四の晴
「よくお前、こんな場所に平然と立ってられるよな……」
「勝手に浮足立つくらいだからねぇ。そりゃぁ」
「うん。自然な流れで、ダイナミック投身しないでもらえるかな。おにいちゃんも巻き添えでしんじゃうから」
まさか人生初の屋根登りが、争いごとのためになるとは思いもしなかった。
こんなんなら、日ごろからもう少しバランス感覚を鍛えておけばよかったか。そうすれば、今ごろ俺はオーミにおんぶされていることはなかっただろうに。あー……、心なしか風当たりがクソ寒い。
しかしまあ、あんまり呑気に構えてられる暇はない。
それを証明するように、次の瞬間、言氏の声と同時に世界が切り替わる。
「……らんも、おーみ、しっかり捕まって」
と、言いきったが最後。
急に訪れる重力の嵐。
そして、瞬間、空中に舞う大量のクラクションで、オーミの声すら聞こえなくなる。竜巻に放り込まれたような感覚に、思わずを目を閉じるが、オーミの温もりだけは離すわけにはいかない。
が、それもほんのわずかな間で、目をゆっくりと開けば、そこには前方車両のひとつもない一直線の道路だけが山岳部に向かって伸びていた。
「おお、ダイナミック信号無視だねぇ」
「……しかも、急カーブぶっこんでのかよ。直角方向にドリフトきるって、このバスはマリオカートかなんかか?」
「……このまま、湖西道路に乗る」
そして、言氏は勢いに任せんとばかりに言葉を吐いた。
湖西道路。
滋賀に位置する琵琶湖。その西部を縦に結ぶバイパス道路だ。無料の高速道路みたいなもんなので、県民から他県まで利用者は多い。
だから、普段だったら、もう車多すぎだろってくらい混む。マジで。通勤時間、帰宅ラッシュにぶち当たるとさも平然のように渋滞を起こしている。それなのに、地元住民は湖西道路を使うことをやめない。なぜだ。
なにはともかく。
それは朝っぱらとか、夕方の話だ。
こんだけ日が深く落ちた時間帯なら。
「……入るよ」
通っていくのはでっかいトラックぐらいだ。
戦場としては、申し分ないくらいに一直線に開けている。
その分、国道よりも狭まった左右の視界の斜め上には、滋賀県を覆うように聳え立つ山々が暗い影を形成していた。比叡山に、びわ湖バレイ等々。湖県といわしめる滋賀の地は、山脈に囲われているので、遠くを見渡せば山々。下を見下ろせば湖。とにかく、自然が多い。
そして、後ろを振り返れば、借金取りの車。
一般道だったら、普通車と混ざって見つけにくかったが、ここなら油が水に浮くように見えて現れる。
「……あとは、おねがい」
「……うっし、オーミよ。ありったけの毛玉、ぶつけんぞ」
「えっと、火薬入りぃ? それとも、毒入りぃ?」
「煙幕用だバカ。けが人が出るだろ」
「むぐぅ、ぎょいぃ……」
もともとが高速道路だったというだけあって、湖西道路から眺め見ると、近江の街が下に映る。
絢爛七色。
琵琶湖の淵に幾度となく輝く無数の煌めきは、雨雲のまどろみの中に吸い込まれていって、ひとつの大きな光の輪を作っている。
———バイバイ、俺たちを守ってくれた故郷。
「……そんで、同じようにバイバイさせてくれ」
「ばいばいきーん、だね!」
「それだと、俺らがバイバイする側になるだろ……」
しまらねえなホントに!
そんな感じで、やるせなくふんわりと投げ放たれた毛玉はゆっくりと空中に弧を描いていって。
湖西道路の上に乗り、急加速してきた借金取りの車のボンネットに。
———ばずーん
見事、着地した。
……オーミの奴だけが。
いや、なんで?
それでも、ものすごい轟音と同時に、黒い煙が辺り一面に立ち込め始める。やがて後方は、またたきをする間もなく、更に深い重たい闇夜の濃霧に囲われ、何も見えない空間へと変わり果ててしまった。
毛玉。
化け猫のメインウェポンといっても過言じゃない。
いわば、化けるときにあふれ出る煙を集めたものだ。化け猫の猫耳の毛を集めて、まんまるにしてやると、こういった毛玉ができる。
ちなみに化ける能力に依存して、煙の濃さが変わったりする。だから、やっぱり俺の毛玉よりも、オーミの毛玉の方が効果てきめんだ。まあ、負けても悔しくないですけど。しょせん毛玉だし!
