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ようやく訪れた放課後。
相変わらず、ネーヴェの周囲は華やかで賑やかな乙女たちの声で満ちていた。
けれども、それには関わらないと決めたので、アルサルミンは気にすることなく帰り支度をする。
「今日は、生徒会はないのですか?」
「あるよ。これから行くところ。会長ってば、来るの早いから。今頃はもう席に座って仕事しているかもしれないなぁ」
過去の情報から洗い出した事柄を、さも当たり前のような口調にて告げると、アルサルミンは明るく笑う。
「じゃあ、クレストール、今日はこれで。また明日!」
「そうですね、それじゃあ明日。といっても、僕も誘われるまま、入っておくべきでしたね」
さようなら。と、言い合い、席を立ちクレストールから離れて行く途中、クレストールの呟きがアルサルミンの耳に飛び込んできた。
――聞かなかったことにしよう。
そうしよう。と、なにを考えての発言なのかも分からなかったこともあり、触らぬ神に祟りなしの精神で、なにも聞こえなかった振りをして、意図してクレストールの方へ振り返ることなく教室を後にすると、生徒会室へ向かって行った。
「会長、遅くなりました」
到着すると先ずは扉をノックして、声を掛けながら、アルサルミンは生徒会室へ入室する。
窓に背を向ける形で設置されている、少し大きめの机が生徒会長用のものなのだが、そこにはすでに生徒会長であるセチロ・フリーオが席についていて、生徒会の仕事をしていた。
年齢は15歳と、アルサルミンと同学年ながら、上級生を退けるかたちにて今期の生徒会長に全生徒から選ばれた、責任感のある非常に真面目な努力家である。その上、気遣いのできるやさしい人でもある。そんなとてもよくできた人物なのだ。しかも、美形で頭も良い。
ここまで好条件が並んでいれば、言わなくても分かるだろうが、セチロは『Eterrnal Love』における、ヒロインのお相手キャラのひとりである。
セチロを落とすには、ヒロインのネーヴェが試験で一定以上の成績を取り、この学年である内にできるだけ早く生徒会の役員になることが、大前提となる。とはいっても、選挙での選出ではないため、あくまでも仮の役員なのだが、その辺は乙女ゲームのシナリオ上の都合によるものなのだろうとは、どうでもいい話しである。
いずれにせよ、良い成績を取るためにはステータスの知性の値が高い必要があり、初期段階で落とすのは結構難しいが、課金総額により定められたレベルに対して設定されている恩恵は常に得られることはもちろんのこと、ミニゲームをクリアすることで得たステータスの加算分や課金にて購入したプレゼントを贈ることで得た親密度。イベントで手に入れたアイテムにて得られる隠しステータスの数々はそのまま次の巡回にも引き継がれる形だったので、数回やれば簡単に生徒会役員になる条件を満たし、15歳のうちに生徒会役員になることが可能となっていた。その後はそのまま流れに乗っておけば自然に生徒会長のセチロルートに突入していくので、落とすこと自体は簡単だったように記憶している。
断言できないのは、一度しか落としたことがないからである。
――まぁ、私には関係のないことだしね。
前世の記憶を取り戻すまでのアルサルミンにとっての副会長という座は、権力の象徴であり。できる女を誇示する手段のひとつであった。クレストールの婚約者としても、ふさわしくあるべく。他人から見て、恥ずかしくないよう、後ろ指をさされることのないよう、アルサルミンなりに自分磨きをしていたことが伺える一面であろう。
対して、前世の記憶を取り戻した現在のアルサルミンとしては、セチロは攻略対象外の上に、サイレースを攻略するのにもまったく関わりのない人なのである。よって、目の保養にはなるが、得点はそれくらいで、他に利点のないセチロはアルサルミンにとって接する必要性を微塵も感じさせない相手であった。
