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 生徒会主催のダンスパーティが無事に終わった日の翌日。

 ほとんどの生徒が自宅へ帰って行く中、生徒会長のセチロを筆頭に、みんなは後始末のために昨夜の会場となる大ホールへ向かっていた。

 痛む足を引きずりつつ、根性で意地でも自分で歩くと訴えたアルサルミンであったが、途中で、その歩みの遅さに見かねたらしい、何故か本日もメンバーに加わっているアタラックスに抱きかかえてもらう形で、会場に到着した。

「重たかったでしょ。本当にごめんな――」

「重くなんかありませんでしたよ。それに、ここは『ありがとう』という言葉の方が適切ですよ」

 アルサルミンの言葉を途中で遮るよう、アタラックスはにこりと笑って話しかけてくる。

「でも、私、すごく重いって。だから……」

「アルサルミン! そんなことを気にして、昨日は元気がなかったのですか。私が見た限り、アルサルミンは細い方ですよ。あの細さでそのスタイルを維持しているなんて、女性としては嫉妬したくなるくらいでしたから」

 にっこり微笑み、ネーヴェがアルサルミンの頬を両手で挟み込むようにして、まっすぐ見つめながら、ゆっくり言い聞かせるように告げてくる。

「安心してください。私は親友のアルサルミンを相手に、見え透いた嘘は吐きません。私が言っていることは、私が思ったことであり、一般的に見て真実だと思うからです」

「そうですよ。抱いていて感じたことですが、昨日のネーヴェとほとんど変わりませんでしたよ」

 からりとした口調で、アタラックスも言葉を添えると、どこからともなく持ってきた椅子をアルサルミンの脇に置く。

「ネーヴェの足は、いかがですか?」

「きちんとアルサルミンが手当てしてくださったので、今日ははもう平気です。それに、いつもの靴にもどりましたし。痛まずすんでます」

「それはよかった。では、アルサルミン。あなたはここで座っていてください。ここなら誰の邪魔にもなりませんから」

「ありがとう」

 ネーヴェとアルサルミンの2人に同じくらいの気を遣い、その後、ネーヴェを連れて、すでに後始末の処理をしているみんなの元へ向かって行くのを、アルサルミンは椅子に座って見守っていた。



 やることがないということは、とても暇なことである。

 大ホールや個室になされた装飾や、ビュッフェコーナや飲み物を作るための場所などの片づけは、飾りつけや設置を任せたお店の方でやってくれることになっていて、今日もお店から派遣された人々が動きまわっていた。そんな中、それぞれきちんと元に戻されているかとか、配布した飲み物係の服を洗濯に出さなければならないので、数の確認。その他諸々を、生徒会長のセチロを中心にして、助っ人のみんなが忙しく動いてくれている様子を眺めながら、アルサルミンは運動も兼ねて、背もたれに寄りかからないよう背筋を伸ばし、脚をしっかり閉じ。姿勢を正した状態を維持する格好で、椅子に腰かけていると、みんながアルサルミンの方へ小走りで戻ってきた。

「そろそろお昼にしませんか? 本当は、今日は昼食が出ないので、学園の外へ買い出しに行くようだと思っていたのですが、ネーヴェがみんなの分のサンドイッチを作ってくれたそうで。それをみんなでいただくことにしました」

 アルサルミンに添うような位置に立つと、クレストールがネーヴェの方へ軽く視線を向けながら、説明をしてくる。

 そこで、はじめて、もうそんな時間なのだとアルサルミンは気が付いた。

 いつもなら、お腹が空いて、言われる前に気づいているところであったが、昨日のショックがまだ抜けていないようである。

「ごめんなさい。本当に、お腹が空いていないの。みんなで食べてきてくれる?」

「アルサルミン。君は未だ、そんなことを……」

「クレストール、今はきつく言うのはダメよ。アルサルミン、本当にお腹が空いていないなら仕方ないですよね。もし、食べたくなったら、控室にいらしてください。そこで食事をしてますので」

 責めるような口調で言葉を綴り始めたクレストールを制するよう、いつもなら率先して食事を推奨するだろうネーヴェが折れるように、アルサルミンに告げてくる。そして、再びあるアルミンが「ごめんなさい。ありがとう」と小さく述べると、ネーヴェが軽くアルサルミンを抱擁し、みんなを連れて控室の方へ行ってくれた。

