美醜が分水嶺となって破滅した霊公の寵童
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
朝議を終えて退廷しようとした私こと完顔夕華を呼び止めたのは、愛新覚羅紅蘭女王陛下からの信任も厚い丞相の楽永音だったのです。
「たまには私と茶でも如何ですか、太傅。良い茶菓子が御座いましてね。」
丞相の生まれ育った中華民国の台湾島は、烏龍茶や鉄観音といった様々な銘茶を生産する御茶どころと聞き及んでいます。
そのため台湾の人々には、奉茶の精神が浸透しているとか。
生真面目で聡明な人柄で知られる丞相ですが御茶に関しては一家言あるらしく、祖国の台湾から茶葉を吟味して輸入したり、その日の気分や季節に応じて茶器を使い分けたりという拘り様だそうです。
「成る程、奉茶で御座いますか。喜んで御供させて頂きますよ、丞相。」
そんな丞相に御誘い頂けるとは、実に光栄な事で御座います。
私は一も二もなく御誘いを受けたのでした。
そうして執務室へ同行した私を、丞相は馥郁たる芳香の清茶でもてなして下さったのです。
「見事な清茶ですね、丞相。これもやはり、丞相の故郷である台湾産で御座いますか?」
私の問い掛けに、丞相は我が意を得たりとばかりに微笑を浮かべたのでした。
「ええ、台北の文山区で採れた物ですよ。清茶は台湾産、そして御茶請けは中華王朝で採れた品という趣向で御座います。さあ、例の物を御願いしますよ。」
そうして立ち上がった丞相に応じて侍女が運んできたのは、見るからに瑞々しい白桃だったのです。
「紫禁城の御花園に植えられている白桃の木から採れた物だそうですよ。つい先だって、愛新覚羅紅蘭女王陛下から拝領いたしましてね。」
侍女が切り分けた白桃を嬉々として口へ運ぶ丞相の微笑は、まるで十代半ばの少女のように初々しく感じられたのでした。
そもそも丞相の故郷である台湾は、東亜でも屈指の御茶処であると同時に様々な南国系果実の名産国でもあるのですからね。
恐らくは台湾で過ごされていた学生時代にも、こうして新鮮な果物を茶請けに清茶の馥郁な香りを楽しまれていたのでしょう。
「成る程、陛下からの下賜品の桃で御座いますか。何から何まで、『韓非子』に記されている霊公と弥子瑕の逸話とは正反対で御座いますね。」
「それは世に言う『余桃の罪』で御座いますね。勿論ですよ、太傅。正反対でなくては困るという物です。」
しみじみとした丞相の呟きは、私と致しましても大いに共感出来る物でしたよ。
天子に御仕えする臣下として、弥子瑕のような情けない末路は御免こうむりたいですからね。
それは中華が複数の国に分かれて互いに相争っていた、春秋戦国時代の頃の話で御座います。
衛の国の天子である霊公は、類稀なる美青年の弥子瑕を目に入れても痛くない程に溺愛しておりました。
或日の事、霊公と弥子瑕は恋人同士で愛を育みあう為に果樹園へ遊びに行ったのです。
果樹園の桃を美味しそうに食べる弥子瑕の美しい姿を、霊公は夢見心地で眺めていました。
すると弥子瑕は、自分の食べ残しの桃を霊公に差し出したのでした。
「この桃があまりにも美味しかったので、是非とも陛下に御召し上がり頂きたかったのです。」
そう言いながら頬を染める弥子瑕への愛しさに、すっかり霊公は有頂天になってしまったのです。
「おお、弥子瑕よ…そなたは彼程までに、余の事を慕っておるのか…」
その夜の霊公は、普段以上に熱烈に弥子瑕を慈しんだとの事です。
しかしながら、そんな両者の蜜月にも終わりの時が訪れたのでした。
長い年月が経過するうちに、やがて弥子瑕の美しい容姿も加齢によってみるみる衰えていったのです。
往時の美青年の面影は、既に欠片も残ってはおりません。
そうしてすっかり老い衰えて美しさを失った弥子瑕の姿を眺めていた霊公の脳裏に、果樹園へ遊びに行った時の記憶が蘇ってきたのです。
そのまま若かりし頃の楽しかった思い出を弥子瑕と共有出来れば良かったのですが、霊公の場合は違いました。
「貴様、よくも余に食べ残しの桃を押し付けよったな!貴様の歯型のついた桃など、何と汚らわしい!」
「へ…、陛下?!」
さしずめ「可愛さ余って憎さ百倍」とばかりに、霊公は弥子瑕を刑に処したのでした。
かつては「愛情表現」として肯定的に評価された果樹園での一件が、何故「不敬行為」という位置づけになってしまったのか。
それは恐らく、弥子瑕の美貌が加齢によって衰えていくのを霊公がいよいよ堪えられなくなったからなのでしょう。
要するに、自身の美貌と霊公の愛情の賞味期限が、弥子瑕にとっては運命の分水嶺となってしまったのです。
こうして弥子瑕の運命を茶飲み話にしているうちに、陛下の下賜品であるところの白桃は一切れ残らず私達の胃袋に収まっていたのでした。
「丞相の願い通り、何もかも弥子瑕の一件とは正反対になりましたね。霊公に献上するような食べ残しの桃など、もう何処にも御座いませんよ。」
「それで良いのですよ、太傅。弥子瑕は己の美貌を武器にして一時の栄華を手に入れましたが、若さに頼った美貌など所詮は儚い物なのです。真の意味で史書や列伝に名を残す偉人になりたければ、勉学や武術という形で自己研鑽に勤しみ、その上で己が力を然るべき所で発揮せねばなりませんね。」
そんな丞相の力強い言葉には、私も大いに共感致しましたよ。
私も丞相も中華王朝の文官として然るべき役職についておりますが、ここに至るまでには弛まぬ努力をしてきたと自負しておりますからね。
王室より任された役職に恥じないように、そして女王陛下や王女殿下の御期待と御信任に沿えるように、これからも励みたい所ですよ。