第38話 信じて頼る
「ほぅ」
ロォルは自分の手をじっと見つめている。しっかりと掌には手相が見て取れる。それを握ってみると、自分の思い通りに指が動いた。あたり前のことなのに感動が生まれる。
なにせ、さきほどまでそれは泳ぐのに特化した翼だったのだから。こうして、物を掴み取ろうとする仕草は不得手にしていた。
そんな風に、細かい動作をしようと頭に思い描くと、自在に動いてくれる指先。それは本来の自分が持っていたものなのに、新しく誰かから贈られた宝物のようにロォルは感じていた。
「良かったね」
自らの手に集中していたロォルは突如、発せられた声にビクッと体を動かした。声の方を向くと、洋介がきまり悪そうに頭をかいている。ロォルを驚かせてしまったことを反省しているようだ。
「あんまり、単純に喜べる状況じゃないけどさ。でも、化身が解きたかったんだよね。何でうまくいったのかは分からないけど」
洋介はロォルの叫びを思い出して、彼女の願いが叶ったことを心から喜んでいた。
「良かったね。戻ることができて」
何がきっかけになったかは洋介にもロォルにも分からなかった。しかし、今、洋介の目に映るロォルが本来の姿なのだと思うと洋介にも感慨深いものがある。
リィルによく似た、整った顔立ち。黒い大きな瞳が意思強く、キラキラと輝いている。北欧を思わせる透き通った色白の肌に、長く伸ばした白い髪が頬の横で揺れていた。
小学生くらいの体躯ではあるが、そこまで子供っぽく洋介には感じられない。ロォルの目が語る、彼女の性質がライツのそれとは明らかに違っている。リィルと同じく、精神年齢は見た目とは一致しないのであろうと洋介は思った。
(ようすけさんって、不思議な人)
そんな風に、優しげな視線を送られるとロォルは困惑する。
洋介の足は、今もなお、ズキズキと神経に痛みを送っているはずだ。それなのに、その原因となった自分に対して恨みを一切抱かずに、心の底からロォルを祝福してくれている。初対面のロォルのことを、本気で案じてくれている。
(なんなんだろ、この感じ)
ロォルは自分の中に生まれた初めての感情に戸惑っていた。
洋介は、ロォルがまともに会話した初めての人間だ。だから、全ての人が洋介のような人間なのかと錯覚してしまうほど、彼の態度は印象的だった。
「ああ、そうだ」
そんな風に洋介のことを考えていたら、自分が元の体に戻れた要因の一つであろう願いを、ロォルは思い出した。あの時、自分に対しての怒りに燃えていた時に一緒に考えてたことがある。それが何かと言うと……。
(この体なら、ちょっとは術を使えるかもしれない)
ロォルは術を使っていた兄の背中を想像しながら、右足を伸ばして座っている洋介の前にちょこんと座り込んだ。
「ロォル?」
洋介の呼びかけには返事をせずに、ロォルは時間が経ったことで腫れ上がってきた洋介の右足首に注目する。そして、それに触れない程度に両手を近づけた。
(治癒はできなくても、悪化を防ぐことができれば)
ロォルの中の本能が術を組み立てていく。とにかく「止める」ことは、氷妖精の本懐である。
リィルは時間を止めた。だったら、自分は洋介にとって悪いものだけを止める。その意思をロォルは一つ一つ組み立てて、心の中で形にしていく。
意外なほどにすんなりと、ロォルの体に流れていた力が集中して、まとまってくれた。
「『集え、我が祈りの結晶よ』」
彼女の呟きと、「冷たっ」という洋介の反射的な声が同時に人気のない施設の中に響いた。
「……おっ」
まるで凍りつかされるような冷気を感じて、右足を引っ込めた洋介。彼は、その動作ができたこと自体に目を丸くした。
さっきまで、痛くて動かすことすら困難だった。そんな、ずっと耐えているのに精一杯だった右足を動かしたというのに、それほど大きな刺激が襲ってこなかったのだ。
洋介の右足首は、ずいぶんとその自己主張を小さくさせていた。腫れも幾分か引いたように感じる。
「麻痺させただけですから、立とうとしないでくださいね」
「あ、はい。分かりました」
しかし、実際は捻挫が治療されたわけではない。痛みが消えたことで、洋介が治ったように錯覚しているのだ。
それでも、痛みが消えてくれたことで体の負担は減った。時間はかかるが、自然治癒だけでも洋介の足首は元通りになっていくだろう。
もちろん、痛くないからと歩かれたら、術の効果は薄れていってしまう。
「……動かさなければ、今度はようすけさんの体が治していってくれますよ」
