第30話 それは微かな希望
「ロォル!」
リィルは揺れを感知すると、とっさの判断でその手をロォルへと伸ばす。そのまま、ロォルを自分の胸へと抱きしめた。決して離さないように、強く。
そうしなければ、二度と会えなくなる予感をリィルは感じていたんだ。
瞬間、全てが壊そうかという轟音と振動がリィル達を襲う。とてつもない暴力だ。リィルは為す術なく、ロォルと共に転がっていく。
リィルはただ、それに翻弄される。もしかしたら、これは悪夢なのかもしれない。しかし、全身に打ち付けられる痛みが、現実の出来事なんだと教えてくる。
目を開けていられなくなり、視界も闇に閉ざされる。次に目覚めた時に、何事もない世界が広がっていてくれればと淡い希望も体の痛みが打ち消していく。
その、突如訪れた暴力を、リィルはただただ我慢して受け流すしかなかった。
どれくらい、そうしていただろうか。一瞬のことであったが、リィルには永遠のように思えた。気づけば、音は遠ざかり、振動は緩やかになっている。
(いや、耳がバカになったのかもな)
自分の体が思うように動くことを確認して、リィルは起き上がる。目を空けるが、何やら色々なものが舞っていて視界が悪い。やはり、耳も大きな音のせいで壊れてしまったのか。周囲が異様に静かに感じられる。
ようやく、耳の中のジーンとした痺れがなくなった。瞬間、小さな声が胸元から聞こえてきたことで、リィルはロォルを抱いたままだという大事なことを今、思い出した。
「ロォル、無事か!?」
ロォルから返事はない。しかし、彼女の体が小刻みに震えているのを見て、どうやら自分が盾になることで守れたらしいことにリィルは安堵する。
そのせいで、リィルは背中と右足にひどい痛みを抱えてしまったが。これぐらいなら大丈夫だと、リィルは気合を入れて目を見開く。
恐怖はある。ロォルを抱いていなければ発狂しそうだ。それでも、現状を知らなければと痛む足を引きずってリィルは歩く。
景色は、すでにリィルの知らないものに変わってしまっている。それでも、微かに一致する記憶と現状を頼りに、リィルは仲間達の姿を探していた。
「あっ」
海まで出ると、リィルが知っている世界が無くなってしまった事実が否応なく目に飛び込んでくる。
仲間達が繁殖に使っていた島はもともと地盤が脆かったのか、先程の振動でその形を大きく変えていた。こうしている間にも、端からどんどん崩れていく。岩が落ちる度に、海に大きく白い波がたっていた。
灰の混じった汚い雨が振っている。塩気のあるそれは海の水だ。そのせいで、大幅に視界が奪われていて、現状の把握を困難にしていた。
何が起こったのか、リィルには冷静な判断ができない。しかし、自分にはどうしようもないほどの大きな力が働いていることだけは察することができた。
これが、海底火山の噴火によって起きた衝撃と地震のせいだったということは後にリィルは知ることになる。
「あいつらは……」
仲間の鳥達が子育てをしていた場所はすでになくなっていた。岩肌が大きくえぐれ、海に転がり落ちている。最悪の事態を覚悟しながら、それでもリィルは一欠片の希望を探して、海の近くにまで降りていく。
足元は弱く、濡れている。今のリィルの足では不安ばかりであったが、そうは言っていられない。何とか、ロォルを片腕で抱えたまま一歩ずつ降りていく。
そんなリィルの耳に、ピィピィと高い声が聞こえてくる。必死に助けを求めるその鳴き声に、リィルは足の痛みも忘れて駆け出した。
彼の周囲には重力がないかのごとく、一段一段飛び降りていく。その都度、足から全身へと痛みが広がっていくがリィルは気にしない。
リィルがようやく視野にいれることができたそこには、数十羽ほどの鳥達が海に漂っていた。先程の振動から逃れるために、崖から海に飛び込んだのだ。
大人達はこれで助かるだろう。彼等の遊泳能力なら、ここから他の島まで容易に達することができる。
「でも」
問題は、まだ羽根の生え変わっていない子供達だ。
「くっ、さっきの声はそういうことか」
リィルは舌打ちをした。
助けを求める声。それは、泳ぐことができずに何とか荒い波に抗っている小鳥の悲痛な叫びであった。
リィルの頭に、幼いロォルを海に落としてしまった時の映像が浮かんでくる。死を初めて意識した時の声は、リィルの心をえぐってくる。
そこには、リィルに挨拶をしに来てくれた子と、連れてきてくれた親の姿が見える。何とか、沈みそうになる我が子を持ち上げようとしているが、そもそもそれができるような体ではないし、彼も混乱していているのか、動きがちぐはぐだ。
このままでは、せっかく生まれた命が海に散ってしまう。リィルは奥歯を噛み締め、自分にできることがないか、懸命に考えた。
「オレも、あれができたら」
思い出すのは、母の姿だ。彼女が唯一、氷妖精としての力を発揮した場面をリィルは記憶から引っ張り出す。
リィルは、それを今まで一度も使ったことはない。しかし、それは同族であれば生まれながらに備わっている機能だ。それならば、自分にだってできるはずだと、リィルは目を閉じた。