「お、ストライクだねぇ」
「いや、これは野球じゃねえからな?」
「んじゃ、ボーリングなの? だったら兄貴ぃは、ガーターだねぇ」
といいつつ、二投目は下投げでひょいと投げやがるオーミ。それも見事に後続から現れた車にぶつかって爆発四散していった。コントロール能力高いな、オイ。
俺も負けじと全力投球。そして、エラーして湖西道路の場外へ。
えいやえいやと、とにかく投げまくる。辺り一面が煙に覆い隠す様子を、雨雲がにわか雨を降らせながら見守ってくれていた。
化けている状態に強い衝撃を与えたら化けが解除されるのと同じ原理で、毛玉も爆発して煙があふれ出る。ただ爆発といっても、ちょっと強い突風くらいで、なにも人を吹き飛ばしたりはしない。少しばっかり、顔とか服に大量の煤と猫の毛がくっつくけど。あとけっこう取れにくい。
「化け猫の毛の取り方って、コツがあるんだよなぁ。逆にコツさえつかめば、あんまりこれに悩むことはないと」
「生きてるだけで、自分の服についてくるもんね。んで、兄貴ぃ、あれみてぇ」
「え? ん、いやなに?」
「ぜんぜん効いてないないみたいだよぉ」
え?
いわれて、少し前を覗いてみると。
……まだ、全然エンジン音が聞こえる。
すっかり濃霧に囲われた空間だってのに。もう中は暗闇どころじゃねえ、ほんとの深淵みたいな真っ暗闇だぞ。現にヘッドライトすら見えてない———って。
———ぶぅんッ!
躍り出てくる。
ヘッドライトが、ひぃふぅみぃよぉ……。
全部で、十個分。
いや、嘘だろ……。
「あの真っ暗闇の中を全部抜けてきやがっただって!? んな、おかしいだろ!」
俺の叫び声に返事をしたのは、車内から鳴り響くクラクションの音だった。
「あ、そういやことーじ、もう真っ黒状態だったよな! もしかして、アイツが一回使ってやがったのかッ!?」
———プップー
「ぷっぷーじゃねえよ! 正解なのか、ブッブーで不正解なのかわかりづれぇ!」
「でも、たぶん、ことちゃんが使っちゃったから、対策されたってことだよねぇ? で、距離とか間違えて、自分も巻き添えくらって、まっくろことちゃんになったとぉ」
「対策って、俺たちが五年かけて猫の毛の解き方を解明したんだぞッ!? それをなんで小一時間くらいで対策されるわけぇ!?」
「ほんとだよねー。ファ○リーズかけとけばくっつかないなんて、奴らが知ってるはずがないよぉ……」
「ごめん、ちょっとその方法は俺は知らん」
え、これってファ○リーズかけるだけで取れるの? 今まで俺、ずっとたわしでゴシゴシして取ってたんだけど。
いや、いやもういいよ! とにかく、これで何かしらの対策がされているってのは分かった。でも、根本的な問題解決になってない!
次の作戦は……。
とか考えてる余裕もねえ! もう距離は五十メートルか、それ以下まで迫ってきてる。
クソぉ……。
仕方ない、かくなる上は……。
▲
湖西道路とはいえ、実際はほぼ高速道路だ。
質量二トンも三トンもある鉄の塊が、平然と時速を三ケタまで出して走り回っている。
そんな危険地帯も極まりないところに飛び込む輩とは、どんな奴だろうか。
自殺願望者か、酔ってるおっさんか、道に迷い込んだ獣か。
いずれにせよ、当てはまるのは———あほだ。
だから、今から飛び込むやつらも、限りなくあほだ。
「———んぎぃ」
言葉にならない音をかみ殺し、浮かべる瞳を暗闇のなかで正面を見据え、振りかぶりざまに地面についた手をすぐさまに構える。
なんせ、唐突なことだ。クラクションを押そうとして、必死にハンドルを叩いている姿がヘッドライト越しにもくっきり見えた。
ブレーキは、おそらく踏んでいない。というか、踏めていない。
そのくらいに、突拍子もなく躍り出た。
空は曇天模様だし、まわりは山と湖に照らされ街明りなんて一つもない。お日様はまだ眠っている深い夜に現れた二匹の獣を前に、人間はなにを思ったか。
———轢いちまう。
これは別に、轢いてしまった相手への申し訳なさからの言葉じゃない。
たぶん、保険会社に連絡するとか、交通事件として面倒なことになるとか、車に傷がつくのに修理費を請求できないとか。
そういった様々な自己保身から絞り出された、渾身の嘆きだ。
そんで、そんなロクでもないような断末魔を。
まずは、俺から少し和らげる。
「えいとらせいッせいッ、もっふもふぅッ!」