けれども、副会長という役目柄そうもいっていられない環境なので、セチロは頭も性格も良い人だし、これからはいい友達として付き合って行こうと割り切っていた。
ただし、正直に言うと、副会長という座は、自分に向いていないと思っている。それでも、既に副会長の座に就いてしまっていたので、こればかりはどうしようもないという感じであった。
そんなことを考えながら、アルサルミンは生徒会長の机とは90度ほど内側に向きを変えた、位置的には右側となる席に腰を落とす。
「体の方はもう大丈夫なのでしょうか? かなりの高熱だったと聞いているのですが」
手を休め、わざわざアルサルミンの方を見つめながら、セチロが問いかけてくる。
どうやら心配してくれていたようである。
――設定どおり、本当にいい人なんだなぁ。セチロって。
そんなことに素直に感動しながら、セチロの整った顔を見返して、アルサルミンはありのまま正直に応えることにした。
「はい。もう、全然元気になっちゃって。ネジが一本飛んじゃった感じです」
前世の記憶が戻ってしまった現在、公爵令嬢としての言動を維持するのが難しくなってしまったことで、クレストールの前でも、サイレースの前でも、ネーヴェの前でも、既に大きな猫を背負わずに接してしまっている現状、セチロに対してだけ猫を背負ったところで意味がないと。まぁ、つまるところ、開き直ってしまった訳である。
「ご心配おかけしました」
「元気になられたのでしたら、よかったです」
引くかと思ったら、そんなことはなく。もしかしたら、アルサルミンの言動が大きく変化してしまったことや、取り巻きの乙女たちが途中入学してきた平民のネーヴェに心移りしてしまい、誰も傍にいなくなってしまったこととかが、既に学園の間で噂になっているのかもしれない。
心優しいセチロはなにも言わないが、アルサルミンの言動に対して無反応なところをみると、おそらくそんなところだろう。
「驚いたりしないんだね」
「アルサルミンであることには変わりありませんし。俺は元々、取り巻きとかに関しては個人の自由だと思いますが、錯覚を起こしやすいものですし、決して好ましい関係ではないと思っている方なので」
「そうだったんだ」
「えぇ。ですから、ある意味、今のアルサルミンの方が魅力的に見えますよ」
「ありがとう」
お世辞も上手だなと思いつつ、素直にお礼だけ言っておく。ただ、これ以上無駄な話を続けるのも気が引けて、アルサルミンは室内を改めて見渡す。
「今日も、先輩方って来ないのかなぁ」
「たぶんですけど、来ないでしょうね。先輩方にとっては、俺が生徒会長になったのが、かなり気に入らなかったみたいですから」
「だよねぇ。私が副会長になったのも嫌だったみたいだし」
これまでの通例からすると、最高学年の生徒が生徒会長に。副会長はその下の学年の生徒がなるものとされていた。それが、さらにその下の学年であるセチロとアルサルミンが生徒会長と副会長に当選してしまったのである。上級生としては面白いはずがなく、顔を潰されたといった気持ちもあるようで、下級生の下で働けるかと行動で訴えるように生徒会室に来なくなってしまったのである。本当に困ったことに。
「だれか、手伝ってくれる人がいるといいのですが」
「そうだよねぇ」
「って。そういえば、アルサルミンのクラスに途中入学してきた子の、成績がとても良かったらしいって。けっこう評判なんだ。平民の子だけど、快活で、入学したてなのに人気もあるみたいだし」
最後の方は、ちょっと言いにくそうにしながらも、いいことを思いついたのではないかといった表情で、アルサルミンに向けて提案してくる。
「どうかな? 彼女を誘ってみてくれないかい?」
「えっ……」
まじめな表情で頼んでくるセチロに邪気がないのはわかるのだが、アルサルミンは戸惑いを覚える。
――ちょっと、これはさすがにまずいんじゃないの?
