#6 冷笑という名の葬列を抜け、私たちは「ゆりかご」を用意する。
(2026/2/4)
ふと、SNSのタイムラインを流し見して、「世の中が荒んでいる」と感じることがある。
無知ゆえの些細な疑問に対し、コメント欄が嘲笑とdisで埋め尽くされている光景。匿名掲示板からSNS、オープンチャットに至るまで、交流の場に見えるそこには、常に独特の冷笑が漂っている。
この空気は、私の哲学軸と真っ向から衝突する。
私の指針は、山本五十六のあの言葉だ。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
人を動かし、育てるには、まず丁寧に示し、承認することが不可欠だ。冷笑や煽りは、その完全なる対極にある。相手に教える技術と余裕が足りないからこそ、人は手っ取り早い攻撃に逃げるのだ。
けれど、この構造は現実社会、特に職場でも形を変えて現れている。
新人に丁寧に「教えて見せる」余裕を失った現場では、放置が常態化し、そのしわ寄せを受けた中間層が静かに消えていく。「経験者優遇」という言葉の裏には、教えるコストを回収できないという社会の悲鳴が隠れている。
匿名文化の冷笑も、職場の放置も、根っこは同じだ。
教えることは確かにコストかもしれない。けれど、そのコストを惜しんだ結果、私たちは「知らない誰か」を言葉で葬り去る、冷笑という名の葬列に加担してはいないだろうか。
私たちは一体いつから、他人の心を葬る納棺師になってしまったのだろう。
教えられなければ、私たちは文字すら扱えなかった。
同じことを百回言われて、ようやく一を理解できるのが人間なのだ。
せめて自分くらいは、人に優しく、自分に優しくあれる余裕を持ちたい。
世の中がもっと「yogibo」のような柔らかさで満たされればいい。
誰かを突き放すための棺桶を用意する暇があるのなら、迷える誰かを迎え入れる「ゆりかご」を編んでいたいと思うのだ。




