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新吉原の珠吉は三尾の化け猫と明け暮らす  作者: 朏猫


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7/13

 こちらを向いた影は猫のように見えた。思わず「化け猫?」とつぶやいた珠吉だが、普段の茶々丸よりずっと大きな体で隣に立つ女の幽霊の腰ほどまである。帝都で人気の洋犬のような大きさに「まさか犬の妖……?」と眉をひそめた。


「あの幽霊が犬神を……なんてことはないか」


 幽霊になってまで犬神を求めるとは思えない。恨みがあるなら直接相手の前に姿を現せばいいだけだ。「じゃあ、やっぱり化け猫ってこと?」と足元に座る茶々丸に尋ねると「化け猫だな」と返ってくる。


「化け猫なのにあんなに大きくて、しかも八つの尻尾なんて見たことも聞いたこともない。そもそも化け猫の尻尾って二またじゃなかったっけ」

『普通の化け猫ならな』

「普通のって……まさか、茶々丸の知り合い?」


 茶々丸の尻尾も二またではない。もしかして尻尾が多い化け猫仲間だろうかと考える珠吉に、ちろっと見上げた茶々丸が「知り合いもなにも、俺の兄だ」と答えた。


「そっか、お兄さんか……って、お兄さん!? えっ!? 茶々丸って兄弟がいたの!?」

『兄弟がいる妖もいる。たまたま兄が尻尾の多い化け猫だっただけだ』


 茶々丸の返事に驚きながら、もう一度獣の姿をした影を見た。すると少しずつ色味のようなものが現れ始める。

 毛は灰色のようだがたしかに猫っぽい体をしていた。顔もよくよく見れば茶々丸に似ていなくもない。そう思ったものの珠吉に猫の容姿を見分けることなどできるはずもなく、「兄弟って言われればそう見えるけど……」という感想しか浮かばなかった。


『兄のほうはいい。それより女はどうだ? 見覚えはないか?』

「え? 女の幽霊のほう?」


 言われて改めて幽霊を見た。化け猫とは違い影が薄いから顔かたちがはっきりしない。美しく結い上げられた髪と簪らしきものから「もしかして遊女だったのかな」と考えた。

 こんなとこをに化けて出るということは元吉原で死んだ遊女だろうか。ここが新吉原なら見覚えがあったかもしれない。しかし元吉原に来たのは初めてで、遊女の絵姿を見ることがない珠吉には誰なのかわからなかった。


「遊女っぽく見えるけど、元吉原に知り合いなんていないからなぁ」


「ねぇ、茶々丸の知り合い?」と尋ねる珠吉に、茶々丸が「にゃあ」と鳴く。


『違う。いや、知り合いではあるか』


 緑色の目が懐かしそうに幽霊を見た。茶々丸のそんな表情を見たのは初めてで、よほどの相手なのかと珠吉ももう一度幽霊を見る。


『あの幽霊はおまえの縁者だ』

「縁者って、親戚ってこと?」


 茶々丸の言葉に目を見開いた。珠吉は新吉原の大門前に捨てられていた赤ん坊で、書き付けには名前しか書かれていなかったと聞いている。どこかに生みの親はいるだろうが、まさか親戚の幽霊に出くわすとは思わなかった。


(親戚って言われてもなぁ)


 親すら知らない珠吉は戸惑った。しかも相手は幽霊だ。「初めまして」というのもおかしく、そもそも幽霊は珠吉たちのほうを見ようともしない。


「親戚って言われても幽霊だしなぁ」

『親戚というか……おまえの母親だ』

「母お……」


 茶々丸の言葉をくり返そうとした珠吉の声が止まった。視線も女の幽霊を見たまま微動だにしない。しばらくじっと見つめ、小さく息を吐くと「あの幽霊が、母さん?」とつぶやいた。


