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2 九死

 なす術もなく、されるままにぶら下げられた状態の葉月を見て、男たちはどうやら無害なモノと判断したらしい。追ってきた当初の殺気など欠片も感じさせない様子で笑いながら、葉月の髪を掴んで強引に焚き火の方まで引きずっていった。

 度重なるショックと体の痛みで、焚き火の前に座らされた葉月は、しばらくの間、男たちに乱暴に小突き回されても呆然と燃える炎を眺めているだけだった。

 

 明るい場所で見た男たちは、よく見れば最初に感じたナマハゲのような異相というほどではなかったが、やはり人というにはかなり違和感があった。

 一つ一つの顔のパーツがどこか見慣れた顔立ちとは違うのだ。

 たとえば犬歯が大きく、額から鼻にかけて凹凸がない。眉弓の骨が異常に隆起している。唇は薄かったが、下あごはがっしりと発達していて全体的に前に突き出ていた。

(見たことあるよ、こういう人たち。どこでだったっけ。ほら、あれ……。そう、映画館だ。ファンタジー物とかさ。だいたい頭の悪い悪役だったりするんだよ。あと何だっけ、歴史の教科書に載ってる……、ネアンデルタール人? なんて言ったらネアンデルタール人が怒っちゃうかな)

 はは、と葉月は力なく笑った。

 現状を冷静に把握することを、葉月は半ば放棄していた。

(早く目が覚めればいいのに。本当はもう家に帰っててさ、ベッドの中にいるんだよ。それとも、まだ多摩川のとこで倒れてるのかな)

 葉月は男たちに小突かれながら何事か話しかけれていたが、無視し続けた。

 どの道まったく言葉がわからない。

 日本語どころか、英語ですらないのだ。

 まったく聴いたことがない言語だ。いや、外国には葉月の知らない言葉がたくさんある。そのどれかに当てはまらないとも言えなくもない。しかし、理解できないのは言葉だけではないのだから、葉月にはどうしようもなかった。

「オマエハナンダコンナヤツハミタコトネェ」

「ミタコトネエフクキテヤガル」

「ナントカイエヨクチガキケネェノカ」

「ガキカオンナカ」

「オンナナラヒトリデコンナトコロニイルワケネェ」

「ジャアニンゲンカバケモノカ」

 男たちが口々にまくし立てる。葉月は不貞腐れてつぶやいた。

「……何言ってるか分からないよ。」

「オンナニシチャアハツイクガワルスギルナソレニシテモヘンナヌノノフクダナ」

 一人がのっそりと葉月の傍まで寄ってくる。ニヤニヤ笑いながら、男の手が制服のブレザーの襟にかかった。

「な、何するんだよ!」

 葉月はギョッとして男の手を払い除けた。

 一瞬にして男の顔に怒気が浮かぶ。

「ナマイキジャネエカジブンノタチバガワカッテルノカ」

 男は先程より強い口調で怒鳴り声を上げると、今度は葉月に掴みかかってきた。

 咄嗟にその手を躱し、男の手首をひねり上げて投げ飛ばしたのは、曲がりなりにも長年武道に携わってきた鍛練の賜物だろうか。

 たとえそれが本人の意志によるものではなかったにしても。

 しかし、その場がシンと静まり返った瞬間、葉月はしまった、と青くなる。

 からかい半分だった男たちの顔から笑みが消えていた。

 男たちは警戒心もあらわにヒソヒソと話し出した。

「ナンダコイツコンナナリデオマエヲナゲトバシタ」

「シンジラレネエイッタイドウヤッタンダ」

「マモノカナニカマジュツヲツカッタノカ」

「キケンダ」

「キケンダ」

「マモノハコロセ」

 一人が葉月を睨みながら、ゆっくり後ずさり鉈の方に手を延ばした。

 さすがにこの後に及んで何をされるのか分からないほど馬鹿ではない。

(こ、殺される……っ)

 鈍く光る鉈の刃先を凝視しながら、葉月はなんとか逃げ出そうと駆け出すタイミングをうかがった。こんなところで理由わけも分からないまま死にたくはなかった。

 極度の緊張に気が遠くなりそうだったが、ここで倒れている場合ではない。

 次第に息が荒くなる。

 目の前の男たちもまた、ジリジリと用心しつつ間合いを計りながら葉月に近づいてきた。

 まさに一触即発の危機だった。

 

 葉月はついにこの緊張状態に耐え切れなくなった。

「う、うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 辺り一帯に響き渡るような奇声を発すると闇雲に駆け出した。

