[12]
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待ちに待っていた、成績発表の日。
事前に渡されたテストの点数は、一教科を除いてすべて満点だった。それも、その一教科も一問間違えただけであった。
――これなら、一位もありえるかなぁ?
だとしたら、最高である。
兎にも角にも頑張っただけの結果は出たと、アルサルミンは満足しながら、コツコツとゆっくりとした足取りでテストの順位が発表されている、職員室の前の廊下まで歩いて行く。
目的の場へ到着してみると、そこはとてもざわざわしていた。
――まぁ、いつものことだけどね。
15歳までのアルサルミンの記憶を掘り起こしての感想だが、成績順位の発表の際はいつもざわざわしていたと告げていた。ついでに、前世となる風雅の成績順位の発表のときもざわざわしていたと記憶していた。
成績順位の発表に関しては、どこの世界も同じなんだなぁ。と、アルサルミンはほんのり感心してしまう。
けれども、本日は、大事な予定があるのだ。
本日のメインゲストとなるクレストールとネーヴェが、集団の中央に立っているのを確認すると、アルサルミンは2人の方へと歩いて行った。
――さぁ、悪役の本領発揮よ!
演じ切ってみせよう。と、決意を新たに固めると、アルサルミンは2人に向かってにこりと笑う。
そして――
「ねぇ、ネーヴェ。とても優秀な成績で、入学が決まったと噂で聞いていたんだけ――」
ど。と、壁に張られた成績発表の用紙を目にした途端、アルサルミンの口の動きが途中で止まる。
――全教科満点の一位が、2人もいるですって? それも、クレストールとネーヴェですって!
浮かれていたアルサルミンは、残念な三位であった。
――って。これじゃあ、ネーヴェのことをどうこけにすればいいのよ。
順位的に、アルサルミンの方が、扱き下ろされる立場である。
そして、負けを認める気分になりながら、先ほどの台詞の続きをアルサルミンは綴らざるを得なかった。
「――ど、さすがだね。まさかクレストールと競り合えるなんて。これまでそんな人いなかったよ」
トホホ……。と、一位を取れなかった悔しさと、ネーヴェを貶められなかったことに対して、心の中で歯噛みするアルサルミンへ、ネーヴェは可愛らしい表情で極上の笑みを浮かべてみせた。
「アルサルミン、ありがとう。私もまさか一位を取れるなんて思ってなくて。想定外のことだったけど、あなたに褒めてもらえるなんて、最高の誉れだわ」
「僕も正直、驚いてますよ。ですが、これ以上の点数を取れないのですから、実際のところどちらが上か調べようありませんからね」
「一位は、一位で、いいじゃないの。それ以上競ったってしょうがないよ」
私なんて。と、卑屈になりそうな気分でいるところで、聞きなれた適度に低音の美声がアルサルミンの耳に届いた。
「そういうアルサルミンだって、一問間違えただけだろ。一位と大差ねーじゃん」
「その一問の差が大きいのよ」
「そっかぁ? 俺なんて、今回六位だぜ。お前らと比べたら、未だまだって感じだよな」
あはは。と笑うサイレースは、アルサルミンの頭に触れてくる。
――そういえば、サイレースって、なにげに頭に触れてくることが好きなのよね。
サイレースのルートに入るとほどなく、何くれと無くヒロインの頭に触れてきていたことを思い出す。
――愛しのサイレース様と幸せなエンドを迎えるためにも、ネーヴェとクレストールの仲をどうにかしなくちゃならないっていうのに。
今回は、失敗だ。と、アルサルミンは肩を落とす。
「一点違いの三位で、そこまで落ち込むなよ。六位の俺は、そしたら、どうすればいいんだってぇの」
「そうかもしれないけど……」
それだけじゃないんだよー。と、心の中で泣き叫ぶ。
課金しまくりの風雅がプレイした『Eterrnal Love』の中のアルサルミンは、きっといつもこんな気分だったのじゃないだろうか。
――同情したくなってきた。
悪役なのに、悪役ができない辛さ。それって、こんな感じなんだね。と、風雅の金の力に負けたアルサルミンに同調するよう、アルサルミンはそっと目頭を押さえてしまう。
「お前、もしかして、今回は一位を狙っていたとか? だったら、そりゃ、気の毒だったな。天才が2人もいちゃアルサルミンも大変だ」
頭を撫でてくれながら、同情してくれるサイレースには感謝するし。なによりも、そのこと自体はとても幸せなのだが。いかんせん。今回目標としていたフラグ立ては見事に失敗し、ネーヴェに回収してもらうどころではなくなってしまったのである。
――今回の試験がこれじゃあ、次からなんて余計期待できないじゃん。