愚妹の影声に合わせて、突っ走ってくる車の先頭車両に向かって、大量の毛玉をおもいっきりぶん投げる。
毛玉は重ねまくることによって、衝撃がかさみにくくなる。だから、最終的には強い衝撃をくらっても爆発しない吸収剤になったりする。
そして、毛玉クッションが生えた黒ワゴンのボンネット。
ブレーキをようやく切り始めて、ほんの数刻の間だけゴムが地面に食い込むような熱い音が鼓膜に鳴り響いた。
それも、最後の粉砕音で、ぜんぶ消えてなくなる。
「足止め、しなきゃいけないもんねぇ」
「……なにも、ほんとに足で止めろとはいってねぇよ」
できれば、実害を出さずに事を終わらせたかったが。
致し方ない。
ぶちこんだ跡からは、ものの見事に白い煙があふれ出ている。
猪の突進くらいなら余裕で受け止められる毛玉でも、愚妹のガチのぶち込みにはこたえきることはできなかった。爆裂した毛玉の跡の鉄板には、頭いっこぶんくらいの大穴が黒い焦げをびっしりこびりつかせながら、ぽかんと空いていた。
反動にオーミの履いていたクロックスも完全に焼き切れている。また新しいのを買ってやるよ、と。眼前で煙を上げる高級車には目も向けずに、オーミの肩をぽんぽんと叩いた。
その間に、後続車両が玉突き事故を起こす。ピタゴラスイッチなら、もう少し手の込んだ作品に仕上げるだろうが、設計者がどうやら小卒未満らしいので、こんな出来になってしまったらしい。
ほんの数秒、静まり返った人身事故現場。
その間、愚妹は仕舞っていなかったペケモン人形で少し遊んで。
俺はまた、懐から小さい箱を取り出し、一本を口にくわえる。
ただ、今回は、長めに吸っておこう。
グギャリバリバリ……。あんま、味しねえな。
ぺしゃんこになったり、煙をぷすぷすあげているワゴン車から、ゆらゆらと人影が現れ始めた頃合いで、愚妹は上空を見上げた。
「う~ん、ハレてるねぇ」
祭りの開幕の合図は、欠伸と一緒に紺色の空に吸い込まれていった。
すでに焦げた音が立ち込めるコンクリートの上。
俺たちからは、特にこれといってやることは決めてない。
すべては、ことの行く末次第だ。
「……あんま、うごかんといてください」
新しく、毛が逆立つような刺激的な音がさく裂する。
車の影からすっと飛び出したのは、サングラスをかけた筋骨隆々な男だった。暗闇に同化するような黒い衣服を身にまとっているが、ぴちぴち過ぎてタンクトップみたいになってる。一見、芸人かと思わせるような身のこなしだが、普通に右手に握りしめるのはスタンガン。
流石、関西人。不器用すぎる格好に、笑いの精神を忘れていないことが伺える(京都を除く)。
「当たり所が悪いと、ぽっくり逝きますゆえ。それから、両手もあげといてください」
妙に響きの良い男っぽい声だった。
刈り上げヘアーで厳つい容姿極まりないが、存外に荒々しい口調ではなく、あくまで猫を捕まえようとしている人間の目線らしい。ただ、いかんせん内容が物騒。
愚妹がすっと手を振り上げそうになったのを静止する。何しとんだお前は。
こういう時は、俺の出番だって。
そう、アイコンタクトをちらっとオーミに向けると、生半可な欠伸が返ってきた、たぶん、晩ご飯はおでんがいいなといっている。……理解、してるんだよな?
まあ、いい。
俺は、一度二度、咳を吐いて。
……あー、ぐぁー、うんにゅぅ……。
こんな感じだろうか。
「———……ぐすん」
「…あ?」
「お、おねぇちゃぁん……」
———猫なで声。
とかもはや、そんなレベルじゃない。俺が研究に研究を重ねて作った声色。芦田○菜をも超える超絶技巧萌えボイス。
化け猫はなにも化けるだけが特技じゃない。
なんせ、化けたところで口を開いて別人だったらバレてしまう。元も子もない。
俺の唯一の特技だからなぁ、これ。
声色変換。
……読み方、これであってるよな? ラノベでそう書いてあったし。
江戸時代から人間をだまし続けてきた、とっておきの秘儀。人間業を卓越した化け猫の所業だ。声優デビューも夢じゃない。
とりあえず、これだけはオーミよりも上手い自信がある。
残るはもう、演技力だ。
「あー、よしよしぃ。だいじぃうぶだよぉ、らんちゃん?」
「うぎゃぁああ! こわいよぉ、あのお兄さんたち怖いよぉ!」
うぎにゃああああああああああああああああッッ!!
