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上位爵位用の寮へ、他の寮の者を呼ぶ場合、手続きが必要となる。その手続きを寮へ到着すると同時にさっさと済ませてしまうと、その足で平民用の寮へとアルサルミンは向かって行った。
事前通達なしの訪問だったので、平民用の寮では、ちょっとした騒動になってしまったが、気にしてなんかいられないアルサルミンは、すでに帰宅しているはずのネーヴェの呼び出しを依頼した。
ほどなくして、ネーヴェが慌てた様子で現れる。
ネーヴェのステータス等を考えると当然なのかもしれないが、入学して来てからまださほど時間の経っていないネーヴェであるが、寮内での知名度は高く。名前を言っただけで、すぐに何年何組の誰だか分かってもらえたり、寮内でネーヴェが歩いていると、すれ違う生徒が振り返ったり見惚れたりしているのが見て取れた。
――さすがはネーヴェ。
なぜか自分のことのように自慢気になりながら、ネーヴェがアルサルミンの前へ到着するまで気分良く待っていた。そして、ネーヴェがアルサルミンの元へ到着すると同時に、アルサルミンは急な訪問のことを謝罪した。
「ごめんなさい、ネーヴェ。断りもなく邪魔しちゃって」
「いいえ。それはいいけど……って、よくないわよね。いったい急にどうしたの? アルサルミン」
「どうしたって言うほどのことではないんだけど……」
あまりに真剣な表情で問われてしまい、アルサルミンはちょっと困惑してしまう。けれども、ネーヴェはそれに構うことなく、事実をありのままに口にする。
「こんなことは、本当は言いたくないのだけれど。貴方は公爵令嬢なのよ。ここは貴女のような上位爵位の者を迎え入れられるような、綺麗な作りの寮じゃないの。それなのに……」
「ねぇ。それじゃあ、ネーヴェ。私は作りが綺麗な建物じゃないと入っちゃいけないの?」
「そういうことではないのだけど」
「じゃあ、いいじゃん。ネーヴェに会いたくなって来たんだもの。建物を見に来たわけじゃないんだよ」
にっこり笑って、気を使ってくれるネーヴェにはっきりと言い切る。
「それよりネーヴェ。泊り支度をしてきてくれないかな。私の部屋へ、止まりに来てほしいんだ」
「え?」
珍しく、驚きを表に出すネーヴェを、アルサルミンはまっすぐ見つめる。
「ネーヴェを招待したいの。急すぎたことは謝らないとだめだけど、たまには朝まで……って訳にはいかないけど、夜遅くまでお話したいなって」
「あぁ。アルサルミンったら。なんて嬉しいこと言ってくださるのかしら」
コミュニケーションをこよなく愛するらしいネーヴェに、瞬間ぎゅっと抱きしめられる。
「でも、平民の私が、上位爵位の寮へお邪魔するなんて。本当に大丈夫なの? アルサルミンに迷惑をかけたりしないの?」
「だったら、ネーヴェが私を招待してくれる?」
どっちでもいいよ。と、ネーヴェの好きな方を選んでちょうだいと、アルサルミンがネーヴェの返事を待っていると、意を決したようにネーヴェがアルサルミンを解放した。
「少しばかり、私の部屋に付き合ってくださいませんか? 準備をするので」
「うん、ありがとう」
「スリッパなんですけど。これしかなくて……」
と、申し訳なさそうに下駄箱の中に入っていた、質素な作りのスリッパをアルサルミンの前となる位置に置くネーヴェは、本当に恐縮しまくった表情をしていたので、意図してアルサルミンは躊躇いなくスリッパに足を通した。
「ここは、入り口で履き替えるんだね」
「えぇ」
「いろいろ違っていて、楽しいね」
元は庶民。とは言えない生活を送ってきたので、生活の水準が、アルサルミンほどでは全然ないが、平均からするとそれなりに高い方にあった風雅の視点から見ても、物珍しいものがあり。アルサルミンはワクワクしながら、ネーヴェが案内してくれた部屋へと入っていく。
「この椅子に座っていてください。すぐに用意しますから。っていっても、正直、アルサルミンの持っている服や寝着に比べたら、本当に恥ずかしい服や寝着しか持っていないんだけど」
「えー。そんなことないよ。そういうことは気にしないで欲しいな」
