#3 私の原点は、残酷で美しかった──「答え」を求めない解放。
(2026/2/3)
撤回させてほしい。
先ほど、心を揺さぶられたのは『リリィ・シュシュのすべて』くらいだと言ったが、あれは嘘だ。
記憶の深淵へダイブした先で、私は見つけてしまった。私の原点であり、頂点。大好きで、大嫌いで、かけがえのない宝物。
乙一、著――『ZOO』。
その話をする前に、少しだけ時計の針を戻そう。
小学三年生の頃の私は、「ことばの教室」に通っていた。サ行がうまく言えず、「しんぶんし」を「ちんぶんち」と発音してしまうような子供だった。
けれど、私はその時間が好きだった。みんなが教室で勉強している間、別室でトトロの『さんぽ』を聴きながら、チャイナマーブルや最中を舌で転がす。それはまるでお菓子付きの「ボーナスTIME」のような、甘い優越感の記憶だ。
喋るのは苦手でも、音読は大好きだった。なのに、本を借りる習慣はなかった。
そんな私を、一冊の赤い本が変えた。猫が喋る冒険譚『ブンダバー』。母の読み聞かせでその世界の虜になった私は、自発的に図書室へ通うようになった。
けれど、高学年になるにつれ、学級文庫に溢れる物語に息苦しさを覚えるようになる。
「このようになりなさい」
道徳的で、正しくて、美しい成長物語。読書感想文の指定図書たちは、私にとって「正しい子供」でいることを強いる檻のようだった。
小学六年生の冬。中古ショップの片隅で、その「赤い本」に出会った。
乙一の短編集『ZOO』。
最初に読んだのは、虐待される双子の物語『カザリとヨーコ』だったと思う。
文字だけを追えば、それは残酷なバッドエンドだ。けれど、読み終えた私の心に広がったのは、紛れもないハッピーエンドの温度だった。
「――こんな、残酷な物語。存在しても良かったんだ」
白でも黒でもない、グレーな物語。
善悪を決めつけず、ただ淡々と、起きた事象を積み上げていく。
「このようになりなさい」という檻が、音を立てて崩れた瞬間だった。
答えを示さない。捉え方は読み手に委ねる。その「余白」こそが、私にとっての救いだった。
あぁ、そうか。
私が「カタルシス」を記号として冷たく見ていたのは、そこに「作り手の意図(答え)」を感じてしまっていたからなのだ。
私が欲しかったのは、感情を揺さぶる装置ではなく、ただそこにある世界を眺めること。私の解放は、カタルシスの先にあるスッキリ感ではなく、誰にも邪魔されない「余白」の中にあったのだ。
後年。高校の模試で、現代文の試験問題に『ZOO』収録の『陽だまりの詩』が出題されたことがある。
解答用紙を前に、叫び出したいほどの歓喜を抑えて、私は静かに満点を取った。
一週間、寝る間を惜しんで小説を書き、過呼吸にまでなった。
それはきっと、あの時もらった「余白」を、今度は自分の手で作ってみたいと、魂が叫んでいたからなのだろう。
私の原点は、残酷で、けれどどこまでも美しかった。
もう迷わない。
私は、私だけの「余白」を書き連ねていく。