俺はオーミに抱き着いて、そりゃもうありったけの鳴き声を辺り一面に響き渡らせる。
そんで、一通りついたら、喘ぎながら思いっきりお腹に顔をうずめた。
……というか、うずめられた。
「よしよしぃぃいぃ」
「ぐぶむむぶむむむ!!!」
死ぬる。
おい、本気で抱きしめすぎだ……。このまんまだと俺、お前の腹の中で窒息死すんぞ。
すると、身を削る渾身の演技が相手にも伝わったようだ。黒スーツの男は、一人特別赤黒のシャツを着た柄の悪いオッサンに目を合わせ、首をかしげている。
「え、あー……。おい、これはどういうことなんですかね?」
「いや……俺にもわからへん。なんやこの子ら、こいつらのせいじゃなかったんか? 車一台ぶっこわれとるし」
「ですが……、このようなガキ二人ができるわけありませんよ」
さらっと、ガキの中に俺が加えられている———のも無理ねえ話だ。
化けてねえと俺、言氏よりも背ぇ低いし。
「と、とりあえず、この子たちのことは放っておきまして、まずはあの女を追いかけるのが一番だと」
「せやな。オイ、江藤、森永。こいつらの見張り……やないな。面倒見取ったってくれんか?」
「え、あはい! 了解しました!」
「もう、後ろからトラック来てもうてるわ。お子さん二人車の中に入れて、脇の方で待機しとってくれ。あと、ジャフ読んで車の撤収頼むわ」
いや、この事故をジャフで片付けんのかよ。
とまあ。
命令した男は事故を免れた車に乗って、言氏の跡を追っていった。そうなると、残りの組員はほとんどいなくなる。先頭車両の男二人はずっと気絶してるし、他の人はジャフに連れてかれた。たぶん、怒られてる。
路上でハザードランプを点滅させるワゴンの中。
残るは、この二人だけになった。
につけたって、あー。
「お、おにぃさんたちの名前、なに……?」
「うぇ? あー! 俺は森永で、コイツは江藤だよ」
「……ッす」
「おい、もうちょいなんか言えよ江藤……。あ、悪いね、コイツ寡黙気味でさ。それで大丈夫かい? さっきまで、すっごく泣いてたけど、落ち着いた?」
———ぼかぼこ
「うん、まあ森永は、イイ奴そうだったし、森永役は俺がするわ」
「それじゃあ、私は斎藤役だねぇ」
「いや誰?」
江藤と斎藤って、いやまあちょっと気持ち程度似てるけども。お前は江藤だという催眠暗示をオーミにかける。
それで、俺の名前は、あーと、えー……。
誰だっけ。
まあ、いいや。適当に高杉とかにしとこう。そのうち思い出すだろうから。
あとはこいつらに化けて、声色も調整。
そうすれば、もう完璧な斎藤と高杉の完成だ。
「よし、んじゃオーミ———じゃなくって、斎藤、じゃなくて江藤……もういいや。ほな、あの偉そうに命令してきよったオッサンをぶっ飛ばしにいったりましょか!」
「イエスイエスイエス……オー、マイキャット」
「お前、そんなキャラだったっけ……まあいいや、エンジン点火!」
———ギュギギュルッ
前方部が少し潰れた黒ワゴンだが、しっかりとエンジンは起動した。
言氏の見よう見まねで覚えた運転だけど、けっこう上手くいったな。もしかして俺、言氏よりもセンスあるんじゃね。
とか思いつつ、おもいっきりアクセルペダルを踏み込む。
いや、もう踏み抜く!
「ていうか、兄貴ぃに運転任せちゃっていいのかなぁ。私が変わろうか?」
「心配すんなって、オーミ。スマホのバトルロワイヤルゲームだったら、お前よりも俺の方が運転上手いじゃねえか」
「それもそうだったねぇ。げろげろぉ」
笑顔で毛玉を吐くオーミ。杞憂っていうのは、まさしくこういうことなんだろうな。
ぐんぐんぐんと、加速し続けるパラメーター。
まず普段じゃ一切見ないような数値までメーターが上がり、通り過ぎてゆく視界と時間間隔がミスマッチして気持ち悪くなってくる。
大体今が、110キロか。
でも、ゲームだったら、もうちょい早く走ってるし。まあ、バイクのときだけど……車も同じようなもんだろ。
「もうちょいスピード出すか」
もう一段階、踏み込んでみた。
ぐわん。
一瞬、思考内のすべてが止まる。
あれ?