 おそらく、同じ女性として、察してくれているのだろう。

 本当に、なにからなにまで、細やかな気遣いが痒いところまで届く女性だと。ネーヴェのことを尊敬してしまう。

 隠れステータスに『気遣い』なんて項目があるとしたら、それはとても高い数値なのではないかと、アルサルミンは思ってみた。

 そんなことを考えながら、お腹をきゅっと引き締めるようにして、姿勢を正し座り続ける。

 元から、公爵令嬢として、姿勢を正すよう教育されてきたこともあり、それ自体は苦ではなかった。ただ、運動のひとつとして行っている今、これがどれだけ効果があるのかが不明で、いったい自分はなにをしているのか分からなくなっていくことに、悲しみが溢れてくる一方であった。



 ゆっくりと足を引きずりながら、アルサルミンは控室の方へ向かって行く。

 ドアをノックして、「失礼します」と言いながら、ノブを回して扉を開くと、会話を弾ませながらネーヴェの作ったサンドイッチをみんなで食べている最中であった。

 そんな中、最初にアルサルミンの存在に気が付いたのは、サイレースであった。

「お! 食う気になったのか?」

 こっち来いよ。と、たまたま隣の席が空いていたことで、サイレースが陽気に声を掛けてくる。けれどもそれを否定するように、アルサルミンは小さく笑みを零して返すに留めててしまう。

「ごめんなさい、食事中に」

「そんなの気にしなくてかまいませんよ。それより、どうかしたのですか?」

 様子がおかしいと思ったクレストールが、心配そうにアルサルミンを見てくることに罪悪感を覚えながらも、アルサルミンは言葉を続けることにした。

「あの。足を挫いちゃってて、今日の私は全然役に立てないから。部屋へ戻っていようと思って。かまわないかな?」

「ひとりで、退屈でしたか? 椅子の場所が悪かったですよね、すみませんでした。さっきは深く考えずに、たまたま空いていそうだったあんなところに椅子を置いてしまって。午後はこちらの方へいるといいんじゃないでしょうか? みんな動き回ってはいますが、拠点はここですから、誰か彼か出入りしてますので」

 いつの間にか生徒会の助っ人のひとりに加わっていたアタラックスが、申し訳なかったと謝罪しながら、ひとつの提案をしてくれる。けれども、それをアルサルミンは首を振ることで拒んでみせた。

 その様子から、引き止めるのは無理だと察したネーヴェが心配そうに聞いてきた。

「戻るのはかまわないと思うのですが、その足です。ひとりでは無理なのではないですか?」

「じゃあ、僕が――」

「それなら、俺が――」

 クレストールとサイレースがほぼ同時に、アルサルミンの帰宅に同行すると立候補してくれたのだが、アルサルミンは最後まで言葉を言わせる前に口を開いた。

「ゆっくり歩けば、大丈夫だから。みんなはゆっくり食事を続けてほしいな。午後も後始末の仕事があるんだから。こんな時に怪我なんかしちゃって、本当にごめんなさい」

 役立たずで、申し訳なさ過ぎて、いたたまれないのだ。そのことを口にはすることをできなかったが、みんなそれぞれに、アルサルミンの抱いている感情を感じ取ってくれているようで、それ以上は何も言わずにいてくれる。

 そして、「それじゃあ、明日」と、口々に挨拶をして、アルサルミンを見送ってくれた。

 ――みんな、やさしすぎ。

 良い人たちにとの出会いに恵まれた今世。

 その半分以上が、ヒロインに意地悪をする悪役のライバルキャラであった、今はもう前世の風雅の記憶と引き換えにするように消えてしまった、本来のアルサルミンによるものだと思うと、とても複雑であるけれど。それを引き継ぎ、新たなアルサルミンとして生きていくしかないのだと、心に決めて生きてきたはずなんだが。

 ――なんか、失敗続きだよね。

 そう思い、近道となる運動場の端を通るようにして歩いていたら、突然脇から飛び出してきた人影と思い切りぶつかってしまった。

 しかも、人間とは意外と簡単に飛ぶようである。

 ぶつかった拍子に、思いもしない距離まで勢いよく跳ね飛ばされてしまい、木にぶつかってなんとか止まる。

「わっ! ごめん! 本当に悪りぃ。大丈夫だったか? 怪我してないか?」

 アルサルミンの飛びっぷりに驚いたらしい男は、謝罪しまくりながら、アルサルミンの元へと駆け寄ってきた。

 そして、挫いていた足を再び木に叩きつけてしまったことで、痛がっていたアルサルミンの顔を覗きこんできた男を目にして、アルサルミンは瞳を大きく見開いた。

 ――この人、生真面目男のレクサブロ・サフロールじゃん!