貸すこともできるし、あげることも可能だが、それはきっとネーヴェが喜ばないだろうと思い。故意に、ネーヴェ自身のものを用意してもらっているのである。ここで気後れされて、やっぱりやめたと言われたら困ると、アルサルミンは内心で焦ってしまう。
そんなことを考えつつ、建付けのクローゼットから服を取り出しているネーヴェを見つめていたら、ネーヴェがほんのり赤くなった。
「私、見た目のせいか、フリルのついた服を買ってもらうことが多くて。中身は全然違うのに、おかしいでしょ」
「全然。ここにある服、どれもとてもネーヴェに似合ってると思うよ」
準備中、開いた引き出しからちらりと覗けた下着も、尖ったイメージの外見をしているアルサルミンが付けたら似合わないだろうなという感じの、レースやリボンがたくさんあしらわれたものであったことに、羨ましいものを感じてしまっていた。
ネーヴェはヒロインだけあって、乙女ゲームにありがちな、見た目は可愛い系の美少女なのだ。ただ、外見にそぐわず、中身が最強で無敵なだけである。誰かのせいで。
「アルサルミン、お待たせしてしまい、ごめんなさい。準備が終わりました。足りないものがなければいいのですが」
「足りないものがあったら、その時は貸してあげるから。気にしないで」
「ありがとうございます。その時は、お言葉に甘えさせていただきますね」
「うん。じゃんじゃん甘えて!」
「それは、私的に、困ります」
ドンと胸を叩き、任せなさいと訴えるアルサルミンへ、ネーヴェは小さく苦笑した。
「では、アルサルミン。今晩はアルサルミンの部屋でお世話になります。よろしくお願いしますね」
「うん。じゃあ、さっそく私の部屋へ行こう!」
アルサルミンは浮足立つよう、ネーヴェの手を取ると、平民用の寮の入り口にて管理者の人にお邪魔しましたとお辞儀をすると、2人揃って上級爵位用の寮へと向かって行った。
その途中、ネーヴェがちょっぴり注意する口調で、アルサルミンに告げてきた。
「公爵令嬢が、平民相手に気軽に頭を下げるのは、ダメですよ」
「だって、急に来て迷惑かけちゃったから」
「それでもです」
「えー」
「でも、これは本来いけないことで、内緒ですけど。そんなアルサルミンが、私は大好きなんです。平民の私とも隔てなく接してくれて、本当に嬉しいの」
不平を零すアルサルミンへ、ネーヴェはくすりと笑いを零す。そして繋いでいた手に力を込めた。
恋話は、夜のベッドの中でするものだろうと。日中は、先ずは招待の接待として、お茶とケーキを2人で食べる。その間の会話は、色気のない生徒会でネーヴェたちにまとめてもらったイベントに関する、意見交換となってしまう。そして、その話題をずるずると引きずる形で、夕食時間を迎えてしまう。
「ねぇ、リテラエ。手間をかけてしまうんだけど、私とネーヴェの夕食分をこの部屋へ運んで来てくれないかしら」
許可は貰っているので、怒られることはないだろうし。招待した相手は、魅力とカリスマの塊であるネーヴェである。そこらの貴族に圧し負けるとは思えない。けれども、平民であるネーヴェとしては、上位貴族が集まる夕食の場で、食事を摂るのは精神的に美味しくないだろうと思い、アルサルミンは部屋で食事を摂ることに決めていた。
対するリテラエも、最近では今のアルサルミンの対応に慣れてきていて、心得たものである。
さすがは長年アルサルミン付きのメイドをしてきただけのことはあると、感心してしまうくらいであった。ネジが一本飛んでしまった主人であるにも関わらず、バカにすることなくアルサルミンの世話を快く引き受けてくれていることに対して、感謝もしている。
そんなメイドのリテラエは、にこりと笑って告げてきた。
「アルサルミン様、そう思って、お食事をお部屋に運んでもらえるよう手配しておきました。もちろん、並べるのは私ですので、そこは私などいないものと思って、ネーヴェ様も周りを気にすることなくお食事を楽しんでください」
「そんな。ありがとうございます」
「お礼なんて、とんでもない。アルサルミン様が日ごろお世話になっていると仰られ、とても可愛らしくて、とてもカッコイイのだと日々自慢されている、ネーヴェ様にお会いできて、今日はとても嬉しく思っています」
そう述べると、ドアノッカーを叩く音が響いたために、メイド用のドレスの一部を軽く摘まみ、少し速足で扉の方へと向かって行った。
