第三章 超一流芸術家と私 終
李の事務所があるのは、
「PAUSE」がある目白駅から電車で十五分ほど掛けて着く
日暮里駅だった。
日暮里駅の周辺は他の駅と比べても栄えている方であったし、
オフィス街も充実しているので事務所を構えるのには
適しているのかもしれなかった。
改札口を出て携帯電話に表示させた地図を頼りに歩き進めること約十分、
現在地と目的地のマークが重なったことをさくらは確認した。
どうやら目の前に建つこのプレハブ型の建物が、
李の事務所で間違いないようだった。
さくらは何となく縦長のビルを想像していたので、
この外観は少し意外ではあった。
しかし、あまりのんびりしている暇は無かった。
『Pause』で予定よりも長い時間を過してしまっていたため、
約束の時間が差し迫っていたのだ。
野呂と過した時間はさくらにとっては重要な時間ではあったが、
李には全く関係がなくそれが原因で遅れるようなことがあってはならないのだ。
幾分足早にビルの敷地内に入っていくと、
入り口と思しき扉の横にインターホンが付いていたので、
さくらは軽く髪の毛を正してからそのボタンを押した。
『……はい』
インターホンのスピーカーから聞こえてきたのは、女性の声だった。
「おはようございます。私、片桐出版の矢作さくらと申します。
本日は弊社で発行しております『ホームタウン』の取材の件で、
李浩然さんにお話をお伺いしたく参上致しました」
『……少々お待ちください』
女性が答えてくれてから幾ばくかの時間が流れた後、
ガチャっと扉のドアノブが下に下がった。
中から顔を出したのはシュシュで長い髪の毛を束ね、
それを片方の肩から垂らした女性だった。
彼女はかっぽうぎ姿をしていたため、
もしかしたら事務所のスタッフと言うよりは
彼女自身が創作家の可能性もあるな、とさくらはその姿を見て思った。
年齢は、おそらくさくらよりも一回り程度上だろうか。
「お待たせして申し訳ありません。どうぞ、中にお入り下さい」
彼女は少し慌てた様子で言いながら、ドアを大きく開いた。
何か作業中だったのかな、とさくらは引き続き彼女の役回りを想像しつつ、
「お邪魔します」と頭を下げてから建物の中へと足を進めた。
どうやら中は土足厳禁のようで、
入って直ぐのところが靴を脱げる下駄箱となっていた。
その先には小さめのテーブルと、それに伴って四つの椅子が配置されていた。
さらにその奥が従業員の作業スペースのようで、
既に何人かの人間が席に座ってデスクワークをしていた。
彼等はさくらの相手をしてくれている女性とは違ってスーツ姿をしており、
また部屋の所々に植木に入った観葉植物も置かれていて、
言われなければここが芸術家の事務所とは想像つかないような
清楚感が漂うオフィスだった。
スリッパに履き替えたさくらは、
「こちらです」と言って階段で上に上がっていく
かっぽうぎを着た女性の後ろに付いて行った。
外から見た際にここが三階建てであることは分かっていたので、
二階か三階のどちらかに李がいるのかな、とさくらは歩きながら考えていた。
結局三階までは上がらず、彼女は二階に着いたところで曲がった。
この階は一階と違ってオフィスのような広間はなく、
個室ばかりが壁にズラッと配置された廊下が続いていた。
幾つもある個室の前を歩いていき、
一番奥の最後の部屋のまで来たところで彼女は立ち止まったかと思うと、
急に申し訳なさそうな顔で振り返った。
「……申し訳ありません。実は、李が出社しておりません。
さきほど連絡がありましたので、もう間無無く到着するかと思うのですが」
そう言いながら頭を下げる彼女に対し、
さくらは直ぐに言葉を返すことが出来なかった。
最初に会った玄関で言って貰えていれば、
待ち時間次第で出直すことも出来たのだが、
ここまで来てしまえば中で待たせてもらう以外に選択肢はない。
恐らく彼女もそのつもりでここまで案内したのだろうが、
それにしても言い出すのが遅いのではないかと、
さくらはやや憤慨に感じていた。
ただ、この程度のことで目くじらを立てる訳にもいかなかった。
「分かりました。ご迷惑をおかけしますが、
少し待たせて頂けますでしょうか?」
