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目を瞑れ  作者: くせ毛
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出席番号の前の方

 初めて書いた小説です、とハードルを下げるのはあまり好きではありませんが、あえて言います。初めて書いた小説です。

 連載になる予定です。どうぞお付き合いください。

 例えば、誰も気が付かないことを機敏に察知する。

 例えば、何かを勧められても「結構でございます」と断る。

 例えば、褒められこそすれど、「そんなこと、ありませんよ」と謙る。

 そんなことをされた相手はどのように思うだろう。それはきっとこうだ。

「なんだ、お前は、俺よりもお前の方が偉い、と言いたいのか? そうに違いない!」

 もちろん、俺はそれらを意図的にやったつもりなど微塵もない。ただ、気が付いたから。ただ、施しを受けるのは相手に悪いと思ったから。ただ、自分を「大した奴ではない」と評価したから。そこに親切心はあるが、下心は無い。

 しかし、受け手にはそうは聞こえないだろう。逆接を用いたからには、其が指す意味は真逆のものでなければならない。低劣なことに、虚構の下心が彼らによって作り上げられてしまうのだ。

 そして彼らは下心ある者をこう思う。「くそう、調子に乗りやがって!」、と。

 小学生の時の話だ。俺は掃除が行き届いていない場所を見つけ、箒で掃いた。それをやった時間が悪かった。掃除の時間の後だったのだ。そこを掃除していた奴らは俺に「俺達の掃除に何か文句でもあるのか?」と言わんばかりに睨んでくる。先生に掃除したことを褒められるならまだしも、褒美をもらうとまでなれば彼らの目はより冷ややかなものになる。俺は謙虚にも遠慮してみたりするが、どうやら逆効果らしい。彼らの自尊心を逆撫でするだけであった。

 配慮と遠慮と謙虚。これらは俺の良心であり、下心ではなかった。しかし、それは認められない。一般という大多数の大正義に否定されれば、すべてのものは悪になる。

 そして、俺はその三つを奴らへのちょっとした悪意を込めて、「日本人らしい」と形容することにした。

 謙虚。配慮。遠慮。日本人を日本人足らしめる三要素、と言っても過言ではないだろう。一つにまとめるなら「気を遣う」が適切だ。気を遣うこととは、相手の気を敏感に察知することである。それは個人という価値への侵害に他ならない。

 個人とは何をもって個人か。端的に言うのであれば「唯一の情報の有無」であろう。唯一の情報を持てば持つほど、個人としての価値は高まっていく。気を遣うとは相手の心内を把握することである。つまりは自分と相手の情報を共有するということ。したがって、それは唯一を共通にしてしまうことであり、相手の個人としての価値を著しく低下させるのだ。