なんか、俺が知ってるような速さじゃないんだけど。
こう、スマートフォンでやってるときは、たまに理不尽にバイクが横転して大事故起こすくらいしか記憶ないんだけど。
なんだろう、この、浮遊感。
「———すげーんだな、百五十キロって」
疾風が如く駆け抜ける、わけがない。
言い例えるなら、機関車トーマスの大暴走みたいな。
「すごぉいよぉぉおおお兄貴ぃいいいぃいぃぃ、もう、さっきの連中の車があぁあぁ、みえてきたよぉおおぉおぉおぉげろげろげろげろぉおおぉおぉ」
息すらできない空間に、息を飲まされる。
オーミは盛大な雄たけびのような歓喜の声に返事をすることすらままならない。
肺が押し付けられるような感覚だ。まともに息すらできずに、身体の不自由さが手に取るように意識に伝わってくる。
かといって、一度踏み込んだアクセルを弱めたところで、慣性に従うままに壊れかけの黒ワゴンは前へと突き進む。そして、ブレーキを踏めば、ゲームだったら横転して大事故を起こす。自然低速待つしかない。
そんでもまあ、ロクにハンドルすら切れない時間も、速さのおかげですぐに終わる。
ようやく、一つ深呼吸ができるようにいなったころには、前方を走る黒ワゴンが数十メートル先に。
そして、その眼と鼻と、あと猫耳二個ぶんくらいの先の路上の傍らに。
見慣れたでっかい愛車がハザードランプを点滅させながら停車していた。
「兄貴ィっ!」
「————ぁ、んぐぃぐおらぁあああッッ!!」
瞬間に、覚醒する。
こうなりゃ、意地だ。やけくそだ。
オーミの掛け声のおかげっていっても、間違いじゃない。割り切れて考えられたのは、何にも考えてないコイツの思考があったからだ。
———ィジギッ
闇を切り裂くように、閃光の如く轟くブレーキ音。
おもいっきり身体を左に寄せ、全体重を重ね合わる。オーミもぶんぶんと頭を振って、車体のバランスを綺麗に保たせてくれた。
そして、猛烈なスピードのままに、軽めに切ったハンドルはタイヤの向きと進行方向との僅かなズレを発生させる。猛烈な熱と鼻を刺すような臭いと共に、曲線を描く車窓を映し出して———。
猛烈なクラクション。
と同時に、足を蹴りだして。
斜め後ろ方向から、遮るように現れた黒ワゴンを前に、前方車両は急ブレーキとハンドルを切っていた。
最新型とだけあってか、向こうの車はすぐに停車する。
そして、壊れかけかつ、豪快なカーブを切ったわが車は、ものの見事に壁へと吸い込まれていった。ただでさえぺしゃんこだったワゴンは、さらに大きく形を変え、もはや原型はとどめていない。
「危なかったねぇ、兄貴ぃ」
「危ないどころか、俺はもうボロボロなんですけどね……」
いってえな……。毛玉があって助かった。
ぶつかる直前に開けっ放しだった窓から飛び出して、路上に転がり着地する。ただ当たり所が悪かった左膝に赤い血痕が溢れてきている。
でも、もう処置する余裕もない。
今やることはただ、もう一つの演技のための前準備だけだ。
ゴールテープまで、もう少し。
横目で流しすると、こんだけの大騒動を起こしている惨状を前に、目を向けることさえせず、ただせっせとタイヤに顔を突っ込んでいる言氏の姿があった。
「———オイッ! てめえら、どこ見て運転してきやがってんだゴラァ!」
ただでさえバクバクと脈打つ心臓を、今度は鷲掴みにしてくるような荒々しい声がコンクリート上に叩きつけられる。
いや、どこ見てたってあんな事故には普通ならないでしょうけど。
さっきまでは、ただ負債者を優しく追い詰めるだけだった借金取りの姿はどこへやら。やってることは、すっかり恐喝。いやでも、向こうも死にかけたんだから、怒鳴って当然なんだけど。
につけたって、やっぱ怖え……。
オーミは化けて江藤の姿になっても、にへにへ笑ってやがるが俺は別に、アレほど強心臓じゃない。……っていうか、オーミお前、江藤ってもっとムスッとした奴だっただろ。
とりあえず、今はだ。
震える喉を押さえつけて。
「す、すんません、兄貴……。俺としたことが、思いっきりハンドルミスっちまって」
「にしたって、こうはならねえだろうが。どうやったらこんな事故起こしやがれるんだ、嗚呼ッ!?」
「い、いや、最近映画の駐車シーンに憧れてまして! こう、カーブ描きながら真横にぴたっと路上に停車するヤツです! 本当なら、あの女のバスの近くにぴたっと止めたかったんですけど……」
「にしたって、実践するヤツがあるかッ! お前はハリウッド俳優か、なんかなのかオイッ!?」
「出来心でやっちゃいました……。あと、こう見えても俺、韓流ドラマで主演やったことあるんですよ!?」
「んじゃなんでその道で食ってかなかったんだよッ! 見え見えの嘘ついてんじゃねえッ!」
