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蛇の目

蛇の目/新装版

作者: ふゆはる
掲載日:2026/03/09

登場人物 :吉羽恵美 科警研第二課 主任捜査官

秋山慎一郎 :科警研第二課室長

片瀬梓: 科警研第二課主任技術員

渡辺直樹 :吉羽恵美とバディを組んでいる捜査官


蛇の目 :連続殺人犯の脳とリンクさせた人工AIで世界中のデータベースはおろか、日本の交通監視カメラともリンクした存在 殺人鬼の思考をもって独自の自立思考で犯罪を捜査し、科警研第二課の捜査に貢献している


そのコアユニットには秋山慎一郎の妻だった秋山和葉が接続されており、彼女もまた死の天使として多数の犠牲者を出した連続殺人犯であった 和葉を接続したコアユニットはKAZUHAコアと呼ばれており、他の繋がれた殺人犯の脳を制御している。


二課の面々は犯人プロファイルはしない。

何故なら通常のプロファイルを行うことは、犯人の心理に近づき犯人の心になる事だ。

それ故に捜査官に心理的負担がかかり、PTSDなどにより心が壊れていくからである。

そんな心理的負担を担うのは秋山慎一郎が開発した「蛇の目」システムだ。

ソレはサイコパスの連続殺人鬼達の独特の思考で犯罪をプロファイルする。これにより、数々の異常な事件を解決に導いてきた。

科警研第二課。表向きは存在しない彼等は異常犯罪を異常な思考でプロファイルしていく、彼等の捜査が実を結ぶのは異常犯罪を止めることができた時だけである。




  蛇の目

























登場人物



 吉羽恵美(よしば えみ)

 科警研第二課主任捜査官。冷静で洞察力に優れ、過去のトラウマと向き合いながらも被害者に寄り添う捜査を行う。



 秋山慎一郎(あきやま しんいちろう)

 科警研第二課室長。犯罪者の思考を模倣するAI《蛇の目》の開発者であり、倫理的葛藤を抱えつつも《真実を知る為には手段を選ばない》という信念を持つ。




 渡辺直樹(わたなべ なおき)

 第二課の中堅捜査員。現場経験が豊富で、感情的な部分を排しながらも被害者への共感を忘れないバランス型。




 片瀬梓(かたせ あずさ)

 第二課所属の若手研究員。冷静沈着で論理的思考に長けているが、時に感情の機微には疎いところもある。《蛇の目》システムの運用データ解析を担当。






















第一章





 第一章 ケース1



 その年の暮れは、近年稀に見る寒波が全国を襲い有馬温泉にも積雪をもたらしていた。

〈スナック雅〉から聞こえる嬌声はしんしんと降る雪もかき分けて店の外まで聞こえていた。

カランというドアベルの音とともに身長は百八十センチぐらいで、痩身な風体の割に仕立ての良さそうなコートを羽織っている男が入ってきた。

カラオケに興じる客たちの目を引いたのは右手に持った杖と足を少し引きずるかのような仕草であったが、客たちの目線はすぐに店の女の子達のたわわな胸元や太ももに向けられた。

店の女主人であろう女性が「いらっしゃい、ここどうぞ!」カウンターに腰を下ろすと、「初めてのお客さんですよね?ウチは明朗会計なんで、セットメニューオススメしますよ!」と声をかけつつおしぼりを置いた。

「じゃあこのボトル付きのセットを頼む」と言いちらりと周りに目をやった。

「お客さんボトルは何にします?焼酎ならこの中からウイスキーやブランデーならここから選べますよ」

「ママのオススメで焼酎以外で頼むよ」と男は言うと

ママが「じゃあこれね」と言うやいなやジャックダニエル黒ラベルが男の目の前に置かれた。

男は少し頷き

「ロックで頼むよ」と言い、男は唐突に出身地の話をした「私は東京出身なんだがママはどこなんだい?」と言った声をかけるとママは「あたし千葉なんですよ、お客さん出張ですか?」男は頷くと、他の客のカラオケの音を心地よさそうに聞いていた。

それから小一時間男は黙ったまま口を開こうとしない、時折酔い客のカラオケのリズムに杖で相槌を打つ仕草をみせたが、押し黙ったままだった。

 ママが業を煮やし言葉をかけようとした時に「そういやママの出身千葉だって言ってたけどもこういう事件知ってるかな?」と話し出した。それは、千葉県浦安市、六年間で五人の女性が刺殺され、毎回子宮を摘出されて持ち去られるという異常性があり、二年前に何故かピタリと止み未解決になっている事件だった。

 ジャックダニエルから酒を注ぐ音が止まると同時にママの挙動に怒りが混じる。

「お客さん嫌だわ、その事件ならアタシも知ってますけど恐ろしい話ですねぇ」グラスに酒を注ぐようにカランと氷を鳴らすと

「変な話をしたねすまない」グラスに継がれた酒を舐めると話を続けた。

「明日また来るよ」そう言いながらぐいとグラスの酒を飲み干し、男は店を後にした。

「変なお客さん!」そう愚痴ったママは嬌声の主たちの元へと駆け寄り会話を楽しむのだった。

翌日の夕方、開店の準備をしているママの背後でドアのカランという音と共に入ってきたのは昨日の変な客だった。

「お客さん、まだ開店前なのよ!一時間程したら店の子達も来るから、それまでどこかで時間でも潰しておいてちょうだい!」背を向けたまま言った。

出ていく気配がしないのでママは振り返ると男はカウンターに腰掛けていた。

「ちょっとお客さん困りますよ」明らかに怒気混じりに言ったのだが、男は予想外の事を話し始めた。

「昨日の事件」トンと杖をつく

「犯行の手段についてだが、心臓部を一突きし、性的暴行の跡もない、子宮摘出したのは確かだが外科手術的なソレとは違いは明らか」

「非常に乱雑というか切開箇所もお世辞にも医学的知識があるとは思えない、無理やり切り取ったとしか思えない手口だったんだ」


ママは店の片付けをしながら聞いた「それで?」男は続ける。

「警察は周辺の目撃情報から不審者を洗い出し始めたんだが、めぼしい不審者情報もなくてね。」

「致命傷となったと思われる刃物傷から犯人は右利き、身長は百七十前後とまでは割出した。」

「プロファイルも行った、年齢は二十後半から三十代、普段は目立たない容姿で家族とは疎遠、職業は工場などの単純作業で職場でも責任感は人並み」

「ただし、目立たないと言っても犯行の残虐性から女性に執着しており嗜虐嗜好がある男性だと思われる。」ママの反応を伺うように男は続けた。

「警察は犯行エリアだった浦和周辺をしらみ潰しに洗ったが成果はゼロだった」

「ここからが本題だ、プロファイルからはそう逸脱してない、だが捕まらないのは何故か?という疑問だ。」

「ここからが私の仮説なんだが果たして犯人は...」トンと床に杖をつく

「本当に男なのかと思ったんだよ」

ママがカウンターに向き直り「それがアタシだとでも?」と言った。

男は「いや正確には違う」カウンターに一枚の紙を置いた。

〈逮捕状〉文面の文字を見たママの顔色から表情が消え、冷たい目に変わる。

「アタシではない白川芳雄、君に言ったんだよ」と言った。

同時に刃物が胸元に突き出される。男は間一髪でそれを躱し、右手の杖をママの喉元に突きつける。と、同時に店に警官が銃をかまえなだれ込んできた。男は「遅い」と悪態をついた。

「ああ、『元』白川芳雄「犯行時は君は男として生活していたんだろう?」

「ここからは推測だが君は性同一性障害なんだろう、犯行動機はソレが起因しているね?」

「いつから女性として認識していたかは別として、罪は罪だ」

杖を下ろした...

ここでママは観念したのか警官に手錠をかけられた...

「せっかく女としての人生歩んでたってのにさ...」男は杖を握り直して言った。

「罪の意識からは逃げられん、それを捕まえるのが私たちの仕事であり、君が女の身体的特徴を手に入れて犯行を辞めても時効は無いんだよ」と言った。

外を降る雪は昨日にも増して吹雪となり、ドアから店の中へと降り込んでいた。

突然の〈スナック雅〉の閉店に店の子と客はショックを受けるだろう。

それを包み隠すかのごとく雪はますます降り積もるのであった。


白川芳雄は北海道に生まれた。

両親曰く〈不思議なくらい笑わない〉子であった。

それでも幼少期は両親の愛情を受け、何不自由なく育った。

芳雄の環境が変わったのは中学にあがる時だった。

その年、突然両親が離婚したのだ。

母親に引き取られた芳雄は、経済的理由から新聞配達を始めた。

芳雄は、それでも母を好いていた。

新聞配達の仕事も人と関わることなく、毎日決められたルートを周る。

そんな仕事でも芳雄は楽しみを見つけた。

薄暗い中、配達の為自転車を走らせていると近くの歓楽街から、着飾った女達がひとり、またひとりと、横をすり抜けていく。

そんな女たちのふわりと香る香水の匂いが好きだった。

鼻腔をくすぐる香りと女性独特の匂い。

それを鼻いっぱいに吸い込むと息を止めて車体を加速させる。

そんな些細な行為を配達の楽しみにするのが、芳雄の幸せな時間だった。

芳雄が配達を終えて家へ帰ると、甘酸っぱい酒の匂いと共に母が化粧を落としている。

母もまた夜の女であった。

それから一年経った頃、いつものように配達から帰ると。

「芳雄、新聞配達止めなさい!」と唐突に母が言った。

「母さん稼げるようになったから、貴方はもう働く必要ないの」

「学生らしくしていいのよ」

母が最近、以前にも増して派手になっていたのは知っていた。

身につけるアクセサリーも見た目だけでなくいかにも高価となり、仕立ての良さそうなバッグを身につけていた。

芳雄は母の言葉に返事出来ずにいた。

「母さ...」

「新聞屋には、母さん電話しとくから明日から行かなくていいのよ!」

言葉を遮られ母の意思が固いのを知って落胆した。

それからの芳雄の人生は地獄だった。

唯一の楽しみを母に奪われ、学校では母の悪い噂を流され「売女の息子」と呼ばれた。

身体的暴力こそ無かったものの、精神的に追い詰められた芳雄は、一人で居ることが多くなった。

学校から帰ると母はいつも機嫌が悪く、身支度をしながら芳雄を責めた。

「芳雄、学校で何言われても相手するんじゃないよ、あんたんとこの同級生の親だって店で子に見せられない姿してんだからね!」

毎日そんなことを言われながら朝方、酔いが回った母をベッドに運ぶのが、芳雄の日課になった。

高校生となった芳雄は一人になる時間こそ増えたものの、幸いな事に母への中傷に晒されることなく、平穏な日々を過ごしていた。

セミの鳴く頃になり、母が仕事に出掛けた後、母の部屋にこっそり入ると化粧台の前に座ると、一本の口紅へと手を伸ばした。

おもむろに蓋を取り、匂いを嗅ぐ。

母のいつもの匂いがする香水を見つけた。

手に取りシュッと体に降ると、いつもの匂いが部屋中に溢れる。

その匂いを嗅ぎ、芳雄は興奮気味に、先程の口紅へと手を伸ばす。

おもむろに唇へとあて塗ってみる。

鏡に映る自分の姿に奇妙な憧れを感じると共に芳雄は勃起していた。

興奮気味に母の服を身に付けて鏡の前に立つ。

その姿を脳裏に収めるように目を閉じ、しばらくの間動かずにいたのだが、ふいに我に返り、乱暴に唇を手で拭った。

慌てたように服を脱ぎ、洗面台へと走り口紅を落とす。

自分の部屋に駆け込むとえも知れぬ、後悔の念が沸き起こり自分を責めた。

気分転換しようと外へ出た。

外は蒸し暑く、少し歩くだけでも汗がじっとりとまとわりつく。

近所の公園のベンチに座っていると、背後から男女の囁くような声が聞こえた気がした。

芳雄は身をかがめそっと声の方に近づいてみて茂みの奥、眼前に広がる光景に息を飲んだ。

そこには初めて見る男女の営みが広がっていた。

呆然としている芳雄と、男の下にいる女の目が合う。

女は口元に指をあてシーッと合図をする。

まるで芳雄に見られることを楽しむかのように、女は喘ぎ声を小さく漏らす。

男はその声を聞いて律動を激しくすると、小さく呻いて果てた。

芳雄と女は再び目を合わせると、女の妖艶な笑みに呆然としたのもつかの間、芳雄はその場を逃げるように走った。

家へたどり着き、自分の部屋に駆け込んでベッドに潜り込む。

凄まじい後悔の念とは裏腹に、股間の違和感に手で抑え込む。

芳雄は射精していた。

べっとりと濡れる下半身だったが、屹立したモノは、いまだ興奮状態にあった。

無理やり手で抑え込むと治まるのを待った。

しばらくして股間が治まると、芳雄は胸の動悸が、未だ収まらずにいるのを感じ、先程の光景を思い出していた。

芳雄の心に強烈な体験を残したこの出来事は、今後の人生において異彩を放ちつつ、大きな意味を持つことを未だ知らない。

外は暑く一人の少年の思春期の出来事であった。


北海道札幌市にあるススキノ通りには、冬のおとづれとともに、夜、沢山の人々で賑わっていた。

北海道最大の歓楽街であるこの街で、芳雄は十九歳となり、とある店のボーイとして働いていた。

サッポロビールやニッカのネオンサインは、煌びやかに光り輝き街の喧騒に一役かっている。

芳雄はと云うと、店のキャスト管理を任されるぐらいとなり、キャストからの信望も厚く、いずれマネージャーへと昇格するであろう働きぶりだった。

「芳雄、ちょっとお願い!」ママである実彩子に呼ばれ、客席に着いた芳雄にキャストの一人、沙也加が耳打ちする。

「このお客さんNGだから...」「それとドンペリのヴィンテージ12お願い」

キャストのNG対応は手馴れたもので暗黙の了解があった。

「沙也加さん八番テーブルにお願いします」と客に聞こえるように言い、即座にキャストの美香を呼ぶ。

自身は、ドン・ペリニヨンヴィンテージ2012を取りに行き戻ってくると、客が不満そうな素振りを見せていた。

「折角、沙也加の為に入れたのに口もつけずにテーブル変えるなんてボーイ、なってねぇじゃねぇか!」と言われたが、何時ものように形だけの謝罪をすると、実彩子が助け舟を出す。