仮に、ここでネーヴェを生徒会に誘ったら、ガッチガチに強化してあるネーヴェのことだから、なんの問題もなく生徒会役員の助っ人として役に立ってくれるだろう。周囲の信頼も、そう時間を掛けずにえることができるだろう。
でもそれを機に、セチロルートにでも突入してしまったら、それこそ大変である。大事なことなので何度でも言うが、セチロルートへ突入するフラグというのが、ネーヴェが生徒会役員(仮)になることなのだ。
妙案だと思っているらしいセチロには悪いが、これはさすがにアルサルミンにとって予定外な話の運びであった。
――それに、うっかりしていたけど。風雅のプレイした効果が今のネーヴェに反映されているってことは、風雅が思う存分に投資した課金分の恩恵も受けている可能性って、高いよね。
なにも考えずにいたので、気づくのが遅れたのだが。風雅がゲームに費やした時間とお金という努力がネーヴェに反映されているのならば、課金総額によってなされる恩恵の効果。つまり、ゲーム内では最高レベルの恩恵の効果だって反映されていておかしくないのだ。そう考えると、本日の昼間のネーヴェの行動力を振り返ってみると、あれは行動力∞の効果だったように思えてきた。そうなると、親密度の上昇値だって通常の2倍という効果も発揮されることだろう。
――それって、かなりまずいよね。
風雅が上げていなかったクレストールとの親密度が、その恩恵で、ジャンジャン上がってくれるとするならば、それはとてもありがたいことだが。それが他に向いてしまった場合、恐怖でしかない。
そのことで、返事を躊躇していたら、セチロが残念そうにほんのり項垂れた。
「そうですよね。入学したてて、未だこの学園に不案内の状況の中、突然誘ったりしても、いい返事がもらえる訳ありませんし。なにより、アルサルミンは彼女に声を掛けにくいでしょうから……」
やはり、元アルサルミンの取り巻きであった移り気な乙女たちの噂は、それなりに広まっているようだ。
それもそうだろう。それまでアルサルミンを取り囲んでいた乙女たちが、本日の食堂では、堂々とネーヴェにまとわりついていたのだ。しかも、今までひとりで行動したことのなかったアルサルミンはというと、取り巻きのひとりも連れずに、孤独に食事をしていたのだ。噂にならないわけがない。
そんな事情からか、同情するような瞳で見つめられてしまい、アルサルミンは慌てて訂正を入れる気分で口を開いた。
「いえ。彼女とは和解して友達になったし。明日にでも、話をもっていくだけでいいなら、誘ってみましょうか?」
断られるのが前提ですが。と、思わずセチロのお願いを、アルサルミンは承諾してしまった。
――だって、しょうがないじゃんか!
アルサルミンは、自分の行動に対し、言い訳するように心で叫ぶ。
本当なら、ここでアルサルミンがい言うべき台詞は「でも、彼女平民ですよ。生徒会にいれちゃっていいんですか?」的なものであるべきなのだ。
でも、それを言えないのは、彼女が非常に有能であることを知ってしまっているからである。
そんなアルサルミンの心の葛藤を知らないセチロは、途端に表情が明るくした。
「お願いするよ。ひとりでも多く、手伝ってくれる人が欲しいんですよ。試験の後は、行事が控えてますからね」
「あー。そうだったっけ」
試験の後には、娯楽イベントが控えているのだ。貴族とは、着飾って、お茶飲んで、おしゃべりして、ダンスを踊って、友情や恋の花を咲かせるのが大好きな生き物なのだ。それでもって、サプライズとか、ド派手なことも大好きなのである。
そしてなにより、学園においてであるが、他人頼りなところがあった。
これが社会に出ると、己が主催者となってパーティを開くのがステータスのひとつとなるので、我が我がとなるのだが。学園ではその必要がないので、しなくていい苦労をわざわざ買ってまでする気のない貴族たちにとって、生徒会は便利な働き手となるのである。
つまり、この学園にいる限り、生徒会がその任を進んで買って動いてくれていると思われているので。役員としては責任重大なのであった。
「確かに、手伝ってくれる人って必要ですよね」
現実を目の前に、背に腹は替えられぬと、アルサルミンは考えを改め始めた。
――セチロルートって、確か途中で抜ける方法があったはずなんだよな。
たとえ発生して順調に進んでいても、途中で切り替えができたはずなのだと、アルサルミンは記憶を辿る。
しかし、すぐには思い出せず。
――ダメだ。今夜にでもゆっくり考えよう。
今すぐでなくていいのだ。思い出せれば、それでいいのである。
それより問題なのは、本来生徒会役員の下位役員にしかなれない学年のセチロが生徒会長の代で、イベント事に失敗することである。副会長のアルサルミンとしても、可能な限り避けたいところである。
失敗して、名前に傷がつく程度なら構わないが。生徒たちから後々嫌味を言われたり、見下されたり、冷たくあしらわれたりするのは、避けたいと思って当然だと言いたい。
「分かりました、ちょっと頑張って誘ってみます」
ネーヴェの戦力は、色々な面で、非常に期待できるものである。ここで逃すのは得策ではないと、アルサルミンは心に固く誓いを立てる。
そして、明日は頑張ってネーヴェを口説き落とすぞと心に決めたことで、気持ちも切り替わり、ようやく生徒会の仕事をしなければという思いが湧き上がったことで、本日の作業のための資料を後ろの棚から取り出した。
同時に、セチロも先が見えたことで安心したのか、再び先ほどまでの作業の続きを開始した。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。