マジの漫才じゃねえかよ。めちゃくちゃノリツッコミうめえなコイツ。
意外とこの男とは気が合うかもしれねえ。金の話さえなけりゃ、コーヒー一杯くらい交わしてやってもいいな。
でも、向こうの顔色伺うと、血管があたまに浮き出ている感じだったので、好きなコーヒー豆の種類を訊くのはやめておく。
「ほんと、すんません! 修理代は後で出しますんで!」
「それで済むと思ってんのかァッ!? オイ、分かってんのか、森永ッ!」
「え? あ、いや、俺は高杉……だと思ってたんですけど?」
「え? あ、そうだったけか……?」
アンタも覚えてないのかよ。
と、ここでようやく一つ間が空いたところで。
「———イヱァッ!」
ぶち込んで、空気を切りやがったのは、にへにへの笑顔。
オーミは言葉になっていない叫び声と同時に、黒スーツの男に向かって右ストレートをぶっぱなす。男は一瞬それを受け止めたかのように見えたが。
「オール、マイ、キャットッ!」
「ぬぼぉあがァッ!?」
意味不明な掛け声に押されて壁まですっ飛ばされてしまった。
まあ、オーミは走ってきた車を受け止めるくらいの馬鹿力だからな。男がぶっ飛んでいくのも無理はない。勝利した暁に、にへにへ笑顔を隠さずに勝利の方向を上げる江藤———のつもりで演技している愚妹。お前は誰だ。
「わるいですね、兄貴。でも、こうするしかないんすよ、俺たちが生き残るには……————ってな感じか?」
「ハイ、カットカットぉ! よぉし、兄貴ぃ。これでアカデミー映画賞も余裕でとれるよぉ!」
「極道がアカデミー賞はまずいんじゃねえの?」
そうはにかんで、オーミの方に視線を向けた。のんきに冗談かましてきやがるわりには、オーミの方もすっかり息が上がっている。化けたり、敵を蹴散らしたりで、なんだかんだ体力を消耗していたようだ。
それでも、俺よりもぴんぴんしているが。
ぼふん。
もう、キツイ……。流石に、化けを解除して、その場に倒れこむ。
化けたり、化け猫の力を使っての戦闘は、存外に体力を消耗する。大人に成長していくにつれて、慣れていきはするが、まだ俺たちは成人すらしていない子供だ。ましてやオーミなんて、小学生を卒業した連中と世代が変わらない。
それなのに、よくこんだけやったよ。
もう、いい。
もう、散々だ、こりごりだ!
祭りはおひらきだ。
さっさと寝よう。
そう言いかけた時。
「———日本アカデミー賞やったら、何度かは貰ってんねんけどな」
張り詰めた空気に気がつくころには、後の祭りというか。
はぁ………。
なんで、お前はそこまで愚妹なのかね。
そりゃ、愚妹愚妹と呼びはしているけど、そりゃ俺がお前の才能を買って嫉妬して読んでるだけだ。なにも、本当に愚妹になんなくていいってのに。
「———兄貴ッ!」
気が遠くなってた俺には、僅かな空気のブレに気づかなかった。ましてや、本当にそんな映画で見るようなブツをありありと見せつけられるなんて、露ほども。
理解する由もない。
———ぱん
銃弾は、音速よりも早い。
俺たち化け猫が普通の戦闘で戦っていけるのは、相手の音を見極めているからだ。なにも全部反射神経でやっていっているわけじゃない。
だから、音が追い付いてこなけりゃ、俺みたいなグズはまんまと一本取られちまう。
「ぎぎにゃあッ!」
小さな、ただ一人の少女のうめきが、初夏の夜風に吹かれて飛んでいく。
大した音ですらない。どっちかっていうと、そのあとに追ってきたくぐもった鈍い音の方が山々に響き渡っている。
ああ、もう。
俺をかばって、銃弾を撃ち込まれたあほに駆け寄る。意識に大した問題はないが、細い右腕のあたりの袖がしっとりと濡れて始めていた。
苦悶の表情はもう見るに堪えない。だけど、そんなことを考えるよりも先に、自分のポケットをあさる方が先だった。
そして、いつだったか、街中でもらったティッシュを取り敢えず、愚妹の出血部位に当てる。愚妹は「痛いねぇ」と、笑いながら涙目でいいやがるので、その口にもティッシュを詰めといた。
その間も、赤黒服のオッサンは喋っていた。
「せやけど、ええやんか、なあ? 結局、極道や闇金やゆうのは必要悪なわけやし。極道映画が一定の指示を得るのは、やっぱそういう理解者がおるからや」
……なんだよ、コイツ、まだ映画の話続けてんのかよ。俺のセリフがそんなに気に食わなかったのか?
今なら俺に向けて、いくらでも撃つ隙はあるだろうに。
と、思ったが、あくまでオッサンは不用意には撃ってきたりはしない。そもそも、言氏も言ってた通りだが、普通なら拳銃なんか手にすら握らないんだろう。
あくまで、アレは最終手段なわけだ。
だから、こうベラベラと呑気に喋ってやがるのか?
