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鎖国のアリス  作者: むう
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有栖、懐中時計を持ったウサギと話す

カーテンの隙間から入ってくる朝日に照らされ、有栖は目覚める。上半身を起こして体をぐっと伸ばした後、閉じそうになる目を何とか開いてベッドから降りた。太陽の光が漏れるカーテンを端で止めて、換気のために窓を開ける。有栖は朝の冷えた空気に一瞬体を震わせるが、澄んだ空気を思いっきり吸い込んで、すっきりとした気分になった。完全に目が覚めると、軽い足取りで洗面所へ向かい、顔を洗う。そしてキッチンに移動して、パンはこんがり、卵は半熟の目玉焼き、ベーコンはカリカリにしていく。完成した朝食をお皿に盛りつけテーブルに運ぶと、ひとりで黙々と食べ進めた。


ご飯のお供にテーブルの前に置いてあるテレビの電源を入れ、朝のニュースをつける。いつも笑顔のお姉さんと気象予報士のおじさんが、今日の天気について話していた。


〈関東は雨、特に東京は朝から昼にかけて強い雨が降るでしょう。気温は高く、熱中症にお気をつけください。〉


有栖は窓の外を見る。太陽の強い光は街を照らしているが、ひんやりとした空気で満ちていて、肌寒い朝だった。


「ごちそうさまでした。」


有栖はテレビの電源を消して、お皿とフライパンを洗い、今度は大学へ行く準備を始める。いつも使っているトートバッグに教科書と筆箱、お財布にポーチといった必要なものを詰め込んでいく。そして腰まである長い髪を整え、パジャマから外用の服に着替えた。すべての準備を終えた有栖は、靴を履いて外に出て、扉に鍵をかけて大学へと出発する。


曲がり角を何回も曲がって、坂を上って下る。そうして駅に向かっていると、有栖は後ろから声をかけられた。声に反応して有栖が後ろを向くと、そこにはウサギのような白い耳としっぽを持った男の人が立っている。


「やあ、おはよう有栖。」

「おはよう、ウサギさん。」


ウサギは金色フレームの丸眼鏡をかけ、赤を基調としたこじゃれたスーツを着こなしていた。そしてにこやかな笑みを浮かべながら、有栖に話かけてくる。


「今日は予報通り、東京は良い天気だね。」

「ええ、そうね…。」

「どうかしたかい、有栖?あまり元気がないようだけど。」


ウサギはそう言って足を止め、有栖の顔を覗き込んでくる。ふさふさの耳としっぽもウサギの心情を表すかのように、心なしか心配そうに揺れていた。


「いいえ、体調は悪くないの。悪くないのだけど。」

「じゃあ何か不安なことでもあるのかい?」


有栖はウサギの耳としっぽをじっと見つめてから、ためらっているのか、何度か口を開いたり閉じたりした。しかしやがて意を決した様子で顔を上げ、有栖は最近ずっと考えていることをウサギに告げる。


「あの、ウサギさん。ウサギがしゃべるなんて、おかしいのではないかしら。だってウサギはほとんど鳴きもしない、とても無口な生き物のはずよ。」


有栖の言葉にひどく驚いたのか、ウサギは大きく目を見開き、後ろに後ずさった。勢いよく動いたので眼鏡もずれてしまっている。しかし一呼吸して落ち着くと、有栖に懇懇と語り始めた。


「有栖、君は一体何を言っているんだい。ウサギはこの世で最もおしゃべりな生き物に決まっているだろう。朝から晩まで、ご飯を食べる時も着替える時も、寝ている時だってずっと喋りっぱなしさ。当たり前だろう。」

「そんなこと知らないわ。そもそもウサギはもっとちいちゃくてふわふわした生き物よ。あなたは人間にウサギの耳がついているだけで、ウサギじゃないわ。」

「この僕がウサギじゃないって?僕は正真正銘のウサギさ。ヒト科のウサギだよ。君はこの立派な耳としっぽが見えないのかい。」

「いえ、見えるけれど。でも私の知っているウサギじゃないの。あなただけじゃないわ。隣の家のおばさんは犬の耳が付いていて、自分のことを柴犬だって言ってるの。」

「そりゃそうだよ。彼女はヒト科のイヌなんだろう。有栖、君はどうしちゃったのさ。この前までは普通だったのに。」

「ええ、ええ、そうね。私はきっとおかしくなってしまったんだわ。最近、毎晩不思議な夢を見るの。その夢の世界では、人間と犬とウサギは全く別の生物で、いいえ、それだけじゃないわ。馬も牛も鳥も、蝶だって、すべて姿形が全く違う生物として生きていたの。それに電車だって、東海道線で東京方面と書かれた電車に乗ると東京に行ってしまうの。天気だって、ニュースで晴れといったら本当に晴れるのよ。」