「あら、なぁに?私と美香だとご不満かしら?」と言いながら、美香に目配せする。

美香も手馴れたもので、こぼれ落ちそうな膨らみをワザと客の腕に寄せる。

「い...いやぁそんなことはないよ、美香ちゃんとママなら両手に花じゃないか!」

バツが悪そうに言い放つ。

実彩子の機転で窮地を脱した芳雄は、すっと後ろに下がりそのままテーブルを後にする。

その日はクリスマス前という事もあり、会社の接待であろう客で、営業終了まで賑わった。

「芳雄、ちょっと!」閉店後呼ばれた芳雄に、実彩子は、「今日の反省点ね、ああいう時はNGでも乾杯まではキャスト付けとくのよ、そうしないと今日みたいに不機嫌になるのよ。わかった?」

芳雄は返事の代わりに頷く。

「まぁいいわ、今日はお疲れ様、先に上がっていいわよ!」

深々とお辞儀して芳雄はボーイの着替え部屋に向かった。

そこで沙也加に呼び止められる。

「芳雄、今日はありがとう助かったわ!」

会釈で返して奥に進もうとすると沙也加に「ラーメン食べに行こう!」と唐突に言われた。

「外で待ってるから早く着替えてきてね!」どうやら拒否権は無いらしい。

芳雄が店を出たところで、沙也加は腕を組んで来た。

「菜々兵衛行こっか、あそこなら開いてるし!」

ぐいと腕を引っ張られ半ば強引に連れていかれる。

明け方だと言うのに店は夜の職に就く人々で賑わっていた。

「味噌ラーメン二つね!」と注文してから、沙也加が堰を切ったかのように愚痴を言い始める。

時折、頷きながら芳雄は聞き手になっていたのだが、どうにも居心地が悪い。

というのも、母以外の女性と二人で食事等したことが無い。

もちろんこういうシチュエーションも初めてである。

目の前に置かれたラーメンを啜りつつ、沙也加の愚痴を聞くのも仕事と割り切ることにした。

「そういや芳雄って...私も含めてキャストとあまり喋らないわよね」

「店の言いつけそこまで守ってるボーイって珍しいよ。なんかあるの?」

と聞かれた。

「いえ...別に...」

「そういうとこよ、ボーイなんてキャストと仲良くなって辞めてく子一杯いるのよ、あなた変わってるわ」

「他のキャストなんて貴方のことゲイだって噂してる子もいるわよ」

そこまで言われて芳雄は言葉を被せた。

「そ...それは無いです!」

「だよねぇ、あなた本当に変わってる」

食事を終え、店の外に出ると空は白み始めていた。

「さて、帰りますか!」沙也加が屈託のない笑顔で言った。

「それとも...ちょっと寄ってく?」と言いながら芳雄の腕を掴み建物に引き込む。

そこは小綺麗なHOTELであった。

びっくりして芳雄が、呆然としていると沙也加が、「どの部屋にする?」と言いながら部屋パネルを選んでいる。

思わず腕を祓った芳雄に「ここまで来て女に恥をかかせないの!」と言い、案内に従って強引に連れて行かれる。

部屋に入るとそこは、芳雄にとって目にするもの全てが初めて体験するものだった。

豪奢なベッドやバリのリゾート風な調度、ガラス越しに見えるのはシャワールームだろうか、ベッドの上にきちんと折りたたまれたガウン。

それを顔に投げられ「シャワー浴びてくるね!」

沙也加がコートを脱ぎながらシャワールームの方へ歩いていく、芳雄は落ち着きなく部屋を見廻していたが、ガラス越しの沙也加の裸体に目を奪われた。

思春期を経て、初めて見る女性の裸体は芳雄にとって神秘的なモノであった。

長い髪を濡らし、その先端から伸びるふたつの膨らみは母よりふた周りは大きいだろうか、そこから腰へ伸びる曲線は、ふたつの膨らみをより一層強調させる。

ハリのある臀部を経て、伸びる両足も見事な脚線美を形成している。

体を泡まみれにした沙也加と目が合い、悪戯っぽく笑みを浮かべつつ手招きをされる。

芳雄はそれに魅入られるかのように、裸になりシャワールームに入った。

そっと手を取られ体を重ねる。

女性独特の柔らかさを体に感じ、ソープの匂いか沙也加の匂いか解らぬものを鼻腔いっぱいに吸い込む。

沙也加の手が芳雄の股間へと伸びる。

「綺麗にしなくちゃね」と妖艶な笑みをしながらそっと芳雄自身を手で包み込む。

「くすぐったいですよ沙也加さん!」と言いつつ腰を引く、その腰を追いかけるかのように沙也加の手が伸びる。

しばらくなすがままにされていた芳雄が、体を離すと沙也加が「続きはベッドでね。」と言いながらシャワールームを出た。

芳雄は自分の体を洗いつつ、未だ屹立しない股間を気にしていた。

シャワールームを出るとベッドの上には見事な裸体の沙也加が体を横たえていた。

徐ろに横に座ると、沙也加が「はじめてなんでしょ?私に任せて」

そっと股間に顔を埋める。

芳雄は少しびっくりして腰を引こうとするのだが、ぞろりと舌で舐められた。

思わず「ちょ...っと沙也加さん!」

その声が精一杯であった。

芳雄のものは沙也加の口の中で弄ばれている。

あまりのくすぐったさに沙也加の体を手で払い除ける。

沙也加はびっくりして「緊張してるのね」と言った。

それから小一時間、沙也加に弄ばれた芳雄はついぞ屹立することなく終わった。

沙也加はそれでも優しく、「突然すぎたか、そりゃ緊張するわね」と声をかけたのだが、当の芳雄は何故自分の体が反応しなかったのかを悩むこととなる。

その一件があってからも芳雄は毎日の仕事に追われ、沙也加との距離も縮む事は無くその年は終わった。


年が明けたある日の夜、仕事帰りに芳雄は、振り返らざるを得ない人物に出会った。

芳雄が強烈な体験をしたあの女である。

女はこちらには気づいていない、酔っているのか男と連れ立って通りをぬけていく。

思わず後をつける。

公園の方へと近づいていく、そうあの公園だ。

息を押し殺し距離を保って付いていくと二人の影は茂みの奥に消えた。

芳雄は気配を押し殺しそっと茂みの奥に目を向けると、またもやあの光景が目に飛び込んできた。

背後から男の屹立したものを受け入れる女の姿。

芳雄は股間に熱いものを感じていた。

女は酔っているため、艶やかな喘ぎ声を放ち続けている。

男の躍動は荒々しく、女の背後から髪をつかみますます激しく動くのであった。

芳雄はまたもや射精していた。

その瞬間、芳雄は走り出していた。

家へと続く道を駆け抜け部屋に戻ると興奮状態の芳雄自身をパンツで拭った。

べっとりとした青い匂いが部屋に広がる。

嫌悪感に苛まれながら自身のモノを消し去りたい衝動に台所へと走る。

徐ろに包丁をつかみ刃をあてる、しかし出来なかった。

芳雄は落ち着くまでに数時間を要した。

それから冷静に考えた。

沙也加との営みでは得られなかった快感が脳を痺れさせる、その原因があの女ではなく、律動を続けていた男に興奮した事実を芳雄は受け入れ難かったのである。

自分はゲイではない。だが女性を美しく思うのも事実だ。

では、何故女性との行為に興味は無いのか?

スマホを手に取り関連するワードを片っ端から打ち込む。

検索結果のある一文に目が止まる「性同一性障害」

性同一性障害とは、出生時に割り当てられた性別とは一致しない、性の自己意識を持ち持続的な違和感を覚える。

芳雄は母の化粧をして服を着た時の陶酔感を思い出していた。

思い当たる節はあったのだ。

自身のモノに当てた包丁は食材を切るのに使いたくなく、その内捨てるつもりでバッグにしまい込んだ。

「自分は異常だ。」と勘違いから認識しての芳雄は、仕事に身が入らなくなっていた。

そんな芳雄を心配した沙也加の献身的な言葉にも、身が入らなくなった芳雄は仕事を辞めた。


桜が咲く頃になり、芳雄は髪をロングにし、務めて女性のように生きようとしていた。

母には気取られないように、男っぽく振る舞う二重生活となっていた。

そうする事で芳雄の性同一性障害が悪化するのも必然であった。

芳雄の日課といえば、母が寝ている昼間はユニセックスな服に身を包みパチンコ屋へ入り浸る。

母が出勤した頃を見計らって帰宅する毎日であった。

時折、母の服を着て夜の街に散歩に出かけるのが楽しみになった。

人と関わらずに済むのは芳雄にとってオアシスのようなものだったが、元々内向的な彼にとっては、ますます人を遠ざけることになった。

ある日、珍しくパチンコで大勝した芳雄は、帰宅するには遅い夜となった。

一人の女とすれ違う「あの女だ」直感で思わず振り返る。

女も何かを察して振り返ると小さく笑みを浮かべて前に向き直る。

誘うように、ゆったりと歩きながらあの公園に女は入っていった。

後をつけて公園に入った芳雄の背後から声がした。

「何か用?」

声に振り向くと女が笑みを浮かべ立っていた。

その声に反応出来ずにいると女が、「見た顔ね、どこで会ったんだっけ?」

と、記憶を探るように思案していたが、その表情が妖艶な笑みに変わると、つかつかと芳雄の元へ歩み寄り、こう囁いた。

「今月ちょっとピンチでさ、ちょっと援助してよ、安くしとくからさ」

女の目から見ると芳雄の風体は男に見えるらしい。

そんな女に嫌悪感を抱きつつ「いくら?」と、言っていた。

女は茂みの奥に誘うように招き入れて「イチゴでいいわよ」と言った。

「前からする?それとも後ろからかしら?」と言い。手でばってんを作る。

「前金ね」女はそう言いながら下着を脱いだ。

芳雄はバッグから財布を取ろうと思い、手を入れる。

固いものが手に当たる。

いつか捨てようと思っていた包丁だった。

「あ、君あれだ、何年か前にここでアタシと目が合った君だよね?」

女がそう言った瞬間、芳雄は包丁を掴み前に突き出していた。

ずぶりと女の心臓辺りに刃が深々とはいる。

悲鳴をあげようともがく女の口からは、血が溢れ出し声にならない。

思い切り力を込めた刃がめりめりと入っていく。

その瞬間女は絶命した。

それでも芳雄は数度刃を奮った。

とにかくこの女を止めたかった。

あの夜のことは芳雄だけの秘密だったからだ。

芳雄は腹部への攻撃を始めた。

学校で習った女の象徴が見てみたくなったのである。

ソレは下腹の辺り、それだけは知っていたのでそこいら中を乱雑に突き刺す。

ようやく見つけたソレは、ズタズタにされ原型を辛うじて保った女の子宮だった。

芳雄は射精していた。

女がひとつの肉の塊になった事に我に返った芳雄は、慌てて現場を離れた。

辺りは闇、幸い目撃者もなく、血にまみれた衣服や凶器を誰にも見られることなく家へ辿り着いた。


家に帰った芳雄は「バレたらどうしよう!」と、そればかり考えていた。

翌日の朝、ランニングの格好をして包丁を布で包み隠すとそれを手に近くにある廃工場に向かった。

ソレを工場の敷地で埋めた。

不幸中の幸いか芳雄が家へ帰る前にゲリラ豪雨があり、不都合なものは全て洗い流されるのであった。

アリバイも想定していた芳雄だったが、翌日になっても犯行は発見されずに済んだ。

女が発見されたのは、犯行の二日後の昼であった。

あまりの犯行の残忍さにそれは大きく報道され、その後箝口令が敷かれたのか急速にテレビの報道から消えた。

芳雄のところにも勿論、聞き込みはあったのだが、警察の怠慢か、当たり障りのない受け答えだけで済んだ。

それと言うのも女の交際相手が薬物常習者で、任意の聴取時に、舌を噛み切って絶命したからである。

そういう偶然が重なり、芳雄は容疑者にさえならなかったのである。

事件のほとぼりが冷めた頃、母の手を離れ浦安市へと移住することとなる。

それは連続殺人事件の始まりを告げる鐘の音のようであった。

季節は夏を迎え、世間に茹だるような暑さを齎す年になるのであった。































第ニ章


浦安連続殺人事件


千葉県の北西部にある浦安市、東京ディズニーランドがある街としても知られるこの街に芳雄が越してきたのは夏真っ盛りのひどく暑い日だった。

荷解きで、額に汗をかくのを右手で拭いながら黙々と作業する。

割れ物を包んでいた新聞紙に目が入った。

〈ススキノ殺人事件被疑者死亡で書類送検〉の文字だった。

自分の心が安堵するのを感じて、一息入れようと外に出た。

近くの自動販売機でコーヒーを買うと、その足で座れるところを散策する。

幸い近くには公園があり、そこのベンチに腰をかけた。

蝉の声が夏の日を象徴するかのように鳴り響き、子供たちが嬌声を上げながら遊んでいる。

浦安に越してこれたのは仕事が決まったからだ。

工場の大規模募集にありつけたのは芳雄にとっては、大きな幸運であった。

母の前で男として過剰に振る舞うことも無くなり、ありのままの時間が増えるのはありがたい。

問題は工場での勤務時間だが、ライン作業ならば煩わしい人間関係もないだろう。

見た目は男性として見られても、自分の心が女性として生きられるのは都合が良かった。

さしあたっての問題は通勤路の確認であった。

最寄駅の〈行徳〉までの道を確かめるべく、駅の方向に歩き始めたのだが、僅かばかりの距離に駅があり、飲食店もそれなりにあった。

近くのセブイレブンに入った芳雄の目を引いたのは、一人の女だった。

髪は腰まで伸び、今どき珍しい黒髪をして、地味目のスーツに身を包んでいる。

スラリと伸びた足もスタイルの良さを際立たせていた。

今日食べるための弁当類を買い、店を出ようとした刹那、先程の女が店を出た。

思わず後をつけた。

近所に住んでいるのか駅とは逆の方向に歩いていく、芳雄は少し離れた距離を取り気取られないようについて行く、何故女をつけているのか自分でも分からなかったが心は踊っていた。