 つまり、個人を尊重するのに日本人は向いていない。


 俺は長机を二つ並べた向かいにいる彼女にそんなことを説明する。

 そして最後に、

「謙虚も、配慮も、遠慮も、悪徳だ」

 と付け加えた。

 向かいにいる彼女、和泉香穂子いづみ かほこは、

「それらは美徳だと思います」

 と身を乗り出す。

「他人を思いやることは良いことです。おもてなしの心や謙虚な姿勢は、日本人が日本人として誇るべき美徳です」

 和泉は拳を握って俺に畳みかける。

 春風が部室の窓をカタコトと揺らす。俺も和泉もそれに目を取られてしまった。その音で和泉は熱が冷めてしまったのか、拳を解いて椅子に腰を下ろした。

 それを見計らって俺は反論する。

「誇ることは、謙虚さが足りないことだ」

 和泉は失言を悔いるように口を押える。

 反論というよりも、これは論点のすり替えである。欠点はすり替えに気付かれることだが、相手への否定を含ませれば大抵の場合は上手くいく。

「確かに、さっきのは日本人らしくありませんでした」

 和泉はそう俯く。

 彼女への否定の意味するところは「お前は日本人らしくない」ということ。つまり彼女は日本人を目指しているのだ。

「でも、それなら泉妻いずのめ君だってそうです」

「どういうことだ?」

「そうやって私の気を推し量りながら話すのは、とても日本人らしいです。良くない意味での配慮に当たります」

 和泉は俺と同じように論点をすり替える。

「まぁ、確かにそれもそうだ」

「そうやって、自分の非を素直に認められるところもです」

 さいですか。

 日本人らしくありたい、と願いそれを美徳とする彼女は俺を否定する。俺は日本人らしさを悪徳としている。

「それでも『脱日本人』はあまり譲りたくない」

 言ってから「あまり」と濁すあたり、自分もまだまだ日本人だな、と思った。

「私だって、『着日本人』は絶対譲れません」

 絶対、と強調するあたり当分彼女も日本人にはなれそうにはないと思った。

 なぜ俺が入学早々、文芸部部室にて女生徒と二人でこんな討論しているか、という回想を語るには今朝の入学式からがいいだろう。





 入学式。新品の制服を着込んで一棟三階にある講堂へと入る。

 泉妻弘一いずのめ ひろかずという俺の名は、今まで出席番号一番をほしいままにしてきたのだが、それもここまでらしい。

 長椅子に四人ずつ出席番号順に左から座る。左から二番目であった。

 俺の左には肩幅が広く、がっしりとした男がいた。見ると、耳が餃子のように膨れ上がっている。柔道でもしているのだろう。喧嘩では勝てそうにないなあ、とか思っていると、その男と目があった。

「や、やあ」

 武骨な肉体と突然目があった動揺で言葉が詰まる。しかし、笑顔は何とか作ることができた。

 彼は前を向きそのまま、

「俺は、赤井昌吾あかい しょうごだ。よろしく」

 とつぶやいた。

 外見に見合った、低く少し枯れた声。俺も同じように前を向いてそれに答える。

「俺は泉妻弘一。よろしく」

 赤井か。この名字に出席番号一番を取られたなら仕方がないな、と思った。

 校長先生のスピーチが始まると、赤井は退屈だったのか俺に話しかけてきた。依然、俺も彼も前を向いたままであった。

「中学はどこだったんだ?」

「東稜中。すぐそこだ」

 俺がこの高校を選んだ理由は「自宅から徒歩で来られるから」である。中学が近いのも当然と言えば当然だ。

「俺は西陵中。すぐそこだな」

 ということは、俺と同じように家も近いのだろう。こいつと友達になっておけば色々と都合がよさそうだ。

 赤井は同じ調子でまた俺に話しかける。

「家は近いのか? 俺は徒歩五分」

 五分か、羨ましい。自宅からここまで競歩で五分だ、とか少し気の利いたことを言おうかと思ったがやめておいた。

「そろそろ、おいたはよそう」

 代わりにそう呟く。

「は?」

 赤井はこちらを向く。体が大きい分一つ一つの動きも大きい。ここで目立つのは、あまりよろしくない。

 これ以上目立たれると困るので、俺は説明をすることにした。

「そろそろ私語注意が飛んでくる。隅にいる教師が俺達を睨んでいる」

「なるほど」

 式が終わるまで赤井が話しかけてくることはなかった。出席番号が近いのだから教室でも席は近いだろうと、特別悔いることはなかった。

 教室へ移動しクラスメイトと顔合わせ。初対面ばかりだと皆緊張するのか、話声はあまり聞こえない。警戒心は自然に敵意と認識してしまうため、教室内がどことなくギスギスしている。