 思い出したのは、失敗した焼き菓子の行き先。

 本来ネーヴェが失敗するはずだった、家庭科で作った焼き菓子を『おいしいぞ』と言って食べ尽くす役であったのだが、ネーヴェは自前の高い器用度で難なく焼き菓子作りをクリアしてしまい、出現の機会を逸していたヒロインのお相手キャラの最後のひとりがついに出てきたかと、アルサルミンちょっとした感動を味わいながらも、足の痛みの方が今は勝って、彼の情報について考えている余裕はなかった。

 唯一考えたのは、そういえば、出現する場所は主に運動場だったっけ。ということくらいである。

 そんなことを考えていたら、レクサブロが「ちょっと失礼」と告げて、軽々とアルサルミンを抱き上げてしまった。

「きゃっ」

「足を怪我したみたいだから、保健室に。っても、今日は先生がいないんだったか」

「いえ。足は昨日挫いたもので、あなたのせいではないのレクサブロ様」

「ん? 俺の名前を知ってるのか? っていうか、もしかして、昨日の騒動の渦中にいたのって、あんたか?」

「えぇ。アルサルミンっていうんだけど」

「確か、あんたって公爵令嬢だったよな。そんなあんたに『様』付けなんてされたら、親に怒られちまうわ」

 陽気に笑いながら、同じ名前を呼ぶなら、呼び捨てにしてくれと告げてくるレクサブロに、アルサルミンも呼び捨てで呼んでくれるようにお願いした。

「それはそうと、下ろしてくれないかな。重たいでしょ?」

「は? どこがだ。っつーか、あのヒョロヒョロに力がなかっただけのことだろ」

 かなりちゃんと、昨日の出来事を見ていたようである。からからと笑い、アルサルミンを抱いたまま、レクサブロはアルサルミンに、どこへ行く途中だったのか訊いてきた。

 最初は戸惑ったのだが、レクサブロの気さくさに、アルサルミンは正直に打ち明けることにした。

「寮へ戻る途中だったの」

「だったら、ついでだ。足をさらに悪くさせちまったの、俺だし。そのくらいはさせてくれ」

「え? でも、なにか急いでいたんじゃないの?」

「あー、いや。俺ってせっかちで、つい急ぎ足になっちまうんだ。で、確認もせずに飛び出して、本当に悪かった」

「もう、そのことはいいよ。たくさん謝ってもらったし」

 気さくで陽気で真面目なレクサブロは、謝り足りなさそうな顔をしていたが、アルサルミンはこれ以上謝り倒されてはきりがないとして、それ以上の謝罪を断った。ただし、寮へ送ってもらうことは、譲ってもらえず。結局は、寮までレクサブロに抱かれて戻ることになってしまった。

 こういってはなんだが、ネーヴェの人気は、魅力の高さもあって、異常としか言いようがないくらいのものであるが。そのお相手となるキャラたちも、当然だが全員美形で、それぞれ特徴も異なっているため、様々な女性たちから人気があり、ひそかにファンクラブが存在している位の人気者たちなのだ。

 その辺は、ゲームの設定資料には書いてなかったので、この世界に転生したことで初めて分かったことなのだが。

 そんな人たちと付き合いを持っていても、直接意地悪をされないでいるのは、アルサルミンが爵位の最上位である公爵家の令嬢だからだと思っている。平民のネーヴェに関しては、彼女に勝るステータスや魔力、隠しステータスを所持している者がいないことで、ネーヴェならば仕方がないと思われているだろうことと、そんなネーヴェに傾倒している者が多いためだと思われる。

「ありがとう」

「いや、俺のせいだし。さすがに運べるのはここまでで、最後まで送れなくて悪りぃんだけどさ」

「ううん。助かったよ。ちょっと恥ずかしかったけど」

「なら、よかった。んじゃ、気を付けて部屋に戻ってくれよ」

 そう言うと、二度と振り返ることなく、レクサブロは寮の前から立ち去って行った。

 そんなレクサブロの想定外な出現に寮内ではちょっとした騒ぎが起こっていたようで、驚きつつも一目見ようと、寮に未だ残っている侯爵以上の爵位に就く親を持つ生徒たちが玄関に集まって来ていたが、アルサルミンはそれに関わることなく、レクサブロに抱かれていたことで寮生の注目を一身に集めながらも、気にしないようにしながら部屋へと戻って行った。