でも、オッサンの目を見ればすぐに分かった。
嗚呼、なるほど。
コイツ———、これ以上、手を煩わせてほしくないのか。
「せやし、あの女も、ワテラに金を乞うてきた。ワテラはその貸した金を、少しばかりの利子と一緒に返してほしいだけなんや」
第一、こいつら借金取りはなにも俺たちを殺しに来たんじゃない。
お金を返す目的で、あくまで暴力行為を行っているだけであって、争い自体は望んでいない。オーミに一発放ったのも、不可抗力だと。オッサンのギラギラと黒く光る眼がそう語っている。
「ワテが彦坂経理事務所の所長、彦坂健三や」
赤を基調としたダークスーツ。
髭がボーボーと生えている割に、綺麗に整えられたネクタイにはピンが刺さっている。こんなところに目が行く俺も俺だが、ネクタイピンはクモの形をしていた。
なんつうか、こう。
パッと見は、そんな大した極悪人には見えない。どっちかっていうと、コンビニの傍らでたばこをくわえている小柄なオッサンみたいだ。奇抜なファッションだけが目にいきがちだが、根はそこまで腐ってないみたいな。
まあ、アニメとかラノベとかならそんな設定でもおかしくない。
まあ、夢見た話だ。
「つまり、てめーが諸悪の根源だってことか」
「いや、一番悪いのは君のお友達さんやろ。なんや、最高額の五百万まで貸しつけといて。義理も人情もなく、夜逃げやなんて、そっちのほうはよっぽど悪人なんとちゃうんか?」
歯を食いしばる。
なんというか……なにもされていないのに、胸を竹槍で刺されているような気分だ。心の裏側に、なんとなく隠し持ってた感情が揺れ動く。
誰が悪いのか。
なんで急に、こんな危ない真似しているのか。犯罪まで犯して、必死に逃げなければいけないのか。なんで、オーミが危険な目に合わねえといけないのか。
んなこたぁ、大体わかってるだけどさ……。
「わてらはな、確かに闇金やゆーて高金利で金貸しつけ取るけどやな、これは必要悪なんや。わかるか?」
「必要悪……?」
「せや。いくら世界が綺麗やゆうても、落ちぶれる奴はおる。そんで、社会さんが拾いきれんようになったヤツらを救う最底辺が、ワテらなんや。特に闇金は借金被った連中を救っとる」
「救っとる、救っとる……ていうけどだな。ただ弱者に金を見せびらかして、巻き上げるだけの寸法じゃねえかよ!」
「アホ抜かさんかいッッ!!」
鼓膜に電撃のように一直線に突き刺さる、荒げた声。さっきまでは無味乾燥な声色だったのに、豹変もいいところだった。でも、怒鳴りつけるというよりかは、憤りを隠していないと言った方が正しい。
赤黒スーツのおっさんは、少し息を吐いてから言葉を続ける。
「———お前みたいなガキにはわからんかもしれんが、闇金で救われたヤツは多いんや、自分でいうのもアレやけどな……。それにワテラも一応、これを商売でやっとる。何も、リスクだらけのギャンブルに手突っ込む物好きやない、ちゅうこっちゃ」
「つまりは、なんだよ」
「ゆうたら、ワテラは最後のチャンスを連中に与えとるわけや。悪いのは、ワテラ闇金やなくて、最後のチャンスを無下にした、負債者どもやって話や。まあ、都合いい話なんは俺も分かってるけどな」
悪いのは、負債者。
金を貸しつけてくれた恩情にこたえられずに、無下にお金を消費してしまった連中の責任。
道理にかなっているような気がしてならない。
第一、お金を借りるような境遇になってしまったのは、負債者側の責任だし。そのあとお金を借りて、返せなくなるのも負債者側の責任だし。
諸悪の根源は、負債者。
つまりは、言氏のせい。
「せやしな、ガキんちょ。いい話……ってわけでもないけどやな、ご相談頼む」
「んだよ、人撃っといてそれはないだろ!」
「大丈夫や。そりゃ麻酔弾や、殺傷性はない。それに話にのってくれたら、三秒で病院連れてく、荒治療やけど、金は要らん」
なんだよそりゃ。
彦坂とかいったかしらんが。なんでそうも、悪人面隠さずに、善人みたいに振舞えるんだよお前。頭おかしいんじゃないか。
それとも、なんだ。
本当は、こっちが悪人側だってのか? この男が言うとおりに?
「どうか、言氏千堵世の嬢ちゃんを、捕まえてほしい」
「……」
「そしたら、あんたんとこの抱えとる借金……確か、百万円はチャラにしたる。もとより、五百万失いかかってた船や。百万の赤字になるだけマシやねん、こっち」
「……乗ると思うか?」
「いや、分からん。でも、乗ってくれへんとこっちは金の回収ができへん。なんの超常現象か知らんが、あんたらがおるとどうも仕事が上手くいかんようやしな」
そこまで言って、彦坂の野郎は、へへへと不器用な笑みを浮かべた。気色悪いこそこの上ないが、自分の叔父にこんな奴がいたような気がする。それで、その叔父の笑みは確かに気持ち悪かったが、悪いものじゃなかった。
ことーじ。
ここ四年間は、ずっと言氏の世話になりっぱなしだった。
なんせ、俺らは金を稼げない。気力もないし、身分証明書もないし、社会性もないし、後ろ盾もないからだ。
それなのに、任猫家で一年間だけ家族として過ごした———それだけの理由で、俺たちの面倒を見てくれた。二十歳も超えて、そろそろ世間体とかあるだろうに、コツコツと、金を稼いで、俺たちのために使ってくれてたんだ。
そんな、言氏を売れってか?
