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クレストールの宣言通り、奉仕活動大好きだというクレストールの叔母が行動を開始するとすぐに、ハルシオンの件は解決の方向へ進んだようであった。
想像以上にスムーズに事が運んだのは、良いことだと思う。ハルシオンも納得ずくなら、なんの文句もない結果と言ってもいいはずである。
なのだが、非常に複雑な気分のアルサルミンが存在していた。
「なんか、お前。昼休みに戻ってきてから、荒んでないか?」
放課後の生徒会室で、いつもの作業をしていると、サイレースが不思議そうにしながら、小さな声で話し掛けてきた。
瞬間、誰のせいだと言いたくなったが、それはぐっと我慢する。
ここを乗り越えれば週末なのだ。そしたら、ネーヴェやイオンやラミクタールと、心穏やかに過ごせるのだと、アルサルミンは心で念じる。
――問題は残っているけど、夏休みに入る前に解決しておきたいことは、一応済んだよね?
自信がないのは、やり残した感が強いからである。
けれども、マイスリーとイオンの件は、ひとまず落ち着きをみせたようである。
とはいっても、出る杭は打たれると言われるだけあって、公爵令嬢であるイオンのことを煩わしいと思っている生徒や、逆玉の輿に乗ったマイスリーのことが気に入らないと思っている生徒がいなくなったわけではない。そのため、イオンが過去に好きだった男子生徒に関して好き勝手に言ったり、詮索したりする生徒も中にはいるが、当人たちがそれに振り回されることをやめたことで、アルサルミンたちも気にすることをやめにした。
だけでなく、登校時間という人通りの多い通路で堂々と行われた、マイスリーとイオンのやり取りを聞いていた人の中には、マイスリーとイオンのことをネタにこれ以上突いたところで、なんの意味もないと悟った者もそれなりにいたようである。
本当はそこまで親密になっていないのだが、一部ではバカップルとして生暖かく見守られているようだ。
そして、ここに来て急転直下でハルシオンの件も先が見えて来たというべきだろうか。
少なくとも、アルサルミンが当初目的としていた夏休みは、みんなで過ごすことができるようである。
――残りは、夏休み以降って感じかぁ。
夏休み前日の生徒会主催のイベントであるダンスパーティーはもう目前まで迫ってきているのである。さすがにこれ以上、現時点で手を広げたら、中途半端に夏休みに突入してしまうと思い、自粛することにする。
にしても。
――なにを考えちゃってくれてんのかな、サイレース様は。
愛人志願なんて、ネタを提供してどうするつもりなのだろうか。
――あぁ、でも。笑い話にして、食い止めてくれてるのか? もしかして。
ふと思い至った考えに、アルサルミンは疑問符を頭に浮かべる。
それはそれでありそうな可能性であることに、ちょっぴり複雑な心境になっていく。
――かなり守られてるよね。
クレストールにも、サイレースにも、他のみんなにも。
――うぅ。やっぱり私ってヘタレなのかなぁ。
かなり頼りないと思われているのかもしれない。
悪役ライバルキャラとして、ものすごく役に立たないと言われているような気がしてくる。実際に役に立っていないので、反論の余地もないのだが。
「お前、本当にどうかしたのか? さっきから百面相してんだけど」
見てて面白くはあるが、と言外で告げてくるサイレースを、アルサルミンは溜め息を交えるよう見つめてしまう。
「あ? なんだ、人の顔を見るなり溜め息って」
「そっちこそ、人の顔なんか見てないで仕事をしてよね」
思わず憎まれ口をたたいてしまいつつ、サイレースの顔をしみじみと見つめてしまう。
――ちくしょう。やっぱ好みの顔してるんだよなぁ。サイレース様ってば。
それがちょっと悔しくて、ペンをノートの上に置き、サイレースへ無造作に伸ばした両手で頬を摘まむと、両側へびろーんと伸ばしてしまう。瞬間おかしくなって噴き出してしまったのは、ちょっと失敗であったかもしれない。
クレストールが、サイレースとの席替えを申し出て来て、ちょっとした言い合いが始まってしまう。
けれども、こんな騒ぎも問題に一区切りついたことによる結果だと言うならば、歓迎しておくべきなのかもしれない。と、思ってしまったアルサルミンであった。
週が明け、ホールボーイをしてくれる人も順調に集まり、数名ずつ別れてそれぞれお願いに回り、正式に必要人数を確保する。それと並行して、ダンスの曲を演奏してくれる奏者たちとの連絡も完了し、シェフたちとメニューの確認も済ませ、ダンスパーティーに向けての準備が順調に進んでいく。
そして無事にパーティー前日を迎えたことで、体育館にある大ホールを使い、会場の設営が開始された。