 まあ、これはそのうち時間によって解決されるだろう。時間は偉大だ。

 俺は他の奴に比べると、余裕があった。俺の前に座る赤井という友人の存在のおかげで、幸いにも孤独にはならずに済んだのだ。頼りになる背中だなあ、肩幅的にも。

 赤井との雑談を数分した後、教室前方のドアが開いた。

 入ってきたのは女性であった。レディーススーツでいかにも大人の女性と言った感じ。しかし、教壇中央に立ち言い放った一言で第一印象は見事に崩れ去った。

「いやー、入学式退屈だったねー。私ウトウトしちゃったよ」

 いやいや、まず自己紹介だろう。

 俺の意思が通じたのか、彼女は後ろを向き黒板に名前を書き始める。

宮町みやまち 真子まこです。君達の担任です」

 黒板に書かれた『宮町 真子』という文字は流石教師と言うだけあって綺麗であった。

 名は体を表すと言うが、性格までは表せないらしい。こんな自堕落な人に『真』という字は似合わない。

 苦笑していると、赤井が半ば興奮してこちらを向く。

「あの先生いいな。大人って感じだ」

「そうか?」

 俺の苦笑は一層深くなる。まあ、見た目だけなら言わんとすることは理解できる。

「こう、大人の余裕っていうか」

「いや、あれはそんなんではないだろう」

 そう、あれはただのだらしない大人だ。あれが担任かと思うと先が思いやられるなあ。

 ニコニコと実の無い話をしていた先生は急に深刻そうな顔をした。そして何か思いついたように顔を上げる。

「聞かれる前に聞けばいいのよ!」

 何をだ。述語がないぞ、述語が。

 先生は手を打って生徒の注目を煽ぐ。

「先生はいくつに見えますか?」

 真剣な顔で問う。

 見たところ三十代前半と言うところ。三十二、三が妥当ではなかろうか。

「三十ちょうどだと俺は思う」

 赤井が顔だけこちらに向け、口を手で隠しながら言う。もうちょっと上だろう、言いかけたところで先生はこちらをギロリと睨んだ。とりあえず愛想良く笑っておく。

「よしじゃあ出席番号一番の君、答えて」

 赤井が当てられる。慌てる彼に俺は耳打ちをした。

 そして赤井は意を決し、先生への質問に答える。

「二十七か二十八くらいに見えます」

 赤井の解答は俺が耳打ちしたそのままであった。それから少し棒読みであった。

 先生はそれで満足したようで、思い出したように俺達に自己紹介を促す。

 初めに赤井、次に俺。

 自分が自己紹介で何を言ったかはほとんど覚えていない。ありきたりなことを思い付くがままに言ったからであろう。

 自分の自己紹介が終わる。それ以降のは特に注意深く聞いていなかった。

 廊下側の前から二番目。出席番号二番も悪くないな、と思いながら窓の外を見たり、赤井と話したりしているうちに全員の自己紹介が終わっていた。それからいくつかプリントが配られ、高校の授業についての説明がなされる。

「今日はここまで。帰るなり、校舎見学なり好きにしてください」

 宮町先生はものぐさに言うと教室前方のドアから出て行く。そのとき、先生は何かを呟いた。席がドアの近くだったので、俺にはそれが聞こえてしまった。いや、これはどちらかと言えば地獄耳の類だろう。

 先生はこうつぶやいたのだ。

「まあ、日本人ならすぐに帰るか。海外の学生がどうか知らないけど」

 俺は「帰ってもいいと」言われた瞬間から、帰宅するつもりでいた。しかしだ、脱日本人を掲げる俺にとって日本人らしいことをするのは、如何せん気に食わない。

 俺は日本人であることをよしとしない。校舎見学でもしよう。学校の地理を把握しておいて悪いことはないだろう。今日行くつもりはなかったが、一度行きたい場所もあったのだ。

 俺は小学校でも中学校でも部活には入っていなかった。中学三年時、そんな俺に担任の先生は「やりたいことがないのか? 日本人らしいな」とか言いやがる。正直、カチンときた。なにおう、と言い返したかったが出来なかった。改めて自分は日本人なのだと痛感したのを覚えている。そんなわけで俺は高校では何か部活をやろうと思い立ったのだ。

 先程渡されたプリントには部活紹介なるものがあった。どこの部活も最低三十人程部員がいる。人が多いのは嫌だなあ、とか思っていると目ぼしい物件を見つけた。

 部活紹介の一番後ろ、ひっそりと一文で、

『文芸部 部員〇名』

 と一文のみ。

 例えば天文部なら『四三三教室にて待つ』とか『木、金曜は定休』とか書いてある。最低どの部活にも「部員急募」だとか「初心者歓迎」と書いてあるのに、そこにはたったの一文、部員数が添えられているだけであったのだ。

 これはしめた。部員がいないのであれば、部室が使い放題ではないか! 校舎見学のついでに部室へ行くことにしよう。文芸部部室はどこだろう?