『そうだ』

「……遊女だったんだ」


 つぶやきに三本の尻尾が珠吉の足元を撫でる。


『おまえの母親は元吉原の太夫だった。老舗妓楼の一番人気で、当時鷹尾太夫と言えば新吉原でも一目置かれるほどの人気振りだった』

「……あの人が鷹尾太夫」


 名前だけなら珠吉もよく知っていた。鷹尾太夫は新吉原でも語り継がれるほどの花魁で、その名前にあやかりたいからと桜蘭楼の花魁が鷹尾太夫の名前をもらったという話は有名だ。


『鷹尾太夫がおまえの母親だ』


 そう言われても珠吉には実感がわかない。じぃっと幽霊を見つめるものの、幽霊のほうは物憂げに傍らの化け猫を見るばかりで珠吉を見ようとはしなかった。化け猫のほうは珠吉たちに視線を向けるが何かを訴える様子はない。


「ねぇ、どうして母さんが茶々丸のお兄さんと一緒にいるの?」


 幽霊と妖が一緒に現れるのは珍しいことではない。しかし化け猫は明らかに幽霊を守っているような雰囲気だ。不思議に思い足元の茶々丸を見ると、茶々丸が髭をピクピクと揺らしながら珠吉を見上げた。


「どうしたの?」

『……いや』

「なにさ。答えられないこと?」

『そんなことはないが……』


 言い渋る茶々丸に「はっきり言いなよ」と睨みつける。


『あの二人は夫婦(めおと)だ』

「そっか、めお……え? 待って、いま夫婦って言った?」

『言った』

「それって……」

『あの化け猫はおまえの父親だ』


 ぽかんと口を開けたまま化け猫の影を見た。何度見てもその姿は獣そのもので、そんな存在が父親だと言われてもにわかには信じられない。

 眉を寄せる珠吉と化け猫の目らしき部分がぱちりと合った。実際に目が合ったかはわからないが、珠吉にはそう感じられた。影のようなその目が本当はどんな様子かはわからない。茶々丸のような緑色なのか違う色なのか判別することもできなかった。それでも見守るような眼差しに感じられたのは都合のいい妄想だろうか。


「そっか」


 珠吉の口から出たのはそれだけだった。そんな珠吉をちろっと見上げた茶々丸だが何も言わない。


(だから妖が見えたのか)


 物心ついたときから妖が見えたのは父親が化け猫だったからだ。妖を恐ろしいと思わないのは自分の体に流れる血のためだと珠吉は納得した。


「……ちょっと待って。あの化け猫が父親だとして、化け猫がお兄さんだっていう茶々丸は……」


 眉を寄せながら足元を見る。茶々丸がちろっと視線を上げた。


『叔父さんというやつだな』

「…………うわぁ」

『なんだ、その嫌そうな声は』


「だって」と言いながら珠吉がますます眉間に皺を寄せる。


「食いしん坊の化け猫が叔父さんなんて、どう受け止めていいかわからない」

『おまえなぁ。俺は叔父としてずっと可愛い姪っ子を守ってやってきたんだぞ』

「絶対に可愛い姪っ子なんて思ってないよね」

『可愛いは言い過ぎた』

「そっちじゃなくて姪っ子のほう!」


 思わず声を荒げる珠吉に、緑色の目がうろんげな視線を向けながら「可愛いは否定しないのか?」とため息をついた。


「自分で言うのもなんだけど、そこそこの顔をしてるとは思ってる」

『言い切ったな』

「このくらい思ってないと新吉原では生きていけないからね」

『まぁ、たしかにそうだな。それにその顔だから新吉原の妓楼にいても違和感がないとも言える』


 茶々丸の言葉に重なるように「新吉原」と囁く声が聞こえてきた。珠吉がハッと幽霊を見ると、それまで一度もこちらを見なかった幽霊が珠吉たちを見ている。


(……あの人が、母さん)


 顔はこちらを向いているが、幽霊が再び言葉を発することはなかった。

 どのくらい時間が経っただろうか。雲の隙間から覗いていた月も再び雲に覆われ始め、幽霊と化け猫の影が見えづらくなる。暗闇に紛れた輪郭が陽炎のようにゆらめき、そうかと思えば足元から薄くなり始めた。

 珠吉は一瞬、「母さん」と呼びかけそうになった。それをグッと押し留め、消えていく幽霊を見守る。幽霊のほうも珠吉に声をかけることはなく、そんな幽霊を珠吉はただじっと見つめた。

 帯が消え、胸元あたりも背後が透け始める。そうして首まで消えとき、珠吉は「え?」と小さく声を漏らした。


(いま笑った……?)


