先輩と後輩
「あっ。隼人先輩じゃないですか」
不意に話しかけられ、隼人は振り返る。部活の後輩。北国 きらら(きたぐに きらら)が隼人の前に現れた。隼人と同じく帰りだろうか。バッグを少し重そうに抱えている。
「おう。きらら、もう帰り?」
「はい。でも、ここで公花先輩を待ってますかね」
わざとらしい口調でわざとらしく隼人の隣に立つ、きらら。彼女の背後にもまた、今度はサイボーグ的な騎士がいた。SF映画で戦っていそうな少し古臭い感じの近未来ロボットのようだ。まぁ、誰にも見えることはない。
「あぁ、そう」
隼人のあまりに素っ気無い態度に、きららはイラッときた。自分で言うのも何だが、可愛い女の子が近づいてるのに、何なんだ?この人は。前に部活で話しかけた時も素っ気無いというか味気ないというか……。きららの不満は止まらない。
まぁ、それも当然だろう。恋をしている人間は好きな人の話題だったら悪いことも良いことも二時間以上は話せるものだ。とにかく、きららは隼人にカチンときたのだ。
「先輩って馬鹿ですね」
ビシッと言った。自分は素直な方だと思う。しかし、彼の前ではあまり素直にはなれない。特に悪口に関してはそこまで思っていないことも言ってしまう。きららは大好きな先輩の顔を見つめた。まぁ、今の『馬鹿』は、本心だが。この鈍感。
「そりゃーすいませんね。うぅ……寒い」
隼人は身震いした。この前も雪が降ったばかりだ。まだ日陰は雪も解けていない。もう一枚上着着てくればよかった。遅刻ギリギリで焦っていた朝の自分の判断を恨み、隼人は手をさすって摩擦で微かな温かみを手に入れようと努力していた。
「先輩そんなに寒いんですか? なっさけない。男なんですから我慢して下さいよ」
きららは軽口を叩きながら隼人の顔を覗き込んだ。今なら素直になれる。そんな気がした。隼人の方は急に顔をじっと見られて、動揺を隠せない様子で手をさするのを止めた。
「先輩」
少しずつ、きららの方から手が近づいていく。人肌を求めて。暖かさを求めて。
「何?」
白く細い指が、隼人の手にそっと触れた時、サイボーグは黒い騎士に足元を取られた。
北国 きらら 60
VS
笹西 公花 70
黒い騎士はそのままサイボーグを叩きのめす。騎士の後ろから声が聞こえる。まさか……。きららはそのままの体勢でピタッと止まった。
「あれ? きららちゃんどうしたの」
ビクッとして、きららは隼人と距離をおいた。きららの指には、微かに肌の感触が残るだけだった。基本的にクールで毒舌なきららは、珍しく焦っていた。まぁ、無理は無いだろう。最悪のタイミングでこの場合最悪な人物と出会ったのだから。
「せ、先輩とお話したいなーなんて」
無理に笑顔を作ったから、きららは公花が妙な顔をしているのに過剰に反応して、勢い良く話さざるを得なかった。
「いやー。先輩が馬鹿だなーって話してたところなんですよ。ホント馬鹿ですよね。馬鹿馬鹿。馬鹿すぎるでしょ。それじゃあさようなら! はいさようならさようなら」
隼人の優しい苦笑いに、きららの憂いは溜まっていった。素直になれないっていうかもうこれ頭の悪い罵声的なものになってるよね。そんなことを考えているきららに気付かず、隼人は自分の手を見つめる。
「……まぁ、偶然か」
きららの指の感触は、しっかり隼人に伝わっていた。しかし、手を握ろうとしていたなんて、ありえない。何かの偶然だろう。あれ、何の偶然だろうか。もしかして……。
「ほら、行くよ!」
その時、隼人に何か変化があった。何かが心から抜けたような。きららが俺のことを好き? ありえないな。気のせいだ。また気持ち悪いなんて言われそうだ。考えるのをやめよう。そうだ、やめねばならない。
何かがおかしい。それは殆ど誰も気付くことがなかった、この世界のルールだ。それを知る人間がこの世にまた一人誕生するのは、少し後の話である。