 平均的な日本の家庭環境で育った葉月にとって、命の危険を前に冷静でいろなど所詮無理なことだった。

 もちろん最良の選択とはいえなかった。

 しかし、この行動は男たちの不意を突いた。

 突然大声を上げて駆け出した葉月の姿に、男たちは呆気に取られて一瞬立ち竦んだのだ。

「ナンダアリャ」

「オイボケットスルナオイカケルゾ」

 葉月の姿が木の影に紛れる直前まで呆然と見送っていた男たちは、ようやくハッと我に返って慌てて後を追おうとする。

 しかし、その中の一人がニヤリと嫌な笑みを浮かべて仲間を制するとおもむろに猟弓を持ち上げた。

「マアマテコレデヤル」

 言うがはやいか、男は素早く弓を番え、何の躊躇もなくいきなり葉月に向かって矢を放った。

「ぎゃっ!」

 耳元を唸りを上げて風が掠めたと思った瞬間、左の肩口に焼けるような痛みが走る。

 強い力で突き飛ばされたような衝撃を受けた葉月は、悲鳴を上げてもんどり打って地面に転がった。

 何が起こったのかと痛む方向へ目を凝らした葉月は、自分の肩から突き出た矢じりを見て、声もなくおこりのように体を震わせた。

「オイオイイッパツデシトメロヨ」

 下卑た笑い声を遠くに聞きながら、葉月はとうとう泣き出した。

「怖いよ……、助けて助けて」

 ひたすら、震えながら「怖い」と呟き続ける。

 

 絶望的だった。

 まったくもって絶望的だった。

 何度も夢であれと願ったが、このときほど強く祈ったことはない。

 言葉はやがて不明瞭な呻き声に変わり、呆然と見開いた目にはもはや何も映らない。感情的というよりも生理的な涙が止め処なく流れ落ちていく。

「コレデオワリダ」

 言葉は通じないままだったが、このとき葉月は男が言った意味を明確に理解した。

(夢……、いやな夢)

 震えながら男たちに目を向ける。

 ニヤニヤ笑う男の一人が、再び弓を番えて葉月に向ける様が、スローモーションのようにはっきり見えた。

「うぅ~、う……」

 意味を成さない呻きばかりが口からこぼれる。顔を背けたいのに限界を超えた恐怖に固まって、目はこちらに向いた矢の先を凝視するばかりだった。

 男が葉月に見せつけるようにゆっくりと矢を放った。

 ザッ!

 風を切る音がやけに大きく葉月の耳を突く。目の前が真っ暗になった。襲ってくる衝撃を予見して思わず強く目を瞑る。

 しかし、どういうわけか、いつまで待っても衝撃や痛みが襲ってくることはなかった。

 葉月は恐怖と緊張で凝り固まった体を、強いて動かして恐る恐る目を開けた。


 一瞬、何が起こったのかわからなかった。

 目の前には黒い毛皮に覆われた大きな男の背中があったのだ。

 まるで葉月を背に庇うかのように立つ男に、もちろん葉月は見覚えはない。

 顔はわからなかったが、格好だけ見れば葉月を殺そうとした男たちと大差がない。新たに現れた男もまた、同じように昔のマタギのような格好をしていた。

 しかし、縦だけではなく横にも大きな先の男たちに比べると大分体に締まりがあり、またむき出しの腕を見ればまだ若い男のようだ。

「だ、誰……?」

 葉月はぽかんと口を空けて、男の背中に言った。問うというより、ただ声を出しただけの口調だ。

 男の足元を見れば叩き落されたのか、折れた矢が地面に転がっている。遅まきながら自分に向けて放たれた矢だと気がついて、葉月はごくりと喉を鳴らした。

 突然の乱入者に、虚を衝かれたのは暴漢たちも同じだった。

 若い男以外のこの場の全員が、ただ息を呑んで顔を見合わせていた。

「ナンダテメェイキナリ」

「フザケタコトヲスルジャネエカ」

 やがて気を取り直した男たちが口々に声を上げ始めた。対する若い男は、軽く息をついて言った。

「ダレノユルシヲエテココデカリヲシテイル」

 声は静かだったが有無を言わせないだけの迫力があった。

「ナンダトコノワカゾウガ」

 一人が激昂して詰め寄ろうとする。

 それを、別の男が慌てて押しとどめた。顔には明らかな動揺が浮かんでいる。

「マズイヤツハヒョウダ」

「ナニ」

「ミロクロゲノケガワニキンメノオトコトイエバヒョウシカイナイ」

 男の言葉を聞いた他の者たちは、途端に及び腰になり、ニヤニヤとおもねるような笑みを浮かべて後退った。

「マテワルカッタイヤアンタノナワバリヲオカスツモリハナカッタンダ」

「スマネエオレタチハ……」

 尚も言い募ろうとする男たちの言葉を遮って、若い男がゆっくりと腰の剣を抜きにかかる。

「イイワケハキカヌソッコクコノバカラタチサレ」

「ヒィィィ」

 男たちは一様に悲鳴をあげると、蜘蛛の子を散らしたようにあっという間に我先に退散していったのだった。

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