他に、ネーヴェを貶せるようなネタなんてあっただろうか。
そして、その答えは即答するようにして、すぐに頭の中に出てきた。
――いや、ない。なにも、ない。どこにもないよー。
課金の総金額が最高レベルに達していたことによる恩恵。大量に費やしたお金と時間による、鬼畜な高さのステータスや魔力。それと、強化したり増やしたりした裏ステータス。そのせいで、やたらにスペックの高いはずの悪役のライバル令嬢でさえ手も足も出ない存在になってしまったネーヴェは、今まさに留まることを知らない完全無敵状態なのだろう。
――せっかくの、私が考えた策が台無しだぁ。
しくしくしく。と心で泣きつつ、敗北を認め、諦めを心に抱いたアルサルミンは、己の美貌を意識しながら口元に笑みを浮かべる。
「とにかく、2人とも一位おめでとう。今回は、私も自信あったんだけど、完全に負けっちゃったよ」
「そんな。一問違いなだけだし……」
アルサルミンの台詞に、ネーヴェが慌ててフォローを入れてくれようとするのだが、その間も、クレストールと対等に渡り合ったことで、他クラスからも注目され、入学してきたばかりのネーヴェに称賛の声を掛ける人の数は多く、会話らしい会話ができない状況となっていた。
「なぁ、アルサルミン。ここにいても他の人の邪魔になるだけだし、俺たちは教室に戻ろうぜ」
「うん。そうだね……」
サイレースに促され、素直に従おうとしたアルサルミンを、クレストールが肩を掴むことで止めに入ってきた。
「なに、人の婚約者を誘惑してくれちゃっているんですか? サイレース」
「はぁ? っていうか、婚約者、婚約者って連発してんのクレストールだけだろ。アルサルミンにとっちゃ、いい迷惑かもしれねぇってのに」
「ペアリングを交換した時点で、同意したも同じですよ」
「――ッ」
左手の薬指を強調するようにして、その指にはめられているリングを、クレストールはサイレースに見せつける。
瞬間、サイレースの手が、アルサルミンから離れていってしまった。
――サイレース様がッ!
せっかく背中を押してくれていたのに。
――やっぱり、なんとしてでも婚約破棄に持ち込まないと。
それだけは絶対に譲れないと、アルサルミンは心に誓う。
――にしても。
どうすればいいのかが、正直分からず。お手上げ状態なのである。
本来ならば、そのための今日という日だったのに。
――これがゲームだったら、簡単に、ヒロインに夢中になってくれて、婚約破棄してもらえるんだろうな。
ふと、そんなことを考えてしまう。
――なにがいけないんだ?
カリスマがぶつかり合ってしまうところか?
さらには、成績までぶつかり合うところか?
でも、ゲームではそんなことないはずだと思ったけど、クレストールでプレイしていないのだから、よくわからなくて当然である。
――しっかし、ネーヴェって、王族として、都合いい条件揃ってんのになぁ。
魅力は鬼のように高いし、カリスマだって相当なはずである。行動力だって∞である。その上、正義感も強いし、誠実だし、優しいし。
だから、ゲームでは、お相手の男性キャラたちがころんころんと、ヒロインに惹かれて落ちていくのだろう。
それなのに、クレストールはというと、これだけすごいネーヴェを相手に、興味はあるようだが心惹かれている様子がみえないのである。
――とにかくここは。
「ねぇ、クレストール。みんなが一位を取ったあなたとネーヴェを称賛したがっているんだよ。私たち邪魔になるから、教室に戻ってるよ」
「一位など、今さらですから。褒めてもらわなくても問題ありませんよ。褒めてほしいとしたら、アルサルミン。君からだけです」
「ちょっと、クレストール。それを言ったら、私だって同じよ! アルサルミンが褒めてくれるのでしたら、他の称賛なんていらないわ。だって、平民の私を、バカにするでもなくもてはやすでもなく、一番最初に対等に扱ってくれたのは、アルサルミンなのだもの」
「お前ら、一点差で負けて悔しがっているアルサルミンに、それを今いうか?」
我先に褒めてもらおうと、アルサルミンの前に出てくるクレストールとネーヴェに、サイレースは呆れた声で呟いた。
「少しは、気を使ってやれよ」
サイレースはそう言うと、再びアルサルミンの背に手を掛け、「教室に戻ろうぜ」と告げてくると、アルサルミンを誘導するように教室へ連れて行ってくれた。
本気なのか、楽しんでいるだけなのか。そこが腹黒いクレストールの読めないところなのだが。とにかく、ネジが一本外れてしまったアルサルミンが、お気に召しているのは確かなようである。
――となると。
ネーヴェにもネジを一本外してもらえばいいのだろうか?