どうやら、頼んでおいた夕食が届いたようである。
「ご苦労様。どうもありがとう」
扉の向こう側の相手にリテラエはお礼を述べると、2人分の夕食が載せてあるカートを室内へと引っ張り込んできた。
それと同時に、扉を閉める。
「準備ができるまで、もうしばらくお待ちください」
「よろしくね、リテラエ。余計な仕事を増やしちゃって、ごめんね」
「アルサルミン様、これくらいのこと、どうってことありませんよ。いつも言っておりますが、メイドに対して気を使うのは、ほどほどにしてくださいね。お気持ちは嬉しいのですが、メイドとはそういうものなのですから。それに、アルサルミン様がお友達を連れてこられるなんて、本当に初めてのことで、そのことの方が私としてはとても素晴らしい大事件ですので。それも、こんな素敵で魅力的な方を連れていらっしゃるなんて――」
夢のようでとても喜ばしことだと。アルサルミンが申し訳なさそうしているのに反し、リテラエはすごく幸せそうに応じてみせた。
夕食は、堅苦しい話題を避け、食事の感想を語り合いながら、食事をすすめ。その後、リテラエにお茶をいれてもらい、休憩を挟んだところで、交互にお風呂に入ることになった。
本当は、せっかくの貴重な一夜である。アルサルミン的にはお風呂へ一緒に入っても全然良かったし、それくらいの広さは十二分にあるのだが、そこはお互い年頃の乙女である。ネーヴェの方が完全に照れてしまっていて、結局その提案は諦めるほかないとアルサルミンは判断を下し、互いに譲歩し合った結果、負ける感じでアルサルミンが先にお風呂に入ることになった。
その後、リテラエに手伝ってもらいながら、アルサルミンが入浴後のお手入れを必死になって行っている間に、ネーヴェがお風呂に入り。出て来たところで、ネーヴェの髪に触りたいという理由から、髪に良いからと理由をくっ付け、アルサルミンが使っている香油を薄く髪に塗り込んだ後、ネーヴェの髪を乾かさせてもらい、その後は互いに就寝の身支度を整える。
「それでは、ごゆっくりお休みください。少し早いですが、私は隣の部屋に戻らせてもらいます。なにかありましたら遠慮なくお呼びください」
今夜はこれで失礼します。と、深々と頭を下げて、リテラエはメイド用に用意された部屋の方へと入って行った。
これで、部屋に残されたのは、ネーヴェとアルサルミンの2人だけ。
大きなベッドに2人で横たわり、自然に向き合うように寝方になったのを機に、アルサルミンはネーヴェの手を取ると、軽く手を握り込む。
「ねぇ、ネーヴェ」
「どうかしましたか? アルサルミン。聞きたいことでもあるのでしょうか?」
「それなんだけど、恋話ってどうすればできるんだろう」
知ってる? と、真面目な顔でネーヴェに問いかけたら、ネーヴェが愛おしそうに瞳を揺らし、アルサルミンと繋がっている手を胸元の方へ引っ張り上げてきて、ネーヴェのほうが握り込むように、手の向きを変えてしまう。
「アルサルミンは、本当に正直ですね。なんて可愛らしいのかしら」
「正直って言うより、知らないことだらけなだけなんだけどね」
思い立ったが吉日で。気持ちが怯む前に、ネーヴェを捕まえて、体当たり方式で恋話をしようと思ったのだが、思い返してみれば、前世でも今世でも、誰かと恋話をしたような経験はなく。記憶を頼れない以上、聞いてみるしかないと覚悟を決めて、ネーヴェに訊ねたら、ネーヴェが嬉しそうに笑ってくれた。それも、アルサルミンまで、なぜか、嬉しくなってきてしまうような笑みをである。
「ネーヴェと、女の子の友達らしく、恋話とかしてみたくて」
「アルサルミンには、大好きな方がいらっしゃいますものね」
くすくすと微笑んるネーヴェは、アルサルミンの手から手を離すと、もう少し腕を上の位置に変えるようにしてアルサルミンの頬へと触れてきた。
「安心してください。私は、なぜかその方に会った当初から親しみを感じたりはしていましたが、恋をしているのというのとは全然違っていて。その方のことを友達として、話しやすくて気さくで、男の方の中では気に入っていると言ってもいいかもしれませんが、本当にそれだけなんです。アルサルミンが心配するようなことは、本当にありません」