女は先程の公園を横切りマンションらしき建物へと消えた。

とりあえずの目的を達した芳雄であったが、女を附けた理由がよくわからない。

少し考えてから踵を返し自宅へと向かう。

程なくして家へ辿り着いた芳雄は荷解きの続きに没頭した。


夜も更けた頃、ふと思いついたように外へ出てみた。

気づけば昼間の女が消えたマンション前に辿り着いていた。

自分でもどうやってここまで来たのか分からず、我に返って歩き始めた時に、あの女が出てきた。

思わず電柱の影に身を隠す。

昼の地味な格好とは違い派手な服に身を包んだ女は、公園を横切り駅の方へと歩いていく。

その後を付けていくと東京メトロに乗る、芳雄も隣の車両に乗りこみ様子を伺った。

女は浦安駅で降りると数百メートル先のキャバクラへと入っていった。

昼の仕事だけでなく夜職もしているのだろう。

「夜の女か」と、小さく呟やいた。

そう呟いた芳雄は一連の出来事を考えて、急に恥ずかしくなった。

まるで、ストーカーのごとく振舞った自分の心情を受け止めることが出来ず、自分を卑下した。


その日から毎日のように女が夢に出てくるようになり、それは憧れからるものか、それとも別の感情か解らなくなっていく。

女は長い黒髪をたなびかせ芳雄を挑発する。

「自分の髪も手入れすればこうなるのだろうか」と考え、より一層憧れた。

昼間、工場でも女の姿を想像すると、仕事も手につかなくなることが多くなった。

芳雄の意識下でその存在が大きくなればなるほど、夢の中の女とススキノの女が重なるようになり、あの日の手に感じた感覚や、あの日の全てが愛おしくなってひどく興奮した。

そんな状態が続いた芳雄の精神状態は酷く不安定になっていき、彼女を殺す感覚に苛まれた。

決まって出てくる自分の手に握られた刃物の重量や肉に刺し入れた時の手応え、それらを夢の中で実践するのである。

下腹部にある女の象徴を思い描き、子宮の持つ意味に嫉妬もした。

そうする事で芳雄は自らの体には無い子宮を自身に移植出来ればと、考えるようになった。

心の平静は保たれ、逆にどす黒い感覚に支配されるのであった。

夢は芳雄にとって悪夢となり、日増しに女への殺意へと変わっていった。


最早、解決策はそれしかないと感じた芳雄のそれからの日課は、仕事帰り浦安駅へと足を伸ばし女の勤務先のキャバクラを見張る事になっていた。

浦安駅近くのホームセンターで包丁を買いバッグに忍び込ませる。

後は実行に移すだけだが、怪しまれないよう芳雄は女性として女を見張る事にした。

通販で洋服を買い公園のトイレで女装した。

化粧品も同じく買い、化粧もネット動画で覚えた。

そんな付け焼き刃であったが、端正な顔立ちの芳雄は誰の目から見ても女性に見えた。

一月も経つ頃には身も心も女性として振る舞うことが出来るようになっていた。

そんな毎日に慣れつつある芳雄には別の問題が沸き起こっていた。

女性に見えるが故、男たちに声をかけられるのである。

ナンパ目的ならいざ知らず、時には下卑た目的の男達に晒されることになり、芳雄はそんな男たちを酷く蔑んだ。

それを回避する為に、黒のパンツスーツに身を包み街に溶け込むことに注力した。

女を見張るため、できるだけ短時間の露出で済むように、近くのネットカフェでも常連になった。

この行為が後に、警察の捜査を撹乱することとなるのだが、それは別の話だ。


その日は、夏の気まぐれと言うべきどしゃぶりの雨で、行き交う人々は傘を指していた。

深夜になり退店してくるキャストがちらほらと現れる頃、あの女が出てきた。

傘をさして駅の方へ歩いていく、そっと後をつけていくと女はふいに路地へと入った。

辺りに人気は無い。

好都合だと感じた芳雄は、バッグから包丁を取り出すと右手に持つ。

どす黒い感覚が芳雄の中に生まれ、冷徹な表情に変わるのを感じていた。

女が入った路地へと足を伸ばす、曲がり角を女が入った。

気配を殺し後を追った。

曲がり角を曲がったところで突如、女と鉢合わせした。

「なんだ女かぁ、ビックリさせないでよ!」と言いながら芳雄の横を抜けようとする。

刹那、刃を胸元へと走らせた。

「ひゅう...」という悲鳴にならない声が漏れる。

刃を力いっぱい押し込むとゆっくりと引いた。

前のめりに倒れた女を路地の奥へと引き込むと、女の下腹部へと刃を突き立てた。

「確かこの辺り」自問自答しながら腹を割く、ソレはススキノの時は上手くやれなかった事であった。

肉を切る感触は芳雄を一層愉悦のときへと誘い切開部に手を入れる。そうして目当てのものを探す。

手に一抹の感触。

傷ついてはいるものの芳雄の目的はあっさりと達せられたのであった。

愛おしいソレを思わず口に頬張る、

咀嚼する度に肉の感触と鉄臭い味が広がる。

全てを飲み込んだ時に芳雄は、女性を体内に感じていた。一抹の静寂が訪れた後、我に返った。

ここで、芳雄は大きなミスに気づく、服は血まみれである。

バッグには着替えが入っているが、ソレはネットカフェにある。

幸い人気のない路地であるが、安全圏まで無事に抜けられる保証は無い。

そこで芳雄は賭けに出た。

自宅までの距離を急ぎ足で行く道程を選んだのである。

なるべく街灯のない道を選び、傘を前のめりに指し、衣服を視認しにくくする。

幸い黒の服だと一見して血まみれには見えない。

スマホの地図を頼りに道程を急いだ。

芳雄にとって幸運だったのは、数台の車とすれ違ったものの、通行人に見られること無く家へ辿り着いた事だった。

急いでシャワーを浴び服を着替える。

化粧を終える頃には深夜2時になっていた。

ここからネットカフェへと戻る必要があるが、とりあえずの危機は脱した。

タクシーを使いネットカフェに着く頃には、芳雄の興奮状態も収まり、先程の感覚を反芻するが如く愉悦の時が訪れるのであった。

朝には女が発見されるだろう。

そんな想定をしながら、そして目的の達成を感じつつ深い眠りについた。


朝、目が覚めた頃には既に大きなニュースになっていた。

芳雄は、身支度を整えると駅へ向かう。

昨夜の現場付近では大勢のマスコミが喧騒の最中にあった。

そんな現場を一瞥しただけで駅への道を進んだ。

〈行徳〉まで帰ってきた芳雄は、慌てることなく公園のトイレで男性になった。

ここまで来て近所の住人との鉢合わせを警戒したからである。

自宅へ帰った芳雄は、テレビのニュースへ最大の警戒をする事となるのだが、今の所安全圏にいるのを自覚して内心ホッとした。

昨夜の犯行は稚拙過ぎて改良の余地があった。

雨天だったのは、偶然にもススキノの時と同じく芳雄の存在を覆い隠す材料には違いない。

芳雄自身は昨夜の行為により精神状態は安定していたのだが、満足感には程遠い気持ちになっていた。

子宮そのものを体内に取り込んでも、女性にはなれないのである。

女性への変身願望は、この一件でより大きな問題となって、芳雄の性同一性障害を悪化させていくことになるのであった。

大きく報道された事件ではあったが、警察の捜査は遅遅として進まなかった。

深夜の雨天の事件だった為、痕跡がほとんどなく目撃者探しにも苦労した。

夜職につく女性への加害行為はSNS等のネット上では面白おかしく中傷され、そういった輩の行為を通報する民が、警察の捜査の足を引っ張った。

そして大きく捜査を逸脱させたのは犯人像である。

犯行の残忍さから、男性被疑者を想像していた警察の目を、芳雄は掻い潜ったのである。

子宮摘出の事実もマスコミに伏せられ、捜査員達は霧の中の犯人像を想像するしかなく、解決から程遠かった。

やがて事件は他の事件に紛れ世間から忘れ去られた。

それは5人の女性が犠牲となった最初の殺人事件であった。


その日、芳雄は目眩がするような光に充てられて目が覚めた。

「ここは...」

そう言いながら身を起こすとベッドのギシリという音がする。

昨日の事を思い出そうと記憶を辿る。

自分が逮捕された後の記憶が無い。

そこは留置所とは程遠い白で統一された部屋の中だった。

壁を触ってみる、低反発マットレスのような触感であり、三方が同じ材質のようであった。

正面はガラス張りになっており、そこには、食事等を供給できそうな受け渡し口が付いていた。

目の前にはテーブルがあり椅子もあった。

「何だこの部屋?」思わず声が出る。

そこは映画などで観た精神科病棟の一部屋のようであった。

コツコツという音がガラスの向こうで鳴り、次第にその音が大きくなっていく。

杖を付く音とともに一人の男が眼前に立つ。

昨日の男である。

「目が覚めたかね?」と声をかけられた。

それに呼応することなく無言を貫いていると、視界の外からもう一人男が現れた。

「このワタナベが君を尋問する」とだけ言った。

黒いスーツを着たワタナベと呼ばれた男がなにかの合図をすると、二組の椅子が眼前に用意された。

そこに腰かけたのはワタナベと杖の男であった。

「まず自己紹介からしよう」

「私は渡辺、こちらは秋山二課室長」

「以後、君と話すのは私が担当することになっている」

芳雄は応えない。

「尋問と言っても君は、罪状認否も含め何も喋らなくても結構だ」と言われた。

ここで芳雄は尋問の意味を考えた。

罪状認否さえ不要な尋問などあるのだろうか?

逮捕された理由はわかる。

だが、このような奇妙な場所にいる理由が理解できないのである。

今、まさに始まろうとする奇妙な尋問に芳雄は付き合うことで答えを出すことにした。

「事実関係から始めよう」

そこからの渡辺の言葉は驚くべきものだった。

浦安での最初の犯行から五件の事件の詳細は、推論とは別の確信を持った言葉で白日の元に事件を晒すものであった。

途中、事実関係を誤認している部分こそあれ、一連の殺人を起こした理由も含めて芳雄が 補完する部分は非常に少なかった。

芳雄は、自分でも饒舌なくらい犯行について人に話せなかったストレスを吐き出すかのように話した。

演説は二時間が経ち、ようやく終焉を迎える頃、渡辺のタブレットをいじる手が止まった。

「白川、君の最初の殺人だがススキノが最初だね?」と唐突に言われた。

驚く芳雄に対して渡辺が話を続ける。

「最初の犯行の後、浦安に越してきたのも連続殺人への対応に、我々が遅れをとった理由の一つだ」

「そのことも含め全て話してもらう」

芳雄が口を開いた。

「何故そこまで正確にわかっているのさ?」と聞いた。

渡辺は「そのことも含めて君には科警研第二課に協力してもらう」と言い放った。

芳雄には意味がわからなかった。

犯行がバレた自分に待っているのは裁判後の死刑判決だけだ。

ところが、この男は「協力してもらう」と言うのだ。

脳裏に浮かんだのは有名な映画のストーリー、それは連続殺人鬼が捜査官のアドバイザーとなり事件を解決していくものだ。

「そんな事はありえない」そもそも〈科警研〉とは何かが分からない。

「科警研とはなによ?」思わず聞いた。

渡辺が口を開く「我々は科捜研と違い、科学警察研究所と言う捜査に関する科学的なアドバイザーとしての側面と、鑑定装置の開発なども手がける警察庁の一部署で国家公務員だ」