 部屋に戻ってからの時間は、経つのが早かった。

 本を読んでいたのも、理由のひとつだろう。怪我を理由に食事を部屋に持って来てもらい、夕食を1人で済ませると、リテラエに余計な手間をかけてしまったことを謝罪しつつも後片付けをお願いする。

「アルサルミン様、これくらいのことはどうってことありませんよ。仕事をしているにすぎません。高熱を出されてからのアルサルミン様は、どうもメイドの役目というものをお忘れになってしまっていますよね」

「だって……」

「今のアルサルミン様は、とても細やかなお気遣いをしてくれて、嬉しくもありますが。もっと気にせず、私を活用してください。そのためのメイドなんですから」

「ありがとう、リテラエ」

「いいえ。では、食器を食堂へ戻してきますけど。本当にこんなに残されていいんですか?」

「うん。大丈夫。ちょっと食欲がなくて」

「それはいけませんね。戻ってきたら、胃によい薬をお渡ししますね」

 リテラエはそう言うと、食器をカートに乗せて、食堂へと向かって行った。

 それを見送りながら、アルサルミンは思ってしまう。

 ――スタイル的には自慢できるものじゃなかったけど。風雅くらい細かったら、問題ないのかな……。

 余計な肉を付けた覚えはないのだが、女として、どうしても昨日の台詞が槍となり、胸に刺さってしまって抜けないのだ。

 もしかして、あれも、ひとつのイベントだったのだろうか。

 だとして、どんな意味があるというのか。

 そんなことを考えながらも、いつもとは異なり、行き着く先は投げつけられた言葉であった。

 ――みんな気遣ってくれているけど、本当は太っているとか思ってたのかな。

 そんなことはない。と分かっていても、自信を完全に喪失してしまっているアルサルミンには、細さの基準がわからなくなってしまっていて、これからどのくらい努力すれば、細いと認めてもらえるのかが重要課題となっていた。

 そんなことを、ちょっとした隙間があるごとに考え込んでしまっていたアルサルミンの耳元に、バルコニーへ続くガラス窓が叩かれる音が流れ込んできた。

 自然と視線が窓へ行く。そしたら、そこに、想定外の人物がいることに気づき、アルサルミンは目を丸くした。

「サイレース!」

 驚くままに、相手の名前を呼ぶ。

 ――これって、どんなイベントなのよ! びっくりするじゃない。

 ヒロインでゲームしたときは、こんなシーンはなかった。

 だとすると、アルサルミンのためのイベントと考えるべきなのだろうか。

「なにしに来たの。危ないでしょ」

「よっ! ここに来るのくらい、楽勝だぜ。俺の運動神経を馬鹿にするなよな」

「だとしても、ここって男子禁制だよ」

「わかってるって、だから用件だけな」

 慌ててガラス戸を開き、バルコニーへ出てきたアルサルミンの背に、間を置くことなく、サイレースは両手を回す様にして抱き着いてきた。

「ちょっ……」

「昨日、せっかくお前を抱けるチャンスだったのに、ダメになっちまったから」

「抱ける、って。ダンスを踊れなかっただけでしょ」

「そうだよ。とても心惹かれている女を遠慮なくこの両腕に抱くことのできる、貴重な機会だったっていうのに、それを逸したんだぜ。この悔しさは男にしか分からねぇだろうな」

