アクアリーネの決意
「ねえリーネ聞いて頂戴。私はもう60歳を越えた老人よ。後10年生きられるか分からない。だからね、私は貴女に私の財産を全て受け継いで欲しいの」
「私がリンダ夫人の後継者に? だって夫人には息子さんがいるではないですか?」
そう問うのは、アクアリーネ・アクセランテ侯爵令嬢。
彼女はアクセランテ侯爵家の唯一の正当な子供だが、その侯爵家を継げない身の上である。
ビルネール・アクセランテの第一子だ。
彼女には他に弟妹が3人いるが、何れも愛人の生んだ異母弟妹である。
しかしその弟妹達は、実際の公的書類にはアクアリーネの母の子となっていた。
その為アクアリーネと同じ地位にいる、侯爵令息と令嬢なのである。
父ビルネールには溺愛する愛人ミルティアと、嫡男を産んだ愛人クロエ、その他にも侍らせている女性がたくさんいる。
特にミルティアの子である、次女ウォンディーヌと三女サリヤは、父ビルネールから愛されていた。
クロエの子であるゼスチェントは、侯爵家を継ぐ嫡男として程ほどに。
アクアリーネの母リコッタは、聖女の力を持つことでビルネールの両親に目を付けられ、借金の肩代わりに嫁いで来た。
当然に政略である。
逆らえない嫁をいいように使う為に。
侯爵家の利益の為に、文字通りリコッタは聖女の力を使い尽くして亡くなった。
残されたアクアリーネの処遇は、想像する通り孤独だった。
彼女には聖なる力はなかったから、侯爵令嬢として秀でるように高い教育を施される。
ビルネールの利益を約束してくれる、貴族家へと嫁がせる為に。
父の愛を求めたアクアリーネは、望むまま努力を重ね美しく賢く成長した。
そして資産家である伯爵令息、サム・ロンベサールに嫁ぐべくビルネールに命令され、サムやサムの母マリンの機嫌を取るなどして近づき、カルーラに危害を加え始めていた。
それでもビルネールの態度は、変わらなかったのである。
それどころかアクアリーネは、「聖女の力がないお前が家の役に立つ気なら、もっとサムに気に入られろ! 出来なければ老人の後妻になるかもしれんぞ!」と、ミルティアの腰を抱くビルネールに嘲笑されていた。
優秀な異母姉を妬むウォンディーヌとサリヤは、その叱責を楽しげに眺める。
それがアクセランテ家の、アクアリーネの日常だった。
ゼスチェントはゼスチェントで、厳しい教育を詰め込まれ休む間もない。
当然に件の叱責の場にはいなかった。
だが時期後継者である彼には、最近雇われた執事が1人付けられている。
その若い執事は雇い主のビルネールではなく、何故かゼスチェントの味方で、それとなく家内での出来事を彼に伝えてきた。
だからこそ彼は、異母姉アクアリーネの扱いに心を悼めて力になろうと考えたのだ。
彼は元より、自分が侯爵家を継ぐ身分ではないことを理解している。
同腹である彼の姉は、今も母クロエと暮らしているからだ。
所詮は男だからと、望まれただけなのだ。
そんな彼は、ずっとアクアリーネの味方であった。
彼がテュリンベイルと友となり、その後にティンクミリィとアクアリーネを出会わせたのは、味方を増やしてあげたかったに他ならない。
今考えると、ここから運命の歯車が動き出したようなものだった。
その後アクアリーネはリンダ夫人と出会って、ティンクミリィと銀行に潜入したり遊びに行ったりと、怒濤の夢のような非日常が待っていたのだから。
「貴女にこそ、私の夢を託したいわ」
微笑むリンダの声には、いつも以上に重厚感があった。
◇◇◇
リンダ夫人。本名はリンダ・シュナイザー。
前侯爵夫人で、夫は既に他界している。
彼女の息子アルゼは今、妻であるガーベラと遊び暮らしている。
再三の忠告を無視して、領地の経営も家令に投げ出したままで。
リンダはアルゼを愛しながらも適切な教育を施し、13才で父をなくした息子を後継者として育てあげた。
後は彼を支える嫁が来れば、もう出番はないと思っていたリンダだが、息子はそれに失敗した。
息子が嫁に選らんだガーベラは、山林に領地を持つ朴訥としたゲレンド子爵の娘だった。
慎ましい生活で領民にも好かれている両親からは、似ても似つかない放蕩娘に、彼ら(ガーベラの両親)も手を焼いていたと言う。
ゲレンド子爵は、娘の結婚に反対だった。
「この子はきっと、侯爵様の障害にしかなりません。慰謝料など要りませんから、どうぞ別れるようにご説得下さい」
深く頭を下げて、ガーベラの両親は願いを述べた。
これまでも尻拭いを多分にしてきたのだろう。
その顔には疲労が強く窺えた。
だがアルゼが言う。
「彼女は俺の子を宿している。結婚は彼女しか考えられない。どんな責任も俺が取ります」
そう言って譲らなかった。
次期侯爵の言葉にゲレンド子爵は逆らえず、リンダは閉口した。
その後勝手に婚姻届を出し、籍を入れたことを知ったリンダの落胆は強かった。
