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前篇

 道端に落ちていたもふもふの毛玉を拾って世話を焼いて、10年経ったらもふもふの女の子に変わっていた。


 猫耳に猫尾にうっすら身体中を覆う柔らかい被毛は淡い金茶の縞模様だった。二足歩行の半人半獣の猫のような獣人族のニアムはほっそりとしなやかで、とてもきれいな女の子だ。

 さすがに「にゃあ」と鳴いたりはしないが、リラックスしているときは喉がごろごろ鳴るし、小柄で身も軽く、好奇心も強い。


 そして、今、ぷいと我関せずな顔をしながらも、床に座ったユーインの身体に背中を押し付けつつ横に座るようすは、まんま猫と言っても差し支えないだろう。


「ニアム」


 それにしても、何をそんなに御機嫌斜めなのかと名前を呼ぶと、ぷいとそっぽを向いたまま、耳だけがユーインを向いた。


「ニアム、どうしたの」


 ぱたぱたと床を打つ尻尾が、ユーインの言葉がちゃんと聞こえていると示す。


「……どうもしない」

「どうかしたんだろう?」


 くつくつ笑いながらユーインが手を伸ばし、耳の後ろを擽ると、耳だけは気持ちよさそうにぴくぴく動いている。尻尾が床を叩く速さも増している。


「だって、ユーインが、構ってくれない」


 言われてふと窓を仰げば、だいぶ日は傾いているようだった。


「ああ、もう夕刻が近いのか。悪かったね。お腹空いたかい?」

「だいじょうぶ」


 相変わらずそっぽを向いたまま、頭だけは押し付けるようにユーインの背にぺたりとくっつける。

 ユーインは背に重みと温かさを感じながら、床に広げた何冊もの本にひとつずつ栞を挟み、閉じていく。全部を一箇所に積み重ね、それから大きく伸びをして、身体を捻って後ろを向く。


「ニアム、ほら、こっちにおいで」


 ひょいと持ち上げられると、ニアムはおとなしくユーインの膝に座った。


「ちょっと根を詰め過ぎてたみたいだ……うん、ニアムは今日もお日様の匂いがするね」


 すん、と髪に鼻を埋めて匂いを嗅ぐと、ニアムは目を細めて耳を後ろに伏せた。


「ユーインは紙臭い。それに、ちょっと埃っぽい。鼻がかゆくなるよ」

「今日はここでずっと本とにらめっこだったからね」

「仕事、たいへんなの?」

「んん……目処は立ったから、あとは作るだけかな」

「ふうん?」


 ニアムはちらりと積み上げた本に目をやって、ついついと指先で突つく。


「魔法使いって、たいへんだね」

「それほどでもないよ」


 よしよしと頭を撫でられて、ニアムはますます気持ちよさそうに目を細め、耳を伏せた。


「けど、しばらくずっと、昼間は工房にこもりっきりになるから、あまりニアムを構ってあげられなくなるなあ」

「ニアムはもう子供じゃないから、大丈夫だもん」


 さっき、構ってくれないと拗ねてたばかりのくせにと言うと、そんなことないと(むく)れてしまう。


「まあ、でもこれを作り終わって納品すればまとまった収入にもなるし、当分は仕事をしなくても大丈夫になるから、我慢してね。

 それと、今日の夕食は、ニアムの食べたいものにしよう」


 取りなすようにユーインが言うと、きらんとニアムの目が輝いた。


「鳥! サウルのとこの、丸焼きの鳥がいい!」

「ニアムは本当にあそこの鳥が好きだなあ」

「だって、外はかりかりで香ばしくって、中はしっとりしてて、齧るとじゅわってするんだよ。スパイスもきいててすごくおいしいの。軟骨までこりこりして柔らかいし! お腹の詰め物は鳥の脂がしっかり染みこんでて、それもすごくおいしいの!」

「わかったわかった。じゃあ今日はそれにしよう。あそこの鳥は人気だから、早めに行こうか」

「うん!」


 ニアムは大喜びで、今にも涎を垂らさんばかりだ。尻尾は忙しなく振り回され跳ね回り、ユーインは慌てて、周りの紙が散らされないようにと重石を乗せる。


「じゃあ、着替えておいで。町に行くんだからね」

「うん!」


 ニアムはすくっと立ち上がると、すぐに自室へと向かった。




「ユーイン、用意できたよ。早く行こう」

「ああ、おいで」


 ユーインに手を差し出され、ニアムは飛びつくように掴む。

 町まではほんの半時も歩けば到着する。わざわざ転移するほどではない。たまにはこうして足で歩かなければ萎えてしまうから、町へ行くときは自分で歩くというのが、ユーインとニアムの暗黙のルールだ。

