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放課後、いつものようにみんなで生徒会室に向かって行く。
ノックと共に、挨拶をしながら中に入ると、アルサルミンが棚のカギあけ、そこからそれそれ必要なファイルとノートを手に取ると、二組に分かれるようにして席に着く。
その際、アルサルミンの足がちょっとふらついてしまったのは、お昼をほんのちょっとしか食べなかったせいであろう。
――夕飯は、しっかり食べなくちゃ。
風雅もかなり痩身だったが、それは小さなころからひとりでの食事が続き、自然と食が細くなってしまっていたからである。けれども、アルサルミンの場合、体質的に食べても太らない体のようである。だから、苦労せずに、女性として自慢できる、出るところは出て。だからと出すぎることもなく。引っ込むところはしっかり引っ込み。だからと、不格好なほど引っ込んでもおらず。締まるところはしっかり締まっていて、背中や二の腕やお腹などに余計なぜい肉など存在しないという、抜群のスタイルを常に維持できている状況なのである。もしかしたら、隠しステータスが関わっているのかもしれない。
いずれにせよ、そのような事情もあり、アルサルミンの食は決して細い訳ではなく、人前でこそ格好つけているが、入寮者自体が少ない上位爵位用の寮での朝食と夕飯は、人目が少ないこともあり、しっかりみっちり摂るし、自室では間食にお菓子をぱくついたりしているのであった。
それなのに、場に飲まれて、食事を必要最低限以下しか摂らない状況で逃げ出してしまったのだから、お腹が空いてしまっていて当然である。
――とにかく、今は資料をまとめることに集中しないと。
そう思い、空腹であることを忘れる方向で心掛けるよう、目の前の作業に没頭していった。
「アルサルミン、ちょっといいかな」
「え? はい。会長、なんでしょうか?」
夢中になって作業をしている最中に、不意に呼ばれたことで、アルサルミンは反応を遅らせてしまう。そのことで、慌てて立ち上がろうとしたら、足元がふらついた。
「アルサルミン、大丈夫ですか」
反射的に伸ばされてきたクレストールの腕に捕まり事なきを得たことで、アルサルミンはホッとする。
「ありがとう、クレストール」
「いいえ。大事な婚約者にケガをされては困りますから」
にこやかに告げてくるクレストールに、アルサルミンの笑顔が引き攣る。
なぜか、ここ最近。急にクレストールがアルサルミンのことを『婚約者』呼ばわりするようになったのである。
高熱を出す前は、どんなにか、アルサルミンがひたむきに『婚約者』として扱って欲しいと望んでいたことか。それにもかかわらず、そんなことを口に出して言うことができなかったことも理由なのかもしれないが、婚約者だからと特別扱いなどしてくれなかったのである。
おそらく、クレストールはアルサルミンの一途な願いを分かっていたと思うのだ。それでも、気づかない振りを貫き通していたのだと思われる。
それなのにな、現在。
――なに考えてんだか。これだから、腹の黒い人ってわからないわぁ。
警戒しなくちゃ。と、気持ちを引き締め、アルサルミンを支えるために前へ突き出されていたクレストールに腕を引いてもらいながら、アルサルミンは生徒会長の元へと向かって行く。
「本当に大丈夫? 君は頑張りすぎるから、とても助かっているけど。でもそれで、この間みたいに高熱を出して寝込んだりしたら大変だよ」
「あ、いえ。この間の熱は、そういうものではなくて……」
「生徒会の状態がこんなだから、君には本当に無理させてしまって。熱を出しても仕方がないくらい、本当に頑張ってくれていたからね」
心配なんだよ。と、アルサルミンの顔色を窺ってくる会長を、なんとか今の話題から引き離す方法をアルサルミンは探し出す。
――本当に、生徒会とは関係ないんだよ~。会長、真面目過ぎる!
