[10]
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試験まで一週間。今日から試験が終わるまで、部活や委員会のすべてが休みとなる。
生徒会も例外ではなかった。
――でも、仕事が溜まっているし。予習も復習もこれまでにちゃんとやってきたし。
熱を出すまでのアルサルミンは、王子一筋の自尊心の激高い超我が儘娘ではあったが、どんなに大変な時でも、生徒会の仕事や勉強に手を抜くことを絶対にしなかった。
まぁ。美しさを保つために、自分磨きにも手を抜かなかったのだが。
高熱を出し、前世の記憶が蘇り、おざなりとなってしまった、今世での15歳までのアルサルミンの人生。
再びそれまでのアルサルミンに戻ることは、過去の記憶と共に風雅の性格を取り戻してしまったアルサルミンの価値観が変わってしまったことで、不可能となってしまっていた。だからせめてもの償いで、言動は極力好きにさせてもらう代わりに、15歳までのアルサルミンが本当に頑張ってきたと思えることだけは、絶対に引き継いで続けて行こうと決意して、手を抜かずに続行していた。
だから、生徒会の仕事にも手を抜かず。生徒会が平常に運営できるように誠心誠意努めているのだ。
本来の風雅なら、面倒くさいと思い、『こんなことやっていられるか~!』と放置してしまうだろうことであっても、アルサルミンとなった現世ではそういう訳にいかないと、ぐっと踏ん張り頑張っているのである。
そんな訳で、授業中は真剣に集中して先生の話に耳を傾け、ノートもばっちり取り、分からないことは後に先生に確認したり、図書室で調べたりしているし。更には、毎日しっかりばっちり予習復習を重ねてきていることで、試験一週間前だからと、試験勉強を焦ってやらなくてはならないといった状況には、お陰様で置かれることなく済んでいた。
なので、現在気になっていることは、アルサルミンが今まとめてる生徒会の資料が、試験勉強の帰還に入ってしまったことで、途中で止まってしまったことだ。
クレストールや、サイレースとネーヴェに頼んでまとめてもらったノートのチェックも、やりたいことのひとつだ。みんなで活動している最中は、それぞれ夢中でまとめてくれているので、ノートを見せてと言いづらいのである。
――まぁ、バレなければ平気でしょう。っていうか、日ごろの成績的に、バレても大丈夫な気がするし。
そんなことを思いながら廊下を進み、階段を上り、再び廊下を進んで生徒会室の前に到着する。
今日は、ノックの必要も挨拶をする必要もない。
そう思って、控用に持っている生徒会室の扉を開く合鍵を使い、鍵穴に差し込んだところで、鍵がすでに開いていることに気が付いた。
最終日に生徒会室の鍵を閉めたのは、セチロである。
――もしかして、閉め忘れ?
そんなことを思いながら、ノブに手を掛けて、アルサルミンは生徒会室の扉を開いた。
「あれ? もう、試験の一週間前に入ってますよ」
開けた途端に、アルサルミンの耳に届いたのは、セチロの声であった。
「会長。いたんだ」
思わずびっくりしてしまい、思ったことをそのまま口にしてしまう。けれどもそれは、セチロ側も同じだったようで、驚いた顔をしてアルサルミンを見つめていた。
「アルサルミンこそ、どうしたんですか?」
「えっと。仕事が溜まっているのが気になっちゃって。却って落ち着かないから、来ちゃいました」
「実は、俺もなんです。やらなくちゃならないことがたまっていて、どうしてもやり終えたくて来てしまったんです」
にこりと微笑み、アルサルミンに同意してくれる。
「そうだったんですか」
さすがは、15歳という年齢にして選ばれることになった生徒会長である。
そんな感心をしながら、中に入り、扉を閉めると、アルサルミンは後ろの棚の鍵を開け、中から必要と思われる資料や、みんながまとめてくれているノートを取り出す。そして、それを机の上に置くと、アルサルミンは席に着いた。
「会長って、本当に仕事熱心ですよね。こんな日にまで顔をだすんだから」
