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泉遊びの午後は、まったりと過ぎていく。そして、夕方になる少し前には、片付けを終え、泉を引き上げることになった。
帰りは、男子陣に寮まで送ってもらい、最初にラミクタールとマニエータを送り届け。その後に、アルサルミンとネーヴェとイオンを送り届けてくれる。そこで役目は終えたと、男子陣たちが仲良く帰っていくのを見送ると、3人もそれぞれの部屋へと戻っていく。
夕食はイオンの部屋で摂り、そのまま少しまったりとお茶をして過ごした後、自室へ戻ると、時刻はアルサルミンの自分磨きタイムへ突入していた。そこで慌てて日課の柔軟一式とダンスのステップ30分と本を頭にのせて部屋の中を歩き回るという行為をしていると、お風呂の準備を終えたリテラエが声を掛けてくれる。
お湯に垂らしたバラのオイルの効果で、お風呂場の中はバラの香りが薄っすら漂う。その匂いを嗅ぎながら、リテラエに身を任せ、アルサルミンは極楽タイムを満喫する。そのまましばらくゆっくりし、お風呂を上がったところで、マッサージを受ける。その後は、香油を髪に塗り伸ばし、沁み込ませながら、髪を乾かしてもらった。
これでリテラエの本日の仕事は終了である。部屋へ辞する挨拶をし、メイド用の部屋へ戻っていくリテラエを見送り、アルサルミンは泉遊びで心地よく疲れを、ベッドの上に大の字になって横になることで開放する。
――勉強する前に寝ちゃいそう。
それはそれで誘惑だと思いながら、アルサルミンはむくりと起きると、シルク製の夏用のナイトガウンを羽織り、机に向かうと勉強を開始した。
それを終えたのは、12時を少し過ぎたくらいである。そこで改めて睡魔の誘惑に身を任せ、アルサルミンはなに気に忙しかった週末に終止符を打つ。
そして、新たな一週間が始まった。
朝食はイオンの部屋へ招待してもらう形で摂り、そこから先はいつも通りに進むはずであったのだが、教室の前へ到着すると、室内がざわついているのを察する。
――なんなんだ?
響いてくるのは女性が言い争う声。嫌な予感に、いそいで扉を開けて中へ入ると、イオンの取り巻きの乙女5人組と、侯爵令嬢4人組の内の1人。ここ最近、目に入るようになったエリーテンと、やはり侯爵令嬢4人組の1人。こちらは、昨日の昼間、泉の側に建てられていた休憩所の裏側で、エリーテントともにサイレースとスプリセルに声を掛けていた女生徒である。
アルサルミンは、もちろん、名前を知らなかった。
――うん。過去の私、本当に同組の人たちのこと、興味がなかったんだね。
現在のアルサルミンも、1年以上を共に暮らしてきていたのに、覚えることをしていないのだから、人のことは言えないが。
しかし、なにを言い合っているのだろう。と、改めて耳を傾けると、イオンのことで言い合っているらしいことが伝わってきた。
「相手が公爵令嬢だからって、遠慮する必要はないと思うわ。ここは男性のあさり場などではないというのに、学園は入って来て早々、お気に入り見つけた途端に家の持つ権力を使って男の方を無理矢理に婚約者にしてしまうような女に、義理立てする価値があると思って?」
「イオン様は、そのような人ではありません。好きになったからといって、権力を行使して手に入れたりはしません。そのようなことをする人でしたら、もっとずっと前に行使していたはずですから」
「あら、私たちに歯向かう気? っていうか、本当に男性をあさりに来たのね。あなたの言い方では、目を付けていた男性が、以前にもいたってことですものね」
「あんな品性を疑うような女に関わっていては、あなたたちがダメになってしまうと思って、親切心から声を掛けているのよ。あなたたちは改心した様子だし、私たちがあなたたちのリーダーになって差し上げるといっているのよ。ずっとリーダーを欲しがっていたでしょ」
「私たちのリーダーはイオン様ですので。謹んでお断りさせていただきます」
侯爵2人組を相手に、階級的問題から、強くは出られないイオンの乙女たち5人組は、言葉を選びつつ応対していた。
そんな女生徒のバトルを背後に、最前列に座っているクレストールは、いつも通りに小難しい本を読んでいる。
そこへアルサルミンはそっと寄っていき、クレストールに声を掛けた。
「一体、なにが起こったの?」
「おはようございます、アルサルミン。挨拶より先に、それですか?」
「おはよう、クレストール。それで、どうなの?」
嫌味が帰ってきたので、速攻で挨拶をすると、立て続けに問いかける。