彼女は「もちろんです」と言って、その一番奥の部屋のドアを開けてくれた。
部屋の中は、その中央にテーブルと椅子、
そして壁際に資料等を保管しているらしい本棚が幾つか置いてあった。
部屋の雰囲気的には、客室というよりは資料部屋のようなイメージだろうか。
女性はさくらを中に入れると、
「李が来るまでは、ごゆっくりしていて下さい。後でお茶をお持ち致します」
と言って出て行ったのだが、
さくらとしても中に入ってから何分も待たされるつもりは無かったので、
特にやることが見つからないのだ。
しかも、あまり時間はかからないみたいなことを彼女は言っていたが、
約束の時間を過ぎている以上、
一体何時まで待てばいいのか予測が立たないのである。
とりあえず、さくらは李が何時来てもいいようにと
ボイスレコーダーや取材内容をメモするメモ帳や筆記具を確認することにした。
記者の中にはパソコンを持参しキーボードを叩いてメモをする人もいるが、
その点ではさくらはアナログ派と言えた。
後々の原稿作業のことを考えると、
始めっからパソコンを使った方が効率的だとは思うのだが、
取材中は相手の顔をしっかり見て話をしたいとさくらは考えており、
それにはパソコンの画面が邪魔だったのだ。
そして、何より相手が話している最中にキーボードを叩くタイプ音が鳴っては
失礼だと考えて、こうして今でもメモ帳を持参している。
ただ、その程度の準備では大して時間を潰せるわけもなく、
後は携帯電話を使って李のことをもう少し調べてみたり、
ただただ窓の外の雲をぼんやり見て過ごしたのだった。
結局李が現れたのは、約束の時間から二十分以上過ぎた後だった。
待っている途中に、
始めに出向いてくれた例の女性(次に会われたときには、もうかっぽうぎは着ていなかった)がお茶を運んで来てくれた以外は、
ずっと静かな空間に一人で居たので
急にドアのノック音がした時には思わず飲んでいたお茶を
零しそうになってしまったのはここだけの話である。
さくらは持っていたコップを落ち着いてテーブルに置いてから立ち上がり、
ドアに向かい「はい」と短く答えると、
ネクタイこそしていないものの黒いスーツを着た男性が入ってきた。
「遅れてしまって申し訳ない。仕事が立て込んでおりまして」
予想以上の流暢な日本語と
丁寧に整えられた髭を携えたそのワイルドな風貌に、
さくらは一瞬身構えてしまった。
「いえ、そんな。
おはようございます、片桐出版の矢作さくらと申します。
本日はお忙しいところ、お時間を作って頂きありがとうございます」
「こちらこそ、わざわざお越し頂きましてありがとうございます」
李はさくらに席に着くように促しつつ、
自分はその対面の椅子に腰を下ろした。
「いやぁ、それにしても日本の夏は暑いですね。
もうここに来て何年も経つのですが、一向に慣れません」
李は笑いながらそう言った。
「全くです。中国ではここまでの気温にはならないのですか?」
「場所によりますかね。なんせ大きな国ですから。
でも、私が暮らしていたハルビンという地域は
比較的に年間を通して寒い場所だったので、
余計に日本の暑さが体に堪えてしまうのかもしれません」
言われてみれば小さな島国である日本でさえ、
北海道と沖縄で結構気温が違っているのだ。
世界で五本の指に入るほどの広大な面積を誇る中国であれば、
国内であっても気温差があって当然だった。
李は尚も砕けた表情のまま言葉を続けた。
「それでもこの国は住みやすいです。
中国は、もう空気が汚くってたまりませんよ」
「……確かにそれを問題視する報道もありますよね」
「はい。人が多いというのが一番の問題なのでしょうが、
各人の認識の甘さが招いている結果だと私は考えています。
もっと排気ガスを軽減する方法もある筈なのに、
効率的な生産ばかりに目をとられて先を考えようとしていない。
ましてや国内だけでなく、
この日本を含む近隣の国々にも迷惑がかかること分かっているのに、です。
今は経済が活性化しているようですが、
それもかつてのこの国が招いてしまったバブルのように、
近い将来暴落していくのではないかと私は考えています」
いつの間にか李の表情から笑みはなくなっており、