「それを言うなら、君もだよ。まさかアルサルミンまで来るなんて、全然思っていなかったからね。正直、本当に驚かされたよ」
「それは、私の方こそだよ。だから、ノックも挨拶もする必要ないよねって思いこんじゃって、しなかったんです。すみません」
「そんなこと。いないと思って当然だったし。それより、他の3人は、今日は別行動?」
「本来、お休みしなくちゃいけない期間だから。なのに、みんなを巻き込むわけにいかないかなって。なにより、みんなは、本役員じゃなくて仮役員だし」
アルサルミンは、苦笑を零して、事情を話す。
「そうか。そうだよね。そうでなくても、毎日遅くまで頑張ってもらっているんだし、休めるときに休んでもらわないと」
「ですよねー」
セチロと会話を弾ませながら、お互いに目と手だけはしっかり動かす。
そして徐々に口数が少なくなり、双方ともに仕事に集中していった。
「アルサルミン、少し休憩を入れた方がいいよ」
「えっ?」
夢中になりすぎていて、セチロがお茶をいれてくれていたことにさえ気づくことをしていなかったアルサルミンは、唐突に声を掛けられたことで、ひどくビックリしてしまう。
「あぁ、会長。すみません。つい……」
「俺の方こそ、不意を打つ形で声を掛けてしまって、すみません」
「いえ。気づかなかった私が悪いというか。お茶、ありがとうございます」
「砂糖もミルクもいらなかったんだよね?」
「はい」
空いている、いつもならクレストールが座っている席に腰を落としながら、確認のために聞いてくれるセチロへ、アルサルミンは大きく頷き、資料やノートを汚さないように脇へと寄せる。
「他の誰も来てくれない中、君だけはいつも俺を助けてくれて。本当に感謝しているんだ」
「えー。いや、そんな大げさな。それに、私だって副会長ですからね。やれることはやらないと」
逃げ出す訳にいきません。と、言外で訴えるようにアルサルミンははっきり言い切る。
「それに、一番大変なのは、やっぱり会長の方なんだし」
「ねぇ、アルサルミン。その、会長っていうのやめて欲しいな」
「え?」
セチロの瞳にじっと見つめられ、アルサルミンは突然のことに硬直してしまう。
「俺のことは、セチロって名前で呼んで欲しいんだ。君には特にね」
「は……はぁ」
急になにを言い出すんだと思った矢先、セチロの手のひらがアルサルミンの頬へと伸ばされてくる。
「これまで、君の派手な行動とか、よくない噂とかもよく耳にしてきたけど。でも、俺の前にいた君はいつも誠実で、頑張り屋で。副会長としての責任を全うしていたよね」
うっとりと語り掛けてくるセチロは、完全に自分の世界に入ってしまっていた。
――これって、もしかして。
やっと思い出せたと、すっきりしたのはいいが、状況が悪すぎた。
距離を詰めるように、近づいてくる生徒会長の顔。
「アルサルミン。俺は、君のことがずっと前から好きだったのかもしれない」
――やられたー。っていうか、なんで?
これこそが、ヒロインに用意された、セチロルートからの脱出方法なのである。
まだ感情の確定していないセチロからの告白を拒み、以降、セチロから遠ざかるように生徒会室に顔を出さなくなるという。ヒロインだからこそ許される方法なのである。しかもこの方法ならば、責任感も減らないし、他のお相手キャラクターとの親密度も下がらないのだ。
だがしかし、だとしても時期が早すぎる。というか、悪すぎる。
アルサルミンにとっては、本当に最悪な状況であった。
「あの、会長。それって、忙しすぎて生じた錯覚だと思うよ」
「いや、それはないよ。ただ、君に惹かれているのはたしかなんだけど、未だ断言ができないだけで……」
でも。と、口の中で紡がれた言葉はそのまま飲み込まれ、その代わりにというように、頬に触れているセチロの手のひらがより押し付けられてきて、セチロの顔がゆっくりと近づいてくる。
「試してみて、いいかな」
なにを。とは言わせない。そんな口調で優しく甘く囁かれ。アルサルミンは、一瞬ポ~っとしてしまう――わけがあるはずがない!