結婚式は挙げず、社交に連れ立つことでに婚姻を周囲に認めさせる2人。
そして更に子も生まれ人が増えていく。
けれどその子供達はアルゼには似ていない。
リンダは冷静に親子鑑定を促すも、アルゼが拒否した。
「母上は子供がガーベラに似ているのが嫌で、そんなことを言うのだろう? 俺は信じているから鑑定などする訳がない!」
「そうよ、ひど~い。お母様はこんな出来損ないの嫁が嫌なのよ。私辛いわ~」
アルゼの胸に縋り付き嘘泣きをするガーベラは、アルゼに隠れて愛人が数人いる。
それをアルゼに伝えても、彼は信じずに激昂するだけだった。
「こんなにか弱いガーベラが、そんなことする訳ないだろ! いつまで嫁を苛めるんだ、信じられないよ!」
盲目的に信じる彼は、何か悪い魔法にでもかけられているようだった。
黄緑の新緑の芽のような長い髪と蜂蜜にような金の瞳は、可愛らしい大きな瞳と組み合わされて少女のようだ。
アルゼよりも5つも年上なのに。
そんな彼は爵位を渡した途端に、リンダを離れた場所にある古い別荘に押し込めた。
リンダは思った。
もうそれで良いと。
適切に領地経営を行えば、侯爵家が揺らぐ心配はない。
道筋は付けてきたのだ。
それなのに…………。
息子は仕事を放棄し、享楽に溺れ散財していく。
見かねて注意をしても無駄だった。
「もう放って置いてくれ。今は俺がシュナイザー侯爵なんだから。文句を言うなら支給金を止めるぞ!」
したり顔の息子にかける言葉はなく、彼女はその場を去る。
ほくそ笑むガーベラに強い嫌悪が込み上げ、もうここには来ないと誓った。
亡き夫と暮らした大切な場所だったのに。
その後カルーラとの出会いで、思いがけず事業が成功したリンダ。
その財産を目当てに訪れたアルゼとガーベラに、リンダがさらに幻滅したことは言うまでもない。
リンダはそれをアクアリーネに話した。
冒険者ギルドからスカウトした、5名の精鋭のことだけは秘密にして。
◇◇◇
「リンダ夫人。そんな大事なことを私に打ち明けて良いのですか?」
以前に聞いた内容よりも深い話に、鼓動が高まるアクアリーネ。
今リンダの執務室には、リンダとアクアリーネの2人だけ。
執事は扉の外で待機している。
アクアリーネは何と答えて良いか悩んでいた。
リンダの強い覚悟を感じたからだ。
「リーネ聞いて。私の夫が若い時分、暴漢に襲われて大怪我をした時に、貴女のお母様のリコッタ様に癒しを頂いたの。
彼女はとても優しくて、でも儚い笑顔で「治癒が効いて良かった」と仰って下さったわ。
その数か月後にリコッタ様が亡くなったと聞いたの。
聖女の力は生体エネルギーで、常に体に強い負担があると後に知りました。
貴女のお母様の寿命を奪った1人は、私の夫なのよ。
それとは別に私が貴女を気に入ったのも、偶然と思えないわ。
お礼と謝罪と、そしてお願いよ。
私の養女になって、力になって頂戴」
リンダはリコッタのことをも話に加え、アクアリーネの気持ちを揺すぶった。
「お母様が導いて下さったのかしら」
ボツンと口に出す言葉が、アクアリーネ自身の胸に刺さった。
それならば受け入れてみたい。
「お話をお受けします。私の力の限りに」
頷くリンダは彼女を抱きしめた。
「よろしくね、リーネ。貴女は私の娘よ。大切な大切な、私の娘よ…………」
「お母様」
ずっと憧れていた家族の暖かさに触れ、涙するアクアリーネ。
血の繋がっていた父よりも、安心できる胸に抱かれた彼女は至福を味わっていた。
後日。
リンダから気に入られていることを知っていたビルネールは、養女の話に飛びついた。
手切れ金とばかりに渡された多額の準備金に、喜びが止まらない。
資金がアクアリーネに渡ることは、勿論なかったが。
アクアリーネからすれば、事実上の絶縁であった。
だが、ビルネールの考えは違った。
「あいつは父親の愛を欲しているから、ちょっと甘い顔をして俺が頼めば、幾らでも資金を融通してくれるだろう。
育ててきた甲斐があったな」
下衆の笑みを浮かべ、そう思い込んでいた。
数日後。
「お世話になりました。お元気で」
「ああ。いつでも遊びに来ると良い。元気で」
ビルネールの言葉に応じることもなく礼をし、アクアリーネはリンダと共に馬車に乗る。
父の傍らにいたゼスチェントにだけ分かるように、仄かな笑顔を浮かべながら。
これからも、ゼスチェントとの縁は続いていく。
異母妹のウォンディーヌとサリヤは、一応見送りに来たが面白くない顔をしていた。
リンダが今持つ爵位は子爵で、彼女の爵位は自分達より下になる。
でも国一番の富豪であるリンダの養女になるのだから、話は変わっていく。
やっと目障りな姉を追い出しても、幸せにさせるのは嫌なのだ。
そんな思惑の中で、馬車は出発していく。
唯一の正当な血筋を失い、後に後悔することをビルネールはまだ知らない。