もしも、俺が言氏に対してなんの思い入れもなかったら、間違いな首を縦に振っていた。
なんせ、この彦坂が言っていた通り、客観的に見ればこっちが悪い。
悪人を裁くのが、人間の道理だ。俚諺だし、当然。
しかも、俺たちの明日が約束されてる。
道徳観と、言氏を天秤にのせるってのか。
———でもさ。
なんか、引っかかるような気がしてならん。
言氏は確かに、コツコツとお金を稼いで、俺たちの生活費を提供してくれた。
パチンコで。
……うん?
いや…………。
うん。
ふぅー……。
「パチンコで金返そうとするやつに、金貸すわけねえだろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉがぁあああああああああああああああああッッ!!!」
喉がはちきれんとする勢いで、思いっきり叫ぶ。オッサンもさすがに一瞬、当惑したようで、何事かと一歩引き下がりやがった。
いや、あほかッ!!
お間は、マジのあほなんか!?
ああ、オーミ並みのあほなんやけど!?
「い、いや、それは言氏の嬢ちゃんの腕を見込んでやな」
「なに見込んどんねんあほかッ! パチンコに腕もクソもねええだろうがぁッ!! つか、あの寝癖頭のどこをどう見込んだら五百万も貸せるんだよッ!!」
「あ、あーもう、しゃらくさいわ! そないなん、どうでもええやんか!」
「どうでもいいって思ってるのに五百万も出せるかっての! それなのに貸しつけたの最初っから、元が取れる算段があったからなんだろッ! なぁあにがぁ、救っとるだよバカ野郎ッ!?!? 最初っから取る気満々じゃねえかよ、ニッコニコじゃねえかよ歯並び悪いんだよテメェキモイんだよッッ!!」
「がちゃがちゃ、がちゃ歯ってうるさいわ! せやかて、ワテラはほかの連中も救っとるってゆーとんやろが!」
「善人面すんなよおたんこなす野郎ッ!! そもそもなあ、善人ならなぁ、パチンコで金返そうとヤツに渡すのは金じゃなくて、ちゃんと働ける窓口じゃッッ!!」
「ぐぁ……あんな格好の電波女を働かせる場所なんてあるわけないやろがァっッ!!! つか、そんなん、面倒なんじゃあぁあ!!!」
「そこが善人と、偽善者大沼太郎ことてめーの違いなんだよッッ!! 理解したんだったら、その持ち前の怒鳴り声生かして、黙れドン太郎って名前で声優デビューでも果たしとけッッ!! それか芸人にでもなれやこんのくそやろうがあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!!!」
ぜえ、ぜぇ……。
は、吐き出すだけ、吐き出してやったぜ、この野郎。
いや、我ながら完全なる勝利。ハイ論破と、まさしく相手に吹っ掛けてやりたいところだが……。
最後のとどめは、俺が手を下すまでもないようだった。
「……このグゾガギがよぉ、調子のってんとちゃうぞォッッ!!!!!!」
とかまあ、負け犬の遠吠えよろしく放たれた絶叫は。
どでかいクラクションの渦に吸い込まれて消えていった。
「———……はん?」
彦坂の左わきから迫りくるのは、巨大な壁。
とも言い例えられる、バスの後方部。
そのまま、スタンプを押すみたいに後進してきたバスに、彦坂はどーんとぶつかって。
ぽーん。
ワゴン車のボンネットに見事ゴールイン。
「いや、やりすぎじゃね?」
とか、思ったけど、こっちもこっちで被害受けてるし、どっこいどっこいだぜ。彦坂のオッサン。
まあ、こっちのオーミは元気なもんだし、三日も漬物石みたいに安静にしてりゃ勝手に治るけどな。
「……おつかれ」
「いや、マジで疲れたわ……さっさとズラかろうぜ」
「……りょーかい」
「|ムハムハムムムムゥウ《ちょっと、置いてかないでよぉ》!!」
「分かってるわ、こんの愚妹が。てか、そのセリフ合ってる? ハムにでも転生したのか?」
いや、思ったより長かったが、なんとか夜逃げに成功した。のだろう、一応。
果たして、見つかっても逃げ切れたら成功になるのかどうか。ゲームだったら、S判定はもらえないだろうな。
でも、オーミの努力に頑張りました、って判子くらいはつけてもいいかもしれん。
もちろん、一人でこの問題を抱えていた言氏にもだ。
「……それじゃあ、再度、出発しんこー」
———ぶぅむん
今度こそ、景気よくエンジンを唸らせる子洒落たバスは、関西の中心の《《煌めきに飲まれていく》》。
そのうららかな音と、窓の向こうの夜風はまるで、後夜祭の囃子のようだった。