真面目な表情でテーブルの上で組んだ手を見つめながら話していた。
場の空気が重くなりだしたことに彼も直ぐに気付いたのだろう。
一瞬だけハッとした表情をとった後、
再び目尻下げて「いやいや、遅れてきたのに関係の無い話をして申し訳ない」
と笑った。
「とんでもありません。こちらこそ気を遣わせてしまったみたいで」
本来ならば場の空気を作るのはさくらの役目である。
李から話の糸口を作ってくれたことには素直に感謝したい気持ちであった。
「それでは取材に入らせて頂きたいと思います」
さくらは手帳を開き、
併せてボイスレコーダーの使用許可もとって準備を整えた。
「李さんが日本にいらっしゃったのは、
大野幸孝氏の作品を見たことがきっかけと伺っております。
彼の作品は自国を飛び出したくなるほどに衝撃的だったのでしょうか?」
「そうですね。私が元々水彩画を学んでいたことはご存知でしょうか?」
「はい」
「実は水彩画を描いていた時もヨーロッパに留学していましたので、
海外に出ること自体に抵抗はなかったのですよ。
ただ、それを抜きにしても初めて見た大野先生の作品は
それまでの私の常識を打ち破るのに余りある魅力があり、
あの人が生まれ育った環境に身を置きたい気持ちは
変わらなかったでしょうね」
李はそう言った後「ちょっと失礼」と言って席を立ち、
後ろの本棚に近付いて行った。
ほどなくして、李は『大野幸孝画集』と表紙に題された
一冊の大きな本をテーブルの上に置いた。
「私が始めに見た作品はこれなのですがね」
言いながら李は本のページをペラペラと捲った。
そのページに描かれていたのは大きな山だった。
正直この山が何を見て描かれたものなのかは一目瞭然ではあったのだが、
一点気になったことがあったために、
さくらは直ぐにその答えを口にすることが出来なかった。
「これって……」
さくらが不安そうな目線を送ると、李はニコッと笑った。
「ええ、富士山です。ただ赤色ですがね」
そう、
そこに描かれていたのは油絵独特の濃い朱色で塗られた富士山だったのだ。
一般的には富士山は緑色や青色で描かれるイメージがあるために、
さくらもその色合いに違和感を感じたのであった。
改めて自分のイメージの中にある富士山と比べながらその絵を
見ているさくらに、李は落ち着いた声音で言葉を綴った。
「活火山である富士山に対し、
大野先生はいつ噴火するか分からない危険なイメージを込めて
この絵をお描きになったのではないかと私は考えています。
そして、この絵を見た瞬間私はこの画家はなんて攻撃的な考えを持って
日本を代表する遺産を描くんだ、とすごい衝撃を受けました。
目に見える、または周りに認知されているイメージだけで
物事を捉えていてはいけないのだと、
この絵がそう語りかけてくる気がしたんです」
李の言葉を聞きながら、
さくらは以前に取材させて貰った人達の顔を思い浮かべていた。
彼等彼女等も周りから見ると無骨であったり、
自己本位的であったりとあまり良いイメージを持たれていなかった。
しかし、それぞれ自分の信念や大切に思う人のために行動していることを、
さくらは取材を通じて知ることが出来のだ。
そして、それはあの喫茶店で野呂が教えてくれたことでもあった。
さくらは本のページから目線を上げ、李と目を合わせてから口を開いた。
「李さんが描かれている作品にも、隠された真意があるのですか?」
さくらの言葉に李は一瞬目を丸くした後、
「そんな大層なものではありませんよ」と笑いながら言った。
しかし、実際にこうして李と話してみて、
彼があの殺伐とした絵をただ自分の本能のままに描いてきたとは、
さくらにはどうしても思えなかった。
「でも」と言って引き下がらないさくらを見て、
李は困ったなといった表情をしたが、
やがて観念したかのようにフッと息を吐いた。
「矢作さんには、御兄妹はいらっしゃいますか?」
「え?いませんが、それが何か?」
不思議がるさくらに対し、
李は静かな声で「私には、他に五人の兄弟がいます」と言った。
「まぁ今はみんな成人していますし、これは昔話になってしまうのですが、
ちょうど一番下の妹が生まれた後に
わが国では一人っ子政策が浸透し始めましてね。
