第四章 超一流カジノディーラーと私 PART3
香月の取材当日、
さくらは自分の会社があるビルの下で待ちぼうけをくらっていた。
実は今朝の朝礼後、
急に比呂木からこの後の取材に自分も同行すると告げられたので、
今はこうして彼がフロアから降りてくるのを待っていたのだ。
「今日は社長が帰ってくる日だから、顔を合わせたくないんだよ、きっと」
そうさくらに教えてくれたのは天野である。
さくら達の会社の社長はこれでもかって言うくらい出張が多く、
社内に居ても中々出会えないレアなキャラだった。
社の景気だって芳しくないという話もある中で、
そんな社長もどうかと思うのだが、
いい大人になっても目上の人にいちいち萎縮している比呂木も大概であった。
ていうか、遅い!
今にもそう叫んでしまいそうなほどに、さくらは憤慨していた。
一応時間に余裕を持ってはいるものの、
比呂木のせいで遅れるようなことがあれば、
いきなり香月の心象を損ねかねない。
そもそも、さくらは待たされるという行為が嫌いなのである。
別に時間に遅れる行為自体にはそこまで嫌悪感を頂かないのだが、
ただ時間に遅れるという連絡無しに待たされることに対して
我慢がならないのだ。
そりゃあ、
遅れている側の人間はどれぐらいで着けるか把握できるだろうし
気も楽であろうが、
待っている人間からしてみたら一体何時まで待てばいいか分からず、
イライラしながらその場に居なければならないのである。
そして、それは今のさくらの状態に他ならなかった。
こんなことなら、
のんびり準備をしていた比呂木を
「先に下に行って待ってますね」などと言って置いては行かず、
一緒に降りて来ておいたほうがマシだったと、
今となってさくらは後悔していた。
待っている側のこっちから連絡をするのはしゃくだったので、
煙草を吹かしながら待つことさらに二十分、ようやく比呂木が降りてきた。
「いやぁ、悪い悪い。準備に手間取っちまって」
携帯電話灰皿に煙草を押し付けながら冷たい目線を投げかけるさくらに、
比呂木は特に悪びれる様子も無く言った。
さくらは怒る気力も時間も勿体無く感じたので、
仕方なく大きく溜め息を吐いてから「行きましょう」と歩き出したのだった。
駅へと歩いていく道中、横から聞こえてくる鼻歌から、
比呂木の顔を見なくてもその機嫌の良さがさくらには分かった。
最初は気にしていなかったものの次第にそれが鬱陶しく感じ始めたため、
さくらはまださっきの遅刻を許していない怒りも込めて
不機嫌そうな声で言葉を掛けてみることにした。
「ご機嫌ですね」
さくらが言うと、比呂木は白々しく「ん?そうか?」と返事をした。
その中年男のむさ苦しいニヤケ顔が、さらにさくらの心をイラつかせるのだ。
しかし、比呂木は気にすることなく楽しそうに言葉を付け足す。
「でも本場のカジノで働いていた人に会えるんだからなぁ。
興奮しているのかもしれないな。お前も香月さんに会うのは楽しみだろ?」
「はぁ、……そうですね」
あぁ、そういうことかと、さくらは何となく心の中で納得してしまった。
きっとミーハーな性格の比呂木のことだから、
華やかな世界で生きてきた香月に憧れみたいなものを感じているのだと
すぐに理解できたのだ。
「とりあえず、時間もあまり無いので急ぎましょう」
さくらはまだ何か言いたげな表情の比呂木の前に出るように、歩を早めた。
この男のタチの悪いところは、
これだけ不快な気分にさせられてもどこか憎むことが出来ない点であり、
同時にそれは羨ましいことだと、さくらはいつも嫉妬に似た感情を
抱くのだった。
山手線を左回りに電車が進むこと約十五分、
人の多さには定評のある原宿駅へと二人は到着した。
レトロな雰囲気を纏った駅の向かいに並ぶビルの大群を横目に、
二人は香月が現在雇われているゲーム会社「レッドホライズン」の本社へと
向かっていた。
この「レッドホライズン」という会社は、
日本のカジノ法案改正にかなり期待しているらしく、
日本でカジノを作れるようになる将来を見越して、
既にその施設への投資目的とした子会社の設立や、
実際に現場で働く日本人ディーラーの育成に着手している
業界最大手のゲーム開発会社である。
家庭用ゲーム機を所有していないさくらもその会社名は知っていたし、
電車内でいかに自分がゲーム好きかを興奮気味に語っていた比呂木も
知らないはずはなかった。
さくらは事前に渡されていた今回の取材に関する資料が、
今までに比べてやけに手の込んだ内容になっていたのが気になっていたのだが、比呂木の無駄に高いテンションを見ることでその謎が解けていた。
次回以降の資料も同程度のクオリティを期待したいところではあったが、
年不相応にはしゃぐこのおっさんには無茶な注文なのかもしれない。
最近ではどこにでもあるコンビニやファーストフード店の看板を
幾つか通り過ぎたところで、二人はお目当てのビルに辿り着くことが出来た。
「おい、あれを見てみろよ」
比呂木は場所に間違いがないことをもう一度携帯電話で確認している
さくらの前に出て、
何やらビルの入り口に近くに張られたポスターを指差していた。
