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3人に手伝ってもらうようになって、1週間。時間が経つのは早いというが、それは本当だと、アルサルミンは実感していた。
しかも、3人とも頭がよく、理解力や判断力があることから、仕事もてきぱきこなしてくれて、戦力として申し分ない。というより、想像以上の働きをしてくれていた。
特に、ネーヴェとサイレースが手掛けているのは、初めて作る資料である。なぜにネーヴェに依頼したかというと、彼女のステータスや隠しステータスに期待していたからなのだが、それでも多少の心配はあったのだ。けれども先日覗いてみたら、悪戦苦闘の跡はあるものの、かなり試行錯誤してくれたようで、かなり見やすく便利にまとめてくれそうな様子であることが伺いとれた。
あれなら、心配などする必要はないだろう。
さすがはネーヴェ。恐ろしいほどの実力の持ち主である。敵ながら天晴。などとアルサルミンは思ってしまったほどである。
――付け入る隙がないっていうか。これじゃあ、悪役ライバルキャラとして一肌脱ごうとおもっても、私のみみっちい僻みにしか聞こえないよね。
個人的にはそんなことする気はないが、セチロルートの回避とか、クレストールとくっついてもらうのに必要だというのなら、そのためのフラグ立てにやらなければならないこともあるだろう。その時は頑張って悪役になる心積もりはあるのだが、果たしてネーヴェ相手にどれほどの効果が得られるのか。それがとても不安である。
そんなことを考えながら、アルサルミンは今日も昼食をひとりで食べていた。
少し距離をおいたところでは、元アルサルミンの取り巻きであった、現ネーヴェの取り巻きとなっている乙女たちが華やかな賑わいをみせている。
もちろん、視線があったりしたら乙女たちにどんな噂話をされるかわからないので、彼女たちには背を向ける位置にて、食事を進める。
――それにしても、入学してきて未だ1週間ちょっとだっていうのに、すっかりクラスのリーダー的存在になっちゃって。さすがっていうか。
カリスマ的には、ネーヴェと張り合うクレストールだが、王族という特殊な存在であることから、みんなに畏敬の念で見られていて、クラスに溶け込むことのできないクレストールには、リーダは向いておらず。また、本人的にも学園を支配するつもりも、クラスを支配するつもりも、全くないようで、そういうことには興味なしといった感じで始終振舞っていたので、彼にそういうものを求める者も特にいなかった。
だから、これまではアルサルミンがクラスをまとめてきたのだが、ネーヴェの出現により環境ががらりと変わって、いつの間にか、気づけばネーヴェがクラスのリーダー的存在になっていたのである。
――まぁ、いいんだけどね。
アルサルミンがクラスのリーダ的存在だったのは、高熱を出す前までのこと。つまり、前世の記憶を取り戻してからは、そういうものに一切の興味が無くなってしまったアルサルミンにとっても、都合のいいことであった。
――しかし、私って本当に人付き合いってものが下手なんだなぁ。
前世でも、ぼっち。今世でも、ぼっち。来世も、このままでは、ぼっちになりそうである。気の毒なことに。
そんなことを思いながら、ちぎったパンを口元へ運んでいる途中、目の前の席にトレーが置かれた。
「あら、昼食これからなの?」
毎日ではないが、2日に一度くらいの間隔で、昼食に付き合ってくれるようになったサイレース。よほど、それまで大勢の中で威張っていたアルサルミンが、ひとりで食事している姿が哀れに見えるようである。
これが、サイレースでなければ、余計なお世話というところであるが。サイレースは別である。彼ならいつでも大歓迎というのが、アルサルミンの考えなのだ。
なんと言っても、最愛のイチ推しキャラなのだ。ここで歓迎しないでどこでするという感じである。
もちろん、顔には出さないよう、細心の注意を払いはするが。
「サイレースって、昼食を摂る前になにかしてるの?」
「いや。べつになにもしてねぇよ。っていうか、遅く来る方が、人が少なくなって静かだろ。って、今じゃそうでもねぇけどな」
そんなぼやきをしてみせるサイレースの視線の先には、ネーヴェを中央に集まる乙女たちの姿があるのだろう。アルサルミンは背を向けているので、見えないのだが。
けれどもそれには触れることなく、アルサルミンは言葉を続ける。