 消える直前、ほんの一瞬だったが幽霊が珠吉を見て笑ったような気がした。驚き戸惑っている間に隣にいた化け猫も幽霊の後を追うように姿を消す。あとには古い祠があるだけで、遠くで「にゃあん」と猫の鳴き声がした。

 月明かりが消えた暗闇に祠がぼんやりと浮き上がった。しばらく静かに見つめていた珠吉が「茶々丸はわたしに二人の姿を見せたくて元吉原に連れて来たんだね」とつぶやいた。それに答えるように三本の尻尾がぺしぺしと珠吉の足元を撫でる。


「二人に会えるのが今日だった、そういうこと?」

『あの男の念は妖に匹敵するほど膨れ上がっていた。膨れ上がる限界が今日だと踏んだんだ。あれほどの念を感じれば消えかかっていた二人も姿を現すに違いないと前々から考えてはいた。妖も幽霊も人の念に敏感だからな』

「そっか」


 あの男の念のおかげで両親に会えたと思うと感謝すべきかもしれないが、どうしてもそんな気持ちにはなれない。そんな珠吉の表情に気づいた茶々丸が「最後の手段だったんだ」と口にした。


『本当は行き交う人間の念でどうにかするつもりだった。だから祠を作ったというのに、この辺りはすっかり寂れて一向に念が集まらない。十六年待ってもだ』

「十六年って……」


 珠吉は今年十六歳になった。つまり珠吉が捨てられたときから両親に会わせようとしてくれていたことになる。


「昔、このあたりには店が建ち並び人も多かった。だからここに祠を作ったんだがな」


 近づくと祠の中に地蔵らしきものが見える。粗末な作りだが、誰かが手入れをしてくれているのか両脇には野の花が供えられていた。


『祈りも念の一種だ。こうした祠の地蔵でも人は祈り、願いや欲望を顕わにする。妖はそうした念に惹かれやすい』


 茶々丸が前脚でちょいちょいと花に触れた。


『たとえ体を失っても兄は化け猫だ。兄が念に惹かれて姿を現せばおまえの母親も一緒に現れるんじゃないかと思った。そして予想どおりになった』


 茶々丸の言葉にこみ上げるものがあった。しかしそれを言葉に表すのは気恥ずかしい。思わず「茶々丸って、たまにいいことするよね」と告げると、『たまにじゃないだろう』と三本の尻尾がべしっと珠吉の足を叩いた。


「ごめんってば」


 謝りながらも珠吉は「どうして母さんは妖の子どもを生むことになったんだろう」と考えた。


(それにあの化け猫は……父さんはどうして母さんの気持ちを受け入れたんだろう)


 知りたいことはいろいろある。しかし茶々丸に尋ねることはしなかった。今回のようにそのときがくればきっと話してくれる。そう思いながらしゃがんだ珠吉がそっと両手を合わせる。


『さて、こうして両親にも会えた。これでおまえも心置きなく新吉原を去ることができるだろう?』


 茶々丸の言葉に珠吉が「気づいてたんだ」と笑った。珠吉は禿ではなく遊女になる予定もない。珠吉を可愛がってくれている遊女たちのおかげで下働きとして働いているが、それにも限界がある。


(それに、いつかは大門の外に出てみたいと思ってたんだ)


 最初は小さな興味だった。お使いで仲見世に行くときに見ていた世界はおもしろく、次第に惹かれるようになった。しかし、新吉原にいる限り自分には妓楼の下働きという人生しかない。いくら太夫に可愛がられ豪華で高価なものを見ることができても、それだけだ。


(大門の外に出れば新吉原にはないものがたくさんある)


 興味はいつしか憧れに変わった。それをひた隠しにしながら珠吉は日々を生きていた。


(それに、どのみち新吉原にずっとはいられないし)