「科捜研は各都道府県に置かれる部署で彼らは地方公務員という訳だ」

そこまで言われても芳雄が理解できないのは仕方がなかった。

「その国家公務員がアタシを裁判もなしに拘束して無理やり協力させようってのかい?」

「広義の意味ではそうだ」と言われた。

そこからの話は芳雄の想像を絶する話であった。

「ここからは君の意志次第だが、君にはあるシステムへ協力してもらうことになる」

「裁判も量刑も無い代わりにそのシステムに君は組み込まれることになる......」

渡辺が話終える頃、芳雄は絶望を感じていた。

裁判を受ける権利もなく死刑判決もない、その代わりに後の人生全てを奪うとこの男は言うのだ。

長い沈黙の後、芳雄は口を開いた。

「拒否権は無いようね!」

渡辺は頷く。

「いいでしょう、煮るなり焼くなりするがいいわ!」

絞り出した言葉に杖の男、秋山が応えた。

「契約成立だ」徐ろに立ち上がった男に渡辺が続く。

男たちが立ち去った後、芳雄は実感する。

死刑の方がマシかもしれない事実を受け止める精神は、芳雄には残っていないかのようであった。



科警研第二課は警察庁の組織だ。

科警研には本来第二課等ない。

その場所は極秘とされ、警察庁の一部の人間しか存在を知らない。

表面上は民間のビルの様相を呈しているが、実際は様々なセキュリティに守られた研究所であった。

その研究所にある一室に秋山は居た。

いくつかの机が並び、数人の職員が働いていた。

机の前に立つ渡辺に「次のフェーズに移行する」と謎の言葉をかけた。

その言葉に渡辺は頷きその場を後にした。

秋山には早急な課題があり、さし当たっての仕事はそれに注力することであった。

思い立ったように「本庁に行ってくる」

そう言い残し杖の音を残して秋山は二課を後にした。


建物を出ると寒空に思わず首を竦める、寒風吹く中タクシーを拾い警察庁へと向かう。

車中でバッグからいくつかの書類を取り出し目を通す。

どうやら経歴書のようなもののようだ。

幾枚かの紙を捲る指が止まる。

そこには一人の女性警察官の写真と経歴が書かれていた。

吉羽恵美(よしばえみ)〉そう書かれた経歴書を手に取り熟考すると独りごちた。

「彼女で決まりだな」自問自答するように言い、書類の束をカバンに戻した。

東京・千代田区にある中央合同庁舎二号館、秋山はそこに立っていた。

目当ての警察庁はその中にあり、ある人物と面会の約束をしていたからだ。

「長官室」へと案内される。


そこには現警察庁長官、五百旗頭崇(いおきべたかし)がデスクにいた。

「秋山くん」と呼ばれソファに座るよう即される。

「白川の件」

それに小さく頷きつつ「こちらの思惑通り、白川は同意しました」と言った。

「おお、それは何より何より!」

五百旗頭は大袈裟な手振りとともに受話器に手を伸ばす。

「お茶を頼む」とだけ言い、邪魔そうな腹肉を抱えるようにソファへ腰を降ろした。

見た目小太りのさえない男にしか見えない五百旗頭は眼光だけは鋭かったが、すぐに破顔した。

「で、準備の方は順調かね?」と聞かれた。

「ええ、滞りなく進んでおります」そう答えた所でドアが開いた。

五百旗頭は秋山の話を手で止め、入ってきた女性が湯のみを眼前に置く。

一瞥して人払いをする。

ドアが閉められたあと「君の課の話だが、白川の件を聞くまでは正直信じられなかったよ」

「最初に聞いた時はまさに夢物語としか言いようがなかったのも事実だ」

一息いれて「このままプランを進めて行ってもらって結構だ!」と言われた。

五百旗頭から了承を貰い安堵した秋山が口を開く。

「つきましては...」カバンから一枚の紙をテーブルに置く。

「彼女を移動させて頂きたい」そう言いながら間の前の紙を五百旗頭の方へくるりと回す。

そこには〈吉羽恵美〉と書かれていた。

五百旗頭は一瞥すると「すぐに手配しよう」と言った。

秋山にとって今日の目的は達成され、謎のプランが次のフェーズに移った事が現認された日であった。

そして白川、吉羽の両名の人生が大きく変わる物語の始まりであった。























第三章


吉羽恵美


吉羽恵美は小さな頃から一人でいる事が多い子だった。

両親は恵美が小さな頃事故で他界し、祖父母に引き取られた。

そんな境遇でも恵美は健やかに育った。

タバコ屋を営んでいた祖父母は恵美に愛情を注ぎ、一人店先で遊ぶ恵美を心配もした。

そんな恵美であったが、密かな楽しみがあった。

人間観察である。

店先に来る客の多くは様々な銘柄のタバコを買っていく、そんな客の行動を予測し何を買うのか予想するのである。

その為には馴染みの客の顔を覚える必要があり、予測するためには客の風体から好みを予測するのである。

そうする内に恵美は人を観察する術を身につけて行った。

この術は刑事となった今、恵美の資質を大きく底上げし、捜査に役立っていた。

〈面取り捜査〉という手法で、犯行現場から行動を予想し、足取りを追い被疑者の特定を行い逮捕する。

もうひとつの術は〈見当たり捜査〉と呼ばれるもので被疑者の顔写真や特徴を記憶し、繁華街や駅の雑踏から被疑者を見つけだす捜査方法だ。

この二つの術を幼少期から恵美は身に付けていたのである。



その年の冬、恵美は管轄である兵庫県内の強盗殺人事件の見当たり捜査を専任していた。

被疑者の特定はされておらず、唯一の手がかりはモンタージュ写真という条件下での捜査は困難を極めた。

それでも恵美は現場周辺をしらみ潰しに洗い少ない手がかりを追った。

そんな捜査から三ヶ月が経とうという時、恵美は車での見あたりから一人の男に目をつけた。

神戸JR三ノ宮駅から出てきたその男はロータリーに止まったバンの後部座席に乗り込んだ。

その時の座席に座った他の男の風体が気になったのである。

サラリーマンと思しき男が似つかわしくない男たちの車に乗る。

ハッキリ視認できる角度ではなかったが、モンタージュに似ている。

それだけを頼りに停車している該当車両を追うことにした。

車が静かに発進した。

目の前を過ぎるバンの横に「木下設備」の文字を視認する。

すぐさま後を追う。

その車は信号を左に曲がり山麓バイパス方面へと向かった。

付かず離れずの距離を取り、後をつけていくと箕谷インターで降りた。

この辺りは高級住宅地がある。

一件のコンビニエンスストアに車が止まる。

男達が降りてくる。

スーツを着た先程の男と作業服を着た一団だ。

男の顔を現認する為に車を店の駐車場に入れる。

店内に入ると男達が恵美の方を一瞥する。

その時にスーツの男を見た。

「やはりモンタージュに似ている」

飲み物を買うと男たちより先に店を出た。

車に戻り、所轄に連絡して応援の手配をしてもらう。

男たちは店先でカップ麺等の食事を始めた。

応援が来るまでしばしの時間がある。果たして間に合うか...

十五分ほど経った頃、一台のパトカーが店先に止まった。

「間に合った」そう思いながら、警察手帳を片手に車を出ると恵美は集団の所へと向かった。

スーツと目が合う。その刹那何かを察した男達が車に乗り込んで逃げようとする。

スーツだけはその場を走り出した。

車から降りてこようとする警官に「車両を止めて!」と叫ぶ。

警官が慌ててパトカーで進路を塞ぎにかかる。

目の前の男を見事なタックルで倒した恵美は手錠をかける。

その足で拳銃に手をかけて抜く、すぐ様車両の運転席の男へ警告した。

「動かないで!」

パトカーから降りてきた警官が助手席側を確保する。

さらに数人の警官が現着する。

ここで恵美は銃を構えながら運転手に「公務執行妨害」の言葉と共に警告した。

バンの進路を塞がれ、警官に取り囲まれた男達は観念したようであった。

所轄に連行する前に警官への引き継ぎを済ませ、恵美は先程の飲み物に手を伸ばした。

「ふぅー」と大きく息を吐き一息いれる。

助手席に置いた拳銃をホルスターに収めるとエンジンをかけ所轄の生田署へと車を走らせた。

自分が着く頃には連行された被疑者も同じく生田署へと来るはずである。

「三ヶ月の捜査の甲斐あったわね」そう自分へ言い聞かせるとアクセルを踏み込んだ。


署に着くとすぐ上司への報告を求められた。恵美は被疑者現認から逮捕までの経緯を報告した。

上司である光畑(みつはた)は恵美が拳銃を抜いた事を問題にしたが、正当性を主張する恵美や周りの声に押し切られた。

とりあえずの罪状が公務執行妨害だけではあるが、取り調べで起訴までもっていける自信があった。

というのも、恵美が検挙してきた過去の見当たり捜査では起訴率は一〇〇パーセントであったためだ。

今回もそうなるであろう予感を光畑は感じ、それは吉羽恵美という捜査官への絶大な信頼によるもので、被疑者が早晩送致されてくるのを待つ事になった。

夜になって送致されてきた被疑者たちと共に、ピッキングツールやバールといった極めて重要な証拠類も到着し、取調べが行われる事になった。

その取り調べで作業員の男達は、強盗目的で道具を所持していたのは認めたものの、本命の強盗殺人については口を閉ざした。

スーツの男は関与そのものを否定し、弁護士を要求した。

ここから長い捜査が始まる予感だが、一定の成果を経た恵美の心は安堵していた。


それから一ヶ月程たち寒風吹きすさぶ季節となったある日、恵美は光畑に呼ばれた。

「吉羽お前何やらかしたんだ?」と唐突に言われた。

「えーっと記憶にないんですがなんですか?」

「お前に辞令が来てるぞ!」と言われた。

「はぁー?」と思わず大きな声が出る。

他の署員たちの目が集まる。

「コレ見てみろ!」と言われ一枚の紙に目を落とす。

そこには〈吉羽恵美、警察庁科学研究所第二課への転属を命じる〉と書かれていた。

恵美は訳が分からない。

省庁を越えての転属など恵美はおろか光畑でさえ聞いたことがない。

しかも〈科警研〉である。

「吉羽お前そういう分野に精通してるのか?」と聞かれ、「そんなわけないですよ」と答える。

「って言うか科警研って何?」思わず声が出る。

その声に反応するように署で一番若い桐生が「科捜研の親玉みたいなとこですよ!」と言うので「何かの間違いじゃないんですか?」と聞いた。

光畑が「念押しで俺もそれ問い合わせたんだが、辞令は本物だそうだ!」

「場所もこれ東京じゃないですか?嘘でしょー!」

「転属どころか転勤って、断ってもいいんですか?」当たり前の反応を見せたのだが、光畑は首を振った。

光畑が「部署はアレだがこれ凄い栄転じゃないか!」と言った。

「という訳じゃないが、署長がこの件でお前を呼んでる!後はそっちで聞いてくれ!」

恵美が裒然としているのを一瞥して辞令書を手渡す。

怒り心頭の恵美はそれを引っ掴み足早に署長室に向かった。

〈署長室〉と書かれたドアをノックすると乱暴にドアを開ける。

「署長!これは一体どう言う...」そこまで言ってソファに腰かける署長と、その前に対座する人物に目が入った。

そこには杖を持った秋山の姿があった。

「まぁ座りたまえ!」と即されて隣席のソファに腰を降ろす。

「こちら秋山慎一郎科警研第二課室長だ!」と紹介された。

この時点で〈仕組まれた〉と感じた恵美は所長の長峰を睨む。

長峰は言葉を続けた。「こちらの秋山室長が君の直属の上司になる方だ!辞令は二週間後から効力を発揮する!」そこまで言われて恵美が口を挟もうとした時、秋山が口を開いた。

「突然の辞令でさぞ驚いたことだと思う。」静かな口調だが意志のこもったハッキリした口調だ。

恵美は当然の事を聞いた。

「辞令読みましたけど、なぜ私が科警研に転属なんですか?」とストレートに聞いた。

秋山は「君の追跡者(チェイサー)としての力を借りたい」とだけ言った。

「チェイサーってそんな大層な能力、私にはありませんよ!」そこまで言ったあと恵美は、絶対に覆らない結果を長峰の表情から読み取った。

「二週間後この住所まで来てくれ、あとの話はその時だ」一枚の名刺を渡された恵美は、驚くほど素直にそれを受け取った。

「では後日」と秋山は立ち上がり杖をつき足を少し引きずりながら部屋を後にした。

部屋に残された長峰と恵美はお互い顔を見合せたあと、しばしの沈黙の後声をかけられた。

「吉羽、君の捜査能力はこの署でも一級品だよ。その能力を先方は欲しての今回の辞令だ。」

「不満はあるだろうが、その力を科警研で役立ててくれ!」

そこまで言って長峰が頭を下げた。

恵美はそれ以上言うべき言葉が見つからなかった。

二月も半ばとなり未だ寒風吹きすさぶ神戸から、新天地東京へと転属になる恵美にはこれから起こる出来事への不安が去来するのであった。


恵美が科警研に初顔出しとなる日、少し肌寒さが残るものの季節は三月に入っていた。

手に持った名刺にチラリと目をやる。

「確かこの辺...」ビルの名を頼りにするスマホのマップ上では既に着いている筈である。

「こっちだ」突如後ろから声がする。

そこには杖を携えた秋山の姿があった。

目の前にあるどう見ても民間のビルとしか見えない建物に入っていく...。

「嘘でしょ!」思わず声に出しながら後に続くとエレベーターで〈稲田産業〉と書かれたオフィスのある三階へついた。

そのフロアには従業員たちが普通に仕事をしており、秋山は構わず奥へと進んでいく。

〈社長室〉と書かれたドアをくぐると秋山は窓のブラインドを閉めた。

「これからはここが君のオフィスだ」と言い机の裏にある何かを押した。

部屋の右にあった棚が丸ごとスライドする。

そこにはエレベーターが現れた。

即されるままエレベーターの中に入ると、そこは三人乗れば定員と思われる空間だった。

BFと書かれたボタンを押すとエレベーターは、静かな降下音とともに動き出した。

「ここはなんなんです?」と聞いたものの秋山からの返事は無い。

静かな効果音が止まるとエレベータードアが開いた。

そこは、中二階とその下のフロアで構成される広大なオフィスだった。

自分たちが立つ、中二階部分から見下ろすと、下のオフィス部には整然と机が並んでおり、忙しなく職員達が動き回っていた。

その数は二十人以上居ると思われる。

「彼等は我々と違う出入口を使っている」とだけ言い、杖で即された方向に招き入れられる。

そこは下の喧騒とは無縁の複数のモニターが並ぶオペレーションルームとも言えるような作りであった。

眼前のモニターには様々なカメラ映像や数字の羅列が並んでおり、フロア全体を集中管理できるかの如く目まぐるしく画面が移り変わる。

想像以上の光景に恵美は心が踊りつつあるのを感じていた。

「此処が科警研第二課のオフィスだ」秋山はそう言い説明を続けた。

「本来の科警研の仕事は研究員たちが、日々様々な分野から犯罪へアプローチを試みて新たな鑑定手法などを模索し、科捜研へのアドバイザー的な知見から助言をしたりしている」

「しかしここは科学的アプローチを主とした、犯罪への実験的手法を研究する機関だ」

そこまで言ってモニター前のデスクに腰を降ろした秋山に即されて、部屋のソファに腰かける。

「君にはここで専任の捜査官として捜査をやってもらう」

ここまで言って秋山は恵美の反応を楽しむかのように話を続けた。

「基本君には上階のオフィスでリモートで捜査に参加してもらう。必要な時だけここに来てもらうというのが方針だ」

「そして...」と言いつつ杖をとんと突いた。

「捜査の基本は〈蛇の目〉と呼ばれるAIのようなものを使ってやる」

「〈蛇の目〉?」

「そうだ、この機会に詳しく説明しよう」と言いながらインカムを耳に付ける。

「渡辺、片瀬、蛇の目を動かすぞ、準備を」と言った。

オペレーションルームの画面に幾何学模様が浮かぶ。

キーボードを叩きこう打ち込んだ〈新宿〉〈学生〉〈刺殺〉と単純なワードを並べると、即座に幾何学模様が変化していくつかの文字列が画面に浮かぶ。

その文字列を読むといくつかの事件情報と思しき物が並んでいた。

「これは単純なワードから複雑な長文まで自由に打ち込むことで、事件捜査に有益な情報を弾き出し、それを地理的プロファイル、心理的プロファイル、警察のデータベース連動、そういったものを全て考慮して犯人像から活動範囲、安全圏までありとあらゆる情報をこちらに与えてくれる」

「要はプロファイラーのAI版…ってコト?!」

「ココからが本題だ。下に降りるとしよう」

階下へと降りた二人を待っていたのは渡辺と呼ばれた男と、片瀬と呼ばれた女であった。

二人に案内されるままオフィスの一画へと辿り着いた恵美を迎えたのは重厚そうな金庫室のような扉だった。

片瀬が網膜スキャンして解錠する。

小さくズンという音がして扉が開く、そこは中央に巨大な丸いカプセルがありそこから伸びる六本のケーブルに楕円形のカプセルが繋がれた奇妙な空間だった。

恵美は楕円形のカプセルの一つを覗き込んだ。

カプセルはベッド状になっており、映画〈エイリアン〉に出てくるコールドスリープ装置の様であった。

「こっちへ」そう即されて右から二つ目のカプセルを覗き込んだ時、恵美は驚愕した。

そこには一人の女とおぼしき人物が眠りに就いていた。

「何よこれ?生きてるの?」

秋山が頷く。

「このシステムは脳神経科学の研究の過程で偶然開発されたものだ」

「人間のニューロンから読み取られる電気信号をコード化し、AIがそれを解釈できる形に変換するもので、人間の無意識下での脳の活動をリアルタイムで変換する。」

恵美が「そもそも誰なのこれは?」と聞いた。

「千葉の浦安であった連続殺人は知っているかね?彼女いや、〈彼〉白川芳雄はその事件の犯人だ」

あの日〈契約〉を結んだ白川芳雄の姿はこの奇妙な空間にあった。

「この〈蛇の目〉はそういった犯罪者の脳波や記憶の断片を収集し、その結果をシュミレーションするという訳だ」

「千葉の事件は未解決のはずよ!」そういったものの目の前の現実は覆らない。

「我々が捕まえたんだこの〈蛇の目〉を使ってな。中央のカプセルにも同じような犯罪者が〈核〉としての役目を担って眠っている」そこまで言われて恵美は理解しようと思考をめぐらせたが理解の範囲外であった。