「私が見た限り、早くても遅くても、あまり変わりないように思えるよ」
「ふーん。そうなんだ」
フォークを手に取り、サラダを頬張りながら、サイレースは返事をしてくる。
公爵家のご子息としては、かなり行儀の悪い食べ方となるだろう。でも、爵位に捕らわれない行動を好んで取る、みたいなそんなところもいいのだと、アルサルミンはうっとりしてしまう。
「あぁ。そういやさ、女子の午前中の授業で……」
「え? 家庭科のこと?」
「そうそう、それそれ。それで、なんか菓子を作ったらしいじゃん」
「あぁ。これね」
渡す人がいないので、放課後生徒会の作業の合間に、今日はお茶の時間を入れ。その時さり気にお茶請けとして出そうと思っていた焼き菓子が入った袋を、アルサルミン手に取ると、サイレースの方へ見せるように軽く出す。
「それってさぁ、クレストールに渡すのか?」
「え? まさかぁ」
突然の質問に、アルサルミンはあっさりと否定した。
「以前、渡そうとしたことがあったんだけど。甘いものは好きじゃないからって、断られたからね。以来、クレストールには渡そうとか思ったことないよ」
「そうなんだ。なんか、あいつらしいな」
「でしょう。仮にも婚約者からのプレゼントだよ。それも手作りの。形だけでも受け取るよねぇ」
「って。なに、お前ってばクレストールに手作りの菓子を受け取って欲しいわけ?」
「え? いや。べつに。ただ、あげる人がいないから」
寂しい人間なんだよ、前世の風雅もだけど、現世のアルサルミンも。そう思いながら答えたら、サイレースが不思議そうな顔をした。
「お前の手作りなら、欲しがる奴、結構いるだろ」
「まっさかぁ。取り巻きの乙女たちからも、あっさり見捨てられた女よ、私って」
「それと、これとは……」
「やだなぁ、気を使ってくれなくてもいいよ。っていうか、同じ気を使ってくれるなら、これもらってよ」
アルサルミンは冗談半分を装い、焼き菓子の入った紙袋を、サイレースの方へ差し出した。
「ふーん。じゃあ、もらってやるか。気の毒なアルサルミンのお願いだしな」
「ありがとう」
本当に食えるんだろうな。といった様子で、手にした袋をじろじろ見ながら、それでももらってくれたサイレースに、アルサルミンは心の中で諸手を挙げて喜んでいた。
――今日はなんてラッキーな日なんだろう。
そんなことを思いながら、口に入れ損なっていた、ちぎったパンを口にする。
そして、胸がいっぱいで食事が喉を通りそうにないよー。なんて思っていたら、乙女たちの集団から抜け出すようにして、ネーヴェがアルサルミンの元へやってきた。
「実は、みんなから午前中に作った焼き菓子をたくさん貰ってしまって、私の分まで手がまわりそうになくて。よろしけれ――」
ば。と、ネーヴェが続けようとしたところで、アルサルミンの作った焼き菓子がサイレースの手の中にあることに気づいてしまったようである。
「あら。サイレースは甘いものは大丈夫なんですか?」
「え? あぁ。好きな方かな」
急な話の展開に、驚きながらも、サイレースは正直に答える。
――そうなのよ。そうなのよ。口が悪くて不愛想で意地悪なんだけど、甘いものが好きなのよね。
サイレースの親密度を上げるアイテムの中で、一番安いお手頃価格で買えるのが手作りクッキーであった。安い分、効果も低いが、値段的都合でサイレース用のアイテムの中では一番売れていたのではないだろうか。
そんなことを思いながら、なんとなく2人のことを眺めていたアルサルミンであったが、意外なネーヴェの行動に言葉をなくした。
「そうなんだ。じゃあ、これも貰ってくださる」
そう言うと、サイレースの返事も聞かずに、サイレースの手に押し付けるよう、ネーヴェは焼き菓子の入った袋を渡してしまう。
――えっ。これって……
2人の親密度はすでに100%だが、手作りクッキーの効果同様に、2人の関係の発展に一役かうのではないだろうか。と、アルサルミンは不安になっていく。
夢の時間は終わりを告げた。そんな気分である。
「えっと、それじゃあ。私は食事がおわったので……」
「は? 未だ全然残ってんじゃねーか。ちゃんと食わねぇと夕方までもたねぇぞ」
「大丈夫よ。ちょっとダイエットしてるの。気にしないで」
女は大変なのよ。と、言外で伝えながら、アルサルミンは速足でその場を後にした。