生徒会だけでなく、学園として便利に活用している店なので、相手も手慣れた感じである。そのため、学園の受け付けに、店から派遣された人々が訪れたら、会場となる場所へ案内してもらうようお願いしておき、その後は完全にお任せ状態となっているので、アルサルミンたちができることはひたすら見守ることだけとなっていた。
だから、初体験の昨年は、訳が分からない中での準備だったので、ドキドキ感が半端なかったのは理解できる。のだが、2度目となる今回も、やはり緊張で心臓がバクバクいっていた。
基本は去年と同じにしてもらい、レンタルする家具などは、会場の設営の依頼をした際に、事前にカタログを見せてもらい指定しておいたものを店側が用意してくれ、それが並べられていく。
「形になっていくのって、嬉しいですね」
今年が初めてとなるラミクタールが、会場の飾りつけや家具などの設置がどんどん進んでいく様子を眺めながら、感動したように呟いた。
「ラミクタール、頑張ったもんね」
「ポスターの効果もあって、前評判もいい感じでしたし。平民寮の生徒たちからは、楽しみだって言ってもらえてます」
「ミークが、明日はマークスムスと久しぶりに会えると、楽しみにしていて」
上位爵位用の男子寮の2階に住んでいる、マイスリーのところの使用人以外の他の執事たちがホールボーイをすると知り、何故に自分に話しを持って来ないのかと、マイスリーが怒られたらしい。それで急遽、マイスリーのところの使用人もホールボーイに参加することになったため、イオンのメイドとマイスリーの使用人が、久々に顔を合わせる機会ができたのだ。
それを、ミークはとても喜んでいるようである。
「あー、そうだよね。同じ学園の寮にいるのに、男子寮と女子寮の間での交流は基本ないもんね。リテラエも、クレストールたちの執事たちに日頃は挨拶できないからって、張り切ってるみたいだからね。失礼がないようにしないとって」
「そういえば、グラナードも、クレストールやスプリセルの執事に会えることを楽しみにしているようでした」
「マニエータも、お世話になっているのに日頃挨拶ができないからと、きちんと挨拶をしたいと言っていました。それに、みなさんもホールボーイに参加してくださることになって、内心でホッとしたみたいです」
イオンの言葉に反応し、アルサルミンやネーヴェやラミクタールもそう言えばという感じで、それぞれのメイドの様子を思い出す。
そんな会話をしながら、アルサルミンはしみじみと幸せをかみしめていた。
――あぁ、平和なのって最高。
しかも、とても可愛いネーヴェやイオンやラミクタールが回りにいるのである。両手に花プラス1なのだ。
心臓と胃に非常に悪い、あの怒涛の2週間を、二度と味わいたくないと思ってしまう。
――まぁ、問題を持ち越しているのもあるんだけどね。
それは、今は気にしないことにしてしまう。
そして、騒動の発端ともいえるかもしれない、アルサルミンの願望であったみんなと過ごす夏休みへ想いを馳せる。
「そういえば、夏休みだけどさ」
「はい。クレストールから事前にお話しは伺っていたのですが、正式な招待状が届きました。今年もアルサルミンたちと一緒に過ごせるなんて、本当に幸せです」
「私のところにも届きました。これまで家の中からほとんど出たことがなかったので、夏休みもアルサルミンたちと一緒に過ごせると分かって、とても嬉しかったです」
「本当に、こんな招待状をいただいてしまって。私には分不相応な気がするのですが、アルサルミンたちと一緒に過ごせるとお聞きして、お言葉に甘えることにして、参加させていただくことにしました」
「って? 招待状なんて、私はもらってないんだけど」
みんなが嬉しそうに微笑み語ってくるのを聞きながら、アルサルミンはちょっと青くなってしまう。そして、少し離れた所に立っているクレストールの方へ急いで寄って行った。
「クレストール。私、招待状をもらってないんだけど?」
「はい。送ってませんので、届いてないと思いますよ」
「うわー、酷い。私を除け者にするなんて……」
想定外のクレストールの台詞を受け、思わず涙目になってしまう。
「いいもん。クレストールがそういう意地悪するなら、ネーヴェとイオンとラミクタールは私がもらってくから!」
「なにを怒っているんですか? この夏休みのアルサルミンの参加は確定していたので、送らなかっただけですよ。声を掛ける以前に、夏休みは共に過ごすと決まっていた、スプリセルにもアタラックスにも送っていませんから」
にっこりと微笑みながら応じてくるクレストールの様子から、意図して送ってこなかったことが判明してしまう。
――うー。ちくしょう、意地悪腹黒め!