「きららちゃんどうしたのかしらね」
公花は探るように隼人に聞いた。しかしそんな意図を隼人が分かっているはずもなく、特に何も考えずに隼人は答えた。
「さぁ?」
その答えに公花は呆れたようにため息を付いた。隼人はその意味にさえ気付かず、公花さんにも悩みがあるのかなぁ。などとぼんやり考え込んでいた。
「桜の花とかもうすぐ咲くかしらね」
公花は人の家の庭に生えている桜の木を見ていた。
「まぁ、今は寒いけどもうそろそろ暖かくなるんじゃないですか?」
隼人が適当に答えると、公花はなんとなく、一言呟いていた。
「今年も綺麗に咲くといいけど」
隼人は公花と別れ、家のドアを開けた。
「ただいま」
自分の部屋へ行き、荷物を置く。その時、隼人は明日のことを思い出した。
「あ、俺明日、日直だ」
次の日の朝、隼人は珍しく早起きをした。
「こんなに早く起きるとは、何かあったのか?」
姉に聞かれ、隼人は「いや、今日日直」とだけ言って朝ごはんを食べるため、食卓へ座る。
「……学校は楽しいか?」
「……それなりに」
朝早く仕事に出る母親や、出張でいない父親の代わりに、隼人にとっては姉の秋穂が母親代わりのようなものだ。そしてその母親に当たる人物にそんなことを聞かれるということは、自分はなにか心配されているのだろうか。隼人は考える。まぁ、確かに自分は……。
「ってヤバイ!」
隼人は時計を見て、考えを巡らすのを止めた。間に合わない時間ではないが、早めに行きたい。その後はさっと準備をして隼人は自宅を後にした。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
今日ばかりは公花とも別々に登校である。久しぶりに街の風景を見て歩くのもなかなか良い。隼人は上機嫌だった。
小学生が友達とかけっこをしている。きっと朝の校庭で遊ぶつもりなのだろう。昔の自分を思い出し、少し切なくなる。あの頃は良かったなぁ……なんてじじ臭いかもしれない。
「はぁ……眠い」
靴を履き替え、強い風で乱れた髪を少し気にしながら職員室へ向かう途中。パソコン準備室の前で隼人は呼び止められた。
「あ、隼人君じゃない」
小町は、わざわざ今日早く来ていた。誰もしらない話だ。そう、昨日クラスに行って日直を確認したなど本人以外誰も知らない。ましてや朝ごはんを自分で作ってまで親より早く起きたなど……彼女の後ろ。やはり忍者のような騎士のようなものがいた。
「あ!小町先輩。どうしたんですか」
「いやー。君のことを待ってたんだよ」
「またまた、そんなこと言って」
隼人にそう言われた小町は、少し切なげだった。
「君は引っ掛からないなーこういうのに」
心から出た声だった。微妙な距離感。本当は抱きしめたい。いや、抱きしめることも可能だろう。小町は心のなかでため息を付いた。抱きしめたって『冗談』とか『からかい』とかで彼の頭のなかで完結してしまうんだろう、きっと。昇降口は風が空気を切り裂く音がする。
「冗談じゃないんだけどなぁ」
強い風で聞こえないように、小町は素の自分を、切ない気持ちを吐露した。
その時、風と共に黒い騎士が、忍者を殺しにかかる。
秋田 小町 70 VS 笹西 公花 60
「何か言いましたか」
「……なんでもない」
これさえも気付いてくれない。悲しいがいつも通りだ。そんなことを考えていたら小町はなんだか気が緩んだ。緩んだから、小町は足元がおろそかになってしまったのだ。
「あっ」
転ぶ……! そう思った。しかし、彼女の体は隼人によって支えられた。小町の顔はみるみるうちに紅潮していった。
そのラブコメ的光景を背景に、忍者は黒い騎士の大剣を素早く避けて手裏剣を投げつけた。
「は、隼人君?」
二人は固まっていた。隼人もとっさの判断だったので、脳がフリーズしている。
そんな中でも、やはり戦闘は続く。手裏剣と小刀の素早い攻撃。それに大剣が振り下ろされ、ぶつかり合う。