あ、因みに私は上から三番目でその妹以外はみんな男兄弟です。
えーと、それでですね、
私達が幼少の頃、なんでいまどき兄妹が多いのだと
周りから冷めた目で見られることが多く、
両親も色々苦労したみたいでして……」
李は話しながら、徐々に暗い表情を浮かべていった。
一人っ子政策はさくらでも知っている単語だったが、
学校の社会の授業で聞いたのを覚えている程度で、
実際現地でどのような待遇が行われたのかを意識したことは無かった。
「子供ながらに思ったのですよ。
どうして兄妹が多いだけでこんな辛い思いをしなくちゃならないんだ、とね。 その気持ちは家族も同じだったみたいで、
次第に家でもギスギスした空気が流れることも多くなってきました。
それはもう、自分は生まれ来ないほうが良かったんじゃないか、
と思うほどに」
「そんなことは―」
何か彼をフォローする言葉を言おうとするさくらを、
李は右手を前に出して制した。
「それでも何とか生活することは出来ました。
そして、高校に上がった時に何となくではありましたが
絵画に興味を持つようになりました。
専門に描いていらっしゃる方々には失礼な話ですが、
ただ綺麗に彩られているという理由だけで水彩画を選んだのです。
その時はまだ下に妹と弟が進学を控えていましたし、
大学に行く余裕なんてありませんでした。
だから、高校を出てからは地道にバイトをして
留学費を稼ぐことにしたんです。
それが貯まった後もヨーロッパでは美大に通いながら
働いて学費を稼ぐという忙しい毎日を送っていたのですが、
ある日スクールメイトに誘われて、油彩画の博覧会に足を運んだんです。
そこで出会ったのがこの富士山の絵でした。
いやほんと、自分の不遇をただ自虐的に苛立っていたことや、
浅はかな理由で水彩画を学んでいた自分が急に恥ずかしくなりましてね」
李は笑いながら話してくれたのだが、
かつてもっと安易な気持ちで漫画家を目指し上京していたさくらには、
かなり耳が痛い話である。
「それでご自身が経験した辛い思いを作品に?」
「だから、そんな大層なものではありませんよ」
そこで、李はテーブルに置かれた画集をパラパラと捲った。
「自分の描いている絵が美しいものではないということは、
もちろん分かっています。でも、私は描かずにはいられなかった」
そう言う李の顔はどこか寂しそうにさくらの目には映った。
「ちょっと暗い話でしたね。
矢作さんから何か聞きたいことはございますか?」
李は自分の表情にあるその寂しさを打ち消すかのように明るい口調で言った。
そしていつの間にか、
彼が自分から話す環境にしてしまったことにさくらは気付いた。
話を聞く側の人間が楽をしているインタビューなんて聞いたことが無かったし、そんなことがあってはならない。
ここからは李が出来るだけ話しやすい雰囲気を作ろうと、
さくらは次なる質問をぶつけることにした。
「いえ、貴重なお話をありがとうございます。
それでは李さんが一つの作品を手掛ける際に
どのくらいのお時間をかけていらっしゃるのか教えて頂けますか?」
「そうですねぇ、短いものでも大体一ヶ月位はかけています。
それこそ、長いもので一年近く必要としたものもありました。
私の場合、まず白い画用紙に頭の中のイメージを鉛筆で下書きをしたり、
実際に色をつけたりと、
本番のキャンパスを手に取る前の段階に力を入れているので、
どうしても時間がかかってしまいます」
「準備の段階に力を入れていると言うことは、
李さんでもやはりそれだけ油彩画を描くのが難しいのでしょうか?」
「油彩画を描くこと自体が難しいと言うことも、もちろんあります。
ただ私はいつもモデルを見ることはなく、
頭の中のイメージだけで描いているものですから、
そもそも明確な絵の基準というものが無いのです。
だから、下書きの時から中々納得出来るものが頭の中に形として出てこず、
グダグダと時間ばかりが過ぎてしまうのです」
李は自分を恥じるように言っていたが、
さくらからしたらいくら時間がかかったとしても
あれだけ攻撃的な絵を頭の中に
抱くこと出来るだけで凄いと思えた。
もちろんその感情は李に敬意を払ってのものだったが、