 スクールバッグから部活紹介のプリントを引っ張り出し、部室の場所を確認する。しかし、あって当然の一言がそこにはなかった。文芸部についての説明は前の通り部員数のみ。部室の場所は書かれていない。

 そういえば、生徒手帳にこの学校の地図があったな、と思い出す。

 ちょうど真ん中のページ辺りにそれを見つける。そこには各校舎の位置と教室が詳細に記されていた。にしても文字が小さい。潰れて解読が困難だ。

 この学校の教室には、それぞれ番号が振られている。「三二四」なら三棟の二階、東から四番目の教室ということになるらしい。一棟には、職員室や生徒指導部は集まっており、番号は振られていなかった。ちなみに、俺の教室は「三二三」だ。

 目を凝らす。何とか「文芸部部室」と書かれた教室を見つけることができた。隣の校舎、四棟の三階の西端に部室は位置しているらしい。

 この戸橋高校の鳥瞰図を書けば、『山』の字を左に九十度回転させたように校舎が並ぶであろう。横棒は下から順に二棟、三棟、四棟。唯一の縦棒が一棟である。ちなみに『山』の字よろしく真ん中の三棟は他に比べて少し長い。

 俺の教室はその三棟の二階にある。そこから四棟の三階は少し遠い。加えて、四棟の一、二階は上級生の教室だ。そのため、踏み入るのは少し気が乗らない。

 はあ、とため息をつき、窓から四棟校舎を眺めた。そして「あれ?」と首を傾げた。

 人がいないのだ。

 はてな、と首を傾げるがすぐに気が付いた。今日は入学式。上級生達の登校日ではない。

 そうと分かれば、恐れるものは何もない。四棟へ行こう。

 いないとは分かっていても、上級生がいるべきその場所に足を踏み入れることは何となく悪いことをしているようであった。三階まで階段を上がる。二階から三階への階段は校舎の東端にしかないので、西端の部室へ行くには校舎を端から端まで歩かなければいけない。

 長いなあ、とか簡単な感想を抱きながら西へ歩く。途中の教室は全て文化系部活の部室であった。表札も出ている。天文部に興味をそそられたが、ここは部員が多いのを思い出し、関心はすぐに前方の文芸部に戻った。

 部室へと到着する。表札には『文化芸術部』と書かれている。

 戸を開ける。

「待っていました」

 女生徒がそんなことを言ってくる。背は俺より十数センチ程低い。黒髪がスラリと肩の下まで垂れている。鼻は高くないが、バランスの整った顔立ち。赤いアンダーリムの眼鏡は低い鼻のせいで目よりも少し下でとまっている。

 見ず知らずの女生徒に「待っていました」言われることは、おそらく珍しい。待たせた覚えはないのだが。

 それに部員は〇名ではなかったのか、と半ば憤りを覚えた。

「不用心ですよ」

 そう言って彼女は俺に鍵を渡す。鍵には「文芸部部室」と書かれたタグが付いていた。ここの鍵なのだろう。

 しかしだ、なぜ俺に渡す? さっぱり意味が分からない。

「いや、これは俺のではない」

 そう鍵を彼女に突き返す。

「では、誰がここを開けたのでしょう?」

「さぁ」

 彼女は鍵を見つめて、頭を悩ます。

「ところで、あなたはどちら様でしょうか?」

 どうやらこの学校の女性は、初対面の第一声が自己紹介ではないらしい。まあ担任の宮町先生と目の前の彼女しか判例がいないので、それを定理としてしまうのは科学的に無理がある。