「会長、たんま。っていうか、私は生徒会をやめたくないんです」
「うん」
それで? と聞きながらも、キスする気満々のセチロに、圧し負けそうになってしまい、このままじゃ、前世から引き続き思い続けているサイレースと交わす予定のとても大事なファーストキスが奪われてしまうと、恐怖を覚えてしまったことで、アルサルミンの瞳からボロボロと大きな涙が流れ出す。
瞬間、セチロが我に返った。
「えっと。その……ごめん」
「私、生徒会から逃げたくないんですー」
「うん。わかったから」
「でも、会長にこんなことされちゃったら、来づらくなっちゃうんですー」
熱を出す前まで、アルサルミンが大事にしていた生徒会の仕事。それがたとえ、副会長の座に固執してのものだとしても、真剣で真面目に仕事に取り組んでいたことに変わりはない。
そして、今のアルサルミンに、15歳までのアルサルミンがしてきたことの中で、継続して上げられる数少ないものの中のひとつが、生徒会の仕事なのである。
それなのに。
なんで、セチロルートがアルサルミン相手に開放されてしまっていたのか。そこから訳が分からないと、アルサルミンは「うえーん」と子供みたいに泣き続ける。
そんなアルサルミンを前に、セチロは対応に困ったように、ついにはアルサルミンの頭を撫で始めた。
「最近の君が、急に魅力的になったんで。つい、焦ってしまったんだ」
セチロはゆっくりと、アルサルミンをあやすように言葉を紡ぐ。
「すまなかった。生徒会のことをこんなに思ってくれているのに」
だから。と、セチロは言葉を繋げていく。
「俺の気持ちは、君の心が準備できるまでしまっておくから、安心して生徒会に来てくれて平気だよ」
「本当に?」
「あぁ。その代り、心の準備ができたときは、ちゃんと聞いてほしいな」
セチロはそう告げながら、アルサルミンの涙が引いていくまで、ゆっくりとアルサルミンの頭をなで続ける。そして、今日はこれでかえりなさい。とセチロに言われるまま、アルサルミンは帰る支度をして、生徒会室を後にした。
廊下に出て扉を閉めると、すぐ脇の壁にクレストールが寄りかかるようにして立っているのに気が付いた。
――聞かれていたよね、今の。
ごまかしようのない視線が、クレストールから送られてきていることに、アルサルミンは白旗を上げる気分で、クレストールの傍に行く。
同時に、クレストールが腕を伸ばしてきて、アルサルミンのことを胸元へ引き寄せて行った。
「ずっとここにいたのに、入っていってあげられなくてすみませんでした」
「べつにいいよ。話はついたし」
やっぱりセチロとの会話を聞かれていたんだと、確信する。
「それに――」
セチロが好きかもしれないと告げたのは、高熱を出す前のアルサルミンに対してのものだと、現在のアルサルミンは確信していた。なんといっても、前世の記憶を取り戻してからのアルサルミンでは、期間が短すぎるのだ
彼女が生徒会の副会長に立候補したことでセチロルートの基盤となるフラグが立ち、副会長になったことで、そのフラグを回収し、毎日生徒会の仕事を一生懸命にこなす姿勢をセチロに見せ続けたことで、セチロルートに突入するフラグを立て。且つ、回収してしまったことで、その後はまっしぐらとなってしまったのだろう。
だから、こんなに早くにセチロルートの回避イベントが発生してしまったのである。
本来だったら。相手がヒロインだったのなら、次の学年に入ってからの、いずれかの試験前に起こるはずのイベントだったはずなのだ。
「クレストールは、高熱を出す前の私のこと、少しでも好きだった?」
「そうですね……」
ちょっと悩むように間をおいて、クレストールは静かに口を開く。
「実は、ずっと、君が僕の名前を呼んでくれるんじゃないかと期待して、ここに立っていたんです」
それで、入り損ねてしまいました。と、再度謝罪するようにクレストールは告白してくる。
「君は本当に、変わってしまった。高熱を出す前のアルサルミンだったら、迷わず『婚約者』である僕の名前を出して拒んでいただろうからね。僕の婚約者であることが彼女にとって自慢のひとつでもあったし」
「うん」
「でも、今の君の頭からは、すっぽり抜け落ちてしまっているようだ。僕が婚約者だってことが」
クレストールはそう言うと、アルサルミンを抱く腕にわずかに力を入れてきた。
「嫌いじゃなかったよ。僕の婚約者として恥ずかしくないよう一生懸命に頑張ってくれているところとか。公爵令嬢としての立ち居振る舞いを心掛けているところとか。ちょっとかわいいなって思ってた。そうでもなければ、いくら王族のお飾りにちょうどいいと思っていたとしても、さすがに結婚を申し込んだりはしないよ」
「でも、好きとは違ったんだ?」
「そうだね。君に対して芽生えた想いのようなものは、持っていなかったね」
「そっか。正直に答えてくれてありがとう」
常ならば適当に誤魔化していただろうクレストールが、本音を打ち明けてくれたことにお礼を言うと、アルサルミンはクレストールの胸を押すようにして離れていく。
「僕はね、君に名前を呼んで欲しかったよ」
静かに残念そうに呟かれたクレストールの台詞を背に、アルサルミンは廊下をゆっくり歩きだす。そして、階段に差し掛かると、ゆっくりと下って行った。
たとえ誰が何と言おうと、高熱を出す前のアルサルミンは消えてしまったのである。だから、今世でのアルサルミンは、今はもう前世の記憶を持つ自分だけなのだと言い聞かせながら――。
誤字脱字多発中。少しずつ直していきます。すみません。