(……ああ、こういう感じか)
その先は、リィルの中にある本能が教えてくれた。
自分の示せる可能性の中から最適解を想像し、そこに必要な力を周囲の自然に棲まう精霊達から収集し、自分の体の中で具体的な事象へと構築する。
(準備は……できた! これなら)
そして、最後に、現実の世界へ己の想いと共に表出させる。頭の中に浮かんだ言葉を、リィルは全身全霊の力をこめて叫んだ。
「『|踊れ、我が氷結の舞台で《フロッシン・スティイー》』!」
言葉を発すると同時に、リィルの右手に白金の輝きが生まれる。リィルはそれを、叩きつけるように海に放り込んだ。
その光が海にぶつかった瞬間、海はその揺らぎを止める。まるで、時間が止まったかのように。その範囲が大きく大きく広がっていく。その輪郭が、溺れそうな子鳥の所まで到達すると、その足元が白く輝き、弾けた。
「はは、うまくいった」
リィルはぐっと右の拳を握りしめる。自分の想像通りの出来事が目の前に生まれていて、リィルは達成感を覚えていた。
彼の視界の先では、海に浮かぶ氷の上で周囲をキョロキョロと見回している小鳥達の姿があった。泳ぐことがまだ難しい、そんな彼等の足元全てに、氷の足場を用意したのだ。
リィルの意思が砕けるまで、その氷は決して溶けることはない。これなら、彼等が他の島に辿り着くまで保てるはずだ。
「は、あれ?」
途端、リィルの膝が落ちた。
「なんだ、コレ」
慣れないことをしたからか、外部が傷ついているリィルの体が内部からも悲鳴をあげている。どうやら、出力を間違えたようだ。リィルの体の中にある力が底をついていた。
自分の体すら支えることができない。それでも、右手に抱える妹だけは落とすまいと、力を振り絞る。
「お、おにぃちゃん」
ロォルの心配そうな声が、リィルを心の底から奮い立たせた。冗談じゃない、まだ動いてくれないと困る。
「よし、この調子で他のやつも助けれるだけ助けようぜ」
リィルは気合を入れて、立ち上がった。ロォルの心の負担にならないよう、笑顔で恐怖を隠しながら。
足元から鳴き声が聞こえる。
それには子どもを助けてくれたお礼だけでなく、別の意思が混じっていた。
おまえはどうするのか。
幼い頃から知っている彼は、確かにそう言っていた。
(案外、ロォルは任せろって言ってくれたのも間違いじゃなかったんだろうな)
リィルは幼馴染の思いに、応えるべく口を開いた。
「何してんだ、氷を押すならおまえもできるだろっ」
こちらを見上げる黒い瞳に、リィルは力いっぱい叫んだ。
「オレなら大丈夫だから。また、どっかで会おうぜ!」
リィルの精一杯の強がりを聞いて、彼は子を連れて島から離れていく。これでいい、リィルはふぅと小さく息をすると他の仲間がいないか探すために再び歩き出した。
そうして、しばらくロォルを抱えたまま、リィルは奔走した。
その道中、仲間の骸もたくさん見た。その悲しみを、心の奥底に隠してリィルは痛む足を気にせずに走った。そうして、何とか自分の力で救出できた鳥達の数が三十羽を超えたところで、リィルはついに力尽きる。
(ああ、まずいなぁ)
再び大きな揺れが起きるが、倒れたリィルは空を見上げたまま、微動だにできない。背中から感じる振動で、今いる場所も崩れそうだと分かっているのに動くことができない。
せめて、ロォルを先に安全な場所に連れて行くべきだったんだろうなと今更リィルは悔しがった。
「ロォル、ちょっと聞いて」
「う、うん」
ロォルも震えながらも覚悟はしているのだろう。リィルの目を真っ直ぐに見ると、彼の次の言葉を待っていた。
「とりあえず、残ってる力使ってロォルごと氷に閉じ込める。生き残るには、それしかなさそう」
リィルの中で、想像はすでにできている。ただ、氷が溶けた時にどうなるか、それが未知数なのだ。もしかしたら、そのまま永遠の眠りになってしまうかもしれない。
「うん、おにぃちゃんがそうするなら、わたしはいいよ」
ロォルも、兄が珍しく口ごもっていることから、その危険性を察している。それでも、リィルがそれしかないというのならロォルは一緒に行く覚悟だ。
「目、覚めた時、たぶん海中だけど大丈夫か?」
「う、浮かぶのなら何とか」
リィルは、昔、ロォルが波にさらわれた時、無表情で波間に漂っていたことを思い出し、こんな状況なのに心の底から笑いがこみ上げてきた。
「それなら、大丈夫か。じゃ、行くぞ」
「うん」
ロォルが頷いたのを確認して、リィルは残っている力で右手を天に差し出した。
「『誘え、我が氷雪の城郭へ』」
そこで、リィルの記憶は一旦途絶える。
次に見たのは、仲間達との思い出の地が消え去ってしまった海の姿。
しかし、そこにはまだ希望があった。
――また、どっかで会おうぜ!
そう、リィルは彼に告げた。その約束を果たすために、何とか溺れずにすんだロォルを連れてリィルは長い旅を始めた。
その希望も今はなく。
ただ、大事なものを失った虚しさだけがリィルの心に残っている。