「ちょ... じゃあつまり未解決事件の犯人が実は捕まってて、裁判もされることなくここに幽閉されてるってことなの?」至極真っ当な質問だ。

「彼とは死刑と引き換えに契約が成立してここにいるという訳だ」

「そこからの説明は私が...」と片瀬が口を開く。

「ニューロンとは神経系を構成する細胞の一種で神経細胞と呼ばれます。脳や脊髄といった中枢神経系及び末梢神経系で情報の受け渡しや処理を行っています」

「このニューロンは、電気信号〈活動電位〉や化学信号〈神経伝達物質〉を用いて情報を伝達するの」

「その電気信号や化学信号を中央のコア〈核〉へと送り、そこから人工的に作られたニューロンへと伝達する。その過程で送られた様々な情報は、一般人とは違う〈サイコパス〉特有の行動理念を持った意思として構築される。それが〈蛇の目〉と呼ぶシステムよ。」

細かい説明は恵美には解らない、だが目の前の現実を理解するには十分な説明であった。

「サイコパスでサイコパスを捕まえるという事なの?」と問う。

秋山が頷く、その返事を恵美は受け入れるしか無かった。

「三人とも上のオフィスへ」秋山の言葉に即されてオペレーションルームへと戻ると自己紹介が始まった。

「第二課専任捜査官の渡辺直樹です」

「第二課研究員の片瀬梓よ」と言われた。

直樹の方はまだ若く、恵美よりも歳下に見えた。細身のスーツ姿の似合う好青年であった。

 梓は三十代後半と見られ恵美より若干年上に見えるが、白衣を着たその姿は凛としたものがあり、少し神経質そうであった。

恵美が自分の自己紹介を終えると秋山が口を開く。

「これからこの四人でひとつのチームとして捜査にあたるわけだが、他に聞きたいことがあれば今言ってくれ」そう言われた恵美だったが、あまりの情報量の多さに困惑していた。

秋山が言葉を続ける「我々が捜査するのはただの事件では無い、いわゆるサイコパスが起こしていると思われる連続犯を捕まえるのが使命だ」

「それも世間一般には連続犯として認知されていない未解決の〈IFもしも〉と呼ぶケースに限る。捜査範囲は国内全て、管轄を越えて全ての情報を共有する。未だ解決に至ってないそれらの事件の被疑者を確保するのが仕事になる」

ここで恵美は〈確保〉と言った秋山の言葉に違和感を感じていた。

〈逮捕〉では無く〈確保〉の意味とは...

その疑問への答えは今はまだ無く、心の片隅へと追いやった。

「さし当たっての事件だが、これを見てくれ」中央の大型モニターに数列の文字が並ぶ。

〈目黒放火殺人事件〉〈文京区放火殺人事件〉〈江戸川区放火殺人事件〉と読み取れた。

「この半年間に起きた三件の事件には警察発表されていない共通の事由がある。三件とも焼死体の背中の皮が死亡前に剥がれていたんだ。剥いだ理由は不明だがこれを〈IF〉ケースとして捜査する」

その事件の異様さから恵美は連続犯の犯行を確信した。

「ここまであからさまなのに連続殺人として処理されてないんですか?」そう聞いた恵美に渡辺が答える。

「警察組織の縄張り争いなんでしょうね。管轄を越えちゃうと声明文でもない限り情報共有されにくいものなんですよ」と言った。

「渡辺と吉羽でまずは科捜研へ行ってくれ、そこである程度の情報が手に入るはずだ。渡辺は逐一タブレットで情報をこちらに送ってくれ。全て〈蛇の目〉を通してみる。片瀬は科捜研から送られてくる情報の精査だ」と言った。

ここから始まる事件の顛末がどのようになるかは恵美にも知る由がなかった。

それは〈蛇の目〉のチームとしての捜査の初めてのケース。

科警研第二課専任捜査官としての一日目の出来事であった。













第四章


ケース2


どこかで小さく音楽が鳴っている...

その日、矢野翼(やのつばさ)は行きつけのアロママッサージ店で施術を受け帰宅する途中だった。

帰り道、一台の車に呼び止められた。

運転席の男は文京区にある一件の有名パティシエの店への道を翼に聞いた。

その店なら翼がよく知る店で常連である。

店への案内をスマホの地図を見せて説明するのだが、男は土地勘がないらしく要領を得ない。

そうこうする内に親切心から翼は助手席での道案内に同意した。

男から店の「好きな商品を好きなだけ提供する」という提案に乗ってしまったからである。

道すがら男の風体を値踏みする、歌舞伎町で働く翼の悪い癖でもあった。

男は端正な顔立ちつまりは〈イケメン〉であり歳は二十代と思しきものの、時計はΩ、車は高級車であった。アクセルを踏み込む靴も上品な仕立ての良い革靴で、女性からすると男は〈上物〉であった。

「ここ左です」と言いながら男の顔に目を合わせる。

〈しめしめ〉翼はこの男を店の新たな客獲得に算段を巡らせた。

「私新宿で働いてるんですけど、お兄さんどこ住まいなんですか?」と聞いた。

返事はかえってこない。

しばしの沈黙の後〈ボソリ〉と男が「港区」と言った。

〈ラッキー〉思わず翼の心が踊る。それというのも港区は近年IT長者等が住む富裕層の多くが居を構える地区だ。

翼ははしゃいだように自分の店の紹介や自分自身のことを聞かれもせずに一気に喋った。

その男を自身の〈太客〉にする為だ。

そんな翼の思惑とは裏腹に男は押し黙ったままだった。

車が春日通りに入ると男はアクセルを踏み込んだ。

「あ、ここ右です」という翼の声を無視して池袋方面へと車を走らせる。

一抹の不安を感じた翼が「ちょっと!止めて!」と言うのも構わずに車はどんどん加速していく。

新大塚をすぎる頃、翼は大きな失敗に気づく「ねぇ!止めてったら!」男の服を引っつかむ手が払い除けられ、刹那首筋に何かを当てられた。

それが注射器だと気づいた時には翼の体は弛緩していた。

男が「大丈夫、ただの筋弛緩剤だ」と言った。

翼はその声を聞きながら絶望を感じることとなった。

車は5号池袋線を経て埼玉方面へとますます加速していく。

戸田公園近くの廃病院に着いたのは翼が薬を打たれてから四十分ほど経った頃だった。


男に運ばれ廃病院の一角の手術台に、うつ伏せに寝かされ手足を拘束された。

背後で男の気配がする。

背中を触られる感触と服を切り裂く音が響いた。

筋弛緩剤のせいで言葉さえも口から出ない。

〈スーッ〉と背中を指でなぞられる、抵抗もできず悪寒が走る。

「思った通り美しい」そんな男の声を聞きながら、翼は自分の運命へ恐怖を感じていた。

不意に腰近くの脊髄部に激しい痛みを感じる。

「脊髄注射で麻酔をかけた。暫くしたら君は痛みから解放される」

男の声が背後で響く。

小さかった音楽が耳元で大きくなっていく。

「痛むかね?」と聞かれた。

目の前には切り取られた一本の指が視認できた。

翼は答えるかわり心の中で絶叫していた。

「よし、じゃあ始めるとしよう」男はそう宣言して翼の背後で何かを始めた。

背中に感じる違和感と共に床へと滴り落ちる血痕。

それだけを眼前に見ながら気を失いそうになるのを堪えている翼の背後では、男が淡々と作業をしていた。左肩甲部から腰部まで一気にメスを走らせる。

右側も同じくメスを走らせそこから仙骨部まで切り裂く、左右対称に切り裂いた背を首の付け根で統合する。

肉屋の解体のように肩甲骨の切開部に手を差し入れそこからベリベリと背部の皮を剥いでゆく、時折メスで補助しながらの作業だが、それは見事な手法だった。

筋肉さえも傷付けない為、出血量も眼前の光景ほど多くは無い。

時には音楽に鼻歌を混じらせながら狂気の行為は続けられ胸椎部を経て腰椎部、反対側も同じように剥いでいく、骨盤の上部にある仙骨部で左右の作業は統合され一枚の人皮が出来上がった。

通常、動物の皮であれば鞣す(なめす)工程が待っている。卸したての服のごとく人皮をたたみ用意していたスーツケースに仕舞った。

「さてと……」翼の頭の方へ向かい下から翼を覗き込みこう言った。

「これで君への用は済んだわけだけど、どうするか……」メスを眼前に持ち問う。

翼は答えることも顔を動かすことも出来ず、辛うじて涙を流した。

男は一本の注射器を手にし薬品瓶に差し入れる。

翼に向け「この注射はさっきの筋弛緩剤だが、容量を多くしてある。これを打つと君はゆっくりと自発呼吸さえも出来なくなって死を迎える。でも安心していいよ!痛みは無い、ゆっくりと緩慢な死を君は感じるだけだから」

そう言いながら首筋に注射器を当てる、その中の薬液が自分の中へ入っていくのを感じて涙が溢れた。

翼の涙が枯れる頃、緩慢な死が部屋に訪れた。

男は大型のスーツケースに翼を押し込み部屋を後にした。

そこには翼の血と涙と小便の跡だけが残り静寂が訪れるのであった。



渡辺と恵美は千代田区にある警視庁本部内にある科捜研へと赴いていた。

そこで三件の事件の手がかりを科警研に上げる為である。

「科捜研室長の逢坂(おうさか)です」そう挨拶され自分たちの自己紹介も程々に、本題に入った。

「三件とも背部の皮が人為的に剥がれていたそうですが...」恵美が話を切り出すと逢坂が、「ええ、所轄の方には連続殺人の可能性があるとは伝えたんですが...」と答えてデスク上から複数のファイルを取り目の前で広げた。

「被害者は全員女性ですね」

「頸部から肩甲部を経て、腰部、仙骨部で切り取られているのが分かりますか?」

「ええ」と恵美が答える。それに呼応して渡辺がタブレットの操作をしている。

「鋭利な刃物、恐らくメスのようなもので極めて正確に背部の皮だけを剥いでいますね。被疑者は医学的知識も有していますね。しかも恐ろしい技術です、筋繊維を傷つけることなく皮のみを綺麗に剥いでいる」

「解剖医でも少なくとも研修生レベルの仕業では無いですね」

「今までわかっていることで他に特異な点はありませんか?」恵美がそう聞くと逢坂が答えた。

「特異かどうかはアレですが、焼死体の皮膚から三件ともオイルの成分が検出されました。

植物性オイルの原料、リモネン、ピネン、セスキペルテン類と言ったアロマオイルのようなものですね」

「それから筋弛緩剤と麻酔成分が遺体から検出されてます」

「死因は特定が難しいのですが、筋弛緩剤を過剰に打たれた事により、自発呼吸できなくなったのが原因だと思われます」

恵美は犯行の残忍さに驚愕していた。

「つまり、生きたまま皮を剥ぎ取り被害者に犯行を実感させていたという事ですか?」

「恐らくは...」

ここまで黙ってタブレットを操作していた渡辺の手もいつの間にか止まっていた。

「ここまでのデータ全て提供していただけますか?」そう言いながらファイルを手に取る。

遺体の写真を見ながら犯行の手口を想像すると心にじくじくたる思いが泡立つのを感じた。

「とりあえずデータ全て科警研の方へすぐ送っときますよ」

逢坂と握手して科捜研を後にする。

「遺体の実物を見ときたかったわね」そう言われた渡辺も小さく「はい」とだけ呟やいた。

科警研へと戻ると恵美のオフィスのモニターには秋山の姿が映し出されていた。

「渡辺と降りてきてくれ」そう言われ二人でオペレーションルームに足を向ける。

「データが送られてきて片瀬が今〈蛇の目〉にリンクさせてる」

そう言われしばらくすると「こっちに送ってくれ」と言った。

大型モニターの幾何学模様が変化すると文字列が現れる。

〈三件の事件の手口の類似性九十九パーセント、遺体損壊の類似性九十九・二パーセント、同一犯の可能性九十九パーセント、被害者の類似性八十九パーセント〉

「決まりだな」秋山がそう言い、恵美と渡辺も同意する。

インカムで秋山が「現時点でのプロファイルを出してくれ」と言うと、幾何学模様が再び変化すると再び文字列が表示された。

〈年齢は二十代~二十代後半、医師免許取得確率七十五パーセント、解剖学的知見に優れ相当の技術取得をしているものだと思われる。被害者の性別及び容姿には一定の傾向が見られる事から、入念な準備を行っているものと考えられる、人皮の利用目的不明、被疑者の安全圏...新宿区、渋谷区、港区、目黒区、品川区、類似事件確率一件〉

「類似事件の詳細を出してくれ」



〈二〇一五年 横浜市予備校生殺人事件〉

〈発生場所、横浜市保土ヶ谷 、被害者の類似性八十七パーセント、遺体損壊の類似性九十パーセント、同一犯の可能性八十八パーセント、保土ヶ谷で焼死体が発見され、遺体の状況から背部の皮の一部が無くなっており、現在未解決〉