 夏を過ぎて涼しくなった風が、さやさやと髪をそよがせる。


「ユーイン、もっと秋になったら、あの赤いきのこ食べよう」

「ニアムは食べることばっかりだな」

「だって、赤いきのこおいしいんだよ。あと、鹿!」

「ああ、鹿は冬に向けて脂が乗っておいしくなるね」

 はしゃぐニアムが腕にぶら下がったり周りをぐるぐる走ったりするのをあしらいつつ、ユーインはのんびりと街道を歩く。

「うん。ニアム(ニャーム)も狩りができるようになりたいな。そしたら、毎日、鹿獲ってくるよ。ユーインと毎日ご馳走食べられるように」

「そうか、そろそろニアムも狩りができるようにならないとかあ……」

 本来ならもっと早く獣人として狩りのノウハウや屋外での過ごし方を教わるはずだが、このあたりに獣人の集落はないし、ユーインには狩りを教えられるような知識もない。

「この近くに獣人がいれば、ニアムに狩りを教えてくれって頼めるんだけどね」

「ユーインは狩りできないの?」

「僕は魔法使いだから無理かなあ」

ニアム(ニャーム)、ユーインに狩り教わりたかったなあ」

 口を尖らせるニアムに、ユーインはあははと笑う。

「魔法なら教えてあげられるんだけど、ニアムに魔法はちょっと難しいね」

 それから、少し考える。

「でも、弓か剣の先生は探そうか。そのくらいは覚えないとね」

「うん!」




 町に着いた頃には、もう日が沈む直前だった。食事を終える頃には真っ暗になっているだろう。さすがに闇の中を歩いて帰るわけにもいかないので、帰りは転移魔法を使うことになる。


「こんばんは」

「こんばんはあ!」


 サウルの店、とニアムが呼ぶ食堂に入ると、すでに半分ほどのテーブルが埋まっていた。女将さんであるサウルの奥方が「あら、いらっしゃい」と挨拶を返す。

 ここも、地階部分は食堂、2階から上は宿屋という、この町によくある形式の店だ。席を埋める客の多くも、今日の泊まり客なんだろう。


「ひさしぶりね。好きなところに座ってちょうだい」

「うん。いつもの鳥を頼むよ。あと何か、季節のものをいくつか」

「はいはい。ニアムちゃんが食べるなら、大きめのがいいわね」

「うんと大きいの、おねがい!」

 満面の笑顔で注文するニアムに、女将さんはにこっと笑う。

「もちろんだよ」


 食堂の片隅に席を定めて、ユーインは頭から被っていたマントをゆっくりと外した。

 いつもこの瞬間は緊張してしまう。

 ……なぜ魔族がここにいると咎められ、斬り付けられそうな気がして。


「ユーインどうしたの?」

「なんでもないよ」


 この国は、ほんの10年前まで魔族を魔物として扱っていた。教会の主導のもと、魔族は魔神に与する穢れた種族なのだから殺すべしとして。

 けれど、10年前、その教会自身が魔神を呼び出し、王国に仇為そうとしているのだと暴かれた。教会の全てがその悪事に加担しているわけではなかったが、教会の主要な部分が堕落し、今では“魔のもの”と呼ばれる何者かに掌握されてしまっていたのだ。

 だが、偉大なる英雄の血を引く王国の騎士の力と他ならぬ魔族の協力によって、教会を操る“魔のもの”は討伐された。長く魔族に掛けられていた濡れ衣も晴らされ、汚名は返上された……らしい。


 いかんせん、伝聞でしか聞いていないので、実際のところ、どこまでが事実でどこからが脚色なのかは不明なのだが。


 さらに言えば、この国と東の魔国との交流が始まったことも、それを後押ししたのだろう。何しろ、かの国は魔族が治めているのだ。交流を持つなら魔族への扱いも他の種族と同等にしなければいけない。

 今では、王都の魔術師団にすら数人の魔族が所属しているのだという。少し前までは、そんなこと想像もできなかったのに。


 おかげで、魔族が姿を偽らなくても外を歩けるようになったし、いきなり襲い掛かられることもなくなった。もちろん、魔族を見て眉を顰めたりあからさまに避けたりするものはまだ多い。それでも、これまで隠れ潜むように、目立たないようにひたすら息を殺して生きてきたことを考えれば、夢のようだ。

 そうはいっても、やっぱり、長年の習慣はなかなか抜けないし、こうしてひとの目も気になってしまうのだけど。


「ニアム、何か飲み物は?」

「ええとね、りんごの、しゅわしゅわするのがいい」

「うん、わかった」

 ユーインは女将さんに声をかけて、りんごの果汁を炭酸水で割ったものを頼む。ついでに、自分にりんごの発泡酒(シードル)も。

 女将さんが飲み物とちょっとした煮込みを運んできたところで、ユーインとニアムはゆっくりと食事を始めた。




 ニアムお待ちかねの鳥のローストがようやく運ばれてきた。

 さっそく食べやすいサイズに切り分け、少々行儀が悪いかなと思いつつもがぶりと噛り付く。今日の鳥もニアムの期待通りのおいしさで、じっくり噛み締め、口の中に広がる旨味を味わう。


 ……そこに彼らが現れた。

 獣人の一団だ。

 秋になり、冬が来る前に、獣人たちは冬支度のため町へとやってくる。この町は小さいけれど、この地域のいろいろなものが集まる場所だ。王都へ続く街道が始まる町でもあるし、たくさんの商人がやってくる町でもある。

 だから、彼らもそれを見越してここへ来たんだろう。


 彼らのうちのひとりの、和毛(にこげ)に覆われた顔を眺めながら、ユーインはまるでニアムのようなきれいな金茶だなと考える。ユーインの視線を感じたのか、彼もこちらに気づいたようだった。

 思わず目が合って、なんとなく軽く会釈を返す。すぐに彼は興味を無くしたようにぷいと目を逸らそうとして……すごい勢いでユーインたちを二度見した。ふたりを認めて瞠目した彼は、さらに驚愕の表情へと変わる。

 彼はユーインたちを凝視したまま仲間に声を掛けると、恐ろしい勢いで向かってきた。


 その剣幕にユーインは固まり、ニアムは「ユーイン、あれ、なんだろう?」と不思議そうに首を傾げたのだった。


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