――でも、どうやって。
アルサルミンはたまたま前世の記憶を取り戻したために、それまでの言動を維持できなくなってしまっただけなのだ。
普通に考えて、そんなことでも起こらなければ、ネジが飛ぶようなことはないだろう。
――となると。
なにかと拮抗する2人を、どうやって恋人同士に導くか。である。
――でもさぁ。
ネジが一本飛んだ相手がいい。ってことはよ、フラグの立て方、サイレースとはかなり違うんじゃないかな。
噂に惑わされていたけれど、噂が役に立たないことも多いのである。
――先ずは、丁寧な話し方をやめさせるか?
もっとフレンドリーに接してほしいと願えば、ネーヴェのことである、それくらいのことは叶えてくれるような気がする。事前の教育でかなり厳しく、貴族には丁寧な言葉を使うよう植え付けられているらしいのだが、そこは友情パワーに頼るところだろう。
――それから、私が変わってしまったことと言えば。
クレストールの婚約者という立場に執着しなくなったこと。取り巻きの乙女がいなくなってもへっちゃらなこと。クラスのリーダーを譲ることになっても、意に介していないこと。
――それなー。
婚約者は別の話になるので棚の上に乗せるとして、取り巻きの乙女たちの引き受け先はネーヴェだし、リーダーの譲渡先もネーヴェなのである。
――でも、過去のアルサルミンが取り巻きはステータスのひとつと定め、乙女たちを喜んで引っ張りまわしていたのに対し、ネーヴェはそれぞれを友達と思って付き合っている訳だから、私の時とは全然違うし。リーダーも、私の場合率先してって感じだったけど、ネーヴェの場合頼まれてって感じだもんね。
心構えも対応も周囲の評判も、過去のアルサルミンとはからっきし違うじゃないか。と、アルサルミンはうんうん頷く。
――ネーヴェがもっと自由奔放に動けたら、きっと、クレストールはネーヴェに惹かれていくと思うんだけどなぁ。っていうか、なんで魅了が発動してくれないんだろう?
魅了は、対象の男性全員の親密度を一気に上昇させるだけでなく、フラグなし回収なしでもルートを開かせることができる強力な一品なのだといわれていた。問題は、発動条件が分からないところであろうか。ちなみに選択肢を間違えても、魅了が発動すれば、無問題となるそうだ。
ただし、親密度100%状態で、常にサイレース狙いであった風雅には、その効果がいつ現れたかなんてわかるはずもなかった。当時は不要の一品だったのだ。
しかし、今は状況が違うのである。
そんな訳で、発動条件が不明なため、アルサルミンにはなんの手助けもできないが、ネーヴェの持っている魅了さえ起動してくれたなら、クレストールだって一発KOのはずである。そしたら、魅了の効果で、ネーヴェのクレストールのルートが勝手に開いてくれるはずなのだ。
――でも、サイレースがそれで、一発KOされたら困るよなぁ。
発動条件が分からないのだから、いつ魅了が発動するか分からない反面、いつ魅了が発動しても不思議はないのである。
――こうなったら、正攻法は諦めて、クレストール相手に魅了が発動するのを待つしかないというか。なんとかして、魅了の発動条件が分からないかなぁ。
アイテムを持っているのが一位を奪い取った風雅だけなので、検証する人が誰もおらず、情報不足なアイテムの数々。アイテムボックスには、装備場所が足りなくて装備できなかったアイテムがたくさん入っていた。
ふと、それらはどうなったのだろうかと思ったが、調べようがないことで、どうでもいいかと切り替える。
――そうよ。今はそんなことよりも。
傍らに座っているのは、サイレースなのだ。
アルサルミンを挟んで、反対側の席がクレストールの定位置なのだが、今は未だ戻ってきていないし、その他大勢の同組メンバーも発表を見に行ったりしていて、教室の中はいつもの半分以下となっているので、前の方には人がおらず2人きりの状態。
落ち込んでいる意味は、勘違いしているものの。いずれにせよ、アルサルミンを心配して傍にいてくれているサイレースに、アルサルミンは改めて心をときめかせる。
