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 一時間目の授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響くと同時に、アレジオンに「今日はもう授業にでなさい」と。「みんなが心配しますよ」と諭され、植物がたくさん植えられているガラス張りの建物から、アルサルミンとネーヴェは半ば追い出される形にて、外へ出た。そして、アレジオンに言に従うように、二時間目の授業に間に合うよう、2人は速足で教室に戻り、それぞれの席に着くと、いつも通りの生活に戻っていった。

 席に着く際、クレストールになにか言われるかと思ったが、杞憂であったようである。特に嫌味を言われることもなく、済んでしまった。それが却って不気味に思えたが、どこか声を掛けにくそうな雰囲気を纏っていたので、敢えて自分から藪を踏んで蛇に噛まれることもないと思い、黙って様子を見守ることにする。

 そして迎えた昼休み。

 ネーヴェが入学して来た、取り巻きの乙女たちを失った日から、恒例となってしまった孤独なお昼の時間。いつもと変わらず、アルサルミン自らで食堂の前側となる調理場の窓口に設置されている昼食置き場に向かい、トレイに昼食を次々取り乗せていくと、ここ最近の定位置である周囲に人のいない場所へ腰を落とし、食事を開始する。

 ひとりであるアルサルミンは、誰になにも聞かれることをせずに済んでいるが、元アルサルミンの取り巻きの乙女たちだった少女らに取り囲まれているネーヴェは、おそらくそうはいかないだろう。なんといっても、年頃の乙女たちは好奇心でできていると言っても過言ではなかった。

 食堂での、彼女らが座る場所も決まっていることから、そちらに背を向けるように座っているアルサルミンには、どのような様子なのか探りようもないのだが、その集団からは、平常通り賑やかで華やかな笑い声が響いていた。

 その声の明るさから感じ取る限り、思っていたよりも、みんなからの追及はされていないのかもしれない。

 そうならばいいのにな。と、ネーヴェのことを考えながらも、ふとした瞬間に思ってしまうのだ。

 ――なにもかも失っちゃったんだ。

 べつに、取り巻きの乙女が戻って来て欲しいわけではない。アルサルミンにとっては重要なステータスのひとつだったかもしないが、現状のアルサルミンにとっては人付き合いが得意とは言えず、できることならば取り巻きの乙女たちみたいな集団とは、うまくコミュニケーションがとれない気がするので、疎遠でいたいと思ってしまうのだ。それは嘘とか見栄とかではなくて、本音である。

 けれども、ここ最近、ひとりで食事を摂っていることを気に掛けてくれていたサイレースまで失ってしまったことは、アルサルミンにとって大痛手であった。

 しかも、ネーヴェの機転でなんとか乗り越えたが、危ないことに、親密度が限りなくゼロに近い状態のサイレースの前で、泣いてしまうところだったのだ。そんなことをしたら、余計に嫌われてしまうというのに。

 面倒くさがりで、うざいことが大嫌いなサイレース。

 ――ネーヴェに感謝しないと。

 そう思い、心の中で手を合わせるようにして、ネーヴェにお礼を告げる。

 それというのも、あの集団を割って入る勇気なんてないからである。しかも、もし現実にそんなことを実行したら、乙女たちの話のネタにされてなにを言われることやら。

 風雅だったころ、家で家政婦を雇っていることや、それぞれ仕事が忙しく滅多に顔を合わせることのしなかった反面、風雅には過剰なほどにお小遣いを渡していたり、成功を収めた人物として時にテレビに出演することもあった両親のこともあり、あらぬ噂を立てられたりしことなんて一度や二度ではなく、何度も経験してきたのだから、そういうことに慣れていてもいいはずなのだが。好きに言ってくれて構わないと思っていても、現実では意外と気になってしまい、諦めることはできても慣れることはあまりないようだ。

 ――やっぱり、ありもしないことで噂を流されるのも、どうでもいいようなことで陰口を叩かれるのも、嫌だもんね

 そう思い、アルサルミンはスプーンを手にすると、スープを口にする。

 サラダにスープ、パンにジュースに牛乳。パンに付けるジャムやバター。それから、メインのおかずが一品。それと、希望すれば出してもらえる食後のコーヒーというのが、この食堂でのお決まりのセットであった。

 風雅だったら、絶対に食べきれない量である。アルサルミンの周りに集っていた乙女たちの中にも、食べきれない者が何人もいた。中にはダイエットのため、我慢して食べないでいる人もいたようだが。

 けれども、アルサルミンにとっては、手ごろな量であった。常ならば、であるが。

 なにが切っ掛けだったのか。知らないうちに、勝手に恋愛を中断させる回避イベントが発動して、親密度が激減してしまったのである。15歳になるまでのアルサルミンがせっかく貯めておいてくれた親密度だというのに。そのことに少しも気づかなかった自身を、アルサルミンは責めてしまう。

