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MONEY MAGAZINE  作者: 哲太
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プロローグ

どんな暗闇であったとしても、

そこには必ず何かしらの存在があることにあなたは気付いているだろうか。


あなたのいる場所が、もし一見して人気が無いと思える所だったとしても、

そこには目に見えないほどの小さな生き物が存在していることは多いし、

もしかしたら点けっ放しにされた換気扇や蛍光灯などの電化製品が低い音を響かせているかもしれない。

音だって立派な存在と言えるだろう。


そして、今まさに自分以外の存在の有無に疑問を抱いている人間がここにも一人いるのだ。


「…帰りたい」


そう呟いたのは、薄暗い室内で一人残業に明け暮れている、矢作さくら(やはぎさくら)と言う女だった。


彼女は今年で二十七歳を向かえる訳だし、

いい年をして何を泣き言を言っているんだという意見もあるかもしれないが、

つい数時間ほど前まで人の声で溢れるオフィスで働いていたことを考慮すれば、

もしかしたら彼女がそう思うのも致し方ないことなのかもしれない。


時計の針は深夜零時をとうに過ぎており、

オフィスにはさくら以外の人間がいなくなっていた。


しかし、ここまで人気が無ければ逆に気軽に感じると言うものである。


ワーキングハイ(?)になっていたさくらは、

とりあえず一息つけようと、やりかけの原稿に無理やり区切りをつけて、

お茶を沸かしに給湯室へ向かおうべく席を立った。


さくらがこの会社、片桐出版に入社にして早五年が経とうとしている。


元は、漫画家になりたくて上京してきさくらだったのだが、

一向に芽が出ない、どころか何かしらの賞を一度もさくらは受賞出来なかった。


そんなさくらは今までにも何度か自分の夢が叶わなかった理由を考えたことがある。


そして、その度に一つの結論へと毎回辿り着くのだ。


それは、才能どうこう以前に、単純に努力が足りなかったのではないか、と言う当たり前の考えだった。


高校を卒業したさくらは、都心の専門学校に通学するべくここ東京に来た。

その時始めて見た自国の首都は、あまりに華やかだったのだ。

キラキラ輝いた格好をしている同世代の若者、原材料の想像もつかない料理の数々、

我先に前に出ようと速度を上げる車、etc……。


その全てが、さくらの目には輝いて映った。


気がつくと、さくらは時代の最先端を追いかける費用を稼ぐためのアルバイトに明け暮れていたのだ。


そして、夢のために彼女がしたことと言えば、

専門学校とアルバイトの合間を縫って作成した原稿を、

その時たまたま新人賞の募集を掛けていた各出版社に投稿したぐらいだった。


もちろん、そんな片手間程度の労力で成功を成し遂げなれるほど、漫画の世界は甘いはずも無かった。


専門学校を卒業した後も、

さくらはズルズルと追いかけていた夢に見切りをつけなければならない現実と、

それでも夢にすがりつきたい気持ちの両方を抱えむ日々を過ごし、

なんとか漫画に携わりたいという思いから、

結果として出版社での職探しを始めたのが五年前だったのだ。


そして現在に至る。


さくらは給湯器でお湯を沸かしていると、

ふと鏡に映る自分の顔が目に入った。


薄っすら目の下に出来たクマや、

気持ち程度に施した薄い化粧すら落ちかけていたその顔は、

首からぶら下げた社員証に貼られた若かりし頃の自分の写真と別人とも思えるほど貧相に思えた。


私が本当にやりたい事って何だったのだろう。

これは、さくらがよく無意識にする自問自答である。


しかし、今となっては、その答えをもう自分で見つけることは出来ないだろうと、

毎回直ぐに考えることを止めていた。


そもそも、このひたすら変わらない日常を守るために毎日走り回るだけで、自分には精一杯なのだ、と。


ポー、ポー。


いつも通りの諦めがついたタイミングを見計らったかのように鳴る、

給湯器の声にさくらは現実に引き戻された。


ここからのコーヒーを作る手順は既にさくらの身に染み付いていた。


まずは愛らしいクマの笑顔がプリントされた自前のカップにお湯を注ぎ、

そこへお気に入りのブレンドコーヒーを目分量だけ入れてかき混ぜる。


たったこれだけのお手軽ステップで、

美味しいとも不味いともいえないコーヒーの出来上がりである。


さくらはそうして出来上がったコーヒーの入ったカップを片手に、

自分のデスクへと重い足取りで戻った。


だが、デスクを目前して、ある違和感にさくらは気が付いた。


経費削減の名の下、

自分のデスクの周囲以外の明かりは落としているはずだが、

点けっぱなしにしたパソコンの光まで落ちているのはおかしかったのだ。


どうしたものかと、さくらはデスクへと近付いて行った。

すると、その実なんのことはないことが分かった。


それは、パソコンの野郎が待ちくたびれてスリープモードへと移行していただけの話であった。


「…こいつ、主人を差し置いて眠りに付くなんて、いい度胸じゃねぇか」


さくらは自嘲気味な笑みを浮かべながら、

勝手に擬人化した自分のパソコンへと心の中で毒をついた。


そして、一人でなにやってんだろうと虚しくなった気持ちを取り払うべく、

手早くパソコンの電源を入れた。


そうするさくらの指には、もちろん綺麗なマニキュアなど塗られてはいない。


さくらは今、

仕事に対する不満を並べて売るほどに用意出来るが、

それが何の助けにもならないことも、自分が一番分かっていた。


元々、漫画雑誌の編集を志望して入社したさくらだったが、

未だに漫画の「マ」の文字も携われておらず、都内から広くても関東地方まででしか販売されていない、

言わば地元情報誌の編集スタッフとしてひたすらキャリアを重ねている。


夢が叶わなかったのだから、生活があるのだから、いつまでも子供ではいられないのだから。

さくらは幾つもの仕方が無いを並べることで毎日の業務をこなすことが出来た。


それに、流されるがままに与えられる仕事ではあるが、

別にこの作業が全くの苦痛という訳ではなかったのだ。


ただ、それは作業量の多さと締め切りさえ無ければの話ではあったのだが……。


とにもかくにも、目の前の仕事をこなしていく他に道は無い。


さくらは熱いコーヒーを少し口に含んで、再びキーボードをカタカタ叩き続けることにした。


そういえば、この『今年ブレイク必至!おススメ料理店百選!』の記事を今月号書き終えたら、

部署内の簡単な配置転換があることを、さくらはふと思い出した。


まぁ、部署が同じって事は、

また漫画関連では無い事は明白な訳なのだが、

それでもマンネリ化しつつある生活のリズムを変え得るひとつの要因にはなるんじゃないかと、

さくら自身少し期待していたことだった。


確かお金に関する記事の担当編集になると聞かされていたはずだったが、

果たしてこの配置転換が好転となるのか、それとも更なる苦悩とのお出迎えとなるのか、

今のさくらにとってそれが分かる由も無かった。



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