セチロは責任感の塊だから、変に誤解されると、頑なになってしまうところがあるようである。
困ったなぁと思いつつ、アルサルミンは、とにかく話題を本題へ戻す努力をすることにした。
「えっと。それで、会長が私を呼んだ理由という――」
のは? と続けようとして、会長の手元のノートを覗きこもうとした矢先、足を滑らせセチロの胸元に飛び込む形で倒れ込んでしまった。
瞬間。セチロのみでなく、生徒会室の中にいる他のメンバーも凍り付く気配をアルサルミンは感じ取っていた。
――恥ずかしすぎる。
みんな、アルサルミンのドジっぷりに引いてしまったようである。そのことに、アルサルミンは羞恥から頬を赤く染めながら、謝罪を汲陽にした。
「あの。その。会長、すみません……って」
「やっぱり、君は疲れているんだよ。少し休んだ方がいい」
セチロはそう言うと、アルサルミンをお姫様抱っこするように抱き上げると、生徒会室の脇の方に置かれている二人掛け用のソファーにアルサルミンが寝た状態になるよう横たわらせた。
そこでまた、周囲の空気が凍り付いたのだが、アルサルミンは恥ずかしさの方が完全に上になっていて、そのことに気が付くことをしなかった。
「会長」
「今日は、もう。そこで休んでいてください。仕事を頑張ってくれるのは嬉しいし、努力家なのは君の美徳だと思うけど。やりすぎて倒れるのは駄目だよ」
「いえ、あの……」
そうではなくて。と、言おうとしたところで、お腹から『ぐぅぅ~』という音が鳴り響いた。
これは、公爵令嬢として、かなり礼儀作法的に問題がある事柄である。
なのだが、違う事情で耐えきれなくなったアルサルミンは、顔を真っ赤にして、両手で顔を覆ってしまった。
――愛しのサイレース様がいるのに。なんてことしちゃうかな、このお腹。
しかし、なぜだろうか。笑われるだろうはずのこの場面。アルサルミンのお腹が鳴ったことで、先ほどまでの冷却機能は解かれたようなのだが、周囲は笑い馬鹿にするどころかどこか和やかな空気を帯びていた。
「ごめんなさい。本当に、私ったら」
仕方ないので、自分から謝罪することにする。それでようやく周囲が、先ほどのお腹の音に対して反応を始めた。
「気にしなくていいんだよ、アルサルミン。それより……」
なにか食べ物はないかときょろきょろしているセチロの脇を通り過ぎるようにして、側にサイレースが寄ってきた。
「バーカ。だーから、昼めしはちゃんと食えよ。ダイエットなんてする必要ねぇだろ。それを」
「ごめんなさい」
「そうじゃなくて、お前くらい細い奴がそれ以上、どこを削るつもりだって言いてーの。なんで、女ってダイエットが好きかなぁ」
サイレースは呆れたように、アルサルミンを見下ろしながら、揶揄うように言ってくる。
そんなサイレースを前に、アルサルミンは手のひらで覆った顔をさらに赤くしながらも、頭の中はフル回転で動き出す。
――これって、サイレースが馬鹿にしてくれているんだよね?
そう思い、よっしゃー! と、心の中でガッツぽーすを決め。ここは恥じらいを持って、ちょっと気弱になりつつも、さり気に強気で。その上で、本来なら成績の問題なので、これから頑張るわ的意思をサイレースに示して立ち去るのだが、現状はちょっと違うので、これから気を付けるわ的意思表示を示して、この場を立ち去るべきだろうか。と、アルサルミンは判断を下す。
ヒロインだって、立てたフラグである。アルサルミンにだって、立てられないはずはないと、大きな期待を胸にする。
――さぁ、私よ頑張って。
と、自分を応援しながら、やっと立てたフラグを回収しようと思い、口を開こうとした矢先、ネーヴェの声が響いてきた。
「ねぇ。サイレース。お昼にあなたに渡した焼き菓子の入った袋はどこ? 返していただけますか」
「え? あぁ。返すのはかまわねぇけど。鞄の中にあるぜ」
それがどうかしたかと、サイレースの意識は完全にネーヴェに向いてしまった。
――さすがは、ライバル! やるなぁ。ちくしょう。
否。正確には、アルサルミンこそ意地悪な悪役ライバルキャラなのだが。
ただし、現在において、この世界は、ゲームをプレイしているわけではなくて、アルサルミンにとっては唯一無二の現実なのである。リセットも、やり直しもできないのだ。
――あ~ぁ。
回収し損ねたフラグを目の前に、アルサルミンは顔を覆いながら、がっくりと項垂れる。
――現実ってきびしいなぁ。
そんなことを思っていたら、急に顔を覆っていた手の一方の手首を握り取られ、軽く顔から話されると、手の中に紙袋を押し付けられた。
「アルサルミン。本当はこれ、お昼に渡したかったんだけど。なにか食欲がなさそうだから、渡しづらくて。つい、サイレースに渡してしまったの。よかったら、これ食べて」
「ネーヴェ……」