親密度100%。しかも、最近は2人で一緒に作業をしている仲である。最初こそ、サイレースは興味ないようなことを言っていたが、ネーヴェの鬼畜な高さの魅力にまいってしまった可能性は、とても高いと思われる。なんといっても、ネーヴェには魅了という隠しステータスがあるはずなのだ。しかも、イベントで一位を獲得した暁の賞品である、それなりに数値が高いだろう。
そんな事情で、テーブルのところに残してきた形の2人の会話が、あれからどんなものになったのか、気にはなるけど聞くのが怖くて、急いで食堂から出ていくと、アルサルミンは教室へと戻って行った。
他に行くところが思いつかなかったのである。
そして、いつも通り、いつどこで食事を済ませているのか不思議でたまらないクレストールが、小難しそうな本を読んでいるのを視界の隅に留めながら、自分の席に腰を落とした。
「ねぇ、アルサルミン」
「え? なに?」
座ると同時に掛けられてきた声に、驚くようにして、アルサルミンはクレストールの方を見る。
「どうかしたの?」
「いえ。午前中の授業で、女子は家庭科で焼き菓子を作ったと耳にしたもので」
「うん。作ったよ」
「持っていないようですが?」
「だって、クレストールって甘いの嫌いでしょ。前、そう言って受け取るの拒んだじゃん」
「そんなこともありましたっけ」
惚けるように呟くクレストールへ、アルサルミンは笑いながら肯定する。
「あったよう。やだなぁ、忘れるなんて。けっこう、あのとき、ショックだったんだよ」
前世の記憶が戻る前のアルサルミンが、であるが。
そんなことを思いながら、用事はそれだけ? と言いたげにアルサルミンがクレストールから視線を外そうとしたら、ゆっくりとした動作で伸ばされてきた手のひらに、アルサルミンの頬が捕らえられた。
「それは、本当に申し訳ないことをしてしまったね。それで、今日作った焼き菓子はどうしたのですか?」
「どうしたって。甘いものが好きなサイレースにあげてきたよ」
そのあとすぐ、そんなアルサルミンの行動を打ち消すようにして、ネーヴェがサイレースに焼き菓子を手渡してしまったのだが。
それを思い出すと、悲しくなってくるのだが、まさか泣くわけにもいかないのでぐっと我慢する。
そんなアルサルミンの努力の賜物か、クレストールにはアルサルミンの心の中での葛藤は届いていないようである。
「ふーん。サイレースにね」
「それがどうかした?」
「今度から、家庭科で作ったものは、君の婚約者である僕に持って来てくださいね」
「え? でも、甘いのが嫌いだって言うのもあったけど。そもそも、手作りのものが苦手なんでしょ。それで受け取り拒否したんじゃなかったの」
どこか機嫌が悪そうなクレストールへ、アルサルミンは前世で興味がなかったためにほとんど調べることをしなかったクレストールの数少ない情報を口にする。
「それは、どうでもいい女性たちが押し付けてくるものに対してですよ」
「そうなの?」
どうでもいいという表現はどうかと思ったが、腹黒い面をもつクレストールらしい表現ではあると思い、そこはスルーすることにした。
「じゃあ、やっぱりダメじゃん。それに、私、料理とかってそんなに得意じゃないし。それをクレストールに押し付けるのは悪いしさ」
なんといっても、王族である。口が肥えているだろうクレストールに、子供の遊びに毛が生えた程度の家庭科の授業で作ったものを渡すのは、却って失礼と言うか。馬鹿にされるのがオチなので、したくないというか。
――そもそも、馬鹿にされるならサイレースでないと。
でないと、フラグが立たない。と、アルサルミンは要らぬことを考え出してしまう。
そのことを察したように、頬に宛てられていたクレストールの手のひらに、若干力が籠められ、顔の向きをクレストールと真正面から向き合う位置に変えられた。
「君は、僕の婚約者なんだから、他の女性とは全然立場が異なるんですよ」
「は……はぁ」
「それに、手作りが苦手って。僕が口にするのは、必ず誰かしらの手により作られたものなのですから、誤解がありますよ」
「まぁ、それはそうだよね」
アルサルミンの発言を、一つ一つ訂正していくようにしながら、クレストールはアルサルミンに、これでもかというような笑みを浮かべてみせる。
「とにかく、次回から。君の作ったものは、婚約者である僕にくださいね」
わかりましたか。と、念を押すように言われてしまい。見えない迫力に負けるようにして、アルサルミンは頷くしかなかった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。