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MONEY MAGAZINE  作者: 哲太
2/21

第一章 超一流サッカー選手と私 PART1


「説明は大体以上になるが、理解は出来たか?」


「…はぁ」


目の前に座る男の声に促されて、

さくらが顔を上げると、

彼の表情よりも先にその顎に生えた無精ひげが彼女の目に飛び込んできた。


この男は比呂木薫ひろきかおると言う名で、

編集者であるさくらが所属する月刊誌において

副編集長を務めるベテラン編集者、

つまりはさくらにとって上司にあたる人物である。


薫と言う名には相応しくない無骨な外見をしたその男は、

寝不足なのか何度も欠伸をかみ殺していた。


「つまり私が次回から担当する特集は、

 日本で有数の富豪にインタビューを行い、

 成功の秘訣や失敗談など様々な話を集めて記事にする、

 ということでしょうか?」


さくらの問いに、

比呂木は「ん?」と先ほど噛み殺した欠伸の余韻か、

目に涙を浮かべながら反応した。


「まぁ、要約するとそういう事だな。

 ただ、単純に話を聞くだけでなく、

 密着のような形で何度もその人のところへ足を運ぶ事を忘れるな。

 我々のような市民では想像もつかないようなゴージャスな私生活を

 露見させることにも意味はある」


確かに自分とは違う世界を知りたいと気持ちはさくらにも理解出来た。


と同時に、

富豪と呼ばれる位の有名人に会えることが個人的に楽しみではあった。


さくらが事前に渡されていた資料をぺらぺら捲っていくと、

終盤のページに見覚えのある写真と名前がデカデカとプリントされていた。


「…それで、ええっと…。

 一回目の対象者は島啓介しまけいすけ、さん?」


「そうだ。お前も名前ぐらいは聞いたことがあるだろう?