「なんだいその世界は。すべてがあべこべじゃないか。東京方面と書かれたら、小田原や熱海に行くし、晴れとアナウンサーが言ったら雨になるのが普通だろ。有栖、そんな夢のことは忘れなよ。」

「そうね、そうなのだけど。でもなぜかしら、とても素敵な世界に思えたのよ。」

「なんてこったい。有栖、君は少し疲れて気の迷いを起こしているだけさ。だってそうだろう。僕たちが生きる世界ほど、平和な世界はどこを探したって見つかりゃしない。」


ウサギを名乗る彼はそう言って、耳としっぽをご機嫌に揺らしていた。確かに彼の言う通り、有栖の生きる世界は平和そのもの。日本は他国との外交を厳しく制限することで、戦争にも巻き込まれず、平和を享受することができている。しかし有栖はなぜか、夢で見た世界のことが頭から離れなかった。


「そんなことより有栖、そろそろ大学へ行かないと。遅刻しちまうぜ。」


ウサギはズボンのポケットから金色のチェーンで繋がった古めかしい懐中時計を取り出しす。カチッという音を鳴らして時計を開くと時間を確認して、有栖をせかしてくる。確かにそろそろ駅に向かわなくては、大学の講義に遅刻してしまう。そう考えた有栖はウサギに別れの挨拶をしてから、大学へと向かった。


街中を一人歩いていると、周りの光景すべてがおかしく思えてくる。ついこの前まではこれが当たり前だったはずなのに、夢を見るようになってから、有栖は目覚めている時の世界の方がヘンテコでおかしな世界だと思い始めていた。耳やしっぽが生えた人間のような生物が自由に闊歩し、赤い制服を着た警察官が駐車違反を取り締まっている。有栖は雲の切れ目から溢れてくる太陽の光を感じながらも、周囲にあまり目を向けないように下を向いて歩き続けた。


住宅街から商店街へと街並みが変わり、駅が近づいてくる。野菜にお肉にお魚、お花やはたまたよくわからない雑貨まで、個人経営の小規模なお店が軒を連ね、がやがやと騒がしい。有栖はどこかから香ってくるお肉のにおいにお腹をぐう、と鳴らしながらも駅に向かって道を曲がる。その後も迷路のようにいくつもの小道に分かれた商店街を曲がって、曲がって、やっと改札口にたどり着いた。有栖はカバンからお財布を取り出し、たたんでいた回数券を一枚だけ切り離す。


「はい、次の方―。」


列の最後尾に並んで順番を待っていると、数分で有栖の番が回ってきた。改札口には制服を着て切符に穴をあけるリスっぽい人がいる。身長は私の胸くらいまでしかないのに、お腹から大きな声を出しててきぱきと働いていた。


「ほら、次のお嬢さん。早く切符を出してください。後ろがつっかえちゃいますよ。」

「あ、ごめんなさい。」


順番が回ってきたのに駅員さんを見ていて、切符を出すのが遅れてしまう。有栖はリスにも後ろのサラリーマンにも冷ややかな目で見られていることに気づいて、慌てて切符を差し出した。


「はい、確かに。よい一日を!」


そう言ってリスの駅員は有栖を構内へと促して、すぐに次の切符の穴あけに取り掛かる。有栖は大学の最寄り駅へと向かうはずの電車とは真逆のホームへと階段を下りた。冷たい風が有栖の頬を撫でる。列に並んでじっと待つと、しばらくしてから満員電車が到着した。横にずれて降りてくる人を先に通してから、有栖は電車に乗り込む。電車の中には身長も見た目もばらばらな人が乗っていて、ときどき有栖の足にふさふさとしたしっぽのようなものが当たる感触がくすぐったい。電車は大学の最寄り駅へと確実に近づいているけれど、何度か止まるはずの駅を無視して進んでいく。有栖は窓の外へと目を向けて、変わりゆく景色をただ眺めていた。


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