たとえ確定していたとしても、せめて形くらい取り繕ってくれてもいいじゃないかと思ってしまう。
「必要ないと思ったのですが。アルサルミンが、そんなに招待状が欲しいというのでしたら、ご用意しますよ」
「そういう問題じゃないでしょ」
今週は平穏な日々を送っていたはずが、一瞬にして、奈落の底へ落とされた気分に陥ってしまった。
しかも、クレストールの対応から、本当に除け者にされたのかと思ってしまったことで、真面目に泣けてきたと、思わず目から零れそうになる涙を拭う。そんなアルサルミンを見ていたクレストールが、ちょっと困った顔をしてみせた。
「夏休みの件は、アルサルミンも乗り気だったので、了承しているとばかり思っていたのですが、違いましたか? それに、みんなへ送った招待状の参加者にアルサルミンの名前を書いておきましたし。まさか、そんなにショックを受けるとは思っていなかったもので、省略してしまったのですが……」
すみません。と、アルサルミンの頬へ手を伸ばして来るクレストールは、濡れた目元を拭うよう親指を軽く押し当ててくる。
そして、そんなクレストールへスプリセルが呆れたように声を掛けてきた。
「さすがに、そこは省略しちゃだめだろ。いくら婚約者が相手でも」
「そうは言いますが、この夏休みはアルサルミンたっての願いで、僕が準備したんですから。そのアルサルミンを除け者にするはずがないじゃないですか」
「とか言って、ここんところ放置され気味だったから、ちょっとアルサルミンを慌てさせようとか、思ったりしただろ」
「それは、まぁ。ちょっとは思いましたけど。ですが、半分はスプリセルが原因ですからね。アルサルミンの隣に居座り続けて、ちょっかいを出しまくるから、アルサルミンの意識がスプリセルに向いてしまって。スプリセルが来るまで、アルサルミンと2人で穏やかな時間をすごしてきたというのに」
言下に溜め息を洩らしつつ、アルサルミンの目元へ口づけてくるクレストールの態度を受け、ちょっと行動を早まったかもしれないと感じてしまう。
――そういうことは、影でやりとりしてくれると助かるんだけど。
勢いで文句を言いに来てしまったが、確かに3人とも『アルサルミンたちと一緒に過ごせる』と言っていたような気がするので、参加者としてアルサルミンの名前が上げられていたのは事実なようである。
クレストールに体当たりする前に、3人に内容の確認を取るべきだったと後悔してしまう。
「そういうことで、アルサルミン。スプリセルをかまうのは控えてくださいね」
どうしてこういう話しになっていったのか。なんか嵌められた気がしてしまうが、返す言葉もなく、どんどん距離を詰めてくるクレストールに困惑していた。
「っていうか、一応生徒会の仕事中だろ。なにげにアルサルミンを抱き込んでどうする気だよ」
「いえ。泣かせてしまった責任は取らないといけませんから」
「もう泣き止んでるぞ。それどころか、放心してんぞ。解放してやれよ」
ポンポンとクレストールへ言葉を放るスプリセルは、呆れた口調を作り出す。
「君は本当に無粋ですね」
「現状は、おそらく、お前の方が間違っていると思うぞ」
私もそう思う。もっと言ってくれ。などと、珍しくスプリセルに期待をしてしまうアルサルミンであったが、助けてくれたのはヒロインであるネーヴェであった。
「アルサルミンを引き取りに来ました。装飾が終わった場所も出始めているようなので、確認のためのチェックを入れ始めるようでしょうから」
「仕方ありませんね。ネーヴェが相手では太刀打ちできませんから」
「うわーん。ネーヴェありがとう」
クレストールから解放された瞬間、ネーヴェに飛びつく。
「もう少し早く来て差し上げるべきでしたね。遅くなってしまってすみませんでした」
抱擁し合うアルサルミンとネーヴェを見つつ、洩らされたクレストールの呟きは、わざとらしく吐き出された深々とした溜め息が混ざっていた。
「希望を叶えて差し上げた婚約者に対する態度として、何か間違っているように感じるのは僕だけでしょうか」
「いや。招待状を意図して送らなかった、お前の負けだろ。悪巧みするなら、もっと他のことにしとけよ」
「そうですが。でも、アルサルミンがいなければ成り立たない計画なんですけどね」
全員で、装飾が済んだと報告を受けた小部屋の方へ歩いて行きながら、しみじみとした口調でクレストールがぼやくのを受け、スプリセルがクレストールの肩へ腕を回す。
「アルサルミンがいなかったら、誘っても誰も来ないかもしれないもんな」
「表現が悪いですよ。それじゃまるで、僕が――」
「まぁまぁ、安心しろよ。例えアルサルミンが不参加だとしても、俺とアタラックスはお前に付き合ってやるからさ」
「城にいても退屈でしょうからね」
嫌味が混ぜられたクレストールの台詞を受け、スプリセルは陽気に笑う。
そんな2人のやり取りを、少し後ろからネーヴェと腕を組んで歩きながら見聞きしつつ、小部屋が並んでいる場所へ到着する。
同時にセチロが「チェックを開始しますね」と言いながら小部屋の扉を開いたことで、雑談が止まり、アルサルミンを含めたみんなの意識がこの場にいる本来の目的へ向けられていった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