 ――私って、本当にバカだよね。

 あれほどサイレースしか見ていなかったのに。その言動は妙に友好的で、どう考えても初期の親密度の低い状態ではなかったことくらい、なぜ見抜けなかったのか。

 そう思うと、悔やまれて悔やまれて。スープを掬うスプーンの動きが止まってしまう。

 そして、思考の中に身を投じてしまっていたアルサルミンの肩が、不意に叩かれた。それがアルサルミンにとっては不意打ちとなり、握っていたスプーンをスープの中に落としてしまう。

「あっ、悪りぃ」

 スープ皿の底の方へ潜ってしまったスプーンに別れを告げていたアルサルミンは、耳に届いた、大好きな人の声に敏感に反応してしまう。

 ここは、振り向くべきところか。それとも、無視するべきところか。そんな迷いを胸に抱きながらも、悩むまでもなくアルサルミンに選べたのは振り向くことだけだった。

「サイレース……」

「その。今朝は、本当にごめん」

「え?」

「昨日の今日で、なんか照れくさくて。どう接すればいいのか分からなくなっちまって。つい、バカやっちまったんだ」

 すまなかったと告げてくるサイレースは、いつもの、アルサルミンが知っているサイレースであった。

 ――これって、回避イベントが失敗したってことなのかな。

 サイレースのルートを開いたアルサルミンとは、別人と言っても過言でない、前世の記憶を取り戻したアルサルミンが続けてもいいということなのだろうか? と、ちょっと不安になってくる。

 そんなアルサルミンの心中の葛藤を知らないサイレースは、傍らへ腰を落とすと、アルサルミンをまっすぐ見つめてきた。

「昨日言ったことは、そのぉ……本気だからさ。でも、返事は、急がせるつもりねぇから。今の俺じゃ、婚約者のクレストールに及ばないのは、よくわかってっからさ」

「そんな……」

 そんなこと全然ないのに。と、今すぐ飛び付き交際を承諾したいところであったが、周囲の目もあるし。やはり、クレストールの存在が、アルサルミンにとってもストッパーとなっていた。

「でも、じゃあ、もしかして、こんな風に今まで通り付き合ってくれるってこと?」

「当然だろ。っつーか、こうして並んで飯くったりしてると、デートしているような気分になれて、ちょっと鼻が高かったんだぜ」

「私だって、ひとりじゃなくて、心強かったよ。サイレースが傍にいてくれて」

 夢のようだと。朝の出来事など吹っ飛んでしまうほどに、アルサルミンの胸の中は今のサイレースでいっぱいになって行く。

 しかし、ネーヴェには違うようであった。

 サイレースがアルサルミンに近づいて行くのを見ていたネーヴェは、自分を取り囲んでいる乙女たちの中から抜け出して来ると、サイレースから守るように、アルサルミンの頭に抱き着いてきた。

 もう、すっかり覚えてしまったネーヴェの胸の感触。お風呂に入る姿がちらっと覗けてしまったとき見えたのだが、胸の形もとても綺麗だった、

 本当に可愛らしい見た目通り、女性らしい体形をしているのだと、その時実感した。さすがはヒロインだけはあると言ってもいいかもしれない。

「どうしたの、ネーヴェ?」

 本当は、ネーヴェがなにをしに来たのか分かっていたが、敢えて問いかけたアルサルミンの声を聞き流すよう、ネーヴェはサイレースに向けてキツイ声で語り掛けていた。

「アルサルミンは、あなたのおもちゃじゃありません。気分次第で振り回して、楽しいですか?」

「それは……、反省している」

「反省だけですか? アルサルミンに、あのような涙を流させておいて」

 怒りを顕わにするネーヴェは、簡単にはサイレースを許す気はないようである。

「アルサルミンが、あなたの態度で、どれほど一喜一憂しているか。今朝の態度で、どれほど傷ついたか。本当に分かっているんですか?」

 それを言ったら、色々バレバレじゃんと、ネーヴェに心で突っ込むが、実際にはそれを口にできる雰囲気ではないので、アルサルミンは黙って2人の会話に耳を傾けるだけにする。

「だから、今朝は、本当に悪かった。泣かせようなんて、思ってなかったんだ」

 まして、本当に泣くなんて微塵も思っていなかったのだと、サイレースはネーヴェに訴える。

「泣かせようと思って、相手を泣かせるのは、未だ女性の扱い方を知らない小さな子供がすることです。この年になったら、アルサルミンが繊細な心の持ち主だってことくらい、分かるでしょう。もう15歳で成人なのですし。大人の男性でしたら、好きな相手を泣かせないように心がけるのが。普通じゃないですか?」

「昨日、ちょっと、考えなしに早まったことをやっちまったから。それで、どう対応していいかわからなくなって。それでつい、逃げ出したくなって、そっけない対応になっちまっただけで――」

「アルサルミンが、傷つくのもかまわず、ですか?」

 冷たい。とても冷ややかなネーヴェの声。こんなネーヴェは、初めてである。

 本当に、アルサルミンのことを大切に思ってくれていることが伝わってきて、思わず、ネーヴェがアルサルミンの頭に回している腕に、アルサルミンはそっと手を添えていく。

「ネーヴェ、ありがとう」

「アルサルミン」

「でも、もう、大丈夫だよ」

「アルサルミンは、優しすぎます」

「それは、ネーヴェのことだよ」

 アルサルミンを抱く腕に力を籠め、頭上に頬を押し付けてくるようにして、抱きしめてくれるねーヴぇに、アルサルミンは甘えるように、ネーヴェの腕に指先を巻き付ける。

「サイレースはね、未だ本当に私のことが好きなのかどうか、分かってないの。好きだって言い切る自信がないんだよ。でも、最近のクレストールの言動が妙に積極的だから、焦っちゃっただけなんだ」