ゆっくりと、優しい声音にて告げられてくるネーヴェの言葉の意味を察して、アルサルミンは反射的に顔を真っ赤に上気させてしまう。
「そ、そんな。その……べつに」
「毎日のように私の周りに集ってくださるみなさんは、アルサルミンのことを色々と問題があるように仰るのだけど。私の知っているアルサルミンは、とても正直で誠実で真っ直ぐで頑張り屋で、公爵令嬢としてはちょっと変わっているのかもしれませんが、そこも含めてとても愛くるしい方だと感じています」
「ネーヴェの方こそ、正義感が強くて行動力があって、とてもやさしくて、頭も運動神経もよくて、お料理も上手で、そのうえとても魅力的で、みんなの信頼を得ている、私にとってとても素晴らしい自慢の親友だと、思っているよ。これまでにいっぱい助けてもらってるし」
そうなのだ。たとえそれが風雅の金の力で与えらえた効果であったとしても、これまでに幾度も助けてくれたのはネーヴェ本人なのだ。そして、それまで取り巻きだった乙女たちがひとり残らず消え去ってしまったアルサルミンに対し、臆することなく友達になって欲しいと言ってくれて、乙女たちから色々と聞かされているだろう陰口に感化されることなく、それを実行するように傍にいてくれる女性は、ネーヴェだけなのである。
それは、まるで、前世で唯一無二の親友であった子と同じではないかと、アルサルミンは思ってしまう。
「ネーヴェに出会えて、本当によかった」
「本当ですか、アルサルミン! なんて幸せなことかしら。アルサルミンから、親友と呼んでいただけるなんて、本当に夢のよう」
うっとりと瞳を輝かせるネーヴェはとても可愛らしく美しく、ありったけの魅力を振りまいていた。
「ねぇ、アルサルミン。私は、平民という立場もあるからかもしれないけれど、この学園で生活している現在、もし恋をしているとしたら、アルサルミンに対してなのかもしれません」
「えぇ~?」
「いえ。あの。もちろん、親友として……ですけど」
「あー、うん。そう言ってもらえるなんて、嬉しいな」
ネーヴェの発言の本意を聞いて、得心がいったと、アルサルミンは笑顔を深くする。
そんなあるアルミンに、ネーヴェは真面目な表情を浮かべた。
「ですから、未だ入学して来てから日が浅いのですが、学園内で出会ってきた男性に心惹かれるようなことは、今のところ一度もないのです。今、アルサルミンを通して出会い関りを持っている男性方のことはかっこいいとは分かるし、おもってもいるのですが。でも、それが恋に繋がることはしていないのです」
「それって、学園の外に好きな人がいるってこと?」
「いいえ。言い方が悪かったですね、申し訳ございません。もしかしたら、私は精神的にまだ成熟しきってないのかもしれません。生まれてこの方、将来を共にしたいと感じられる男性に出会ったことがありません」
「えー。そんな重く考えなくても。今、この瞬間を一緒に過ごしたい。とか、そういうのを感じたこともないの?」
「はい。今のところ、自分から傍にいたいと思えたのは、アルサルミンが初めてです。男の方に対しては、未だそのようなことを感じたことはありません」
恥ずかしい話をしているような気分なのだろう、羞恥ではにかむようにしながら、それでもネーヴェは正直に本心を包み隠すことなく、アルサルミンの質問に答えてくれる。
――ネーヴェって、もしかしたら。
鬼畜なステータスや魔力、加算されたり追加されたりしまくった隠しステータスのおかげで、なにもしなくても人が周囲に集まってきてしまい、その人たちがネーヴェを称賛し、信頼してくれる反面、重たいくらい期待され、依存されてしまい、常にネーヴェの周囲がそんな人たちに固められているために、自らの意思で選んだ人と接したことがないのかもしれない。
それでもきっと、常に魅力あふれる笑顔を浮かべ、強力なカリスマでみんなを受け入れ続けていたのだろう。
――なんて、すごく我慢強い人なんだろう。ネーヴェって。
これまで、さぞ息苦しい環境に身を置いてきたのではないだろうか。でも、それに負けることなく健気に生きて来たと思われるネーヴェの、これまでの人生を想像したことで、アルサルミンは耐えきれずに腕を伸ばすと、ネーヴェを抱きしめた。