そして、同日同時刻。公花の部屋。
「なんか嫌な予感がするわね」
公花は天井を見て、呟いた。パジャマから着替えているだけなのに、こんな険しい表情をする人間など、普通誰も見ないだろう。彼女の握りしめた拳と、その黒く光る鉄のような硬い想い。
それは、あの黒い騎士によく似ていた。
黒い騎士は手裏剣を大剣で受け止めると、鎧の一部に隠されたレイピアで忍者を突き刺した。その瞬間、忍者も小刀を黒い騎士の首に刺していた。相打ち。勝敗が決した時、二人の状態にも変化が起きた。
「お前ら何やってんだ」
パソコン準備室から、山田先生が現れた。隼人は手早く小町を立たせ、距離をおいた。なんかこんなことが昨日二回ほどあった気が……。まぁ、それはさておき返事はしよう。隼人は先生の顔を見上げて口を開いた。
「すいません。日直で来ました」
「おう。そうか。入れ」
先生と共に職員室に入る隼人の背中を、高鳴る鼓動とともに小町は見つめていた。いつまでもこうしていたかった。永遠のように感じる一瞬をこんな日常の一瞬で感じることなど、なかなか無い。隼人が職員室に入っていってもしばらく小町はそこを見つめていた。
「はぁ、先生のタイミング悪いなぁ」
小町は、早く起きすぎて眠い目をこすった。
「ここはこうです」
先生の声。隼人は自分が寝ていたことに気がついて、教科書を開けて適当にページを開けて眺めた。しかし、直ぐにボーっとしてしまう。授業中だというのに、これじゃあダメだ。
「はぁ」
小町先輩、可愛かったなぁ。顔近かった。……何考えてんだ俺。隼人はまた寝る体制になって考えていた。授業中悶々と考えこむ事は学生にはよくあることだ。内容に関わらず案外答えは出ないが、長く考えこむことはできる。しかし今日の隼人は徐々に眠気が勝っていき、最終的には本当に眠ってしまった。
「何寝てんのよ」
隣の席の公花が、休み時間の眠りを覚ました。もう授業が終わったのか。隼人はまだ寝足りないくらいだった。
「眠い」
「ちゃんと寝なさいよ。ばっかじゃないの。健康管理くらい頑張りなさいよ」
「はぁ……すみませんね」隼人が机から英語のノートを取り出そうとしている時、少し間を置いて、公花は呟くように付け足した。
「あんたがいないと調子狂うのよ」
思わず、隼人はドキッとした。こいつってこんな可愛かったっけ。暴力も暴言もするけどこいつ良い奴だしな……。
不思議と、公花は暴言を吐いても嫌われない。『不思議と』……別の言い方をすれば、『少し不自然に』
その違和感に気付きかけていたのは、灯だった。その日の夜、自分の部屋で毎日のことながら、隼人のことを考えていた。どうにもうまくいかない。みんなそうだ。……ただ、一人を除けば、の話だが。何故かあの人は、あの人物だけはどうしても失敗しない。
「観察者取得」
その時、灯はこの世界の全てを理解した。宇宙の広がりが自分の脳に収縮されていくような感覚。
「……そっか。そういうこと」
七ツ星灯 80
灯は隼人の顔を思い浮かべた。負けたくはない。勝ってやる。
「公花……私は、負けるつもり無いからね」
そして、また朝。しかし、灯にとっては違った心持ちの朝となった。しっかりと髪を整えて、灯は教室に入る。
「おはよう」
灯は隼人に挨拶をする。隼人はなんとなくそんな灯に、朝から癒やされていった。灯は隼人の顔を見て、ますます負けたくない感情が強まった。灯は負けず嫌いでもなければ、そんなに貪欲でもない。それどころか人に譲るような優しさ。強者から言わせれば甘さを持っているくらいだ。しかし、その日の灯はただならない殺気を漂わせていた。誰にも気づかれないように、静かな殺気を。
「さぁ、戦いましょうか」
灯は呟いた。公花を睨む。やはり誰にも気づかれないように。密かに。
灯 80+朝の挨拶30
VS
公花 100+0