「それともう一件事件詳細を頼む、今朝の事件だが焼死体が発見された」

〈発生場所.彩湖・道満グリーンパーク、遺体の損壊度六十八パーセント、現在捜査中〉

恵美が「同じ犯人ですか?」と聞いた。

秋山が「おそらくな...」と答える。

「吉羽は埼玉のこの事件の司法解剖に立ち会ってくれ」

「渡辺は保土ヶ谷の事件の洗い出しだ。この事件相当闇が深いぞ」そう言った秋山の心中には事件解決とは違うある種の期待が去来するのであった。



その夜、翼を詰めたスーツケースを乗せ男は、彩湖.道満グリーンパークへとやってきた。

日はどっぷりと暮れ、深夜の湖には人気もなく三月の肌寒い風が吹いていた。

男はドッグランエリアまでスーツケースを引っ張っていき、木陰に身を置いた。

そこまでの道程は防犯カメラの範囲外であることは事前に確認して知っていた。

スーツケースと一緒に持ってきた灯油缶をおもむろに開け、中身をケースへとぶちまけると火をつけた。その灯油缶も火にくべると男は立ち去った。

自分の犯行を隠そうともせず、大胆不敵な行動であったが、朝まではそれが発見されることは無かった。


そこはとあるマンションの一室であった

朝のニュースを観ながら男はオープンキッチンで、ある作業に没頭していた。

昨日の戦利品である人皮を広げ表を下にする。そうやって表側になった脂肪面の脂肪部分をペティナイフでこそぎ取っていく。

男の目的は皮を鞣す(なめす)事であるのは確実だった。

手際よく脂肪部分だけを削っていくという作業にキッチンは最適であった。

時折、脂肪の残骸をディスポーザーへと落とす。

男の目的が達成されつつあるのか人皮とは思えない薄さに仕上がっていく、男は満足気に作業後と作業前の部分を比較しつつ手際よくペティナイフを振るう。

そんな作業から二時間が経ち男の目的は達成され一枚の人皮が革へと変貌しつつあった。

キッチン棚から馬の絵が描かれた瓶を取ると中のペーストを人皮に塗り込んでいく。

どうやら馬油を用いて鞣すようであるその作業をひとしきり終えて表面にも塗り込む。

そうする事で革に柔軟性を持たせる鞣し方法である。

馬油を使う理由も浸透性が高く人間の皮下組織に近いオレイン酸やリノール酸、パルミトレイン酸を多く含むため相性がいいのである。

作業開始から三時間も経つ頃には人皮がひとつの革へと変貌していた。それを後は冷暗所で乾燥させれば完成である。

当面の目的が達成された男は満足気であり、自分の仕事に対して自信があるようであった。

テレビのニュースでは男の仕事がちょうど報道されており、大きなニュースになっていたのだが〈興味なさそうに〉一瞥しただけでテレビを消した。

男は別の部屋に入るとある物を手に取った。そこは工房のような空間で壁には様々な道具が並んでいた。

壁から裁ち鋏を手に取り一枚の革と思しきものに刃を入れた。

その革は先程の仕事を終えたものと同じ、完成された革のようであった。器用に、そして大胆に裁断していく。

男の表情に愉悦の色が混じる。これからその革を使い何をするのか?その作業は日が沈む頃まで続けられた。



恵美は秋山の指示通り司法解剖に立ち会うために〈埼玉医科大学〉へと来ていた。

ここの法医学教室で解剖が行われる為だ。

受付を経て担当の医師〈鈎沼〉(かぎぬま)純一郎と共に部屋へと入った。

解剖台には既に遺体が乗っている。

鼻を突く肉の焼けた匂いに悪寒が走る。

「では司法解剖を始めます。被害者は女性A!まずは目視による検査から始める」

「口腔内には(すす)が見られず、死後焼かれたものと考えられる。背部の皮が頚椎部から仙骨部まで剥ぎ取られていますが死因ではないと思われる。他の外傷は無く死因不明、腐敗の状況から死後一日...」

ひと通りの解剖が終わった鈎沼に恵美が声をかける。

「先生、他の被害者は皮膚にオイルの痕跡と体内に筋弛緩剤と麻酔薬が検出されてるんです。その検査もお願い出来ますか?」

鍵沼が表情を変え「連続事件なんですか?」と聞き返す。

「ええ」とだけ答えると「では後は科学鑑定に回しときます」と鍵沼は解剖を終えた。

「科学鑑定の結果はどれぐらいで出ますか?」と聞くと

「うーん遺体の損壊程度があれなので一週間位はかかると思いますよ、ただ先程仰った薬物に絞れるのでもう少し早く結果が出る可能性はありますが……」と答えられた。

「先生から見て背部の状態の所見を聞きたいのですが……」

「ああ、あれねそりゃ見事なものですよ人皮を剥ぐなんて芸当、解剖医から見ても相当な集中力と技量が無いと出来ませんね。犯人は医療関係者であることは間違いないかと思いますね。それに...先程の筋弛緩剤も手に入れるには相当難しいかと……ただ自作できないこともないのですが、専門知識かネットで情報拾う必要がありますね」

「自作ですか...」そこまで聞いた恵美はそれを考慮する必要に迫られた。


〈埼玉医科大学〉を後にした恵美は秋山に報告すべく車を走らせた。

恵美が科警研に着く頃、解剖された遺体の身元が判明していた。焼け残った身分証明書から矢野翼二十一歳と解り、夕方のニュースで報道されているのであった。

オペレーションルームへと戻った恵美は秋山に報告し、今日の勤務を終えることとなった。

その時秋山が「犯人のプロファイルはするな」と念押しした事が気になっていた。通常、捜査員は多角的に捜査するもので、その中には犯人視点で物事を考える必要性があるのだが、それを〈するな〉と言うのである。

その理由が〈蛇の目〉への絶大な信頼か、別の理由から来るものかは今の恵美には知る由もなかった。


一方、渡辺の方はと言うと〈保土ヶ谷〉の事件詳細を集めるのに苦労していた。

当時の担当刑事が退職していた為、捜査員の話を集めるのに群馬まで足を運ぶことになった。

その甲斐もあり担当だった刑事〈相島敏夫〉(あいじまとしお)の元へ着いたのは夜も更けた頃であった。

応接室に通され相島に質問をいくつかぶつける。

「ああ、あの事件ね。確か十九歳の女が殺された事件でよく覚えてますよ...」と始まり遺体発見の状況など詳しく話を聞くことが出来た。

「ちょうど右肩の辺りかな?肩甲骨から腰まで皮が剥がれていてねぇ...むごい有り様だったよ。予備校関係者への聞き取りから被害者のトラブルも無く捜査は難航してねぇ...」

「それでも容疑者は何人か上がっていたんだが、どれも証拠不十分でお蔵入りでさぁ!」

渡辺が「容疑者上挙がってたんですか?」と聞き返すと相島が席を立ち部屋から出て行った。しばしの時間が経ち、戻った相島の手には一冊の手帳があった。

「ほら、これが容疑者一覧だよ」と言いながらページを指さす。

そこには十四人の名前とその他の情報があった。

「これお借りしてもいいですか?」と聞き、相島の了承を得た渡辺が懐に仕舞う。

「ああ、だけど当時有力だった容疑者一名は亡くなってるから全員は追えないよ」と言った。

「ありがとうございます」とだけ言い残し渡辺は相島邸を後にした。

渡辺が戻ると秋山だけが部署に残っている状況だったが、経緯も含めて務めて正確に報告をして手帳を提出した。

オペレーションルームには秋山だけが残り、今日の情報全てを〈蛇の目〉に送る作業が深夜まで続くのであった。

それは秋山にしか分からぬ思惑の始動を意味するものであった。


その日、恵美と渡辺は午後までオフィスでの待機を命じられデスクワークに勤しんでいた。科捜研から送られてきたデータとは別にいくつかのファイルの精査をする為だ。

恵美のオフィスとは対角にある渡辺のオフィスでは渡辺が昨夜預かった手帳の文字起こしをタブレットで行っていた。

そこに足を運んだ恵美は「一息入れよっか!」と声をかけた。

ビルの外へと出た二人を春の心地よい風が叩く、時間は昼時の為行き交う人々の顔も明るい。

〈STARBUCKS COFFEE〉と書かれた店へはいると店内にはコーヒーの香りが漂い賑わいをみせていた。空いているテーブルに向かい腰をかける。

渡辺が「何飲みます?俺注文してきますよ」と言うので「任せる」とだけ言い渡辺が戻るのを待った。

渡辺が戻ると目の前にはラテのグランデサイズが置かれた

「ラテで良かったですか?」と聞かれ恵美は「ありがとう」と答え財布を出そうとしたが渡辺に「いえいえ奢りっす」と半ば無理やり奢られた。

「今日、保土ヶ谷の事件の文字起こししてたんですが、容疑者十四人も居たのって多くないですか?」と聞かれた。

通常の事件であれば確かに多い。「絞り込む前の数じゃないの?」

「いや、絞り込んで十四人でしたよ!手帳に載ってた名前の数なんと三十人!」

思わず口につけたラテが止まる「多すぎるわね」

「でしょ!その内事故で亡くなったのが三名も居たんですよ」

「死亡時期は?」と聞いた。

「あーでも関係ないと思いますよ二〇一六年年に一人失くなって後は二〇二〇年と去年だったかな?」と言った。

統計学的に三十人の内の死亡割合として三人は多すぎる。

「十六年の容疑者どうだったの?」

「それは十四人の中に入ってましたけど、さしたる関連もなく最終的にリストから外されてますね」

「そっかぁそっちも五里霧中の状況なのね」

「こっちも科捜研と埼玉医科大学の検死報告待ちでとりあえず停滞してるわ」

「後は三件の事件のプロファイルから捜査するしかないわね」

「これ全部連続事件なら大きなヤマですね」渡辺がそう言うのを聞き、恵美は今後の捜査に大きな障害があるのを感じていた。

ふいに恵美のスマホのバイブが振動する。

秋山からの着信であった。

「呼び出しよ!戻ろっか!」とだけ言い店を後にした。

オペレーションルームに着くと秋山はキーボードを叩いていた。

恵美と渡辺の到着を感じて二人の方に向き直る。

「さし当たって昨日の事件は停滞したままだが、保土ヶ谷の事件の十四人の容疑者を洗ってくれ!〈蛇の目〉からの提案だ」と言った。

「AI任せで捜査するということですか?」と言うと、「〈蛇の目〉の提案は最優先だ」

「それと並行して片瀬には、逐一、科捜研とやり取りしてもらっている。まずは十四人から直接話を聞くことだ」

「十三人じゃないんですか?」と渡辺が聞くと秋山は「十四人だ」とハッキリ言った。

渡辺と恵美は顔を見合わすと「はい」とだけ返事した。

部屋を後にするとエレベーターの中で渡辺が口を開く。

「十四人ってどうやって亡くなった人間から話を聞くんですかね?」

「その事だけど...亡くなってないのかもしれないわよ」

「ちょ...それってどういう...」

「まずは十三人の居所から洗いましょう」ハッキリとした目的に二人はこれから向かう。

そして未だ霧の中である犯人の影を追うことになる二人の胸中には暗雲が立ちこめるのであった。























第五章


十四


特命を受けた二人の数日の行動範囲は西は大阪から東は青森まで広がった。

その間にも〈蛇の目〉は新たな情報からアップデートされたプロファイルを行っているかのようだった。

その日、渡辺と別行動してる恵美は群馬県高崎市にいた。

容疑者リストの十人目の綾乃洋介(あやのようすけ)に会うためだった。

〈倉賀野〉近くの〈マクドナルド〉で待ち合わせをし、綾乃の到着を待つ。

店内は休日の為か沢山の家族連れで賑わっていた。

そんな家族連れの子供達を見ていて恵美は、自分には無い記憶だと思っていた。

幼少期に両親を亡くした恵美にとっては、家族との食事は憧れであった。

同級生が休日ごとに家族との思い出作りをして学校で楽しそうに話す。そんな会話を羨ましく思いながら聞くのが、恵美にとっての学生生活だった。

祖母もそんな恵美を不憫に思っていたのだが、恵美自身は祖母との生活が満足のいくものだった。

「自分に子供が入ればこんな光景だったろう」と思いながら未だ未婚の自身の境遇を一人考えた。

そうこうしてるうちに一人の男が店内へ入ってきた。

手元の写真へと目をやる〈綾乃〉である。手で合図した。

男はキョロキョロと店内を見回し手を挙げた恵美の方へ歩み寄ると。

「吉羽さんですか?」と声をかけた。

「御足労感謝します」と言い恵美はテーブルを離れるとコーヒーを注文して戻ってきた。

「ありがとうございます」という綾乃は一見して人の良さそうな人物であった。

「早速ですが...」と恵美が切り出すと綾乃は

「ええ、保土ヶ谷の事件のことですよね...」と話し出した。

三十分ほど質問をし、恵美は綾乃の答えにメモを走らせた。

綾乃の受け答えに違和感はなく空振りを感じていた恵美は、最後に複数の写真を見せて覚えている人物が居るかを聞いた。

「いやー懐かしいですね、山崎や中野、五十嵐も居ますね。皆予備校時代の仲間ですよ」と言った。

「あ...」一枚の人物の写真を手に取る...

「こいつ誰だっけ……確か……」記憶の隅を探るように考え込む。

「そうだ!東雲直人(しののめなおと)!そうだそうだ東雲だ!」と言った。

恵美の記憶が違和感を覚える、十四人のリストには無い名前だ。

「東雲さんという名前、こちらのリストにはないのですが確かですか?」と聞いた。

「ええ、東雲ですよいや懐かしい!あいつ今何してんだろう?」と言う。

「どういう人物だったんですか?」と恵美が聞くと綾乃はこんな話を始めた。

「いや秀才ですよ!恐ろしく頭が切れるタイプで医学部志望でね!いつも難しい化学式の書かれた本を持ってたなぁ...だけど不思議なんですよ」

「不思議とは?」

「予備校の成績が普通過ぎたんですよ。俺たちが苦労する問題なんか東雲に聞けば一発だって話すぐらい頭が良かったんですが、試験の成績はやっとこ五十位以内!講師の先生も不思議がってましたよ」

恵美の資料が確かであれば写真の男は安藤昇(あんどうのぼる)。二〇一六年に車の事故で亡くなっている男だった。

「確かですか?」念押しで綾乃にそう聞いた。

「ええ、確かですよ!」綾乃は大きく頷きながら肯定した。

それが事実なら〈背乗り〉の可能性が高い。

〈背乗り〉とは本来の持ち主が気づかない間に、その人物の身分や戸籍を乗っ取る方法だ。


綾乃との話を終え店を後にした恵美は、まず安藤昇の行方を探すことに注力した。

秋山にもその事実を伝えると科警研へと急ぎ戻るのであった。


秋山の眼前に立った恵美は安藤昇を捜査するように進言したが、既にその問題は解決していた。

〈蛇の目〉で捜索したが安藤昇はモニターの人物がそうだと言われた。

そこには東雲とどこか似た人物の写真があった。

「君の言う東雲直人を探す必要があるな...本物の安藤昇は恐らく事故死扱いになっている人物がそうだ」

「背乗りしているとなると今もまた、別人の人生を乗っ取っている可能性がある。渡辺が戻り次第、東雲直人を被疑者として捜査する。それと共に埼玉も含めた四件の事件の被疑者としても東雲を追え」