――私だって、ネーヴェの持つステータスや魔力、隠しステータスの存在に期待して、依存してしまっているところがあったもの。
アルサルミン以外の人たちだって、ステータスのこととかは知らなくても、強い力を秘めているネーヴェから何かを感じ取り、アルサルミンと似たような気持ちでネーヴェに接していても不思議はないのだ。現実に、入学して間もないネーヴェに、既にクラスのリーダー役を押し付け、それにネーヴェが応えてくれるとみんなで期待しているのである。
「ごめんなさい。辛かったよね」
「え? どうしました、アルサルミン」
「ううん。ネーヴェってすごいなぁって。えらいなぁって、思っただけ」
「それは、アルサルミンの方ですよ。平民の私が突然頬を叩いてしまったときも、私が平民であることを気にも留めず、対等に扱ってくれた上に、怒りもせずにきちんと事情を説明してくれました。あれは、アルサルミンは自覚ないようですが、とてもすごいことなんですよ」
「そんなことないよ。学園内ではみんな対等だってなってるじゃん」
「いいえ、そんなの口先だけです。仮にあの場でアルサルミンが怒ったりしたら。いえ、あれは私の誤解だったので、怒られても当然だったのですが。とにかく、公爵令嬢であるアルサルミンがひとこと私を気に入らないから退学させろと、上に進言されていたら。そのときは、私は学園にいられなくなっていたでしょう。たとえ、それが理不尽な怒りによるものであっても、同じです。私は学園にいられなくなるでしょう」
「そんな……」
この学園のうたい文句のひとつが、貴族と平民が対等であることなのだ。
15歳までのアルサルミンだって、そのことを信じて疑っていなかった。と、記憶は訴えている。
「そんな危険を冒してまで、ネーヴェは出会ったばかりの、あなたが声を掛けて集めた訳でもない。自然に集まってきた乙女たちのために、怒り、私を叩いたんだ……」
「あの時は、すみませんでした」
「気にしてないよ。それより、ネーヴェの正義感の強さに感服するよ」
「ありがとうございます、アルサルミン」
嬉しそうに微笑むネーヴェを前にして、アルサルミンは話しが逸れていることに気づいてしまい、軌道を修正することにする。
「ところで、ネーヴェ。恋話に戻すけど、クレストールのことはどう思う?」
「え? クレストールですか。アルサルミンに不埒なことをしようとした男だと思っていますよ」
「え! いや、そうじゃなくて。ネーヴェ的に恋人として、有りか無しかってことなんだけど」
「そうですねぇ。彼は、言うなればライバルでしょうか?」
「……」
やっぱりそうか。と、がっくりしながら、アルサルミンはネーヴェを解放する。
「付き合ってみてもいいかなぁ。とか、思ってみたりしない?」
「アルサルミンの婚約者ですよね?」
好きな方は他にいらっしゃるようですけど。と、言外で告げながら、ネーヴェは可愛らしく小首をかしげる。
そんな些細な仕草を取る度に、魅力が飛び散っているのを、アルサルミンは感じてしまう。キュンキュンくるのだ。
「そうだけど、今はそのことを忘れて。良いか悪いかで返事が欲しいかなぁって」
「正直なことを言っても、いいですか?」
「うん。もちろん!」
「本当に、分からないのです。クレストールもサイレースもセチロも、私の身近にいる男性は数が少ないのですが」
躊躇うネーヴェに、アルサルミンは「私も一緒だよ。傍にいる男性って、それくらいだよ」とにこやかに応じる。聞きたいのはその続きなのだ。そのため、アルサルミンは先を促すように、ネーヴェを見つめる。
それに応えるよう、ネーヴェは口を開いた。
「どの方も、この学園にいる他の男性たちと比べて申し訳ないのですが、劣ることなくすばらしい男性だと思います」
「うん。私もそう思うよ」
「ですが、アルサルミンに対したときのような、感動に似たときめきを感じたことは、今のところないですね」
「そうなんだ」
「今は、それより。アルサルミンという親友を得られたことが嬉しくてしかたがありません」
恋はまだ先だと、そう言いたいようである。
――うーむ。
真っ赤になって照れているネーヴェを前に、アルサルミンは悩んでしまった。
――こんな素敵なネーヴェに、無理矢理クレストールを押し付けても、いいものなのだろうか?
