有栖、紅茶好きな教授の講義を受ける
〈まもなくお茶の水、お茶の水。お出口は右側です。〉
有栖は車内アナウンスを聞いて、身を起こす。お財布にスマホ、他にも忘れ物がないかを確認してから、駅に着くのを待った。少しして、速度が徐々に落ちていき電車は完全に停止する。有栖はぷしゅ、と音を立てて開いた扉から降りると、人の流れに身を任せて出口へと向かった。駅から出ると周りには有栖と同じ方向へ向かう人であふれている。友人や恋人と楽しそうに話す人、有線のイヤホンをつけて音楽を聴く人、皆がどこかのんびりとした歩調で大学へと歩いていた。有栖はスマホを確認して、想像していたよりも時間があることに安心しながら大学へと向かう。
大学に到着すると校舎に入って、地図を確認する。一階は三階で、三階は四階。すべてがめちゃくちゃな校内を有栖は前の記憶を頼りに移動した。エスカレーターに乗ったら、今度は階段を4段上って5段降りる。そうこうしているうちに目的の教室へとたどり着き、有栖は窓際の後ろの席に座った。時間になるとチャイムは鳴らないけれど、教授が堂々とした顔つきで教室に入り、中央の教壇の前に立つ。帽子がトレードマークのその教授は、水筒に入った温かい紅茶をコップに注ぎ、悠々と講義を開始した。
「本日は日本の政治について、資料は前の席に置いてあるので各自でとるように。まずは基本的な政治構造について説明していくが…。」
日本の政治に関する授業。有栖はタブレットに保存していた授業資料にメモを取りながら、必死についていく。夢の世界のことを考えすぎて、現実世界のことがなんだかあやふやになってしまっている。そう思いながらも100分間の授業を終え、わからなかった点を教壇で荷物を片付ける教授に質問しに行った。教壇に向かって歩く有栖とは対照的に、他の生徒たちはやっと終わったと話し合いながら後ろの扉へと向かう。人の流れに逆らって、有栖は教授へと声をかけた。
「すみません、質問があるんですけど。」
「おや、どうしたんだい。」
荷物を整理する手を止め、こちらを向いた教授。近くで見ると大きな帽子がより大きく感じられて、有栖は後ろに一歩下がった。
「えっと、日本はなぜ外国との交流を制限するようになったんですか。」
有栖が質問をすると、それまで柔らかい表情でこちらを見ていた教授の顔がこわばり、雰囲気も硬くなる。有栖が教授の変化にたじろき、次の言葉を探していると、教授は少し乾いた唇を開いて問いかけてきた。
「お前さん、名前は?」
「有栖よ。」
「そうか、有栖。この後、時間はあるかい。」
「はい、ありますけど…。教授、一体どうなさったの。」
教授は資料にノート、水筒といった荷物を乱雑にバッグに詰め込むと、有栖を連れて研究室へと向かった。どんどん一般の講義が行われている教室から離れ、人が減っていく。有栖は少し小走りで、教授に遅れないようについていった。やがて教授の名前が書かれたプレートが下がる扉の前へたどり着き、その小さな部屋へと招かれる。
「さあ、お入り。」
「ありがとうございます。」
さびた扉を開けると、目の前には二人がけのテーブルセット。壁は本で上から下まで埋まっているけれど、一部だけアンティーク調の食器棚が置かれていて、鮮やかな文様が描かれた食器が収納されている。有栖が椅子に座ると教授はポットからお湯を注いで、温かく香りの良い紅茶を振る舞ってくれた。
「とってもおいしいわ。」
有栖と教授は無言でしばらく紅茶の味と香りを楽しんだ。一息ついて二人とも落ち着いた頃、教授がぽつりぽつりと話始める。
「有栖くん、お前さんはさっき、日本はなぜ外国との交流を制限するのかと尋ねたね。」
「ええ、日本は外国との交流を制限したからこそ、今の平和があるっていうことはわかっているのよ。けど、そもそもなんでその選択をしたのかしらと思って。」
「確かに、昔は日本も様々な国と積極的に交流していたんだ。資本主義国家の一員として、自由貿易を積極的に展開していた。人も物もあちこち行きかうことで、貿易は活性化して経済的な発展を遂げていく、そんな世界もあったそうだ。」
「まあ、素敵。自由にいろんな国へと行けるのね。」
「ああ、しかし経済発展は格差を生み出し、次第に思想や民族問題とも絡み合って戦争へと発展していく。そしてその戦争は、国連などの第三者が介入して解決に向かうものもあれば、そうでないものもあった。問題は後者だ。」
「まあ、解決しない戦争がそんなに多く存在したの?」
「そうだね。特にアメリカが世界の大国であることをやめてから問題は顕在化した。」
「アメリカ?」
「そう、アメリカは世界中の戦争に軍隊の派遣や物資支援を行ったり、対立している勢力の仲介をしていた国だった。世界一の大国を自負して、積極的に世界の平和に向けて行動していたんだ。もちろんすべてがうまくいった訳じゃない。けど、そういう国があったことが重要だった。」
「なくなってしまったの?」
「国が無くなったのではなく、それまで掲げていた役割を放棄した。この影響は世界に波及し、僕たちの住む日本も例外ではなかったんだ。」
「日本も?」
「ああ、日本はアジア圏の中では特にアメリカと関係があった国だった。隣に中国という大国があり、日中の関係は悪化の一途をたどる状況で、日本の後ろ盾となっていたのがアメリカだ。そんなアメリカがアジア圏どころか世界から撤退して、自国にだけ注力するとなったから、日本は中国という脅威におびえることとなる。」
「そんなことがあったのね。」
「その結果が今さ。日本はプライドと命を天秤にかけて、命を取ったんだ。」
「命を?」
「そう、すべての国との交流を断ち切って、めちゃくちゃな法律を作り、めちゃくちゃな世界にする。それまで持っていたはずの歴史も技術もすべてを放棄して、領土すらも必要最低限な部分以外はすべて捨て去った。あまりにも愚かしいその姿は、他国からはきっとひどく滑稽に見えただろう。しかしだからこそ、日本は中国からの侵略を免れ、世界中から見放され、今がある。」
「けど、それはいつ起こったことなの?」
「わからない。彼女が総理大臣に任命された頃に起こったんだ。」
「彼女って、今の総理大臣でハートの女王って呼ばれている方?」
「その通り。ハートの女王が就任してからすぐの出来事のはずさ。彼女は国民の反発を抑え、日本を鎖国状態にして、この世界を作った。一階は三階で三階は四階なこの世界を。けど、それがいつ起こった出来事なのかはわからない。僕がこうして過去のことを知っているのだって、前に彼女のパーティーに参加したことがあったからにすぎないんだ。彼女が知らなくていいと考える情報を、僕たちは知ることなんてできやしない。それがこの国さ。」
教授はそれきり黙り込んでしまう。有栖もそれ以上、言葉を紡ぐことができなくて、紅茶をすべて飲み終えると席を立った。そして教授にお礼を言って部屋を出ようとしたところ、一冊の本を渡される。
「お前さんにこれをあげよう。」
「まあ、素敵な写真。」
「ああ、これは世界のさまざまな国を写した写真集。とても美しくて、僕もお気に入りの一冊さ。けど、有栖くん。これは見るだけにしておくんだ。間違っても外に行きたい、なんて考えてはいけないよ。」
有栖は再度お礼を言ってから、写真集を胸に抱えて部屋を出る。外の世界を知れた高揚感から、教授の忠告は頭の隅へと追いやられてしまっていた。