「あの通りですよ。いつも通りに5人が掃除を開始したら、ほどなく2人が5人のもとへ行き、自分たちの取り巻きの乙女になるよう勧誘を始めたんです」
「それって、自分から勧誘するものなの? 気に入った子がいたら、声掛けはするかもだけど」
「強制的、というのはお勧めの手段ではありませんね」
アルサルミンが呆れつつ訊くと、クレストールは是とも否とも答えず、自分の感想を口にする。
そんなアルサルミンとクレストールのやり取りの背景で、イオンの取り巻きの乙女たちがイオンが登校してきたことに気づき、助けを求めるようイオンの傍へ駆け寄ってくる。
「イオン様、申し訳ございません。絡まれてしまって」
「いくらお断りしても、引き下がってくれなくて……」
ほとほと困っているのだと、イオンに向けて訴えて見える5人へ、イオンは静かに笑って返す。
「私のせいで、迷惑をかけてしまいましたね。今日はこれでは掃除どころではありませんね。花は生き物ですから、花の水だけ換えて来てくれませんか」
「あ、はい。分かりました」
イオンの指示へ5人は素直に頷くと、教壇から花瓶を手に取り、急いで水を変えに行く。それを見送ると、イオンが侯爵令嬢の2人を真っ直ぐ見つめ返す。
「随分と大胆な勧誘を行っているのですね。侯爵という地位にありながら、自ら動かないと人が集まらないなんて、よほど人望が無いか。それとも、中心に据える価値が、あなた方にはないということじゃないでしょうか? 侯爵家でありながら、領地がずいぶんと辺境におありみたいですし」
にっこりと微笑みながら告げられるイオンの台詞は、『えっ?』と聞き直したくなるくらいには、辛辣であった。
なんとなくこれまでの言動で感じることはあったが、箱入り娘とはいえ、そこはやはり公爵令嬢ということなのだろうか。攻撃を仕掛けられたら、徹底的に潰して、二度と歯向かう気が起きないよう恐怖を植え付けるという手法を取る気なようである。
つまりは、あの取り巻きの乙女たち5人は、イオンにとって守るべき者となっているようである。リーダーとして立つと決めたときから、覚悟していたようではあるが。
「私の色恋沙汰などに興味がおありのようですが、ご自身の心配をされた方がよろしいのではないですか? エリーテンもドルミカルも。ご実家の領地が辺境に移動させられる要因をつくられたのは、あなた方だと噂でお聞きしております。家の中であなたたちの立場が悪くなっていることも、お聞きしております」
イオンは容赦なく、ほとぼりが冷めていた事柄を蒸し返し、凛とした淀みない口調で指摘したことで、教室内のあちこちから冷笑が聞こえてくる。
そのことで、侯爵令嬢の2人が顔を一気に赤くしていく。
けれども、イオンはそこで言葉を止めたりはしなかった。本気で叩き潰しにかかるようである。
「特にエリーテンは、一人娘で婿養子をとるはずでしたのに、現在では家に見放されて嫁ぎ先をお探しとか。しかも、お荷物の処理だというのに、同組のつてをたよりにランビリス公爵家へ婚約話を持ち込んで、即座に断られたとお伺いしています。それなのに、諦め悪く、今尚サイレースに言い寄っているそうじゃありませんか。このことを、ランビリス公爵家の当主やブーリァ侯爵家の当主がお知りになったら、エリーテンの立場はさらに悪くなるのではなくて?」
「なっ……」
「口にしてはいけないことだったのかしら? てっきり、私の耳に入って来るような話しでしたから、みなさんも知っていることかと思いましたが。まだ、噂にあがることをしていない話しだったみたいね。ごめんなさい」
イオンの暴露に、教室内が一瞬だが騒然とし、それまで興味を示していなかった生徒たちまで、嘲笑し陰口を始める。
そこで恥ずかしさに耐え切れず、我慢限界といったように、エリーテンが大声で泣き出してしまった。
だが、イオンは更に追い打ちをかけるつもりだったようである。さすがにこれ以上の攻撃は、逆効果になりそうだと思い、慌ててアルサルミンが止めに入ろうと見動く。しかしその前に、教室へ入って来たサイレースがイオンの口へ手を押し当てるようにして、それを制止した。
「俺をネタに攻撃するのは、そこまでにしとけ」
「あら、早かったのですね。ですが、そうですね。サイレースがそういうのでしたら、この辺にしておきます」
イオンも引き下がるタイミングを見計らってはいたようだ。サイレースの手が離れていくのと同時に、あっさりと攻撃を停止する。
――にしても、なにげにイオンの情報収集能力、すごくない?
