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MONEY MAGAZINE  作者: 哲太
11/21

第二章 超一流俳優犬と私     PART4


電車の中で、時計の針がちょうど午後八時を指したことを確認したさくらは、

どこか落ち着かない様子で窓から見える景色に目を移した。


今さくらが向かっていたのは『Pause』という喫茶店であるが、

正確にはその店ではなく、そこの店主である野呂に用があったのだった。


島のことでさくらが頭を抱えていた際に、

野呂のアドバイスで助けられたという経緯があったため、

今回も何か助言を貰えるのではないかと、

藁にもすがる気持ちで彼を訪れようとしているのだ。


ほどなくして、電車は目白駅のホームに到着した。


時刻はさらに三十分ほど経過して、

八持三十分に差し掛かろうとしていた。


普通の喫茶店ならとうに店を閉めていてもおかしくはない時間

ということもあり、

さくらは足早にホームを駆け下りていった。


しかし、普段は比較的に静かな目白駅も、

帰宅ラッシュの煽りを受けた人の姿が数多く見受けられ、

さくらは改札口から抜け出すことに苦労を強いられた。


何とか駅を出た後、

はやる気持ち抑えて真っ直ぐ『Pause』へと足を進めると、

ようやくこの路地を抜ければ、という所まで差し掛かることが出来た。


そして、そこを抜けた先にはいつもと変わらず落ち着いた雰囲気を纏う、

あの店があったのだった。


あえていつもと違う点を探すのであれば、

日中は光を落とされている店の外灯が灯されているため、

よりノスタルジックな空気を作り出していたところぐらいだろうか。


その明かりが見えると言うことは、まだ営業中らしい。


さくらは、店が開いていた安堵感からホッと胸を撫で下ろしたのだが、

同時にある疑問が冷静になるにつれて湧いてきているのを感じた。


それは、

一体自分は野呂に何を期待しているのだろう、というそもそもの話だった。


考えてもみれば、部外者である野呂に助けを求めるのはあつかましい話であり、恐らくさくらの話を聞いても何も事情がつかめず困惑した顔を

するであろう彼に、

ただ迷惑を掛けるだけとなる可能性が嫌と言うほど高いのである。


果たして自分は今抱えている問題を解決したいのか、

それともただ愚痴を言いに来ただけなのか、

さくらはそれすら分からなくなりつつあった。


もし愚痴を言いに来ただけならば、

それは昼間に阿部がさくらに行ったことと全く一緒と言わざるを得ない。


考えれば考えるほどに己の未熟さが露呈されていき、

そんな情け無い自分に怒りすら沸き始めていたのだ。


さくらがその場から動けずにいると、ふいに目の前の扉が開かれた。


「矢作さんではありませんか?」


そう言って店から出てきたのは、エプロン姿の野呂だった。


さくらは彼に会いたくてここに来たはずなのに、

今となっては上手く声を出すことが出来ないでいた。


「あ、あの」


さくらは何とか声を振り絞ったものの、思わず目を逸らしてしまった。


そんな彼女を、野呂は心配そうに見ていた。


それでも、

さくらは自分が一体どんな顔をして野呂を見たらいいのかが分からず、

ただもじもじと体を揺らすしかなかった。


そして、わずかな間を置いた後、野呂は口を開いた。


「申し訳ありません。もうお店を閉めるところだったのです」


野呂は残念がるように言った。


「そ、そうですよね。

こちらこそ夜分に来てしまい申し訳ありませんでした」


もう帰ったほうがいい。

そう思いながら頭を下げるさくらの心を占めていたのは、

夜に訪ねたしまったことによる野呂への謝罪の気持ちではなく、

これ以上恥を感じなくて済むという安堵感だった。


そして、そんなことを考えている自分をますます嫌いになり始めていた。


一刻も早くその場を立ち去ろうと体を反転させたさくらの背中に、

野呂は言葉を掛けた。


「ですので……」


その言葉にさくらが振り返ると、

彼はとても優しい表情でこちらを見ていることが分かった。


「よろしければ、これからお茶を一杯お付き合い頂けませんか?」


※※※


野呂はさくらを店内に招き入れた後、慣れた手つきで店を片付けていった。

彼の作業が終わるのをさくらは静かに待っていると、

まるでいつも大人しくしているポン太君みたいだな、と笑みがこぼれでた。


しかし、彼の立場になって考えてみると一つ分からないことがある。


それは、

何故彼は自分を冷たくあしらう阿部に対して大人しく従っているのか、

ということである。


大前提として人間が犬の気持ちを理解するのは難しいというのは

置いておくとして、

これがもし普段から身の回りの世話を焼いてくれている主人の方だったなら

素直に納得出来るのだが、

阿部は元々自分からポン太君に積極的には関わってこなかったと言っていた。


そんな人間に、あの賢い犬が従うのだろうか?