「そんなことっ!」

「ううん。ネジが一本飛んじゃった私は、サイレースが好きだと思っていたころの私とは違っちゃっているはずだもん。自分の本当の気持ちが分からなくなって当然だよ」

 否定しようとしてきたサイレースに、アルサルミンはゆっくりと言葉を重ねる。

「だから、私のことを本当に好きだと思えるようになったら、また告白してくれる?」

 それまで、待っているから。と、アルサルミンはにっこり笑ってサイレースにお願いをする。

「アルサルミンは、人が良すぎます」

「だって、本当のことだもん」

 そうでしょう。と、サイレースを見つめると、真面目な表情で、アルサルミンのことを見つめてきていた。

「俺の気持ちがはっきりすれば、アルサルミンはちゃんと応えてくれるんだな?」

「うん。よろこんで」

 だから。

「それまで、今までのように構ってほしいな。ひとりの食事はつまらないもん」

「そんなことくらい、いくらでも付き合うさ」

 嬉し気に笑うサイレースに、アルサルミンはホッとする。

 ――恋愛が中断しちゃう回避用のイベント、これでなんとか防げたよね。

 もう二度と、親密度の減った時もサイレースの対応など見たくないと、アルサルミンは心から思う。

 15歳までのアルサルミンに、謝罪し。そして、お礼を言い。公爵令嬢としても悪役ライバルキャラとしても色々と物足りず、心許無い現在のアルサルミンではあるが、彼女の開いてくれたサイレースのルートの続きを引き継ぐ決意を固めていく。

 ――好きになる切っ掛けは、私じゃなかったけど。

 でも。

 ――好きになってもらうのは、私であるようがんばろう。

 クレストールの問題は、おいおい考えていくしかないのだと、アルサルミンは考える。

 ――おそらく、今のクレストールに婚約破棄を願い出ても、断られちゃうだろうから。

 なにが良くて、執着心を示すのか。アルサルミンの頭からネジが一本飛んだ途端、いきなり見せ始めたクレストールの好意の正体が分からないのだから、その理由をちゃんと探すしかないと、思うのだ。

 フラグを立てた記憶もないし、回収した手ごたえも得ていない。親密度に至っては、これまでのアルサルミンが頑張ってきたかもしれないが、以前のクレストールの言動からすると効果のほどはたかが知れているといった程度であった。

 ――これだから、腹黒キャラって苦手なんだよ。

 だから、触らぬ神に祟りなしと、ゲームでも一切触れずに来たのである。

 単に、腹黒設定の苦手キャラだったから、でもあるのだが。

 ただし、苦手は苦手でも、ゲームをしているときほどに、クレストールのことを嫌だと感じないでいる自分が存在していることも分かっていた。好意を見せてくれている、心地よさも手伝っているのかもしれないが、苦手だとは思っても、嫌ではなかった。

 少なくとも、アルサルミンに向けられてくるクレストールの優しさや想いは、嘘や偽りではないと分かるから。

 ――かなり想定外ではあるんだけどね。

 エンディングは見ていないが、ゲームの中では、アルサルミンに婚約破棄を言い渡し、ヒロインを選ぶクレストール。

 そんなイメージしかなかったのだが、アルサルミンになってみて分かることも多くある。

 だけでなく、機械の中で決められたルールに沿って動いているキャラクターと、独自の意思を持つ生身の人間として独自に考え動いている者との違いもあるのだろうと、その辺は理解している。つもりである。

 ――とにかく、クレストールのことも考えなくちゃだし。

 まだ、好きだという単語を使ってはこないが、クレストールが向けてきてくれている好意はきちんと伝わってきているのだ。逃げてばかりはいられないとも、分かっている気がしている。

 ――ゲームは未だまだ、序盤だもん。これからだよ、これから。

 15歳までのアルサルミンは、すでにゲームを開始していたようだが。今のアルサルミンは、ネーヴェと共に始めたばかりなのである。

「んじゃ、仲直り」

「あぁ」

 色々考えても、こんがらがるだけなので、思考をいったん中断させ。アルサルミンはサイレースへと手を伸ばす。同時に、笑顔を浮かべたサイレースから握り返されてきた手は、アルサルミンよりも大きくて、どこか固かった。

 アルサルミンを守ろうと、抱き着いてくれているネーヴェの柔らかさとは、まるで違ってていた。

 そのことを感じ取った瞬間、アルサルミンは再び思う。

 ――やっぱり、サイレース様って最高!

 それまでのグダグダした思いなど吹き飛んでしまい、このまま突っ走って、三年後のエンディングはサイレース様と迎えてみせる。と、心に新たに誓ったアルサルミンであった。

誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。

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