同じ公爵令嬢だというのに、アルサルミンが持つ情報量と違いがありすぎた。
思わずそんなことを感心しつつ様子をみていると、サイレースがイオンの攻撃を止めたことで、助けてもらったと思ったらしいドルミカルが、サイレースに向けて救いを求めてみせた。
「サイレース様。いいところへ。どうか、エリーテンを慰めてあげてください。謂れない誹謗をイオン様から受けていたところなんです」
縋る衝くような目で、うずくまり泣いているエリーテンの背を擦りつつ、ドルミカルが訴えた瞬間のこと。
アルサルミンが、それはやっちゃいけない行動だと思ったときには、サイレースが冷たい視線を2人へ向けていた。
「謂れなくはないだろ。お前らの頭ってお飾りか? お前なんかに興味ないって言ってやってんのに、昨日だって、仲間たちと遊びに行った先で、お前らに絡まれたし。迷惑すぎて、我慢限界なんだけど」
「サイレース様、それは……」
「んー……と、そうだな。こいつより上にいく好条件っていうか、家柄も容姿も成績も性格も、こいつより上の自信がある奴がいたら、名乗り出て来いよ。でも、条件が全部揃っていなかったら、1つでも欠けていたら容赦しねぇからな」
「はっ?」
不意にサイレースに腕を掴まれ、引き寄せられた挙句、指をさされ。とんでもないことを口にしてくれたサイレースへ、アルサルミンは絶句する。
しかも、教室内の生徒たちも唖然としていた。
そもそも、性格に上下ってあるのだろうか。それって好みの問題で、判断は人それぞれなんじゃないかと心の中で突っ込みつつも、アルサルミンもどう対応していいか分からず、あうあうしてしまう。
「ちなみに、こいつを攻撃したら、俺もだけど。クレストールが動くと思うからさ。行動に出るつもりなら、それを覚悟の上で動けよな」
大事なことを言い忘れていたと、サイレースが最後に付け足した台詞に、クレストールが舌打ちしたのが聞こえてくる。
――悪いの、私じゃないよ。サイレース様だよ。
思い切り、クレストールの機嫌が悪くなっていくのを察しつつ、教室内にいる生徒たちの視線を一身に浴びることになってしまったアルサルミンは、がっくりと項垂れる。
そんなアルサルミンの戸惑いをよそに、サイレースは満足げに笑みを零していた。
「よし。一件落着だな」
「いや、全然落着してないから。それどころか、煽ってるから」
「お前より上っていう、家柄、容姿、成績、性格が揃っている奴がこの学園内にいるっていうなら、それはそれで見てみたいだろ。あぁ、でも。成績でネーヴェ以外には絶対に負けるなよ、面倒だから」
「面倒って、本音が洩れ出ているし。それに、これって自力での解決って言う? 言わないよね?」
アルサルミンの名もクレストールの名も利用しまくっている気がするため、サイレースへ問いかけると、それで当然だという口調であっさり返されてきた。
「自分の持っているものを使っただけだろ。活用できるものは活用しねぇと」
アルサルミンに向け、浮かべてくれている笑みは、嫌いではない。それどころか大好きなのだが、その辺を分かっていてやっていると思うと、ちょっぴり恨めしく思ってしまった。
心配していたイオンへ対する誹謗中傷といった陰口は、今朝のサイレースの爆弾発言のおかげで、鳴りをひそめてしまったようだ。イオンを傷つけるような発言を耳にすることなく、昼休みを迎えることができた。
マイスリーも同じなようで、朝の教室内の空気は悪かったようだが、サイレースの爆弾発言が噂となり学園中を高速で広がっていったため、話題がそれで塗り替えられてしまったようである。
その分、アルサルミンがパンダ扱いになっていた。
「あー……、寮へ帰って部屋に引きこもりたい」