アルサルミンと視線を合わせる位置まで屈み、瞳をキラキラさせ、魅力の効力を周囲に振りまきながら、ネーヴェはアルサルミンに、本日午前中の家庭科の授業で作った焼き菓子を譲ってくれると言ってきてくれた。
――せっかく、サイレースに渡したものなのに。それを私にくれるなんて。
ステータスに優しさの数値があったら、さぞ高いことだろう。というか、もしかしたら、隠しステータスの中に『優しさ』という項目があるのかもしれない。
そんなゲーム脳的な思考による感動を味わいながら、アルサルミンは横たわっていた体を起こし、ソファーに座り直すと心からお礼を述べる。
「ネーヴェ。本当にありがとう。実はお腹が空いちゃってて」
「アルサルミンにダイエットなんて必要ありません。女の私からみても、見惚れてしまうようなプロポーションをしているのですもの。それを、ダイエットなどして却って崩してしまったら勿体ないですよ」
「やだ。恥ずかしい。でも、褒めてくれてありがとう」
男だったらセクハラ発言で即アウトなことも、女同士ならすんなりと受け止められてしまう台詞の不思議さ。そんなものを味わいながら、アルサルミンはネーヴェに勧められるまま、紙袋を開け、中から焼き菓子をひとつ取り出した。
「とても上手に作れているのね。うらやましい。すごい器用なのね」
「そんな。家にいたころ、時々お菓子を作っていたりしただけですわ」
照れた仕草でアルサルミンの言葉を受け止めるネーヴェであるが、実際にステータス上の器用度がめちゃくちゃ高いのは、風雅が上げたのだから、織り込み済みのことである。
つまり、謙遜しているだけなのだ。
――でも、たしか最初の家庭科の授業では、ネーヴェはお菓子作りを失敗してしまうのよね。たしか。
どんなに鬼畜な高さの器用度をもってしても、確定しているストーリーには逆らえないのである。
それに関わってきたキャラクターがいたはずである。
――だれだったっけ?
まぁ、今考えても、空腹で頭が回転しないだろうから、無駄なことよね。と、アルサルミンは焼き菓子を少し控えめに一口頬張る。
「美味しい」
「よかったぁ。アルサルミンのお口に合わなかったらどうしましょう、って思って。心配だったの」
「そんな心配する必要なんてどこにもないわ。見ただけで、すごく美味しいことが伝わってくるもの」
「アルサルミンにそこまで言ってもらえるなんて、幸せです」
ネーヴェはそう言うと、ゆっくりとと立ち上がり、セチロの方へ向き直る。
「お茶、アルサルミンに入れてあげてもいいでしょうか?」
口調がほんのりきつく感じるのは気のせいだろうか。
――ヒロインなのに、めずらしい。というか、そういえば、ヒロインが頑張りすぎて、倒れちゃうっていう場面が、そういえばあったっけ。
その時のセチロの慌てぶりもだが、ヒロインを抱きかかえてソファーに横たえさせた時のシーンは、現状に若干被っているかもしれない。
――まぁ、でも。セチロルートなんて私には関係ない訳だし。心配なのは、やっぱりネーヴェの方よね。既にセチロルートの入り口に入っちゃっているんだから。
脱出方法をおもいだしておかないとね。と、そんなことを思いながら、お菓子をさらに二口三口と頬張って行くアルサルミンは、事の成り行きを黙って見守る。
ネーヴェの口調の微妙な変化に気づかないセチロは、緩やかな笑みを零して「どうぞ。入れてあげてください」とネーヴェに答える。
それを機に、ネーヴェは生徒会室の片隅にあるミニキッチンの前に行くと、やかんにお湯を入れ、コンロのような機材の上にそれを置くと、火をつけることなく、両手をやかんにかざして、一瞬でお湯を沸かしてみせた。
どうやら魔法を使ったようである。
――さすが、頑張って上げただけあるよねぇ。って言っても、お湯沸かすために上げたんじゃないんだけどさ。
火の魔法を元にした、熱を加える魔法なのだろうか。
ゲーム内では見なかった魔法である。
――なんでもありだな。さすが、ゲームの世界とはいっても現実となると、キャラの中に個性が芽生える訳だから、色々とゲームと違うことが起こるよね。
そんなことを考えながら、ネーヴェが入れてくれたお茶を受け取り、「ネーヴェ、なにからなにまで、本当にありがとう」とお礼を言ってから、ソファーのすぐ傍らにある丸い小さなテーブルに、いったんお茶を載せる。
その間、男性陣はだれもなにも言葉を発せず、ただアルサルミンを見つめているという感じであった。
――この視線って、やっぱり馬鹿にしてのものなのかな。
明日は、クレストールに怒られたりするのだろうか。とか考えながら。気にしても仕方がないかと、焼き菓子のひとつをぺろりと平らげたアルサルミンは、改めてネーヴェの入れてくれたお茶を手に取ると、ゆっくりとお茶を堪能したのであった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。