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慌ただしく日々が過ぎていく中、疑問のひとつであったイオンの情報の出どころが解決した昨日。
イオンが片想いしていた相手について、セチロの父親に情報を流したのは、マイスリーの義父ではないかという可能性が浮き上がってきた。同時に、学園内でイオンの情報を垂れ流したのは、元から怪しくはあったので、やはりという感じで同組の侯爵令嬢4人組の可能性が高いことが判明する。
それが分かったからと言って、なにかに進展がするというわけではなかった。それでも、正体不明であった人物の姿が浮き上がってきたことで、今後の対策に役立つはずである。
それに、実際にこの読みが正解していたとしたら、マイスリーの元義父は養子縁組を解消され、更にはイオンの両親が守備範囲内にかくまってしまったので、マイスリーに手を出して来ることはないだろう。それに、侯爵令嬢4人組も手に持っている情報のすべてを開示してしまったことで、これ以上はなにかをしてくることはないと思われた。
そういう意味では、不安材料が減ったので、良かったことにする。
けれども、順調だと思っていたマイスリーのイオンの関係は、実はとても不安定なものだったようだ。
過度なストレスにより倒れてしまったイオンに関しては、活動時間が終了した後に迎えに行ったら、起き上がれるくらいには回復し、歩いて帰れると言うので、そこでマイスリーには帰宅してもらう。そして、マイスリーを見送った後、アルサルミンやネーヴェやラミクタールでイオンを取り囲み寮へと戻った。その後はいつも通りに予定を済ませていったのだが、夕食時に浮かべていたイオンの笑みのぎこちなさに、アルサルミンは不安を抱いてしまう。
けれども、アルサルミンもネーヴェも適切な言葉が思い浮かばず、ゆっくり寝るようにだけ伝えて、早々にイオンの部屋を退室するのが精一杯であった。そのため気持ちはどこか沈み気味となってしまい、集中力に欠いた夜を過ごす羽目に陥ってしまう。
それでも時間はきちんと過ぎていき、夜が明け。再び新たな1日が幕を開けていく。
天候的には、晴天で心地の良い風が吹き、過ごしやすい日になることだろう。
けれども、油断は禁物である。
いつも通りに3人で朝食を摂り、ラミクタールと合流し4人で登校して行った。その際、アルサルミンもイオンも噂の渦中にいることで、自然と人の目に入ってしまうようであった。ちくちくと視線が刺さってくることに、アルサルミンは心の中でそっと嘆息してしまう。
――イオンは、もっと痛いんだろうな。
こんな傍にいながら、倒れるまで気づいてあげることができなかったことに、改めて反省してしまうアルサルミンである。
しかし、だからといって、悪意ある視線に反応してあげる必要はないため、あえて素知らぬ振りを貫いて教室へ向か行く。その途中、4年の教室が並んでいる4階へ到着すると、ハルシオンとマイスリーが待っていた。
「おはよう。どうしたの、2人して。っていうか、ハルシオンは松葉杖はいらなくなったの?」
昨日まで使用していた松葉杖がなくなっていることに気づき、アルサルミンはハルシオンへ問いかける。それに対して、ハルシオンが応じてきた。
「よう。お前らのことちょっと待ってたんだ。足はこの通り、普通に歩けるようになったから、松葉杖は部屋に置いてきた」
アルサルミンとハルシオンが挨拶を交わしている脇で、ネーヴェやイオンやラミクタールもそれぞれに「おはようございます」と声を掛けていく。それが終わるのを待って、アルサルミンは話しを続けた。
「そうなんだ。それは良かったね。ところで待っていたって?」
「それは……」
言葉を途中で途切り、ハルシオンは視線でマイスリーを促す。それに反応するように、マイスリーが口を開く。
「おはようございます。朝から、すみません。昨日倒れたので、調子はどうなのかと気になりまして」
「それだったら、本人に訊かなくちゃ」
アルサルミンが一歩前に出る形で2人と話していたのだが、マイスリーの台詞を受けて、アルサルミンは軽く後ろへ下がると、イオンを前に引っ張り出す。
「イオン、心配してくれてたみたいだよ」
「ご心配おかけしてしまい、申し訳ございません。体の方は大丈夫です」
促されたために、イオンは静かに話しだす。その顔からは、先ほどまで浮かべていた笑みが消えていた。
「それと。両親も乗り気になっていますので、婚約を解消して差し上げることはできません。その代り、マイスリーの自由にしてくださってかまいませんので。私のことなど気にせず、これまで通りに学園生活を送ってください」
「イオンは誤解しています。僕が伝えたかったのは、孤児である僕は、イオンの益になるようなものをなにも持っていないということです」
真っ直ぐにイオンを見つめつつ、マイスリーははっきりとした口調で告げていく。
「不釣り合いという言葉は、僕の方に掛る言葉です。イオンはそれで後悔しないのか、聞きたかったんです」
「私の気持ちは、以前お伝えした通りです。後悔するつもりも、変えるつもりもありません」
はっきりとした意思をこめて、イオンは躊躇うことなく断言する。
「ですが、それにマイスリーを巻き込むつもりはありませんので」
「いえ。僕がずっと欲しかった家族に、イオンがなってくれるというなら、僕を巻き込んでください」
マイスリーの宣言に、イオンは戸惑うような驚いたような表情を浮かべ始めていく。
「僕は、イオンの言葉を信じます。その証拠として、今後どのような噂が流れても、僕は揺るがないことに決めました。ですから、イオンも噂などに耳を傾けて心を痛めることはやめてください。倒れそうだと思ったら、僕に寄り掛かってください。僕では頼りないかもしれませんが、それでもイオンのことを支えるくらいの力はありますから」
飛び切りの笑顔を浮かべながら、しっかりとした物言いでイオンに語りかけるマイスリーは、なにかを吹っ切ったらしい。迷いが消えているようであった。
――なんだ、心配する必要なかったとか?