「うわー、懐かしいな。そういや、ここで作られていたんだったな」
そう言いながら比呂木は、そのポスターへと近付いて行った。
さくらは周りからこの人の知り合いに思われたくなかったので、
彼の後ろには付いていかず、視線だけをその進む方向へと移した。
ポスターには、
鎧を纏った青年が火を噴くドラゴンと対峙している描写が大きく描かれており、下の方に「サウザンド・ドラゴン」と大きく書かれていた。
自社の正面に掲げるぐらいだから、きっと有名なタイトルなのだろう。
しかし、さくらには見覚えがなかったし、
特に興味を惹かれることもなかったので、
興奮する比呂木は放っておいて再度確認作業に戻ることにした。
あらかじめ入力しておいた目的地と、
携帯電話のマップ画面に表示されている現在地は重なっているし、
さくらが目線を上げた先には
「レッドホライズン」と刻まれたプレートがあることから
ここで間違いないだろう。
時刻も約束の五分前を切ったところなので
ちょうどいい頃合いに着くことが出来たようだった。
さくらは目の前の石段を登り、
尚もポスターの前でほぇーっと言葉を漏らしている比呂木の後ろまで
歩いていった。
だが、さくらは比呂木の傍では止まらず、
「ほら、行きますよ」と言って入り口のシャッターへと向かった。
比呂木も「お、おい。待てよ」と慌ててその後を追ったのだが、
さくらの視線はまだポスターへと向けられたままである。
足元がお留守になっていた比呂木は案の定入り口の前で躓きそうに
なっていたが、さくらはそれに構わず中に入って行った。
中に入って直ぐ傍のカウンター越しに、事務服姿の女性が三人座っていた。
しかし、彼女達以外には人がいないせいもあってか、
ここの玄関フロアがより一層広大に感じられた。
さくらがカウンターまで近付いて行くと、
一番入り口の近くに座る女性が腰を上げた。
「いらっしゃいませ。レッドホライズンにようこそ」
彼女は頭を下げながら挨拶をした。
それに合わせて彼女の横にいる二人も座ったまま真っ直下げた。
「お世話になります。
私、片桐出版で編集者をしております矢作さくらと申します」
本来なら上司である比呂木から挨拶するのが定石だろうが、
生憎彼はまだ縺れた足を忙しく動かしてこちらに近付くことで
精一杯だったため、さくらが先に挨拶をすませたのだった。
比呂木はようやくさくらの隣に辿り着き、
「同じく比呂木です」と頭を小さく下げた。
さくらは溜め息が出そうになるのをグッと我慢して言葉を続けた。
「本日は、御社にいらっしゃいます、
アドバイザーの香月直正氏に十四時から取材をお願いしておりました件で、
お伺い致しました」
受付譲と思しき彼女は「ご苦労様です。少々お待ちください」と言って
再び頭を下げ、内線電話で確認を取り始めた。
さくらも「はい」と頷き、
比呂木の間抜け面を極力視界に入らないように
真っ直ぐ前を向いて待つことした。
彼女は電話越しにさくら達や香月の名前を出してどこかに確認をとっており、
その間ずっと姿勢よく立って静かに話している大人の振る舞いは、
隣の上司に見習って欲しいと、さくらに思わせるほどである。
ほどなくして彼女は受話器を置き、さくら達の方に顔を上げた。
「お待たせ致しました。間もなく香月氏が降りて参りますので、
エントランスルームにて、もう少々お待ち頂けますでしょうか」
どうやら香月は既にビルの中にいるらしい。
当たり前と言えば当たり前なのだが、
先日李の事務所を訪ねた際には本人が居なかったという経験をしていたので、
さくらはホッと胸を撫で下ろして「はい、分かりました」と答えた。
「ありがとうございます。どうぞこちらへ」
彼女はそう言うとカウンターから出てきた。
彼女に連れられて二人が入ったのは、
大きめのサイズをしたテレビと映写機の他にはテーブルと椅子しかない部屋で、エントランスルームと言うより会議室っぽい場所だった。
彼女が出て行った後、
とりあえず席に着いて香月の到着を待つことにしたのだが、
とり立てて行う準備はなく、
またただ黙って待つのもなんだったので、
さくらから比呂木に話を振ってみることにした。
「ちょっと意外でした」
さくらは比呂木の顔は見ず、ガサゴソと鞄の中身を確認しながら言った。
「ん?何が?」
「いや、オフィスに通して貰えるとばかり思っていたので。
来賓の人達はみんなこの部屋に通されるのですかね」
「ああ、それは」
比呂木は、眠いのか欠伸を噛み殺しながら言葉を続けた。
「未発表のソフトがスタッフルームにはあるからだろうな。
ゲームを一本作るのには俺達の想像以上に開発期間がかかるらしい。
協力している他会社も多いだろうし、
どこから情報が漏れるか分からないってんで、色々警戒しているのだろう」
「あぁ、なるほど」
さくらは感心した声で頷いた。
情報漏洩に対する警戒心の強さは、
別段ゲームに会社に限った話ではなかった。
社会のネットワーク化が進んだことで、
誰でも世界中の人と気軽に会話が出来るようになった反面、
当人に悪気が無くても個人情報をつい洩らしてしまい、
問題になったというニュースも珍しくは世の中ということなのだろう。
とそこで、扉がコンコンと叩かれた。