「いづみかほこ、です。『和を重んじる』の『和』に『泉』、香車の『香』に稲穂の『穂』、子供の『子』で和泉香穂子です」

 うーん、と頭を悩ませながら聞き、なんとか「和泉香穂子」という字が思い浮かんだ。この流れだと、俺も名前の説明をせねばならない。しかし「泉妻弘一」という名前は口頭で説明しづらい。ここは先生に習って板書にて説明しよう。

『泉妻弘一』

 と文芸部の備品であろうキャスター付きの黒板に書き、

「こう書いて……」

 いずのめひろかず、と言おうとしたがその先を制される。

「ちょっと、待ってください。考えたいです」

「何を?」

「読み方です」

 暫く彼女は悩んでいた。顎に手を当て『泉妻弘一』という字と睨めっこしている。

「わかりました」

 と彼女は左の掌に右の拳を打つ。続けて、

「いずまこういち、ですね?」

 と解答する。自信満々なようで、なぜか勝ち誇ったような表情をする。

「いや、『いず』までしか合っていない」

「残念です」

 彼女はそう項垂れる。そして何か思いついたように顔を上げる。

「なら、下の名前は『ひろかず』ですね」

「ご名答」

 彼女は一瞬笑顔を見せたが、すぐにまた項垂れる。

「でも、苗字が読めません」

 だろうな。泉妻を「いずのめ」と初見で読めた奴は見たことがない。

 依然彼女は、

「いず……いず……」

 と悩んでいる。じれったいので答えを言いたいのだが、彼女はきっと自分で当てたく思っているであろうから、そうはできない。

 そこでヒントを出すことにした。

「苗字は四文字だ。それから妻の性別の訓読み。あとは、名称でよく省略される助詞だ」

 我ながら分かりにくいヒントだ。簡単でもそれはそれで彼女が満足しそうにない。

「ええと、『おんな、め』と、名称で省略……ああ! 『の』ですか」

 彼女は手を一つ打ち、顔を明るくする。何とか伝わったらしい。

「ですから、『いずめの』でしょうか?」

「逆だ、逆」

「ああ、いずのめ!」

「ご名答」

 彼女はほうと息を吐き、胸を撫で下ろす。溜飲が下ったようで何よりだ。

「あの、ところで私の和泉は『つ』に点を打って『づ』なのですが、泉妻もそうでいいのですよね?」

 彼女は『ず』でなく『づ』と言っていたようだ。それらの発音の差異を俺は知らない。

「訂正する。不正解だ。『す』に点々で『ず』だ」

「残念です」

 彼女は項垂れた。





 自己紹介を終え、ようやく本題。鍵についてだ。

 和泉によると、鍵は挿しっぱなしになっていたらしい。彼女はそれを不用心に思い、持ち主が来るまで待っていたそうだ。そこに俺が現れ、持ち主と勘違いをした。

「――というわけです」

 二つ並べられた長机に向かい合うように俺達は座る。

 少し考える。つい、癖で爪を噛んでしまう。

「なるほど、たぶんそれの持ち主は……」

「ちょっと、待ってください。考えたいです」

 再び答えを制された。再び和泉は悩み始める。

「なぜそこまでして自分で考えようとする?」

「あれです……好きこそものの上手なれ……いえ、違います……百聞は一見に如かず……ああ、これも違います……えーと」

 どうやら彼女は悩みごとが尽きないらしい。

「習うより慣れよ、か?」

「言わないでください。ああ鍵の方、どこまで考えたのか分からなくなりました。どうしてくれるのですか。ヒントをください」

 素直なことで。いいだろう、推理させてやろう。

「プロファイリングをするんだ」

「プロファイリング?」

「今あるものから、鍵の所有者の人物像を想像するんだ」

 彼女はあたりを見渡す。何か手がかりを探しているのだろう。

「えーと、わかりません。ご教授願います」

 諦めは割と良いらしい。

「俺はここの部員ではない。ではこの部活の部員数は?」

「私も入部希望者というだけで、部員ではありませんので〇名です」

「では、今日は入学式であった。何か『いつもとはい違うであろうところ』はなかったか?」

 彼女は「えーと」と悩み始める。そして俺が「この棟の一、二階は上級生の教室だ」と言うと、はっと顔を上げ、

