王妃の死
完全に病んでいる話が書きたくて書きました。もしかしたらあまり後味はよろしくないかもしれませんが、一応ハッピーエンドです。
・・・・王妃が死んだ。病を得、呆気ないほど容易く息を引き取った。
婚礼より、僅か半年もたたぬうちに、妻は死んだ。
徳と品があり、王の妃として申し分のない名家に生まれ、聡明でありながら美貌にまで秀でていた。公爵家の長女という、尊い天祐にも恵まれまた国随一とうたわれた美貌も天与されていた。
貴族の令嬢としての矜持と認識はあったが、他人を貴賤で選ばず分け隔てなく接しその人柄は気品と慈愛に満ちていた。国母として、何一つ瑕疵のない女人であった。
病に伏して尚、王妃の人柄に陰りはなく仕える侍女らは勿論、病の原因を特定出来ずにいた王医にも、政務に時間を割かれ度々見舞えぬ夫にさえも溢れぬばかりの慈愛をもって包み込んだ。
高い徳と、深い慈愛をあわせもつ王妃の人柄にどれだけの人間が救われてきただろう。無論、王もその一人だ。
公爵家との結び付きのため、王妃と政略結婚してからというもの、王妃は夫である王に献身的に仕え妻としての役目も完璧にこなしてみせた。それだけでなく、王妃としてのつとめも成婚間もない、公爵家出身とはいえ王女という、最高の身分ではないにもかかわらず堂々と、非の打ち所なくこなし国内はもとより国外の王族、貴族らからも絶賛された。
近隣諸国のなかでも、最も美しい王妃と称賛された王妃はしかし何の前触れもなく病に倒れた。幼い頃に亡くなった母のかわりに、弟妹の面倒をみていたという、もとより身体の丈夫だった王妃がだ。
輝く黄金の髪と、血色のよい薔薇色をした頬のどちらかといえば豊満な肢体の王妃は病を得ると同時に、急激に窶れていった。
若く体力のあったことも災いしてか、王医に特定できぬ病は王妃の身体を蝕み命を削りおとしていった。
政務を終えた王が、日に一度見舞いに訪れるごとに王妃の病状は、進行の色を濃くみせていた。
王妃は政略で結ばれた、成婚前は顔をあわせたのみの王に、深い愛情を当初より示してくれた。病にふせりながらも王を愛し慕っていることは菫色をした珍しい瞳が雄弁に語りかけていた。
淑女としてのたしなみか、あるいは慎ましくもあった人柄のせいか王妃は自らの想いを積極的に告げることはなかった。
王妃は共にいるおりによく、王の容貌を熱心なほどに見つめていたように思える。
青みがかった黒髪と、紺碧の瞳の王は長身で体格も恵まれていた。恐らく生来のものであろう。武をもって王に仕える騎士らと並んでも遜色はない。
男にたいしての賛辞であるとは言いがたいが、凛とした風情の麗しき青年王だと評されているようだが、王にしてみれば皮一枚剥いてしまえば、同じであるはずの面に、それほどまでの重きをおかなくてはならない理由がわからないが、王妃は王に一目で惹かれたようだ。
一目で、一瞬で心が奪われるなど有り得ぬことだと思っていた。皮一枚の面だけでその人柄も心根もわからぬのに、何故強くひかれ恋慕するようになるのかなど、到底理解しがたい。
そう思っていた。婚儀を迎えたあの日までは。
王妃が亡くなり、喪があけると王は新たに王妃をめとることになった。
王が、新たに迎えた王妃は、先の亡き王妃の実の妹であった。
姉に比べ、容姿は見劣りし姉妹かと疑うほどに、その面は姉の面影を微塵たりともとどめてはいなかった。
公爵家の令嬢に相応しい、上品で優しげな面立ちだが、美貌には程遠く絶世の美女だった先の王妃を憚り、後宮で息をひそめていた名家出身の側妾らは漸く王の訪れがあるやもしれぬと歓喜しているという。
姉と同じく、聡明ではあるが容姿が姉の足元に及ばぬことも、半年という短い歳月のなかで姉王妃がこの王宮内の人間はもとより近隣諸国の人間からも瑕疵一つない完璧な王妃と絶賛されていたこともよく理解している新王妃は、所在なさげに婚礼の儀の際も続く宴の席でも目を伏せるようにして王の隣に腰かけていた。
先の王妃の、すぐ下の妹であったという新王妃は公爵家の姉妹のなかでも、殊に容姿が劣っており、年の離れた末の娘は先の王妃によく似た美しい少女で、くちさがのない貴族らはせめて姉と妹の容姿が逆だったならば、と噂しているらしい。
宴が済み、私室にひきあげた王は就寝の支度を整えると、新王妃との初夜を迎えるべく王妃の寝室へと赴いた。
王にとっては、二度目の王妃との初夜だった。
王と同じく、純白の寝衣姿の王妃は既に寝台の上で王を待っていた。だが、王が寝室に入ってくると、その訪れを待っていたはずの王妃は、大層驚いていた。
