バレンタインデー
僕は机の中にバレンタインチョコがあることに気付き、思わず頭を抱えてしまった。周りを見回すと、男子たちが談笑していた。この中でバレンタインチョコを期待している者は一人もいないだろう。なぜならこの学校は男子校だからだ。本当ならバレンタインチョコをもらえるはずがないのだ。
いったい誰が入れたのかを考えていると、こめかみ辺りに熱い視線を感じた。顔を上げると、神崎勇気が僕のことを見ていた。神崎は去年の二学期にこの学校に転入してきた。聞いたところによると、校長が伯父さんらしい。
神崎は華奢な体で、女子のようなむっちりとした肉感をしていた。とても男子には見えない。もしかしたら僕と同じなのかもしれない。だから僕のことを見ているのだろう。必ず体育を休んでいることからも、その可能性が高いと思われる。僕も体育を休んでいるから。
それはさておき、今考えなければいけないことは誰がバレンタインチョコを机に入れたかだ。僕はいつも体育を休んでるから、クラスの男子たちに嫌われている。よってクラスの男子たちが入れたとは考えにくい。それに他のクラスの男子とも仲は良くないし、わざわざこの教室に入ってきてバレンタインチョコを机に放り込むマネはしないだろう。
第一、日本のバレンタインは女子が男子にチョコをあげるイベントだ。男子にはチョコをもらえるかもしれないという考えはあっても、誰かにチョコを渡す発想はないのではないだろうか? チョコを渡す発想があるのは女子だ。
僕はみんなにバレないようにこっそりと包装を開けた。何かしらヒントがあるかもしれないと考えたのだ。中にはカードが添えられていたが、『白波翼様へ』としか書かれていなかった。だが、カードから分かることが一つだけあった。カードの所々が黒く汚れ、字も滲んでいた。このことからバレンタインチョコを机に入れた人物は左利きだと思われる。
幸いなことに僕は一番後ろの席だから、授業中に誰が左利きなのかを確かめることができる。さすがに鉛筆までは見えないが、腕は確認できる。頻繁に腕を動かしている方が利き手と考えていいだろう。ノートに字を書くためには腕を動かさなければならないから。
そう考えていると教室の引き戸が開き、先生が入ってきた。起立、礼、着席を終えた後、先生は教科書を見ながら黒板に文字を書き始めた。僕はすぐに周りを見回した。右腕を動かしている者がほとんどの中、一人だけ左腕を動かしている者がいた。それは神崎だった。となるとバレンタインチョコを机に入れたのは神崎と考えていいだろう。
それに神崎はきっと僕と同じ苦しみを抱いているはずだ。本当に男子校で良かったのだろうかと悩んでいると思う。男として生きていいのだろうかとも思っているかもしれない。僕は選択を迫られた時、男として生きることを決意した。けれど、体が成長するにつれ、決心が揺らいでしまった。選択が正しかったのか、分からなくなったのだ。だからこそ、神崎が僕と同じだということがすぐに分かった。神崎もそのことに気付いたから、僕に好意を抱いてくれたのかもしれない。
一時間目が終わって休み時間に突入すると、僕はバレンタインチョコをポケットに忍ばせてすぐに男子トイレに向かった。授業が終わるちょっと前に急に催したのだ。バレンタインチョコをポケットに忍ばせたのはひと目の付かないところで食べるためだ。教室だと男子たちの視線が気になって食べづらい。
僕は小便器の前に立つと、すぐにベルトを外し、パンツを少しだけ下げた。勢いよく放出していると、隣に誰かが立った。何とはなしに横を見てみると、神崎だった。
「……僕の机にバレンタインチョコを入れたのは神崎だろ?」
「そうだけど、よく分かったね。名前は恥ずかしくて書いてなかったのに」
神崎はどこか照れくさそうに言った。
僕たちは男子トイレを後にすると、教室には戻らずに体育館裏に向かった。そこなら二人だけで静かに話すことができる。
「……神崎だと思った理由は添えられていたカードが黒く汚れていたからだよ。文字も擦れていたし、そうなるのは左手で書いた場合だ。授業中に確認したら、左利きは神崎だけだった」
僕は体育館裏に着くや否やそう言った。神崎は納得したかのように頷いていた。
「……ねえ、白波は僕と同じインターセクシャルだよね?」
神崎は意を決したかのように僕の目をしっかりと見て言った。インターセクシャルとは男女の性別が判別できない状態の人のことだ。特徴としては男性と女性の面を兼ね備えていることが挙げられる。戸籍は中性として登録できるようだが、僕は男性で登録している。
「ああ、そうだよ」
僕は制服を捲り上げた。巻いているさらしを外し、わずかに膨らんだ胸を神崎に見せた。これが必ず体育を休む理由だった。もし着替えたら、男子たちに胸が膨らんでいる理由を聞かれるだろう。理由を説明したら、僕はどんな目に遭うか分かったものじゃない。中学生の時、僕は最初の体育では男子の前でも着替えていた。男子に胸が膨らんでいる理由を聞かれ、僕は説明した。すると男子たちは目の色を変え、僕は犯された。それ以来、僕は体育を休むようになった。女性的な体つきになってきたのも理由の一つだ。
「胸にさらしを巻いているのも僕と一緒だね」
「神崎がくれたチョコ、ありがたく味わせてもらうよ」
「うん、そのチョコね、手作りなんだ。お口に合えばいいけど」
「手作りか、それは嬉しいね」
僕はポケットからバレンタインチョコを取り出すと、パクリと食べた。口の中に控えめでありながら、しっかりとした甘味が広がった。
「すごく美味しいよ、ありがとう、神崎」
「お口に合ったみたいで良かったよ」
神崎は嬉しそうに笑った。
僕たちはしばらく見つめ合うと、どちらからともなくキスをした。
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