どうやら彼はさくらが自分に対してあまり良くない心象を受けたと
感じたらしく、
少し意地悪い顔で「あ、今あんな気持ち悪い絵を頭の中に考えているなんて、変なやつだと思いましたか?」と言った。
「い、いえ、そんな。
でもあんなリアルな描写をご自身の頭の中だけで創っていることには
驚きでした」
「ははは、変な言い方をして申し訳ありませんでした。
実際にあんな殺伐としたモデルがあったら警察沙汰ですよね。
まともな創造ではありませんし、
共感を得にくい題材なのも承知しております。
それでも、私の考えとは違った見方でもいいので、
少しでも多くの方々に何かを感じ取って頂けたらいいなと思いつつ、
描いているんです」
楽しそうに、そして芯の込められた声で李はそう言ったのだった。
実際に彼の作品を見て、一体どれだけの人間がその真意に気付けるのだろうか。
かく言うさくらもまだよく分かっていない部分があるし、
そもそも李は気付いて貰うことが重要では無いと自分の口で言った。
それでも李はあの殺伐とした油彩画を描き続けるのだろう。
そうすることでしか自分を表現することが出来ないからか、
それとももっと別の理由があるのかは今のさくらには分からない。
しかし、一人の人間が国境を越えてこの日本に訪れ、
己の人生と戦い続ける、
強い信念を持つ人間が自分の目の前にいることだけは事実であった。
×××
『そうそう、あそこの写真屋で出来上がった現像を取って来てくれよ。
帰り道だろ。
あぁ後、
社内に取り置きしている夜食がもうすぐ切れそうなんだ。
適当にカップ麺でも見繕って買って来てくれよ。
レシートを貰うのは忘れんなよ』
「はぁ……」
電話越しに勢いよく捲くし立ててくる比呂木の声を、
さくらは適当に相槌を打って聞き流していた。
李への取材は、あの後にもう一つ二つ質問したところで終わった。
質問の数としては少なかったかもしれないが、
まだ取材期間は続くし、
とりあえず初日は彼とじっくり話が出来ただけでも収穫と言えた。
昼食の時間帯が近かったこともあり、
出前をとるから一緒にどうだという李の誘いを
さくらは受けて一緒に食事を摂った後、彼の事務所を後にしたのだった。
そして、今しがた社に戻る報告を比呂木に入れているところである。
李だけでなく、
事務所に居た人達も話してみるとみんなきさくな人だと分かったことは、
さっきの食事を通して知れて良かったとさくらは思っていた。
これから数日間取材を続けるにあたり、
またあの事務所にお邪魔することもあるだろうから、
お互いに打ち解けておくことに越したことはないのだ。
というよりも、
何度も断ったものの結局昼食代をご馳走になってしまった自分のことを
情けなく思う気持ちの方が強かった。
先日のデパートで天野にもご馳走になっていたことといい、
早くお世話になっている分を誰かに返さないと
自己嫌悪に陥ってしまいそうですらある。
『もしもし?ちゃんと聞いてるのか?』
さっきから比呂木は喋りっぱなしである。
さくらもいい加減面倒臭くなっていたが、
一応「聞いてますよ」とだけ相槌は返しておいた。
この男にも何か悩みがあるのだろうか、と不意にさくらは考えた。
もし、一見して悩みがなさそうな比呂木が何かしらの闇を抱えるとしたら、
それには少し興味があった。
だが、正直言ってこれまでの比呂木の言動に思い当たる節のものは何も無い。
人を見た目で判断してはいけない、
この企画そのものを通じて学んだことではあるものの、
どうやら比呂木の真意を知るにはまだ時間が掛かるようだった。
それよりも……。
もし自分で役不足でなければ、
今度は野呂の心の内を聞いてあげたい、とそう思いながら、
一先ず目先の仕事を片付けるべくさくらは会社へと戻っていくのだった。
改めてまして、哲太です。
引き続きご愛読頂きまして、
誠にありがとうございます。
これにて第三章が終了となり、
あと一章とエピローグで完結とする予定です。
残り僅かではございますが、
主人公さくらの成長や、それを支える周りの人間の特徴を
オモシロく感じて頂けるように頑張って書かせて頂く所存ですので、
どうかお付き合いのほど、
よろしくお願い致します。




