3.産婦人科と未知との遭遇と私
地球時間にて、その数日前のこと。
和樹とハルミは、寄り添って産婦人科医院の廊下を歩いていた。
窓から覗くのは初夏の青空と若々しい緑、ハルミのお腹には、ふたりのベイビー…… 現在は妊娠6ヶ月の安定期、本日は産院の 『初めてのパパママ教室』 に、仲良く参加した帰りである。
「あっ……いま、蹴った……!」
「えっ……もう、蹴ったりするの?」
「ふふ……男の子かもね……。パパに似てカッコいいといいなぁ♡」
「ママに似たカワイイ女の子もいいよ♡」
イチャイチャと幸せいっぱいに歩いていた時。
急に、近くの妊婦が、崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。
「「大丈夫ですか……!?」」
「あ、すみません…… ちょっと寝不足で…… 急にめまいが」
「看護師さん呼びますね!」
「いいんです、大丈夫……」
話していて、ほぼ同時に、ふと気づく3人。
「「「あっ……」」」
「和樹くんとハルミちゃんじゃん!」
「茅波さん! もしかして茅波さんも……?」
茅波 麗。和樹とハルミの高校時代の同級生である。
優等生だった麗は、高校時代、和樹にしばしば勉強を教えていた。
その親切で明るい性格で、クラスメイトからの人気も高かった麗だが……
なぜか今、その明るさは影を潜めていた。
「うん……妊娠……3ヶ月で……」
どこか虚ろな瞳でうなずくその様子に、只事でないものを感じながらも、口々に 「おめでとう」 「無理しないで、大事にしてね」 と声をかける和樹とハルミ。
すると。
「…………!」
みるみるうちに、麗の目に涙が盛り上がり、頬を伝った。
「どうしたんだ、茅波さん!」
「つわり、ひどいの……?」
慌てる和樹と心配そうな顔をするハルミにかぶりをふって、麗は泣きながら言った。
「ち、違うの……ぐすっ……た、ただ嬉しくて……これまで、誰も、喜んでくれなかったから……っ」
「…………」 「…………」 和樹とハルミは、無言で互いを見交わしてうなずいた。
「茅波さん、何があったんだ?」 「相談してよ、同級生じゃん!」
「う、ぐすっ……うん……ありがとう……」
麗が、涙ながらに訴えたところによると。
同棲している彼氏が、妊娠がわかったとたんに、そっけなくなったのだという。
「 『つわりでツラいだろ、僕は実家で飯くうから、夕飯いいよ。ゆっくりしてな!』 とか言って……
夕飯実家で食べて……そのまま、あっちに泊まってきたりとか、しょっちゅうで……
『今ホラ、新人教育で忙しい時期だから、ごめんな!』 とか言って……帰りも遅くて……」
「それはひどいよね!」 興奮する、ハルミ。
「じゃあ、こっちのご飯どうすんのよ! お前は実家で優雅に上げ膳据え膳してもらって、こっちはひとりで栄養ゼリー飲みながら、おト○レとニラメッコかよ!
腹の中にいるのは誰の子だ、オラァっ!? って言いたくなるよね!」
「で、でも…… 私もご飯作れないの確かだし、彼が忙しいのも本当だから……
きっと、ひとりぼっちだ、って感じるのも、私が今、不安に思いやすい時期だからなだけで……彼が悪いわけじゃ……」
「悪いよ!」 きっぱりと、ハルミが言い切る。
「妊娠なんて、一生のうち、そうない一大事じゃん! そんな大変な時の彼女に、その程度の気遣いしかできなくて、自分だけ普通に日常生活送る男なんて……クズ! ドクズ! ノミ以下……っ!」
「そ、そんな……」
ハルミの剣幕に恐れをなす、麗。
ちなみに和樹は、ハルミが怖すぎてもはや何も言えない。
……確か和樹も、ハルミがつわり期間中、ちょうどOJTを担当していて…… しばしば、帰りが遅くなった。あとは、歓送会が2回くらいあって、どうしても上司からの酒を断れずに、夜中に酔っぱらって帰ったこともある。
……ハルミは確か、いつも笑顔で…… 『大丈夫だよ。和樹ちゃん忙しいもんね! わかってる♡』 と言ってくれていたはずだが。
その笑顔の裏に、もしかして渦巻いていたかもしれない感情に、ゾッとする和樹であった。
「そんなヤツ、もう別れちゃえ!」
「う、うーん……だけど……」
「一緒にいても麗ちゃんが苦労するだけだよ!」
「……そうだね……うん……」
割とあっさりと同意した茅波に、内心の悲鳴を禁じ得ない和樹。
(えーっ!? 女子の認識って実はそんななの!? こわいこわいこわいこわい……!)
それで行くと、和樹など、何度ハルミに 『もう離婚!』 と思われていることか。
別れ際、和樹はやっとの思いで、茅波に言った。
「何かあれば、いつでも相談に乗るから……」
昔の親切で明るかった彼女に戻ってほしい。彼氏とも、うまく行ってほしい…… そんな思いでメモ帳にSNSのIDを書き、ちぎって手渡す。
もちろん、和樹にはわかっていないのだ。
その行為を、ハルミがどんな思いで見るのか、などということは……。