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MONEY MAGAZINE  作者: 哲太
15/21

第三章 超一流芸術家と私     PART3


セミの鳴き声が聞こえ始めた初夏、

さくらは都内の喫茶店で朝食を摂っていた。


メニューは小さめのホットケーキ二枚にホッとコーヒーという、

ここ『Pause』のモーニングセットである。


さくらはここのクラシックな店内の雰囲気が気に入っており、

何より店主の野呂が淹れてくれるコーヒーがとても美味しいため、

仕事で煮詰まった際や、

逆に仕事の区切りが付いて一息入れたい時など、

島の取材で始めて訪れて以来、癒しを求めて度々訪れていたのだ。


しかし、今日さくらがここに来た理由は、

癒しを求めに来たわけでも仕事が一段落したから来たわけでもない。


実は、今日が兼ねてから約束していた芸術家の李の初取材日であり、

さくらはこの後彼の事務所にお邪魔して話を伺う手筈となっていたのだ。


会ったこともない人を悪く思うのは流石に気が引けているのだが、

それでも7彼と会うのに覚悟のようなものが必要な気がしたので、

ひとまずここのコーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせようとした次第であった。


店内にはさくら以外の客がいなかった。

というか、さくらがこの店に通い始めてから二ヶ月以上が経過しているのだが、これまで自分以外の人間が訪れているのを見たことがなかったのだ。


ここまで客付きが良くないと、

贔屓にしているさくらは不安に感じてしまうのだが、

一人の客でしかない彼女がどうこう考えても仕方が無いことなので、

勝手に隠れ家スポット的なものだろうと解釈することにしていた。


間もなく時刻は午前九時を過ぎようとしている。


さくらは既に食事は済ませており、

この後のことを考えるとそろそろ出発しなければいけない頃合だったのだが、

どうにもその腰は重い。


中々決意が固まらず何度も深い溜め息をさくらが付いていると、

彼女の目の前に一杯のコーヒーが置かれた。


さくらが顔を上げると、

そこにはトレーを胸に抱えて心配そうな表情でさくらを見る野呂の姿があった。


「体調が優れないのですか?」


野呂は気遣わしげに言った。


どうやら不安な気持ちが表情に出ていたようなので、

さくらは慌てて否定した。


「いえ、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」


「ならいいのですが。

 この時間帯にいらっしゃるのは珍しかったもので、

 何か辛いことがあったのかと思いまして」


ああ、やっぱりこの人には嘘をつけないな。


さくらはそう思うのと同時に、

どうしても自分が今抱えている不安を誰かに、

いや、他の誰でもないこの人に聞いて欲しくなった。


「実は……」


事の顛末をさくらが話し終わるまで、

野呂は所々小さく頷きながら黙って聞き続けくれた。


途中で席に着いて貰うようにさくらは言ったのだが、

彼は「いえ、このまま聞かせて頂きます」と小さく笑って

首を縦には振らなかった。


「……と言う訳なのですが」


さくらが話し終わると、二人の間にしばしの静寂が訪れた。


店内に流れるBGMだけがそこで聞こえる音となり、

さくらはその音楽に耳を傾けつつ、野呂が何か言ってくれるまで黙って待った。


やがて、野呂は静かに目を閉じた。


が、直ぐに目を開けて「矢作さん」と、

ゆっくりさくらの名前を口にした。


「はい」


今までの色々アドバイスをくれた野呂である。

今回もきっと自分の心を落ち着かせてくれるような言葉を

かけてくれるのだろうと、さくらは期待せずにはいられなかった。


しかし、さくらの期待とは裏腹に、野呂の言葉はとても辛辣なものだった。


「あなたがそのようなお考えを持つ人だったとは思いませんでした。

 ……とても残念です」


「え?」


冷たかったのは言葉だけでなく、

彼の目線もさくらの心に刺さるものがあった。


さくらは予想外の展開に、ただ言葉を失うしかなかった。


「矢作さん、あなたは李さんにまだお会いしたことがありません。

 それなのに彼の作品のほんの一部を見ただけで、

 その人がどのような人かを勝手に決め付けてしまっています。

 同じ作品を見ても、それをどの様に感じるかは人それぞれであり、

 あなた自身も彼の作品が評価を得ているのは理解出来るとそう仰いました。

 それと同じように、作品を創造する側の人間にもそれぞれ考えがあるのです」


野呂はそこまで言って、一度息を吐いた。


そして、再びさくら真っ直ぐ見ながら言葉を続けた。


「もちろん私も李さんに会ったことはありませんので、

 彼の気持ちを代弁することは出来ません。

 ですが、過激な描写を描く人は心も荒んでいる、

 とどうして私達が解釈することが出来ましょうか」


「いえ、私はそこまで言っている訳では……」


さくらは慌てて弁明しようとするが、野呂は静かに首を横に振った。


「初めて会う人との対面が億劫になっているというのは、

 つまりそういうことなのです」


はっきり言って、さくらはぐうの音も出なかった。


まだ会って無いのに申し訳無い、等と言う形だけの建て前を幾つも並べ、

その実、李がどのような人柄かをまるで知っている人物であるかのように

決め付け、彼の存在や作品を否定し続けてきたのだ。


これを彼への侮辱と言わずに何と言うのか。

いや、他にこの不躾な態度を言い表す言葉など無いのだ。


どう考えても野呂の言っていることが正論であり、

自分の浅はかな考えや行動を恥じる気持ちで、

さくらはただ俯くことしか出来ないのである。


「矢作さん」


さくらが野呂の言葉に再び顔を上げると、

その時の彼はもう何時もと変わらない優しい表情となっていた。


「私達人間は、お互いが言葉を交わすことでしか

 コミュニケーションを取ることが出来ません。

 他の動物達のようにお互いの超音波で意思疎通を図ることなんて

 出来ませんし、ましてや人から聞いた話や事前に見ていた情報は、

 誤解を生みだす元となります。

 だから、不要な先入観は捨て、ご自身の目で、そして言葉で

 その人の人となりをご判断下さい。

 それでも、あなたが不快な思いをされたり、行き詰るようなことがあれば、

 その時は精一杯お力添えさせて頂きます」


私でよければの話ですが、と野呂は少し照れ臭そうに言った。


正直、物事を記事という媒体を通じて人々に伝えているさくらにとって、

直接会って話さなければ相手を理解できない、

という野呂の考えを真っ直ぐ肯定することは出来ない。


しかし、今回は李の作品だけを見て気後れしてしまい、

彼に会う前から勝手にその人間性を想像してしまっていた自分を

情けなく思う必要性は充分にあった。


野呂の表情に、さきほどまでの厳しい視線はもう無い。


さくらは真っ直ぐ彼の目を見た。


「私やってみます」


野呂も変わらずさくらの目を見て

「大丈夫です。あなたはきっとそれが出来る人だと思いますよ」と

優しい声音で言った。


さくらは「はい」と小さく頷き、野呂が淹れてくれたコーヒーを飲んだ。


残念ながらコーヒーは既に冷め始めていたのだが、

不思議と体は温まっていく気がしたのだった。



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