 欧州のサッカーリーグに所属している、現役バリバリのプロサッカー選手だ。

 なんてったって、

 あのサッカー大国スペインの一部リーグのチームと契約しているんだ。

 報酬だって日本のそれとは桁違いだろう」


比呂木の熱弁が暑苦しいことはさておき、

確かにさくらもその名前に見に覚えがあった。


とは言っても、さくらは元々サッカーに興味は無かったし、

数年前に行われたサッカーW杯での彼の活躍が認められて、

日本から海外のクラブチームへと移籍していったという

知識ぐらいしかなかったのだが。


ということはつまり……。


比呂木の話を整理していたさくらの頭に、

稲妻のごとき衝撃が突如として走った。


「では、スペインへの海外出張ということでしょうか!?」


そう、それはここ数年輝きが灯ることのなかった矢作さくらの目に、

例年稀に見る光が戻った瞬間であった。


だが、その輝きは比呂木の次の言葉によってすぐにかき消される事となる。


「うちにそんな費用があるわけ無いだろう。

 島さんは今東京に帰省しているから、そこにお邪魔して来い。

 ほら、向こうのリーグって今はオフシーズンだからさ」


比呂木は呆れた口調で淡々と言った。


もちろん、

インドア派のさくらがそんなアウトドア丸出しのスポーツの休日事情なんて

知る由もない。


さくらは少しでもこの会社に期待した自分を呪い、

そして自分の目に宿った輝きが静か消えていくのを感じた。


すっかり傷心したさくらに、比呂木は何食わぬ顔で話し続ける。


「もう、島さんのアポは取ってあるからさ。

 今日中に支度を済ませて、明日から早速取材に向かってくれ。

 詳しいタイムスケジュールとかはその資料に書いてあるから、

 しっかり目を通しておけよ」


比呂木がくれぐれも失礼の無いようにと釘を刺したところで、

この二人だけの会議は幕を閉じたのだった。


会議室(というより談話室に近いとても狭い部屋)を出たさくらは、

とりあえず自分のデスクに資料をおいて、

一服つけようと喫煙室へと向かった。


さくらはとりわけヘビースモーカーというわけではなかったが、

気分転換程度に煙草を吸う。


彼女の場合は本当に吸って吐くだけで、

出来るだけ煙を肺に入れないようにしているので、

むしろ吸わない方が体に良いのは自分自身が分かっていたが、

煙草を吸うというのは作業中に休息をとる、いい口実になるために、

この会社に入社してから続けている習慣の一つであった。


喫煙室の扉を開けると、

廃人のように疲れきった表情の大人が数人と、

そんな空間とは場違いなほどの純情な顔立ちをした童顔の少女が

一人居るのがさくらの目に入った。


その少女の携帯電話をいじりながら煙を吹かす姿は、

他人の目に違和感を与えることこの上ない見た目である。


さくらは彼女の隣までとことこ歩いていき、

「お疲れ様です」と挨拶をした。


「お疲れ。あれ?なんだか元気が無いじゃない?」


その少女は携帯電話を動かす手を止めて、

ニヤニヤと含み笑いを浮かべながら挨拶を返した。


「…いつものことですよ」


さくらはそう言って、

自分もポケットに入れてあった煙草を取り出して火をつけた。


さくらが吸うのは、

タールをわずか一mmだけ含む、

煙草にしてはかなりソフトな部類のものだった。


「まぁ、こんな仕事続けてりゃ顔色も悪くなるってもんよね」


そう言ってさくらの言葉に賛同した彼女の名は、

天野新あまのあらたである。


先ほどさくらが話していた比呂木とは対称的に、

今度は男っぽい名前なのに見た目がとても愛らしい彼女ではあったが、

その内面はその名前に負ないくらいの男勝りな性格として

社内でも有名だった。


例えば、

締め切りを守らない作家を鞭で打ちながら原稿を書かせるだとか、

自分が面白くないと思う企画は独断でボツにさせるとか、

どこまで本当か分からない彼女の性格を物語る噂が

まことしやかに流れるほどだった。


また、彼女はこう見えてさくらよりも一年先輩の編集者である。

(年齢も上なのかどうかさくらにも分かってはいない)


中途採用で同期がいないさくらにとって、

彼女が社内で一番親しい存在と言えた。


天野は「あ、そういえば」と不意に何かを思い出したような声を上げた。


「あんた比呂木さんに呼ばれてたじゃない?

 何の話だったの?」


「ああ、それは来月号から始まる特集の担当が私になったじゃないですか?

 それの打ち合わせでした」


愚痴をこぼそうかと迷った挙句、

とりあえず聞かれたことに関してのみを、さくらは答えた。


「ああ、あのお金が何とかっていうやつ」


天野は「そういや、そんな話もあったね」と言いながら、

くわえた煙草から口を離して煙を吐きだした。


二人は同じ雑誌に所属しているため、

相手が抱えている仕事の内容はお互いに把握している。


「色んな金持ちから話を聞くやつでしょ?

 料理の次は人に関する記事、順調にキャリアを重ねているじゃない」


「そうかもしれませんが……。

 私、本当は『ノバック』の編集者になりたかったのに」


「あれはうちで唯一の黒字雑誌って噂だし、

 新人には中々お鉢は回ってこないでしょ」


『ノバック』とは

さくら達が勤める片桐出版が月刊で発行している漫画雑誌である。


掲載されている漫画の中には幾つかアニメ化されているものもあり、

毎月一定数以上の売り上げを維持している、

言うならばこの会社の生命線とも言える雑誌だった。


「あっちはあっちで、作家とのトラブルが色々あって大変みたいだけどね」


そう言った天野の言葉に妙な信憑性をさくらが感じたのは、

フリーライターが手掛けるコラムや、

毎刊載せている連続小説のページを担当している天野自身の実体験が

込められていたからだったのかもしれない。


暗い話を始めたせいか、

ただでさえ煙たい空間にさらに暗雲が立ち込めこめようとしていた。


室内には他にも何人か居たにも関わらず、

声を出していたのがこの二人だけだったことが、余計にそれを際立たせた。


それにいち早く気付いて口を開いたのは、天野だった。


「もしかしたら新しい出会いもあるかもしれないよ。

 ほら、女子アナとプロ野球選手みたいなやつ」


天野は表情を崩して冗談めかしに言った。


場の空気が悪くなり始めたことにさくらも気付いていたため、

この先輩の気遣いに感謝したが、

どしてもこの手の話には疎いために

「どうでしょう」、と曖昧な返事を返すことしか出来なかった。


「まぁ、私も正直自分が結婚する姿なんて想像出来ないけどさ。

 でも私達だっていい歳だし、

 これからの事を色々考えないといけないなとは思っちゃうよね」


天野はそこまで言うと、

最後に「それじゃあね」と言って煙草の火を消し、部屋を出て行った。


さくらは天野の後ろ姿を笑顔で見送りつつ、

自身の心にまた一つモヤモヤした気持ちが

大きくなりつつあることに気が付いた。


「これからの事、か……」


それはつまり、家庭を気付くという事に他ならなかった。


さくらはこれまで人並み程度の恋愛はしてきたつもりであったし、

将来的には子供を授かれたら幸せだとも思っていた。


しかし、自分が子供と一緒に旦那の帰りを待っている姿を、

さくらはどうしても想像することが出来なかった。


現に今まで友人の結婚式参加したことが何度かあるものの、

その空間にはいつもどこか現実離れした感情を抱いていた。


頭の中で様々な形で年をとっていく自分の姿を想像しては消す、

という作業を繰り返しつつ、さくらは二本目の煙草に火を点けるのだった。



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