しっかり男の子の顔をして、イオンに向けて笑顔を浮かべているマイスリーは、いつもよりちょっぴりかっこよく見える。
――可愛らしさは、そのまんまなんだけどね。
そんなことを考えているアルサルミンの傍らに立つイオンの表情が、少しずつ変わっていく。
「その言葉を信じてもいいですか? マイスリーは後悔しませんか?」
「もちろんです。信じてもらわないと始まりませんし。それに、後悔するつもりはありません」
マイスリーの返事を受け、イオンはちょっとはにかむようにしながら、とても和らかな笑みを浮かべた。それは、女友達であるアルサルミンやネーヴェやラミクタールでは、浮かべさせることのできない類の笑みであった。
しかも、仕方ないのだろうが、そこからは完全に2人の世界となっていく。
――イオンもマイスリーも可愛すぎてやばいよー。なにこの愛らしい空間は。
思わずほのぼのと2人を見つめていると、ハルシオンがそっと囁いてきた。
「マイスリー、男前だろ?」
「そうだねぇ」
「さすがに、もう、女にしたいとか言わないよな?」
「え? それとこれとは別っていうか。ハラハラさせてもらった分、結婚式の記念写真は2人揃ってウェディングドレスを着てもらいたいかも。そして部屋に飾りたい」
「未だそれ言う気かよ」
「うん。でも、この2人を見て、未だなにか言うようだったら、言った側が野暮になるね」
諦めの悪いというセチロの父親が、仮に再び乗り込んで来たとしても、さすがにこの2人を引き裂くことは不可能だろう。
今日は1日沈んだ雰囲気になることを覚悟して登校してきたのだが、どうやらその心配はなくなったようである。
4年専用のフロアなので、限られた生徒しか存在しない場所ではあるが、それでも登校時刻である。人通りが多い通路でのやり取りは、かなり人目を引いたようで、遠巻きにだがこちらを意識している生徒は多い。そのため、見世物パンダ状態ではあるが、当人たちが幸せそうなのでいいことにしてしまう。
――それにしても、面白いカップルが誕生したよね。
平民と仲良くするつもりはないと言い切っていたイオンと、貴族が大嫌いだったマイスリー。経緯はどうであれ、そんな2人が歩み寄り睦まじくしている様子は、生徒会内にあったわだかまりを溶かしてくれていた。
通路の片隅でしばし立ち止まっていたことで、教室へ到着したときには掃除が終わっていた。そのため、入るとすぐにそれぞれの席へ向かって行く。
アルサルミンが席に座ると、クレストールが挨拶してきた。
「おはようございます、アルサルミン」
「おはよう、クレストール。その顔だと、もう耳に入っているようだね」
「大声を出しながら、教室へ駆けこんできた生徒がいたので。これでアルサルミンも安心したんじゃないですか」
「うん、そうかもね」
クレストールの言葉に、アルサルミンは素直に頷く。
「にしても、マイスリーがちょっとかっこよかったかも。うっかり、もう大丈夫って気にさせられちゃうよね」
「僕は、見世物になるのは遠慮したいですね」
「だろうね。クレストールならそう言いそうだと思った」
「ですが、アルサルミンが望むのでしたら、叶えて差し上げますよ」
「えっ? 必要ないでしょ? 私の方こそ遠慮するから」
にっこりと笑いながら告げられ、アルサルミンは速攻で拒んでおく。実行なんてされてたまるかという気分である。
そこへ、登校してきたスプリセルが、脇から口を挟んで来た。
「ってことは、必要ならやって欲しいってことか?」
「なんでそうなるわけ?」
「いや、面白そうだから、やってやろうかと思ってさ。俺なら、クレストールやサイレースの対抗馬になれるだろ」
「心がこもってない告白なんていらないから。っていうか、スプリセルは他にいるでしょ、大事な人が」
不本意極まりないが、ラミクタールの心を奪った責任は、しっかりと取ってもらいたいものである。
そう思い、注意するように言うと、スプリセルは困惑したように頭を掻いた。