 追い出される前に出て行くほうがいい。初めてそう考えたのは体の変化を感じた十三歳のときだ。しかしどうしても踏ん切りがつかない。自分がなぜ新吉原に捨てられたのか、どうして茶々丸も一緒だったのか、新吉原に手がかりがあると考えていたからだ。


『おまえを大門前に置いたのは兄だ』


 しゃがんでいる珠吉の隣に茶々丸が座る。


『兄は妖の力をほとんど失い消えかけていた。おまえの母親はおまえを生んですぐに息を引き取り、おまえを育てることができなかった』

「……そっか」

『あの頃、すでに元吉原には陰りが見えていた。そんな元吉原よりも新吉原のほうが生き延びられると考えたんだろう。それでも心配だからと俺を付き添わせた。しかも自分の尻尾を一つ食わせてましてな』

「……お兄さんの尻尾を食べたの?」

『食いしん坊とか言うなよ。ほとんど無理やりだったんだ』


 当時を思い出したのか、三本の尻尾が不機嫌そうにゆらゆらと揺れている。


『おかげで俺は子猫の姿に戻って一から人生をやり直す羽目になった』

「どういうこと?」

『何本も尻尾を持つ妖にとって尻尾は妖力が具現化したものだ。それが一本増えるだけでも体の負担が大きい。いくら兄弟の尻尾とはいえ体が赤ん坊に戻るくらいの衝撃だったということだ』

「だから茶々丸の尻尾は三本ってことか」


 化け猫は二またの尻尾を持つことで有名だ。珠吉がこれまで見た化け猫も二まただった。それなのに茶々丸がなぜ三本持っているのか不思議だったが、ようやく理由がわかった。

 しかしそうなると別の疑問が浮かぶ。父親だという化け猫には八つの尻尾があった。一つを茶々丸が食べたとすると、もとは尻尾が九つあったことになる。


(それって丸きり化け狐じゃないか)


 九尾の妖狐は妖の中でもとくに有名で、場所によっては神様のような扱いを受けている。新吉原にも商売繁盛を願って稲荷神社があるが、境内にあるのは狛犬ではなくお狐様だ。


(まさか、本当は化け狐ってことは……)


 ちらりと隣の黒猫を見る。どこからどう見ても猫にしか見えない。たまに油揚げを食べることがあるものの好物のようにも思えない。


(……ま、いっか)


 自分がどうして新吉原に捨てられたのか、なぜ茶々丸と一緒だったのか、いまはそれがわかっただけでいい。そのうえ影とはいえ両親の姿を見ることもできた。珠吉の心は晴れ晴れとしていた。


『さぁ、新吉原に戻るぞ』

「そうだね」


 立ち上がった珠吉の足元で茶々丸がブルッと体を震わせた。それを見た珠吉が「待った!」と声を上げる。


「帰りは馬車鉄道を使うから。あんなひどい乗り物酔い、帰りもなんて冗談じゃない」

『馬車鉄道では猫の俺が乗れないだろう』

「懐に隠してこっそり乗れないかな」

『誰がおまえの懐なんかに入るか。それにすぐに見つかって蹴り出されるのがオチだ。そもそも馬車鉄道はもう終わっている時間だろう。ということで帰りも空だな』

「まだ最終があるかもしれない……って、ちょっと待って! ひゃあっ!」


 ぶるんと大きく体を震わせた茶々丸がボンと煙を上げて大きくなった。慌てて逃げようとする珠吉の帯を咥えると、行きと同じようにひょいと背中に放り投げる。


「ちょっと! 扱いが雑!」

『今度はちゃんと前向きになっただろう』

「そういう問題じゃ……ぅわっ」


 珠吉が文句を言い終わる前に茶々丸がひとっ飛びに空へと駆け上がった。そうして一度グンと下降し、そのまま宙を走り出す。腹の底がひゅんと上がるような感覚に珠吉が「茶々丸!」と声を荒げた。


『わめくと舌を噛むぞ』

「……っ」


 慌てて口を閉じた珠吉は、行きと同じように茶々丸の首にしがみついて必死に目を閉じた。

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