かなり心が痛む気がする。
そもそも、おぜん立てしてフラグを立てるのに成功したとしても、それに対してネーヴェが困るかスルーするかしてしまうだけのように思えてしまった。
――私、悪役のライバルキャラだよね?
本当にこれでいいのだろうか。なんて、思いながら。ネーヴェを目の前に、悪意ある行動を取り辛く感じられてしまい。アルサルミンは頭を悩ませる。
本当は、クレストールを押し付ける予定だったのに。こうして語り合ったことで、より一層、そんなことをしてはいけないような気になってきてしまっていた。
――にしても、まるで恋ができないような言い方だよね。
照れくさそうに話している言葉の端々や、時折見せる表情から、どこか寂しそうなものが伺いとれてしまっていたのは、おそらくアルサルミンの勘違いなどではないように思えていた。勘ではあるが。
でも、ネーヴェだって年頃の乙女なのである。
――そもそも、未だ『Eterrnal Love』に出てくるキャラが全員揃ってないんだよね。
最後のひとりとなる、生真面目キャラ。それと、噂に昇っていたのが、スペックの高さで人気のあった、平民だという隠しキャラ。
アルサルミンは、風雅が何度もプレイしていたことで、時折その隠しキャラと遭遇していたので、顔や名前は知っていた。確かに、いい男であったと思う。サイレース命であったので、落とすようなことはしなかったのだが。
おそらく、ヒロインであるネーヴェは、未だ恋する相手に出会えていないだけなのではないかと、アルサルミンは考える。
その相手が、残る1人。否、隠しを含めて2人のキャラのどちらかなのか、それともこの世界の住人として、まったく別の男性を選ぶのか。その辺は断言できないのだけれども。
――今度は、押し付けるんじゃなくて、応援したいな。
正直、クレストールのことは残念ではあるが。恋する乙女として、ネーヴェには幸せな恋をしてもらいたいと、アルサルミンは心から思い始めていた。
――本当に、ネーヴェはすごいよ。悪役まで味方に付けちゃえるんだから。
自分の単純さを棚に上げ、アルサルミンは素直に白旗を上げる気分になっていた。
恋話をして、自分の都合のいい方に話を持っていけたらな。なんて思惑をまったくもっていなかったとは、正直に言っていえない。できれば、クレストールを押し付けたかった。
でも、ネーヴェと恋話をしたことで、却ってそれは無理だと分かってしまったのだから、完全なるアルサルミンの敗北である。
それでも、けっして、そのことが嫌ではなく。語り合えたことで、よりネーヴェのことを好きになった気がするアルサルミンにとって、ネーヴェの傍は心地よく、同じせっけんを使ったことで、ネーヴェから匂ってくる嗅ぎなれた香りを感じ取りながら、アルサルミンはうっとりとした気持ちになって行く。
それが眠気であることに気づいたのは、なにげに目にした時計がさす時間に気づいたことからだった。
「もう、こんな時間だ」
「まぁ、本当に」
「寝ようか?」
「はい」
そう言い合うと、枕元の電灯を消し、アルサルミンとネーヴェは照れたようにしながら額を重ね合わせるようにして、ゆっくりと深い眠りについたのであった。
2人の夢見る乙女の恋の行き先は、未だ定まることをしてくれないようである。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