「心配かけちゃって、ごめんね」
「ったく。三位なんだしよ。もっと喜べよ。っつーか、お前ってなんでも頑張りすぎなんだよ」
「そうでもないよ?」
「そうなんだよ。幼いころのお前は、俺なんかよりずっと、単なる我が儘の威張りん坊な、バカだったのによ」
「し、失礼すぎだよ」
まじまじと告げられ、たとえそれが本当のことだとしても、言いすぎだと文句を言おうとしたのだが、サイレースは言葉を繋ぐことで、アルサルミンの台詞を無視してみせた。
「なのに、公爵の位が最上位だと知ったときから、公爵令嬢として恥ずかしくないように行動しなければって、習い事を始めたり、家庭教師をつけてみたり。学校に通うようになってみれば、クラスのリーダーとして振舞うようになって、人より大変なことを進んで引き受けたり。取り巻きができるようになったら、みんなに気を配ったり、その中の誰よりも優雅で優秀であるように努めたり。あいつと婚約してからは、王族になるのだから、王族になっても恥ずかしくないよう生きなければって、常に自分を追い込んでたし。生徒会の副会長になったら、毎日のように生徒会に顔を出して仕事に精を出しているし」
つらつらと、まるで恨み言を重ねるようにしてサイレースの口から語られていく内容は、すべて、風雅の記憶を取り戻す前のものであった。
ゲームでは、意地悪なことを言う、悪役ライバルキャラとしてしか認識していなかった上に、今世での15歳までのアルサルミンは、人から尊ばれるのが心地よく人の上に立つことを好み、とんでもない我が儘者で、考え方は自分勝手で高慢だった。
でも、ひっくり返せば頑張り屋だったようである。そのことに本人であるアルサルミンは、他の強烈な部分にばかり目が行って、気づいてあげることができなかったのだ。
そのことを、サイレースはずっと見てきてくれていたらしかった。
「サイレース、褒めてくれるのは嬉しいけど――」
それはもう消えてしまったアルサルミンのことで、今のアルサルミンには他人事にしか聞こえなかった。
「誰も褒めてなんてねぇよ」
「そうなの?」
「そうだよ。それに、熱が出てネジが一本吹っ飛んだっつーから、バカになって手を抜くことを覚えるかと思ってたのに、その逆じゃねーか。がむしゃらさが増しただけって言えばいいのか」
「そんなことないけどなぁ」
「あるんだよ。お前本当に頑張りすぎだぞ。手を抜くこと、少しは覚えた方がいいからな」
サイレースはそう告げると、アルサルミンの髪をひと房手のひらに乗せると、口元へもっていった。
「いい匂い、すんのな」
「それは、毎日リテラエに手伝ってもらって、香油をつけているからだと思うよ」
小さいころからの習慣である。もしかしたら、公爵令嬢として恥ずかしくないよう、嗜みとして髪にしみこませるようになったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、サイレースが手にしていた髪に緩く口づけてきた。
「俺、かなりこの匂い好きだぜ」
「え?」
「お前から匂ってくる香りも、好きだしさ」
「こ、これは普通に、石鹸の香りだと。香料が入っているやつだから、そのせいじゃないかな」
――なに、このデレ。
ドキドキとときめきながらも、ゲームでは聞いたことのない台詞を、サイレースのデレた時特有の甘い艶のある声音にて囁かれてしまい、アルサルミンは戸惑いを覚えてしまう。
「サイレース?」
「あのさ、お前のこと誰にも渡したくねぇって言ったら、お前困るよな」
「え?」
「うん。ごめん。なんでもねぇよ」
聞かなかったことにしてくれ。と、手にしていた髪を解放すると、「自分の席に戻って頭冷やすわ」と呟いて、アルサルミンの傍らから立ち去ってしまった。
そんなサイレースの背中を見送りながら、アルサルミンは『いったいなにが起こっているんだ?』と更なるパニックに陥って行ったのであった。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




