表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/55

#6 冷笑という名の葬列を抜け、私たちは「ゆりかご」を用意する。

(2026/2/4)


ふと、SNSのタイムラインを流し見して、「世の中が荒んでいる」と感じることがある。


 無知ゆえの些細な疑問に対し、コメント欄が嘲笑とdisで埋め尽くされている光景。匿名掲示板からSNS、オープンチャットに至るまで、交流の場に見えるそこには、常に独特の冷笑が漂っている。


 この空気は、私の哲学軸と真っ向から衝突する。


 私の指針は、山本五十六のあの言葉だ。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」


 人を動かし、育てるには、まず丁寧に示し、承認することが不可欠だ。冷笑や煽りは、その完全なる対極にある。相手に教える技術と余裕が足りないからこそ、人は手っ取り早い攻撃に逃げるのだ。


 けれど、この構造は現実社会、特に職場でも形を変えて現れている。


 新人に丁寧に「教えて見せる」余裕を失った現場では、放置が常態化し、そのしわ寄せを受けた中間層が静かに消えていく。「経験者優遇」という言葉の裏には、教えるコストを回収できないという社会の悲鳴が隠れている。


 匿名文化の冷笑も、職場の放置も、根っこは同じだ。

 教えることは確かにコストかもしれない。けれど、そのコストを惜しんだ結果、私たちは「知らない誰か」を言葉で葬り去る、冷笑という名の葬列に加担してはいないだろうか。

 私たちは一体いつから、他人の心を葬る納棺師になってしまったのだろう。


 教えられなければ、私たちは文字すら扱えなかった。

 同じことを百回言われて、ようやく一を理解できるのが人間なのだ。

 

 せめて自分くらいは、人に優しく、自分に優しくあれる余裕を持ちたい。

 世の中がもっと「yogibo」のような柔らかさで満たされればいい。


 誰かを突き放すための棺桶を用意する暇があるのなら、迷える誰かを迎え入れる「ゆりかご」を編んでいたいと思うのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