「ですが、アルサルミン以上の女性を探すのは無理ですから。サイレースもずるいことを条件にしましたよね。さすがという感じでしょうか」
「ネーヴェってば、サイレースを評価しちゃうわけ?」
「ですが、家柄に関しましては、現状アルサルミンと同等なのはイオンだけですし、その上は学園内に存在しておりませんから。その辺を最初から考慮して、サイレースはわざわざ『より上』と提示してましたからね、この条件だけで、既に詰んでしまっています。それに成績面をあげましても、アルサルミンの上を行く人は、全学年を通して考慮しましても、いたとしても極少数でしょうし。容姿や性格に関しましては、好みの問題も加わってきますから、サイレースがひと言『以下』と評したら、それまでですし。私としましても、アルサルミン以上の容姿と性格を兼ね備えている方は、そうはいないと思っていますので。なんといっても、アルサルミンは私の自慢の親友ですから」
完全に欲目という色眼鏡を通して見てくれているネーヴェが、可愛くにこりと笑ってみせる。
その笑みに騙されて、うっかり頷いてしまいたくなるが、ことはそう簡単なことではなかった。
生徒会室でみんなでサンドイッチを食べている最中でも、話題は完全にサイレースの爆弾発言に偏っているのである。ここでこれなのだから、学園内など推して知るべしであろう。
「やってくれましたね、サイレースも」
「あれが一番丸く収まると思っただけだろ」
「だとしても、見事に僕まで巻き込んでくれましたよね」
「でも、動くだろ? だったら、事前に忠告しておいてやる方が親切だと思ったからさ」
溜め息を吐くクレストールへ、サイレースはけろりと返事をしていた。
「ですが、アルサルミンの価値が今回の件で跳ね上がったのは事実ですね。俺の組でも休み時間になると、サイレースがアルサルミンのことを狙っているという話しでもちきりになってましたから」
「それ、俺の組でもそうだぜ。王族の婚約者を相手に、サイレースが公開告白したって」
「あー、そういう風になるのか」
セチロやハルシオンの話しを受け、サイレースが感心したように呟く。
「まぁ、いいか。隠す必要なくなるし」
「そこは隠しておくべきところなんじゃないでしょうか?」
気軽に開き直ったサイレースがあっさり告げると、マイスリーが突っ込みを入れてくる。
思わず、もっと突っ込んでやってくれと、アルサルミンは思ってしまう。
――今週って、終結に向かっていく週じゃなかったっけ。
怒涛の一週間を乗り越えたと思った矢先の、今朝の出来事。アルサルミン的に最良の策と思われた、イオンとマイスリーの仲良し計画は、不発に終わりそうである。
イオンやマイスリーが悪しざまに陰口をたたかれるのを聞かずに済んでいるので、そっちの意味では、良かったのかもしれないが……。
――また、私の悪評がたちそうだよね。
切っ掛けを作った侯爵令嬢の2人組は、思わぬ方向の流れに、いそいそと教室の中央から抜け出して、自分の席へ戻り何食わぬ顔をしていたところを見ると、泣き真似だったらしいことが窺えた。同情を引こうとして、大失敗したというところだろう。
しかも、イオンからだけでなく、サイレースからもこてんぱんにやられてしまって、這い上がってくる根性もなくなっていることだろう。
それに対しては正直なところ、イオンを貶め、さらにはイオンと少しずつ距離を縮めてきている取り巻きの乙女5人を、自身の権力を笠に勧誘したりしていたので、様を見ろという気分ではあるけれども。
――まさか、私までも渦中に身を投じる羽目になるなんてなぁ。
そんな予定は微塵もなかったことで、週明けの月曜日の。しかも、昼の時点で疲れ切った心境になってしまった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