「上級生の方々は今日登校されていないようです」

 と言うが「何かこれに関係が?」と言わんばかりに俺を見つめ返す。

「つまり、ここの部員でもなければ、上級生でもない人物だ。しかし、これだけでは正解へは辿り着かない」

「と言いますと?」

「別の視点から切り込む必要がある」

 和泉は考える姿勢に入る。彼女には考え込むとき、目を瞑る癖があるらしい。

 それでは見つからんだろうよ、と思っていると彼女は諦めたように目を開ける。そして、目の前のそれを見て歓喜の声を上げる。

「ああ! 鍵ですね」

「そうだ。それはどうなっていた」

「挿しっぱなしになっていました」

 彼女は得意げに答える。

「では、そこから持ち主はどんな性格だということになる?」

「忘れっぽい人でしょうか」

 少し考え、彼女はそう呟いた。

「まぁ、そうなるな」

「では一年生で忘れっぽい人、ということですか?」

「いや、正確には『忘れっぽい上級生でない人』だ」

 一年生と上級生でない人との差はかなりのものだ。勝手に置換してはいけない。

「それに一年生ではないだろう」

「どうしてですか?」

「帰ってもいい、と言われたら普通帰るだろう」

「ああ、そういえば先生もそんなことを言っていました」

 和泉は手を打つ。理解すると手を一つたたく、そういう癖らしい。

「そして、何もここに訪れるべき人は部員だけではない」

「ああ、それはわかりました。顧問の先生ですね」

 頷いて返す。ここまでいえばわかるだろう、とその先は控えた。

 暫しの沈黙。後に和泉は言う。

「わかりません。そんな先生いたでしょうか?」

 そうきたか。誰がどう見ても『宮町先生』はずぼらであろうに。そう見えるのは俺だけなのだろうか。

「宮町先生が当てはまるだろう。第一声といい、年齢の質問といい、あまりまともには見えなかった」

「そんなことないですよ。あれは入学式の疲れと初対面ばかりの緊張感をほぐすためのものです」

 ふむ。そういう見方もあるのか。赤井が「良い」と言ったのにも通ずるところがあるもかもしれない。

 しかし、重大な見落としがある。

「それだけじゃない、先生は持ってくるべきものを持って来ていなかった」

「それは何でしょう?」

「名簿帖だ」

 彼女はまた目を瞑る。大方、教室での先生の様子を思い出しているのだろう。

 そしておもむろに目を開いた。

「確かにそうだったような気がします」

「ちゃんと裏付けもある」

「教えてください!」

 身を乗り出す彼女に「お、おお」というような生返事をしてしまった。

 一つ咳払いをして、調子を整える。

「先生は確か『出席番号一番の君』と言った。座っているところから、出席番号はわかるから特別不思議なことではない。しかし、出席番号が分かったなら名前も分るはずだ。そう、名簿帖があったならな」

「特に名前を言う必要がない、と判断したのかもしれません」

「つまり、それは『名簿帖で一々確認するのが面倒くさい』ということだろう? であれば、ずぼらな性格ということだ」

 名簿帖を持って来ても、来なくても先生の性格がずぼらであることに変わりはない。

 彼女の無言は肯定を表した。そして彼女はまた目を瞑る。

「でも、なぜここを開けたのでしょう?」

「あの先生が教頭先生あたりに怒られているのが、目に浮かばないか?」

「……浮かびます」

 彼女は既に目を開き、苦笑を顔に浮かばせていた。

「ここは四棟三階の西端。良い避難所になる」

「確かに、そうですね」

 彼女は、廊下の窓に遠く映る三棟校舎を見た。

「まあ、今回怒られる内容はあれだな、『入学式でウトウトしていたこと』だろうな」

「ああ……とてもあり得ます……」

 俺はどうやら彼女の先生への評価を著しく下げてしまったらしい。その証拠に彼女の顔から苦笑は取れそうにない。





 それから数十分して宮町先生がここを訪れた。教頭先生ではなく、学年主任の先生に怒られたらしい。これまた、ありそうな話だ。先生は俺達に「その鍵、職員室に返しといて」と鍵を託し、少し愚痴をこぼしてから職員室へと戻っていった。

