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恋も人生も、二周目のほうがうまくいく。  作者: 月雅


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第8話「拾った人材」

「閣下、お時間をいただけますか」


イレーネはヴァルターの執務室の扉を叩いた。手には昨夜ルッツが持ってきた密書と、自分が一晩かけてまとめた分析の紙がある。


「入れ」


執務室に入ると、ヴァルターは窓際の椅子に座っていた。右手で何かの報告書を読んでいたが、イレーネの顔を見て紙を伏せた。


「王都から情報が入りました」


イレーネは密書の内容を伝えた。


王太子クラウスが、有能な官僚や文官を次々と更迭していること。更迭の理由は「聖女への敬意が足りない」「殿下の方針に異を唱えた」といった、実務とは無関係のもの。代わりに登用されているのは、聖女リゼットの周辺にいる取り巻きたち。政務の経験がない人間が要職に就き、行政が停滞し始めている。


「更迭された者の一部が、行き場を失って辺境方面に流れてきているという情報もあります」


ヴァルターは黙って聞いていた。右手の指が、膝の上でゆっくり動いている。考え込む時の癖だと、イレーネはもう知っていた。


「……王太子が何をしようが、俺の領地には関係ない」


「いいえ。関係します」


イレーネは分析の紙を机に置いた。


「これは辺境にとって好機です。王都が手放した人材を、こちらで受け入れる制度を整備することを提案いたします」


ヴァルターの目が紙に落ちた。


「追放者や元犯罪者の再雇用制度と合わせて、辺境を人材の受け皿にする構想です。交易路の復活、税制改革、いずれも実行するには人手が足りません。特に帳簿を扱える文官、物資の管理ができる実務者が決定的に不足しています」


「王都の人間を受け入れるということは、王都との摩擦を意味するぞ」


「奪ったのではありません。拾ったのです。王都が捨てた人材を」


ヴァルターはイレーネの顔を見た。


数秒の沈黙。


「……その理屈で通るか」


「通ります。辺境への移住は個人の自由であり、公爵領での受け入れは領主権限の範囲内です。王都側に文句をつける法的根拠はありません」


ヴァルターは右手で顎を掻いた。納得しかけている顔だった。


扉が叩かれた。


「失礼します」


フリードリヒが入ってきた。ヴァルターに敬礼し、イレーネにも短く頭を下げた。


「閣下、公爵夫人の提案について、一点申し上げたいことがあります」


「聞いていたのか」


「扉の外で待機しておりました。声は聞こえます」


ヴァルターが鼻を鳴らした。盗み聞きを咎める気はないらしい。


フリードリヒはイレーネに向き直った。


「公爵夫人。王都の人間を大量に受け入れれば、その中に密偵が紛れ込むリスクがあります。王家の密偵団は主に王都と主要貴族領を監視していますが、辺境に人材が流入し始めれば、目を向ける口実になりかねません」


正当な懸念だった。イレーネは頷いた。


「おっしゃる通りです。そのため、受け入れ人材には身元調査と試用期間を設ける制度を提案いたします」


イレーネは分析の紙の二枚目を開いた。


「身元調査は、前職の確認、辺境到着までの経路の聴取、辺境に来た理由の申告を基本とします。試用期間は三ヶ月。その間は領地の中核的な情報にはアクセスさせず、末端の実務から始めます。三ヶ月の間に問題がなければ正式採用とします」


フリードリヒの表情が変わった。


「……最初から想定していたのですか」


「密偵のリスクは、人材を受け入れる以上避けられない問題です。想定していないほうが不自然です」


フリードリヒは口を引き結んだ。反論の余地がなかった。


ヴァルターが椅子から立ち上がった。


「フリードリヒ、身元調査の実務はお前に任せる。領兵の中から適任者を選べ」


「はっ」


フリードリヒは敬礼した。その動作に、これまでとは異なるものが混じっていた。イレーネの計画を「警戒する側」ではなく、「参加する側」としての敬礼だった。


フリードリヒが退室した後、ヴァルターはイレーネに目を向けた。


「あいつが自分から動いたのは久しぶりだ」


「隊長殿は、領地を守ることに真剣な方です。守り方が広がっただけかと」


ヴァルターは何か言いかけて、やめた。


数日後。


人材受け入れの第一陣として、王都を追われた元文官三名が辺境に到着した。


いずれも三十代から四十代の男たちで、疲弊した顔をしていた。王都で真面目に職務を果たしていたが、王太子の方針転換で更迭された。行き場を失い、辺境に新しい領主夫人が人を集めているという噂を頼りに来たのだという。