洋介の次の行動に釘を刺しつつ、ロォルは少しだけ満足げな顔で立ち上がった。彼女が思っていたよりも、ロォルはうまく術を使うことができるらしい。
(これなら、もう一つの方もだいじょうぶかな)
ロォルは決意を胸に秘め、洋介には悟られないように笑いかけた。
「ようすけさん、ここまで運んでもらってありがとうございます。こっからは走ったほうが速いので、わたし、先におにぃちゃんに会ってきますね」
できるかぎり、明るい声でロォルは話している。本音を胸のうちに押し隠して。
しかし、そんな継ぎ接ぎだらけの表情は洋介には通用しなかった。
「……僕が追いかけようとしたら、おまえは全力で逃げるんだろうね。そんで、置いてかれるんだ」
ロォルが何かしら隠していることを見抜きつつ、その真意が何であれ頑張っても追いつけない自分自身に洋介は苛立っていた。
ロォルが初めて見る、険しい顔の洋介。そんな彼の顔に、思わず本音が飛び出してきそうになるロォル。
「えへっ」
しかし、喉から出てきそうになったところで、その言葉を押し留めて、誤魔化すようにおどけた表情を見せる。
リィルの精神性を知っている洋介は、ロォルにも似たようなところがあると考えている。リィルとロォルの立場が逆であれば……どう、彼は考えるか。
おそらく、『同族のツケは自分で払う』といったところだろう。
(どうしようか。絶対にロォルは変なことを考えてる)
何か言おうにも、洋介には彼女を説得できるだけの材料がない。ロォルが何を考えているのかも分からないし、その想いをロォルから引き出せるだけの技量も洋介にはない。洋介は自身の無力さに唇を噛んだ。
それでも、全てが良い方向に向かうためには。
「リィルがまだ中に入ってきてないってことは、あいつも頑張ってるんだよなぁ」
「あいつ?」
ロォルが目の前で首を傾げている。どうやら洋介は、立ち去ろうとするロォルの足を止めることは成功したらしい。
これなら、言葉を託すことくらいはできる。
洋介は今にも走り出そうとしているロォルを真っ直ぐにみやる。
「おまえが何を考えてるか分からないけどさ。一人で何とかしようなんて思わないほうが良いよ」
「うぐっ」
ロォルは核心をついた洋介の一言に息を飲み込んだ。その反応を見て、やっぱりなと洋介は息を小さく吐く。
どうも、洋介にはロォルの視野が狭まっているように感じていた。全てを自分でなんとかしよう、責任感と言うよりは自責の念という方がしっくりくるような意思を洋介は読み取っていた。
ここまで関わってきた洋介からすれば、みずくさいことこの上ない。
「とはいえ、僕は文字通りの足手まといだしなぁ」
自分ができることを考えてみるが、現状を顧みると、何かすればするほど悪い方向に向かっていく気がする。
(僕だって、自分を犠牲にすることしか考えられないもんな。これじゃあ、ロォルに何も言えないよ)
ロォルに一人で何とかしようと思うなと言っておいて、洋介もできるなら自分が解決できるものならしたいのだ。誰かに頼る、という点では洋介だって不器用で不得手である。
身近な者の弱みに気づいたら持ちうる力全てで何とかしようとするのに、自分の弱みは極力見せたくないと考える。洋介はそんな人間だ。
完璧を演じ続けていて心をすり減らしてきた優香は、そんな洋介に救われたと感じている。しかし、彼だって似たようなものだ。他人に対しては、薄さに違いはあれ、ずっと仮面を被っている。
そんな、洋介が素の表情で自分ができないことを頼むとしたら。
信頼できる人は、ちょっと前に比べれば増えたと思う。それでも、心から、そんなことできる相手を思い浮かべると、洋介には一人しかいなかった。
(うん、またあいつに頼ることになるのか)
本音を言えば、そこまでの重荷を彼女に背負わせたくない。しかし、同時に彼女ならという想いが洋介の中にはあった。
その名を、口に出すことには勇気が必要だった。口に出してしまえば、物事が動き出してしまう。
「外に、ライツっていう星妖精の子がいる」
それでも、その名を出すと洋介の心がすっと軽くなる。
「あいつなら……きっと、ロォルの助けになってくれるはずだから」
「ライツ、さん?」
洋介にだって、確信はない。しかし、あの瑠璃色の瞳はそんな曖昧な願いでさえ預けたくなるくらいの魅力を持っている。
だから、きっと、ライツなら何とかしてくれると洋介は心から思えるのだ。