「それなりに、アルサルミンのこと気に入ってるぞ」
「遊ぼうと思ってるところで、アウトだよ」
「そうは言うけど、本気は疲れるだろ」
アルサルミンの却下に対し、スプリセルがぽろりと本音を零す。しかし、それを悟らせたくなかったからなのか、すぐに誤魔化すように笑みを浮かべた。
「まぁ、体験してみたくなったら言えよ。協力してやるから」
あっさり言い切り、話しに終止符を打つように、スプリセルはイスに座ると、机の台を持ち上げて、下の棚へ教科書などを移していく。
それをなんとなく見つめながら、アルサルミンは心の中で吐息する。
――ラミクタールに会いたくて、わざわざこの学園へ飛び込んで来たのに、恋愛に消極的ってどういうことだ?
なんとなく、振られたからとそれであっさり身を退いた理由が、分かってしまった気分である。
なんでもっとガンガン攻めていかないのかと思っていたのだが、失った後の反動を恐れているのかもしれない。その後の恋愛観に影響を及ぼすほど、婚約者を失ったショックが大きかったということかもしれないが……。
――攻略難易度が、めちゃくちゃ上がった気がする。
しかも、ラミクタールのライバルキャラは、イオンに絡んで自滅してしまい、本当に使い物になりそうもないというのに。
これには参ったと、思ってしまう。
けれどもここで慌てても仕方がないので、先ずは午前中の授業を消化する方を優先するべきであろう。そのため、アルサルミンも前を向く。
それからほどなく、ショートホームルームの開始を知らせるチャイムが鳴った。
ハルシオンが怪我をしてから、1週間。昼食のサンドイッチを運んでもらうようお願いしてから、早くも最終日となっていた。
時間はあっという間に過ぎていくのだと、実感してしまう。
いつものメンバーで生徒会室へ向かい、中へ入ると、既に到着していたセチロがサンドイッチとジュースをそれぞれの席に配り終えていた。
「セチロ、ありがとう。毎日任せちゃってごめんね」
「いえ。ひとりで食べることに慣れてしまったので、どうということではないのですが。やはり大勢で食べるのは楽しいですね」
「うるさくて迷惑じゃなかった?」
「そんなことありませんよ。それどころか、昼間もアルサルミンに会えて、嬉しかったですよ」
にっこりと告げられてしまい、アルサルミンは微妙に困りつつ、笑みを返しておく。
「でも、そっか。迷惑じゃないなら、このままここで昼休みを過ごしていいかな?」
未だ誰にも確認していなかったので、この場にいるみんなに声を掛ける感じで問いかける。それに対して、誰も反論をする者はいなかった。
「私は、アルサルミンと一緒に食事ができればいいので、どこでもかまいませんよ」
「私もどこでも大丈夫です」
「私も同じです。みんなと食事ができて、その後勉強をみていただけるのでしたら。本当にどこでもかまいません」
ネーヴェもラミクタールもイオンも、笑みを零しながら快く承諾してくれる。それを聞いていたセチロも笑顔で応じてくれる。
「俺も、歓迎しますよ。でも、どうかしたのですか?」
「んー。食堂のシェフが、セチロのことを心配していたなぁって思って。それに、2人とも覚悟が決まったようだから、逃げる必要はないんだけど。でも、わざわざ話題の提供をする必要もないかなって。落ち着いて、食事ができて勉強する場所があるなら、そっちを利用させてもらった方が断然いい気がしたの」
「まぁ、アルサルミンのしたいようにすればいいんじゃねぇの。」
「ありがとう。じゃあ、そうさせてもらうね」
お礼を言いつつ、いつまでも立って話しているのも変かに思えてきて、アルサルミンはお礼を言いつつ、自分の席に着く。それに倣って、みんなも席に着くとほどなく、マイスリーとハルシオンが入って来た。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