点と点が繋がって一本の線となった瞬間であったが、東雲直人の影は未だ見えない。

事件の全容さえも未だ見えない現状を〈蛇の目〉を通して解明できるかはこのチームの手腕にかかっていた。


男は夢を見ていた。

それは幼少期の頃の夢であった。

最初は近くの池で捕まえたザリガニから始まった。

ザリガニの甲羅を剥がし肉や組織を丹念に取ると一匹の生物を解体していく……

そうして出来上がったそれぞれのパーツを瞬間接着剤で再び組上げていく、そうする事で解体されていたものは再びザリガニになるのであった。

組み上がったザリガニを男は大切に扱った。時には友人に自慢することもあり、男の作品を友人たちは絶賛することもあった。

男はその羨望の眼差しが忘れられず次にカエルで試すことにした。

カエルの腹をカッターナイフで割き、彫刻刀などを使い肉を削いでいくそうやって一匹のカエルの抜け殻が出来るのである。

腹や頭に器用に丹念に脱脂綿を詰めていく、そうする事で生前と変わらぬカエルの姿が蘇るのだった。

男は針金を使い手足に差し込み成型すると生前と変わらぬカエルの作品を作り上げた。

いつものように友人に自慢するべく公園へと向かうと、数人の友人がサッカーをしていた。

その友人たちに自分の作品を見せると、当然賞賛されると思っていた男の反応とは程遠う軽蔑と恐怖の表情だった。

特に女子には気味悪がられた。

男の作品は、自分自身の中では〈最高傑作〉であったが、友人たちの反応からさらなる作品を作ることに執着していく。

中学生になる頃には男の作品は数十点にも及び、その作品を目にした両親にこっぴどく怒られたのだが、男にはなぜ怒られるのか理解できなかった。

男はさらなる大物に挑むべくハードルを上げて猫を狙った。

野良猫に餌付けして可愛がる我が子の姿を見た両親は少し安堵した。

男は自分に懐いている一匹の子猫を作品にするつもりで家に連れ帰る。

子猫はカエルと違いいきなり腹を割く訳にもいかず、男は思案の末おもむろに首を絞めた。

子猫は手足をばたつかせもがき苦しんだ、男の腕にも爪を立てて抵抗する。

思い切り首に力をかけると嫌な音がして子猫は絶命した。

男は腕の引っかき傷を気にすることも無くカッターナイフの刃を伸ばし腹を割く。

内蔵まで入った刃は子猫の腹から大量の血と共に内蔵を露出させた。

その狂乱の光景と共に酷い匂いが部屋中に充満する。内蔵を傷つけたがゆえの惨状だ。

男はその匂いに我慢できずにビニール袋に子猫を突っ込むとガムテープでぐるぐる巻きにした。

近くの池に行き子猫だったものを池に投げ捨てた。

男はこの失敗を今後の糧にする方法を考えた。それには自分に知識が必要と考え、図書館通いが日課になった。もっぱら読むのは医学書や解剖学の本になり、生物の体の構造を熟知するのに注力した。

そうやって男は高校生になったある日、あの時の失敗を糧に再び猫を作品にすべく実行に移した。

猫を首り殺し家へと連れ帰る。

自室をビニール袋を使い養生すると机の上に猫を寝かせた。カッターナイフを手に取り腹側から薄く刃を入れると少量の血が溢れる。頚椎部から一気に下腹部までを慎重に手早く割いていくと、ピンク色の腹肉が見え隠れする。

それを傷付けぬよう皮を徐々に剥がしていくとしっぽのところで止まった。

無理やり剥がすのをやめしっぽの付け根で切断した。

猫を裏返し反対側も同じように剥いでいくと、しっぽのところでつるりと剥がれた。

頚椎部から下顎までをそっと切開して同じように剥いでいくと、頭蓋骨ですっぽりと剥ぎ取れた。

手足も同様に切開すると同じ要領で剥いでいく、それら全てが終わる頃、一枚の猫だったものが出来上がった。

最後に残ったしっぽ部分を丁寧に剥いでいくと目の前にはピンク色の一匹の猫が、筋繊維を顕にした姿で寝かされていた。

それをビニール袋に入れて梱包すると、猫の毛皮をまじまじと見つめた「我ながら上手くできた」と思った男の股間は屹立していた。

酷く興奮して紅潮した顔を鏡で見て我に返った男は、梱包した猫だったものを小脇に抱え池に向かった。

秋の昨夜は池のほとりの虫達を誘い、その鳴き声は男の仕事を賞賛するかのようであった。

男は持参したガムテープで大ぶりな石くれを、梱包したものにくくりつけるように巻くと池へと投げ入れた。浮力を心配したがその心配もなくそれは池の中に沈んで行った。

男がそれを見つめるのと同時に目が覚めた。

自分の股間の屹立を感じた男であったが、さして気にするふうでなく身を起こした。

「ふー」と何かを振り払うかのように男が身支度を始めた部屋には、一匹の鎮座した猫の剥製が棚の上にあった。


恵美たち科警研のメンバー達の努力の甲斐もなく、東雲直人の行方は依然としてわからなかった。

〈蛇の目〉を使っての捜査でも判断材料が不足している感が否めなかった。

そんな折、恵美の一言が手がかりになる「医療従事者って例えば、獣医師なんかも含まれるんですかね?」

「いい着眼点だ」秋山がキーボードを叩く。

〈四〇二五人〉画面に文字が浮かぶ。

「東京都全域の数だがこの中にいる可能性はあるな、画像検索もかけてみよう」

〈一致数0〉

「ダメか!」と恵美が肩を落とす。

「いや、小さな病院等だとHPさえないところがあるはずだ。クロス検索してみよう」

〈一致数一三五人〉「更に以前弾き出した安全圏だった区で検索すると...」〈一致数三十二人〉

「この中に潜んでいる可能性はあるな、プリントアウトしよう」

恵美と渡辺、片瀬に配られる。

「東雲の名は無いですね...でも...」

恵美が記憶を頼りに。

「保土ヶ谷の事件で亡くなった容疑者の名前って何て名でしたっけ?」と聞いた。

長谷川充弘(はせがわみつひろ)柳瀬忠(やなせただし)〉「ビンゴ!」と思わず声が出た。

「柳瀬忠が居ます、間違いない」

はやる気持ちの恵美を遮る「まだだ、その写真を条件に追加する」


更に検索する〈柳瀬忠画像一致数0〉

「SNSなどの画像も含めて検索したが、柳瀬忠という人物の痕跡が無い、東京都獣医師会に登録されてるのは事実だが、彼が東雲だとする根拠が無い」

「見当たり捜査ですか?」恵美は心が踊るのを感じていた。

「吉羽!君の本領を発揮してもらうぞ」

それは捜査が大きく前進したのを告げる号令のようなものだった。

この後の結末がどう転ぶかは恵美にも秋山達にも今はまだ知る由が無かった。


柳瀬忠は〈おれんじ動物クリニック〉の医師であった。

地域での評判も良く院長である柳瀬の〈イケメン〉振りも女性客の評判を呼んでいた。

とにかくペットを丁寧に扱うことに客のウケがよく、ペット達も柳瀬の手に身を任せるがごとく診療を受けていた。

その日の午後、一人の客がペットの猫を連れて診療に訪れた。

柳瀬の目には猫よりも飼い主の肌の白さが眼を惹いた。

顔立ちは質素な顔だったが、肌が綺麗なのは誰が見ても明らかだった。

柳瀬が「今日はどうしました?」と聞くと女は「高齢なので健康診断に...」と言った。

「じゃあちょっと診てみましょう」と安心感のある声でペットを横に寝かせる。

体重を測り、聴診器を当てて心音を確認する。リンパ節や腹部の異常もないようだ。

口腔内もチェックし、採血する。

「この後画像診断と血液検査の結果がありますので、待合室でお待ちください」と声をかけた。

「よろしくお願いいたします」と女は言い診察室を後にした。

 X線検査の準備をしながら女の事を想像した。

「あの女の肌ならばいい塩梅になるだろう」と思った。

矢野翼の件から三カ月は経つ、柳瀬の自制心は崩壊寸前である、欲望の捌け口が必要になるのを感じていた。

行動に起こすには入念な準備が必要になるが、その為に柳瀬は自制する事を心に誓うのだった。

柳瀬のそれからの行動は徹底していた。

日中は良き獣医師として、夜は女の自宅前で観察を続けた。

願わくは女にGPSを持たせる案も検討したが、それはどうにもならぬ願望としてのみだけに終わった。

女の行動に変化が訪れたのは観察五日目の休日の事だった。

その日の女は家から出かけると真っ直ぐに、近くのフィットネスジムに入っていった。

それから二時間後に出てきた女の後をつける。

一件のスパ&リゾートと書かれた建物に入っていく、柳瀬はスマホの検索機能を使い施設の詳細を見る。

一時間程して女が出てきた。

その後、女はさしたる行動もなく帰宅した。

行動を起こすなら偶然を装えるこの施設からの帰路がベストだった。

問題は女の行動サイクルが毎週なのか、毎月なのか、休日ごとなのかという問題を含んでいた。

柳瀬はここで大きなミスを犯していた。

監視カメラの存在を完全に忘れ去っていたのである。

いつもの柳瀬らしからぬ行動であり、今までの〈仕事〉から考えるとありえないことであった。

既にこの時、柳瀬のどす黒い欲望への防波堤は決壊し、じわじわと精神を侵しつつあり、

〈柳瀬〉東雲直人の犯行の全てが瓦解する前触れであった。


十四人目の容疑者であった東雲直人は、〈柳瀬〉から〈東雲〉に完全に戻りつつあった。

動物病院の院長である〈柳瀬〉としての人生は、〈東雲〉のどす黒い衝動を完全に包み隠し、密かな愉悦の時は永遠に続くものだと思っていた。

その時が破綻するは矢野翼の一件の時より、ジワジワと東雲の精神を得体の知れない病原菌のように蝕んでいた。

翼の遺体を焼却するのはひっそりと廃病院でやるべきであったのは明らかだ。

それは慢心からか、虚栄心からかは分からないがあのような場で誇示するかの如く行うべきでは無かった。

その決定的なミスが、今回の更なるミスを呼んだ理由だ。

それを見逃すほど〈蛇の目〉は甘くないというのを東雲は身をもって知ることとなる。


恵美と渡辺の姿は〈柳瀬忠〉 として登録されている自宅マンション前にあるアパートの一室にあった。

〈さいたま市〉の事件からは三ヶ月が経ち、梅雨の雨に路面がうたれる時期になっていた。

〈見当たり〉が終わり、東雲直人の顔を現認した恵美は、すぐに被疑者確保の指示が出ると思っていたのだが、その目論見は大きく外れ張り込みの指示が出たのである。

その任務に付いてから二週間が経とうとしていた。

その間、東雲の行動はというと、毎日の病院への出勤と十九時前後に自宅へと帰ってくる毎日であった。

休日も部屋にこもりきりで、たまに食材を買いに出るくらいで恵美たちを苛立たせるのには十分な品行方正さであった。

「吉羽さん」

「何?」

「東雲の奴ホンボシだと思いますか?」

と、突如聞かれた。

「少なくとも...この二週間ではそんな素振り見せないわね」

「ただ言えるのは、恐ろしく規則正しい生活してる割には、病院までの道程が最短距離じゃ無いのが気になるわね」

渡辺がさらに突っ込んで聞く

「何かあると?」

「それが何か分からないのが問題よ」

「あの風体なら女性関係で人と会うのが普通でしょ?未婚、独身、高級車、三点セットでお釣りが来るわよ」

「確かに...」

「それはそうと...本物の安藤昇(あんどうのぼる)って事故で亡くなってるならどうやって東雲は〈背乗り〉したんでしょうね」

しばし沈黙が流れると

「方法はいくつかあるけど私もそれを考えてたの、保土ヶ谷の事件では警察だけが〈東雲〉を〈安藤昇〉として認識していた節があるのよ」

「単純な身元確認のミスか、東雲と安藤昇が結託していて身元売買契約を結んでた可能性も捨てきれないわ」

「自分の身元を売るんですか?」

「そうよ、所轄にいると銀行口座売買なんて可愛いもんで、身元そのものを売っちゃって身分証明書できない人も居るのよ。多くは借金苦からだけどね」

「じゃあ柳瀬ももしかして?」

「そうね、そして不要になった身元は事故に見せ掛けて...」

「これは憶測だからよそう!今となっては灰になってるから死因特定できないもの」

そこまで言った時に東雲がマンションから出てきた。

「さぁ渡辺くん出番よ!行ってらっしゃい!」

とだけ言うと渡辺が

「了解」と小さく言い東雲の後を追った。

この日から東雲の行動に変化が訪れる。

帰宅後、身支度を整えると車を走らせ、目黒にあるコインパーキングに駐車した後、近隣の一軒の家を見張る仕草を見せた。

秋山に報告をあげると、すぐにその家の住人情報が送られてきた。

〈笹川博嗣〉(ささがわひろつぐ)、妻〈靖子〉(やすこ)、一人娘の〈涼子〉(りょうこ)