 和泉は何か言いたげに、こちらを見る。なんだ、と返すと、

「すごいです。これだけの情報から持ち主を割り出してしまうなんて」

「いや、今回は運が良かっただけだ。宮町先生が担任でなければ、お手上げだった」

 ふんふん、と彼女は目を輝かせる。何がそんなに楽しいのやら。

「ご教授くださったお礼と言っては何ですが、鍵は私が返しておきますね」

「別にそれくらいなら気にしなくていい、俺が返してくる」

 また彼女はふんふんと、と目を輝かせる。

「素晴らしいです。他人を正しく評価出来るのは『配慮』が行き届いているからです。それから施しには『遠慮』、何より『謙虚』です!」

 ジャブ、フック、ストレートの要領で三連撃。見事にクリーンヒットしてしまった。彼女は俺の好まない言葉を見事に全て打ち抜いたのだ。

「日本人らしい、とか言うんじゃないだろうな」

「なぜわかったのですか? すごいです、配慮ですね」

 おまけにアッパーまで喰ったようだ。少したじろぐ。強めに咳払いをして、彼女の勢いを弱める。ふうと息を吐き、気合いを入れた。

 そして冒頭に戻る。

 一悶着。

「――それでも『脱日本人』はあまり譲りたくない」

 言ってから「あまり」と濁すあたり、自分もまだまだ日本人だな、と思った。

「私だって、『着日本人』は絶対譲れません」

 絶対、と強調するあたり当分彼女も日本人にはなれそうにはないと思った。

 下校の鐘が鳴る。結局鍵は俺が返しに行くことになった。四棟一階で彼女と別れる。

 そうだ、一つ言い忘れていたことがある。俺は彼女を「おい」と呼び止めた。

「明日からよろしく」

「はい、よろしくお願いします」

 ああ、これは分かっていない。配慮が足りないぞ。

「お前俺の後ろの席だろう」

「どうしてそう思うのですか?」

 本当に分かっていないのか? そんな馬鹿な。

「宮町先生の事が共感できたなら、それは俺達が同じクラスであることを表す。それに、泉妻と和泉の間に入ってくるような苗字は、ちと浮かばん」

 短く挨拶を交わして俺達は帰路に就いた。

 春とはいえ、四月もまだ始まったばかり。風が吹けば身震いをしてしまう。しかし、これからどんどん暖かくなるのであろう、と思うと先が思いやられることもなかった。





 和泉香穂子は謙虚と遠慮と配慮を美徳とし、日本人を目指す。俺はそれら三つを悪徳とし、日本人でなかろうとする。「脱日本人」と「着日本人」、これらは俺に一つの提案を示す。

 彼女には、日本人らしさが足りない。謙虚さがなく、遠慮なしに初対面でも教えを乞わせる。挙句、配慮なんてあったものでない。

 俺は日本人らしさを拭い去りたい。気を遣うとは良い処世術ではあるが、個人を侵害してしまう。こんな忌々しき性格は出来れば早々に捨ててしまいたい。

 俺は彼女が捨てようとしている「日本人らしくない性格」を手に入れたい。彼女はきっと俺の持っている「日本人らしい性格」を欲している。俺と彼女の性格を入れ替えることができたなら、どんなに良いことか。もちろん、そんなこと出来るはずもない。しかしだからと言って、彼女に教えを乞う訳にもいかない。俺には、そんな度胸がないのだ。実に日本人らしい。

 彼女から学ぶべきところは多そうだ、と思うばかりであった。


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