 けろりととんでもないことを告げて来たサイレースに、アルサルミンは呆れた思いになって行く。

「そんな大仰なことじゃないでしょ」

「ほら、やっぱり分かってねぇ」

 サイレースはそう言うと、声音のトーンをちょっと落とすようにして、耳元で囁いてきた。

「それより、お前。ちゃんと夕食は食べたんだろうな」

「それは……」

「そんなに気になるんだったら、俺が見てやろうか? お前がどれほど細身かってこと」

「え?」

 それは、レオタードを着ろとか、水着になれとか言っているのだろうか。そう思ったら、とんでもないことだと、アルサルミンは思ってしまう。

 現在、人前で自分の体形を顕わにするような恰好はしたくない。といのが本音であった。

 あの騒ぎが起こるまでは、自慢のスタイルだと思っていて、そんな抵抗感なんてほとんどなかったのに。

 そんなことを考えていたら、サイレースが笑い出した。

「冗談だよ。ったく、なに考えてんだかな」

「だって、レオタードなんて持ってないし。水着姿にだって、人前でなりたくないもん」

「は?」

「もっと細くならないと、人前で体のライン晒すなんてこと、もうできないよ」

「本当にバッカだなぁ。あんな我が儘自己中なひょろ男の言うことなんて、いつまでも真に受けてんじゃねぇよ」

「だって……」

「あんまこだわると、本当に確認するぞ」

「だから、嫌だって」

 背中に回されているサイレースの腕や、触れあっている体から、サイレースが保つ熱を感じ取りながら、アルサルミンは拒否する言葉を口にする。

「それより、本当に誰かに見られでもしたら」

 なにが起こるか分からない。というのが事実である。

 これがゲームの中のヒロインとのイベントだったら、そんな心配なんてする必要はないのだが。ここはゲームの世界であると同時に現実の世界でもあるのだ。

 ――サイレース様に会えて、とても嬉しいけど。でも、本当にどうしてこんな危険なイベントが発生したんだろう。

 サイレースのルートはすでに、今はいないアルサルミンが開いてくれていたということは、なんとなくだが判明していた。

 だが。それにしたって、現在のイベントが発生した切っ掛けは、なにやら昨日のダンスパーティで踊れなかったという、単純な理由によるものらしい。それを思うと、危険と天秤にかけると、危険の方が重すぎた。

 ――本当に無茶苦茶なんだから。サイレース様は。

 困った人だと、思ってしまう。

 ――それにしても、こんなイベントできすぎだよね。幸せすぎるもん。

 正直言って、本当になんでこんなことになっているのか訳が分からないと、アルサルミンは思ってしまう。けれども、こんな危険を冒してまで来てくれたサイレースに感謝しながら、今はただこれを現実のものとして受け止め、アルサルミンは素直に感動しておくことにした。

 しかし、時間は残酷であった。あっという間に刻は過ぎていき、サイレースが不満そうな口調で呟き始めた。

「ったく。あんまここにいられねーから、すげー物足りねぇけど、仕方ねぇから今日は退散することにするけどよ」

「え?」

 言葉と同時に、額に落ちて来たサイレースの唇。

「昨日、クレストールにされてたろ。上書きだよ、上書き」

「バカ……」

「真面目なんだけど、かなり俺」

 呆れて呟いた台詞に、サイレースは真剣な面持ちで応じてくる。そして、これ以上の長居は危険だとばかりに、サイレースは、アルサルミンを解放すると、「じゃあ、明日な!」と告げつつバルコニーの柵を乗り越え、一階へと飛び降りて行ってしまった。

 のろのろとだが、できるだけ早く、サイレースが下りて行った場所へ辿り着き、下を覗き込むと、そこにはもうサイレースの姿はなかった。

「もう、本当に、危なっかしいんだから」

 不愛想で口が悪くて意地悪なくせに、本当はとても優しくて。デレると適度な低音の甘くとろけるような声音で、甘い睦言を囁いてくれるのだ。そのすべてに魅力を感じ惹かれてやまないアルサルミンなのだ。だからこそ、『Eterrnal Love』にはまりまくっていた際にサイレース一筋で来たのである。

「大好きだよ……」

 たとえ、本当は片想いなのだとしても。サイレースが惹かれていた女性を奪ってしまったのは、アルサルミン自身であることに、胸が痛むのだが。

 ――これって、イベントの数に数えていいのかな?

 仮に、今のが、アルサルミンがサイレースを手に入れるためのイベントのひとつなのだとするならば、一歩進んだことになるのだろうか。

 ヒロインでは何度も落としてきて、フラグの立て方ひとつ、回収の方法、イベントでの対応の仕方と、色々と記憶しまくっているのだが、アルサルミンとしてサイレースを落とすのは初めての作業なのである。分からないことばかりの中、攻略サイトも存在しない状態で、手探りで進むしかない現状。

 ――恋愛って、こんなに怖いもんだったんだ。

 言動ひとつで、どんなフラグが立つか分からない恐怖。回収の仕方も不明である。イベントに至っては、回答すべき台詞の選択肢など存在せず、対応は多種多様で、どんな対応が正解なのかも、結果が出てみなければわからない。

 今のイベントの対応にしたって、合っていたのかどうか、明日のサイレースの反応を見ないと分からないのである。

 ――前みたいに、冷たく接してきたりしないといいな。

 どうか、今の接し方で間違っていませんように。と、願いながら、踵を返すとアルサルミンは部屋へと戻って行った。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

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