まあ、賢すぎるが故に、

自分で主従関係をしっかり把握できると言われればそれまでなのだが、

どうもそれだけとは思えないのだった。


さくらがそのことについて熟考していると、

やがて片付けを終えた野呂が近付いてきた。


「お待たせして申し訳ありません」


野呂は、下げていたエプロンを取り外しながら言った。


いつもはピシっとしたウェイトレス姿の彼しか知らないさくらにとって、

既にシャツの第一ボタンも外してリラックスした姿は新鮮だった。


「い、いえ。こちらこそ急に押しかけてしまい、申し訳ありません」


さっきから平謝りばかりを繰り返しているさくらに、

野呂はいつもの落ち着いた口調で答えた。


「実は、新しいメニューを考えていましてね。

 矢作さんに試食頂けると、とても嬉しいのですが」


尚も優しい目を向けてくれる彼に、

さくらはこれ以上醜態を晒すわけにはいかないと思った。


さくらは一息吐いてから、「私でよければ、ぜひ」と笑みを浮かべて言った。


野呂もそれにニッコリと笑い返し、

途中で手に取っていたエプロンを空いている椅子にかけた後、

カウンターの内へと入っていった。


そしてカウンター越しのさくらの少し手前で止まった野呂は、

その場でしゃがみ込んだ。


さくらの位置からは見えなかったが、棚の中を何やら物色しているらしい。


やがて立ち上がった彼の右手には、

緑と黄色が入り混じった色の葉が詰められた瓶が握られていた。


「レモングラスと呼ばれる紅茶の葉でしてね、

 これを使えば少し変わった匂いがする紅茶を淹れられるのですよ」


野呂は楽しげに言った。


野呂がその瓶を開くと、

確かに中からこの店の雰囲気とは少し合わないのではとも思える、

甘酸っぱい香りが漂ってきた。


「紅茶だったのですね。いつもコーヒーばかり頂いているので、

 ちょっと意外でした」


「私もどちらかと言えばコーヒー派ですがね。

 でも、やはり様々な趣向を持ったお客様にお越し頂いておりますので、

 紅茶もしっかり勉強しなればいけないな、と思いましてね」


野呂はお湯を沸かしながら言った。


さくらは一瞬、このお店に他にお客さんが見たことありません、

と言いそうになったのを慌てて我慢した。


どうやら野呂にその様子は気付かれていないようで、

彼はお湯が沸くまでの時間を利用して、先に食器の準備を始めていた。


だがその最中、

彼が見慣れないティーポットを取り出したことにさくらは気が付いた。


「もしかして、今回の紅茶専用のティーポットを使用するのですか?」


さくらは野呂の手に握られたそれを見ながら言った。


使い古された雰囲気があるため、新品という訳でも無さそうだったのだ。


さくらの質問に一瞬キョトンとした野呂だったが、直ぐに表情を崩した。


「いえいえ、特別なものではありません。

 ただ、出したい風味があった際には

 別のティーポットへと使い分けることがあるのです」


「へぇ、こだわりがあるのですね」


「本当は大した違いなんて無いのですがね。

 ただ、それぞれ違う役割を持たしてあげた方が、この子達も仕事がしやすいと 思いまして」


まるで我が子を見守るような表情で、野呂は優しくティーポットを撫でた。


と、そこで野呂はピタッと手を止め、

「矢作さん」と改めてさくらの目を見ながら彼女の名前を呼んだ。


「これは器具だけでなく、生き物に対しても同じことが言えるのですよ。

 こちらが愛情を持って接しなければ、相手は応えてくれません。

 逆に言えば、こちらにしっかりした気持ちがあれば、

 それはきっと彼等に伝わるはずだと私は考えています」


野呂が言っている意味が分からず、

今度はさくらがキョトンとしてしまっていた。


「それってどういう―」


ヒュウゥゥゥ!

さくらの言葉を遮るかのように、

お湯を沸かしていたやかんから慌しく白い煙と音が沸き始めた。


野呂は落ち着いた手つきで火を止め、

やかんの手を握ってティーポットへとお湯を注いだ。


そして、先ほど取り出した瓶からスプーン二杯ほどの茶葉を

ティーポットへと注いだ。


最後にそっとティーポットの蓋を閉じてから、

野呂は再び口を開いた。


「目に見えるものが全てではありません。

 きっと、彼女と彼の間には、他人には分からない

 深い信頼関係があるのだと私は思います」


そこで、ようやく野呂の言いたいことがさくらにも分かった。


つまり、ポン太君があれだけ素直に阿倍の言うことを聞いているのは、

彼女から愛情を充分受けているからだ、ということなのだろう。


「朝から収録で疲れている」

「休みが取れないので、体調をケアしている」

さくらはこれらの彼女のセリフが、

彼女自身のことを考えて言った言葉だと思っていた。


しかしその実、

それらは全てポン太君を気遣って言った言葉だったとしたら……。


さくらは改めて野呂の顔を見た。


ポン太君の事をさくらから彼に話した覚えはもちろん無く、

関係者以外の人物がこのことについて事前に知り得た可能性も極めて低いのに、今回も当然のようにさくらの悩みを言い当てたのだ。


それどころか、

野呂のこの感じだと当のさくらでさえ知り得ない情報すら

持っていそうである。


ここまで鋭いとなると、

野呂のそんな言動を気味悪がる人ももしかしたらいるかもしれない。


しかし、

さくらにとっては何故野呂がこちらの状況を知り得たかという理由よりも、

彼が自分の事を気遣って店内に入れてくれ、

さらには助言をくれたという事実の方がずっと大切だと思えたし、

毎回感謝の気持ちを示したくなるのだ。


それは、言葉だけでは到底表現できそうも無かった。


やがて、野呂は「どうぞ召し上がって下さい」と、

例の紅茶を注いだティーカップをさくらの前に置いた。


カップからは紅茶の葉と同じ甘酸っぱい香りが漂っていた。


「いただきます」


さくらがそう言って飲んだ紅茶には、

確かにいつもとは違うまろやかな酸味があった。



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