それは、王妃に仕える侍女らも同様で、王はわずらわしげに手をふり侍女らを下がらせると、目を伏せる王妃の待つ寝台に腰を下ろした。
広々とした寝台の上で、所在なさげに、まるで己の座ではないといいたげに王妃は小さく身をすくませている。
姉のものとは鮮やかさの異なる、やや色の薄い金の前髪が夜目にも白い面にかかり、表情をみえにくくしている。
王は、指を伸ばしその前髪を静かに顔から払いのける。
触れられたことに、おおぎょうに身体を震わせた王妃に、王は目をあげるように命じた。
睫毛が震え、王妃はゆっくりと瞼をあげその瞳を、あまりに鮮やかで美しい、紫貴の瞳を王にむけた。
・・・・一瞬にして、王の心を捕え奪ったその瞳を。
婚礼の儀の際、数百人以上いた人間のなかで、目立たぬ容姿をした娘は、しかし王が視線にいれたその瞬間に、隣に居る絶世の美女の存在を消し去ってしまうほどの衝撃をもって、王のすべてを奪い去った。
そのときから、片時も少女の姿は王より離れなかった。
穏やかな笑みを浮かべ、ひっそりと佇む少女は、その日己が妻とした女の妹だとすぐにしれた。
何もかも全てを、過去も未来も現在も全てを知りたい。あの少女に関わるものすべてを知りたかった。どんな些細なことでも、彼女に関することであれば、王にとっては些事ではない。彼女の、一部分だ。
優秀な『目』が、調べあげた情報を造作なく記憶した王は、直接言葉を交わさずとも、彼女の全てを知ることができた。
ならば次は、何をすべきか。これほどまでに、刹那の邂逅だけで王を縛り付けはなさず苦しめる彼女を、どうするべきか。
答えなど、すぐに出た。あまりに、容易く。
彼女を、そばにおく。いや、おくのではない、おいてもらうのだ、王が。恥も外聞も捨ててすがり付く。どんな形でもいい、あなたのそばにいたいのだと。
後宮の一室を与え、側妾の一人とする、などとははじめから考えなかった。その考えは、早々に排除した。
恋い焦がれ、狂おしく慕い抜く女性を何故側女風情に落とさねばならぬ。軽々しい、変わりなどいくらでもきくそんな身分を、彼女に与えるなど断じて有り得ない。
王のなかで、最早彼女の存在は己などよりも高位の、至高の存在なのだ。
彼女が望むなら、何を差し出そうがあたえようがかまわない。
彼女に相応しい地位は、王妃の他にない。王の正統なる妻、永遠の伴侶たる我が妃。
だが、その王妃の地位には既に彼女の父母を等しくする姉が座していた。すべてにおいて、彼女よりも優れた姉、比較するまでもなく、公爵は年子の姉妹のうち優った姉を、王の妻にと差し出したのだろう。
誰もが公爵の判断を支持するだろう。
王以外のものは。
絶世の美女だろうと、慈愛に溢れ品格ある女神だといわれようとも、王にとっては妻ではなく、同等の人間でもない。ただの不要なものでしかなかった。邪魔だった。愛情など、一欠片もわかなかった。
王妃を廃すのは、容易いことではない。密通や不義があったならばともかく、いかなる非もない王妃を、廃すなど不可能だ。それに、彼女を正式な手順を踏み、臣下は勿論民にも新王妃だと認めさせるには、正統な誰であれ納得する事情が、訳が必要だ。
だからこそ、王は病に倒れた王妃を献身的に見舞い、時には看病し王妃の病が重篤化するにつれ、新妻を案じ憔悴する様子を周囲にみせた。
思惑通り、臣下も、公爵も他ならぬ王妃も王の演技に騙された。
王妃は、最後まで気づかなかった。王の差し出すその薬湯のなかに、王家秘伝の遅効性の毒薬が、毎日少量ずつ含まれていたことを。
王医は、王の意しか汲まぬ。所詮は公爵家の娘でしかない女を、危険をおかしてまですくうことなどないのだから。
そして王は、最愛の愛娘であり最も優秀な駒の一つを無くし消沈する公爵におもいを口にするだけで良かった。
漸く、王は最愛の想い人を妻にすることができた。
彼女は、王の真の王妃は姉の身代わりだと思い込んでいるのだろう。でなければ、姉のような美しさをもたぬ己が、王妃になれるはずないと、そう思っているに違いない。
はじめは、それでもよい。これから、長い時間をかけて、生涯すべてをかけて王が、どれほどの愛を抱いているかわかればよい。
たとえ彼女の気性や人柄が、王の想像していたものと違っていても、その彼女を愛するだろう。彼女のすべてがいとおしいのだ。邪魔な、だが何の罪咎のない女をゆるゆると毒をもって長い間苦しめ、殺したとしてもそれに罪悪感を覚えぬほど。
狂っているのだ。おそらく。どうしようもなく。だが、それでもよい。もう彼女を知らなかった日々に戻れはしまい。
王は静かに手を伸ばす。最愛の妻に。己を狂わせた女に。