フリードリヒが身元調査を行い、三名とも問題なしと判断した。イレーネは試用期間の条件を説明し、三名はそれぞれ帳簿管理、物資管理、書簡管理の実務に配属された。


その日の夕刻。


ルッツがイレーネの執務室に来た。


「イレーネ様、元文官の一人が話したいことがあるそうです」


「通してください」


入ってきたのは、三名のうち最年長の男だった。四十代半ば、額の広い痩せた男で、書簡管理に配属された人物だった。名をグスタフといった。


「公爵夫人、お時間をいただきありがとうございます」


グスタフは深く頭を下げた。


「お座りください。何かございましたか」


「一つ、お耳に入れておきたいことが。王都を発つ直前に、宮廷の知人から聞いた話です」


グスタフは声を落とした。


「殿下が——王太子殿下が、あなたの名前を出して激昂されたそうです。『あの女が辺境で好き勝手やっている』と」


イレーネの手が、机の上で止まった。


「辺境での税制改革、交易路の復活計画、人材の流入——これらの噂が王都にも届き始めています。婚姻届出の時点では関心を示されなかったそうですが、辺境の動きが目立ち始めたことで、改めてあなたの名が殿下のお耳に入ったようです」


イレーネは一拍置いた。


「……ありがとうございます、グスタフ殿。貴重な情報です」


グスタフが退室した後、イレーネはしばらく机の上の帳簿を見つめていた。


王太子の目に留まった。 追放した相手が辺境で成果を上げていることに、苛立っている。


それ自体は、想定の範囲内だった。辺境で活動を続ければ、いずれ王都の耳に届く。問題は、王太子の苛立ちが具体的な行動に変わるかどうかだ。


廊下で、ルッツとヴァルターの声が聞こえた。


ヴァルターの声が、いつもより硬い。


「ベーレン。その手紙の差出人は誰だ」


「伯爵家時代のイレーネ様のお知り合いです。名前は——」


「イレーネの旧知が、辺境に接触してきているということだな」


「はい、ですが——」


「わかった。もういい」


ヴァルターが執務室に入ってきた。イレーネを見たが、ルッツの話題には触れなかった。


「グスタフの話は聞いた。王太子の件だな」


「はい。グスタフ殿から情報を得ました」


「対処は要るか」


「現時点では不要です。注視は必要ですが」


ヴァルターは頷き、窓際に歩いた。背中を向けたまま、しばらく黙っていた。


ルッツへの態度が、以前より硬くなっている。イレーネはそれに気づいていた。旧知から手紙が届いたことへの——何だろう。領地の治安上の警戒心。契約夫として、領地に外部の人間が接触することへの懸念。


合理的な説明はつく。


けれど、合理的な説明がすべてではないことも、イレーネは薄々わかっていた。わかっていて、「契約の延長線上の警戒」と解釈した。それ以上のことを考えるのは、今は必要ない。


その夜。


エーデルガルトがイレーネの部屋を訪ねてきた。


「王都の話は聞いたわ」


「はい。先代夫人にもお伝えすべきでした。申し訳ありません」


「いいのよ。それより——」


エーデルガルトは微笑んだ。いつもの穏やかな笑みだったが、目の奥に楽しげな光があった。


「あの子、ルッツくんに当たりがきつくなっていない?」


「お気づきでしたか」


「母親ですもの」


エーデルガルトは小さく笑った。


「あらあら」


その一言に、イレーネは返す言葉を見つけられなかった。

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