺だって、まさか今ここでお前が見つかるなんて、思ってなかったし」
「ニアムはどこも行かないもん」
ユーインは、頑なになってしまったニアムを宥めるように、頭をぽんぽんと叩く。
「少し落ち着こう。な、ニアム。お互い急すぎて、いろいろ付いてきていないんだろう」
「ニアムは落ち着いてるもん」
「うん、わかったから。
ミアスさんも、続きはもうちょっとニアムが落ち着いてからでいいかな」
「……そうだな」
不承不承頷くミアスにも、少し時間をおいてくれるようにとユーインは告げる。どうにも急すぎて、ニアムの頭も感情もついていっていないのだろう。
こうなったニアムは、少し冷まさないと頑ななまま固まってしまう。
「僕はこの町から半時くらい離れたところに住んでるから、町のひとに、魔法使いユーインの家を聞けば、すぐにわかると思う」
「わかった」
仲間の元へと戻るミアスを確認して、ニアムに向き直る。
「ニアム、今は鳥を食べよう。さっきの話は、あとでだ」
「もう終わりでいいよ」
不機嫌に断じるニアムに、「そうもいかないよ」とユーインは笑う。
「家に帰ってから、明日ゆっくりちゃんと話そう」
「必要、ないのに」
「いいや、必要なことだよ。だけど、それは明日にしようね」
ほら、もっと食べるだろう? と鳥を切り分けてニアムに渡すと、こくんと頷いてもそもそと齧り始めた。
「ユーイン、眠そう」
ふああと大きく欠伸をするユーインに、ニアムは笑った。
昨夜、ユーインはお腹がくちくなって食堂で寝てしまったニアムを抱えて帰った。すぐにニアムのベッドに寝かせようとしたのにしっかりくっついたままどうにも離れず、しかたないと自分のベッドで一緒に寝たのだ。
そのおかげか、眠たそうなユーインに比べてニアムは朝からご機嫌だ。
「ニアムが僕のお腹を枕にするから、すごく夢見が悪かったんだよ」
「ニアムそんなことしないよ」
「それに、3回くらい蹴られたし、2回くらい落とされそうになったし、ニアムは寝ている時もお転婆だね」
「……そんなことしないもん」
「まだまだニアムは子供だからしかたないな」
ユーインにくすりと笑われて、ニアムは少し剥れる。自分はもうそんな小さな子供じゃないのに、と。
「さ、ニアム。こっちにおいで」
長椅子に座ったユーインが隣をぽんぽんと叩く。ニアムはすぐに走り寄って、そこにちょこんと座った。
ユーインはそれを待って、目の前のテーブルの上に置かれた小さな箱を引き寄せる。ニアムが珍しそうに覗き込むと、ユーインはにっこり笑って、蓋を開けた。
「ユーイン、これ、何?」
箱の中に収まっていたのは、丁寧に畳まれた布だった。柔らかそうな生地に、綺麗に刺繍が刺された布。
「これは、ニアムが包まれてた布だよ」
ユーインがそっと取り出して広げる。あの時拾った毛玉は、両腕にすっぽりと収まってしまうくらいに小さかった。にいにいと鳴く声もあって、本当に猫だと思ったのだ。
「ほら、この刺繍。昨日、ニアムのお兄さんが着ていた服にあった刺繍といっしょだよ。それに……うん、確かに、名前の縫い取りは、ニーアンとも読めるね」
「……うん」
「獣人の刺繍は、家ごとにパターンが違うって聞いたことがあるよ。小さなパターンの組み合わせかたや、それに込める意味が家ごとに微妙に違うから、同じ家のものじゃなきゃ、同じ模様の刺繍を身につけることがないって」
「そうなの?」
ユーインが頷くと、ニアムはじっと布を凝視しながら、不安げに腰に抱き付いた。いつもは忙しなくあちこちを叩いている尻尾が力なくたらりと垂れ下がり、耳もやや伏せられたままだ。
ユーインは安心させるようにぽんぽんと小さな背中を叩く。
「だから、この布と同じ刺繍の服を着ているミアスは、ニアムの家族でお兄さんなんだよ」
「でも……」
「ミアスが昨日言ってただろう? お父さんやお母さんが、ニアムがいなくなって必死で探してたって。せめて、ちゃんと生きてて、こんなに大きくなったよって顔を見せてあげなきゃ。
それに、僕はずっとここにいるから、大丈夫だよ」
ユーインはまた困ったような顔で笑った。ニアムは、その表情にもなぜだか不安になる。
「でも……」
「大丈夫だよ。だから、会いに行っておいで」
優しく頭を撫でられて、ニアムには不安ばかりが募る。
「やっぱりやだ!」
「どうして?」
ユーインは困った顔のままだった。うっすらと毛を逆立てて、ニアムは精一杯、言葉を絞り出す。
「だって、ニアムは大きくなって大人になったら、ユーインのお嫁さんになるんだもん! だからここにいる! ずっとここにいるの!」
「……ニアム、ありがとう」
ユーインの困った顔は、やっぱり崩れない。ニアムはユーインに抱き着く腕に力を込めた。
「でもね、ニアム。それは無理だよ」
「なんで? 無理じゃないよ! ニアムはすぐ大きくなるから、すぐユーインに追いつくから」
「……それでも、だめなんだよ。魔族と獣人じゃ、どんなに望んでも子供はできない。だから、ニアムは僕のお嫁さんにはなれないんだ」
「……なんで? そんなの、やだ」
ニアムが真っ青になってユーインを見上げる。やっぱりユーインは困った顔のままで、うっすらと困った顔のまま微笑んでいるようで。
この場限りのごまかしなどではなく、本当のことを言ってるのだとわかってしまい、ニアムの目にみるみる盛り上がった涙がぽろりと零れ落ちた。
「やだ、やだ……」
「うん、ごめんね、ニアム」
「やだよ、やだよお……」
「うん」
ユーインのお腹に顔を伏せて、ニアムはひくひくと泣き始める。
こんな風に泣かせるつもりはなかったのに……と、ユーインはただひたすら宥めるように、優しくとんとんと背中を叩き、撫でる。
「ニアムはユーインのお嫁さんになりたいの」
「うん、でも、だめなんだよ」
「毎日鹿を獲って、ユーインにごちそう作るの」
「……ごめんね、ニアム。僕がせめて人間だったらよかったのにね」
「……やだ、やだよ、ユーイン、やだ」
泣きじゃくるニアムの背を撫で続けて、けれど断固とした口調でユーインは告げる。
「だからニアムは、家族のところへ帰るんだよ。僕じゃニアムに狩りを教えたりできない。魔法使いとしてどう生きればいいかは教えられるけど、ニアムは魔法使いになれないから、それもだめだ」
「でも、でもユーイン」
「ニアムは、家族のところに帰って、いろいろ教わらなきゃいけないんだよ」
「でも、ユーイン……」
「ニアム、いい子だから帰るんだ」
ユーインはニアムを頑なだと言うが、こうなったユーインこそ本当に頑なで、絶対に折れないことをニアムは知っていた。
どんなに自分が泣いて嫌だと言っても無駄なのだ。
「ニアム、僕はずっとここにいるから。いなくなるわけじゃないから」
しゃくりあげながら、ようやくニアムは頷いたのだった。