恵美たちは、東雲が何らかの目的を持って動き出したことを察知した。

それからの張り込みは自宅前と笹川邸の二箇所になり、五日目の休日に大きく事態が動いたのだった。

その日の午後、東雲は家人の娘である涼子の後を追い、見張る様子を見せた。

明らかに涼子がターゲットである。

危機感を感じた恵美は秋山に報告をし、判断を仰ぐ。

東雲が、車を停めているコインパーキングまで辿り着いた。

この時に恵美は初めて自分の行動を悔いた。

少々強引だが〈職質〉を東雲にかけるべきだったのだ。

東雲の車が走り去るのを見て恵美は地団駄を踏んだ。

すぐに渡辺に連絡を取り、東雲の自宅前のアパートへと戻ると状況を共有した。

最大のチャンスを逃した恵美の胸には大きな後悔が去来するのであった。


















第六章


蛇眼


その電話は秋山からであった。

張り込み任務の終了を告げると共に、科警研のオフィスへと戻れという指示であった。

二人がオフィスに戻ると、モニターから秋山の

「下に来てくれ」という指示があり、オペレーションルームへとやってきた片瀬、渡辺、恵美の三人に秋山が言った。

「〈柳瀬〉東雲を明日の朝、任意で引っ張る」

それは恵美にとって待望の一言であり、事件が大きく動きだした一言であった。

「任意ですか?」

そう聞いた恵美に秋山が

「上層部と掛け合ったがそれが精一杯の妥協案だったよ、背乗りの事実を考慮しても現状、物証が無いゆえ逮捕状は出せないと言われた」

秋山が言葉を続ける。

「ただし、公務執行妨害で現行犯逮捕は出来る」

そこまで言われて恵美は秋山の意図を察した。

ようやく漕ぎ着けた成果に恵美は心が踊るのを感じていた。

「明朝...」

渡辺もそう呟く

全ては明日の任意での声掛けから始まるのを四人はそれぞれの思惑を持って迎えることとなった。


その日は早朝から梅雨の一休みというが如く晴れ渡った日であった。

渡辺と恵美の二人は、東雲のマンション前で止めた車から出入り口を見張る。

入口の自動ドアが開き東雲が出てくる。

二人は車を降り、東雲にかけよる。

「柳瀬忠さんですね。ある事件の事で任意の聴取に御協力をお願いしたいのですが、お時間よろしいですか?」

東雲しばしの沈黙の後こう言った。

「今から出勤なので、夜ならいいですよ」

足を止めることなくそう言う。

不審な動きはなく、あっさりと承諾したのだが恵美は次の言葉を東雲の背に放った。

「〈東雲直人〉さんとしてお話を聞かせてもらいたく!」

その瞬間、東雲が表情を変え脱兎のごとく走り出す。

「渡辺!車回して」走りながら絶叫する。

渡辺がその声に呼応するかのように車へと乗り込む。

恵美が東雲の背を追い、渡辺が車を回す。

東雲まで十五メートル。

確保まであと少しだと思った刹那、狭い路地を東雲が抜けていく。

当然車で逃げるだろうと思ってしまった二人は対応が遅れる。

路地を抜けた所で見失う。

「どこ?」渡辺へ声を投げる。

「あそこ!」

渡辺が指差す方向を見ると、立体駐車場をかけ登っていく東雲が見えた。

「駐車場の出入り口車で塞いで!」そう絶叫した恵美の前方から一台のバイクが猛スピードで接近してくる。

〈しまった!〉と思ったのもつかの間、入り口の渡辺の車の脇をすり抜けられる。

そこまで五分ほどの出来事であったが、東雲は二人の追跡を掻い潜って街へと消えた。


科警研に戻った二人を待っていた秋山であったが、当然叱責されると思っていたのだが、そうはならなかった。

「二人とも良くやった」

逆に労われた。

「これで被疑者として逮捕状が取れる。大きな収穫だ」

しかし、東雲の行方を探すのは困難そうに思えたのだったが、秋山が続けてこう言った。

「ようやく〈蛇の目〉 の本領発揮だ、片瀬、音声コントロールはもう使えるか?」

「準備できてます」

と片瀬が答える。

「では始めよう、まずは交通監視カメラとバイクのクロス検索を...」

大画面モニターの幾何学模様が点滅し、数十の映像が映し出される。

「時系列順に並び替えてくれ、それと逃走したと思われるバイクの特定も合わせてやってくれ」

再びモニターが点滅し動画情報が時系列順に繋がれた一本の動画として流れる。

「特定したバイクの現在地を出してくれ」

今度は長い点滅の後、映像のズームショットが映し出される〈丸の内駅前広場〉文字列とともにさらに拡大された写真が出る。

画像補正が進み、画像が明瞭になっていく、あのバイクである。

〈東京駅〉そこには東京最大の駅があった。

足取りを追えるのはここまでかと思われた時、秋山が言葉を続ける。

「〈蛇の目〉お前ならどこへ行く?」

長い点滅の後文字列が並ぶ〈渋谷区〉、〈中野区〉、〈新宿区〉、〈文京区〉

「駅のカメラから東雲を探せ」

幾何学模様の点滅が長く続く。

「少し時間がかかるようだ...」

インカムを外し、秋山はどこかに電話する。

「...ええ、被疑者特定しました。手続きをお願いします」

秋山が電話を切り、三人へ声をかける。

「逮捕状請求の手続きは終わった。一両日中には出るだろう、それを待って東雲を確保する」

「吉羽と渡辺!二人には拳銃の携行を命じる、準備してくれ」

そこまで言われた恵美は思わず口を挟む。

「東雲の行方がまだ...」

「大丈夫だ〈蛇の目〉は必ず見つける」

予言めいたことを秋山が言う、それが確信へと変わるのは次の瞬間だった。

〈画像一致数二十三〉〈動画一致数六十五〉

点滅が終わり以上の文字列が出現する。

にわかには信じられない〈蛇の目〉は本当に、東雲の姿を見つけ出したのだ。

秋山が再びインカムを装着する。

「場所の特定と、画像を出してくれ!動画は時系列順に並び替えてくれ」

画像補正がかかり文字列とともに鮮明な画像が出た。

〈新宿駅東口〉そこには東雲の姿があった。

動画情報が時系列順に処理されていく。

一本の動画が生成され、目の前を流れる。

「どうやって...」

恵美の口からは感嘆の声が出た。

「〈蛇の目〉は犯罪者の心理を再現する。そのシュミレーション概念はサイコパス特有の行動理念から来ている為、一般人では思いもよらない行動を再現するんだ」

「そうやって得られた情報を多角的、複合的に指示を与えることでこちらの望む情報を与えてくれる」

「それが〈蛇の目〉のシステムとしての利点で最大の特徴だ」

そこまで言った秋山が杖を床にトンと突く。

「さぁ東雲を確保するぞ、片瀬は待機しつつサポートに回ってくれ、私と二人は新宿へ向かうぞ」

と言った。

目の前の動画には東雲の行動がリアルに再現されていた。

〈新宿歌舞伎町〉日本最大の歓楽街にある一軒のHOTELへと東雲が入って行くのを映し出す〈蛇の目〉は獲物を睨みつけるかの如く能力を発揮していた。


歌舞伎町という街は暴対法以前の時代、暴力団が跋扈する街で一般人には馴染みのない場所であった。

そんな街は時代を経て暴力団がなりを潜めて行くのと対照的に、半グレたちの大きな資金源として若者向けの街へと変貌していた。

立ち並ぶ多くのホストクラブやキャバクラ、風俗店、バーやマクドナルドと言った飲食店までが雑多な空間に詰め込まれた歓楽街であった。

そんな一角にある〈HOTELバリ.リゾート〉に東雲の姿はあった。

昨日までの東雲の平穏な時が一瞬で終わったのが今朝のことであった。

只の〈任意聴取〉であれば、数年前の保土ヶ谷の事件の時に上手く切り抜けた実績が東雲にはあった。

そんな東雲を動揺させたのは柳瀬として生活していた自分を〈東雲直人〉と正体を見破られていたことに起因した事実、それに対して脱兎のごとく逃げるという悪手を取ってしまった事である。

それでも東雲には逃げ切れる自信があった。

このまま雑踏に紛れ、ほとぼりが冷めた頃大阪・西成のような街へ行き誰かの身分を〈背乗り〉すれば新しい人生が始まるはずだ。

問題は、自分の〈作品〉が警察に見つかり、指名手配される前にここを離れて逃げ込めるか?それを考えていた。

幸い今朝の今日で全ての〈仕事〉が警察によって暴かれることは無いだろう。

さしあたっての問題は所持金を増やす必要性に迫られた。

手持ちの十数万の他に現金は多ければ多いほどいい。

明日の朝一番で電気屋へ行きゲーム機等をカードで買い現金化して歌舞伎町から姿を消す。

そんな算段を頭にめぐらせた。

テレビのニュースを注意深く見ているが、自分に関するニュースは皆無だ。

〈背乗り〉程度の容疑ではニュースソースにもならないのは確かだ。

問題は自宅にあった自分の十数年に及ぶ作品の数々...

その発覚が迫るのを東雲は感じ焦燥していた。

コレクトしていた〈作品〉の全てを突如放棄せねばならない事に、東雲の心は耐えられそうになく、その事がこの後の油断に繋がるのを今はまだ知らなかった。


恵美たち三人が歌舞伎町に着いたのは午後七時を回る頃であった。

警視庁新宿署へ応援要請をし、所轄の捜査員十数名とともに歌舞伎町に入り〈HOTELバリ.リゾート〉を包囲する。

恵美たち科警研チームの捜査の結晶は目の前であった。

受付を経て休憩客を速やかに避難させ、一室のドア前へ経つ。

オートロックで解錠してもらい部屋へなだれ込む手筈が整った。

合図を待つ...

〈解錠〉音が響いた瞬間部屋へ入出した。

驚く東雲が部屋の片隅に走るのを見て、恵美が確保に身を投げ出す。

腕の関節を取り、手錠を填める。

「東雲直人、公務執行妨害で逮捕する」

秋山が一枚の紙を東雲の眼前に出すとがっくりと肩を落とす。

この瞬間、東雲直人の〈柳瀬忠〉としての人生が終わったことを告げる声であった。

季節は六月の末、夏まであと少しという日の出来事であった。

歌舞伎町の雑踏は、そんな事は露知らず若者たちの喧騒と嬌声を飲み込み夜が更けていくのであった。






















第七章


皮剥


恵美たち三人が東雲を確保した後、科警研に戻ったのは夜十時を回った頃であった。

東雲が科警研に送致されてくるのが明日に決まり、チームの全員の顔には安堵の表情がみてとられた。

「明日、私と片瀬で東雲の取り調べを始める。渡辺と吉羽は東雲の自宅の家宅捜索を頼む」

そう言われた二人は大きく頷いた。

「鬼が出るか蛇が出るか」

そう心の中で思った恵美は、これまでの事件の経緯を振り返っていた。

〈目黒区〉、〈文京区〉、〈江戸川区〉、〈さいたま市〉の四件の事件が連続犯であるのは間違いない。

〈保土ヶ谷〉の事件も繋がっていれば全部で五件の殺人容疑が東雲にはある事になる。

問題は被害者の背部の皮を剥いだ犯人が、それを何のために行っていたか?である。

「その物証が明日の家宅捜索で出れば...」

期待とも不安とも思える感情とともに、恵美はオフィスを後にした。


翌朝、二人の姿が〈柳瀬〉だった東雲のマンションの一室の前にあった。

管理者に解錠してもらう。

室内へと靴カバーを付けてはいる。

ゴム手袋を嵌め、室内のものに出来るだけ触らぬように奥へと進む。

そこは3SLDKの一室で間取りはかなり広い。

リビングの棚にいる猫を見て渡辺が驚く。

「びっくりした!猫か」

と言いながら近づくもすぐに違和感に気づく。

「剥製ですね...」

オープンキッチンの上には数本のナイフ類が差し込まれたホルダーがあった。

冷蔵庫がある。

おもむろに扉を開いた渡辺が感嘆の声をあげる。

「すごいなこれは...」

その声に誘われ覗き込んだ恵美の眼前には、整然と並べられた数多くのケースが庫内にあった。

ケースには食材の名前と賞味期限か購入日と思われる数字の羅列が細かく書き込まれたラベルが貼られていた。

ドアのストッカーには牛乳パックがありそれにも貼られている。

部屋の住人が恐ろしく神経質な様相を想像させた。

部屋の奥へと進み他の部屋を見てみる。

そのうち一室は寝室であった。

もうひとつの部屋を見ようとドアに手をかける...

鍵がかかっている。

恵美は渡辺に

「ピッキングできる?」と聞いた。

「やった事ないです」

その答えを待たずにポケットの財布から一本のピンを取り出す。

「この程度の鍵なら...」

そう呟きながらピンを差し込む。

数秒ピンを動かすとガチャっという開錠音がして扉が開く。

その光景に二人は驚いた。

正面の壁には様々な道具が掛けられており、右方の壁には大きな棚といくつかの剥製が並んでいた。

棚の一角にはガラスケースがあり、その中にはザリガニとカエルがジオラマのごとく配置されていた。

住人の趣味は剥製制作の様であった。

中央の木製のテーブルを挟み、左側には皮革材料とバッグなどが並んでいた。

渡辺がテーブルの上のランプに興味を示し、スイッチを入れる。

恵美が言葉をかける

「私ならそのランプ触らないわ」

「どうしてです?」と聞いた渡辺に

「だってそのランプシェード多分……人皮よ……」

静かにそう言うと渡辺がランプから手を引っこめる。

「鑑識呼びましょう、これは手に負えないわ、壁にある皮革材料とかバッグも普通の革じゃないわよ」

恵美はそう言い渡辺に指示した後、秋山に連絡した。

秋山はその報告を聞いて予想していたかのごとくさして驚いたふうもない返事だった。

「鑑識にその部屋全てのものを押収させてくれ、こちらは今から尋問を始める」

とだけ言って電話は切れた。

鑑識の到着を待つ間、二人は部屋の左側に釘付けになった。

その中に人の背部と思われる皮革が混じっていたからである。

頚椎部から肩甲部を経て腰部までの形を形成した革の表面は、恵美たちの目には明らかに通常の皮革製品と違う質感をしていた。

その質感の革でできていると思われるランプシェードやバッグ類は数点あり、被害者の数に比例するのであった。

東雲の作品群に囲まれた部屋は鑑識の目さえも驚愕させた。

それら異常なトロフィーはアメリカの有名な犯罪者エド・ゲインを彷彿させる。

 一九五〇年代にアメリカで起きたエドの犯罪は、精神疾患を患っていた彼の妄想と狂気の物品が押収された事で有名になった。

人皮のランプシェードや頭蓋骨で作られたボウル、人皮の服やマスクが大量に押収された。

その影響は実社会だけに留まらず、映画や小説の中でシリアルキラーの手本となった。

東雲の所業は報道されれば、第二のエド・ゲインになるのは確実だった。

恵美と渡辺はその予感を振り払うがごとく鑑識の作業を見守った。


一方、秋山と片瀬の東雲への尋問は今まさに始まろうとしていた。

椅子に座らされた東雲の両の手は手錠をかけられ目の前のテーブルに鎖で繋がれた状態であった。

「東雲直人だね」

静かに秋山が声をかけた。

「これから君への尋問を始めるが、罪状認否を含め全て黙秘してもらっても構わん。君の犯行についてはこちらで把握しているものを挙げていくだけだ、そこに否定や訂正があれば自由に喋ってもらって結構だ」

それは異常な尋問の始まりであった。

「まずは二〇一五年に起きた保土ヶ谷の事件からだが、何か反論はあるかね?」

と聞いた。

東雲は黙秘しているが、これは当然のことであった。

「〈目黒〉〈文京区〉〈江戸川区〉〈さいたま市〉この地名を聞いて言いたいことはあるかね?」

同じく黙秘する。

「先程連絡があり、君の部屋にあったトロフィーは全て押収したよ」

東雲の表情に静かな怒りが混じる。

突如

「...駄目だ」

「駄目だ、駄目だ、私のモノに勝手に触るんじゃあな!!」

「アレは私だけしか触れることは許さない!」

怒りを抑えきれない東雲が突如立ち上がり、机に手をうちつける。

手錠部分に血が滲むほどの怒りだ。

「落ち着きたまえ、君の作品は鑑識に大切に扱うよう厳命してある、安心しろ」

と言った。

「そうだ、それでいいアレは大切なものなんだ!私以外の者に理解できるはずがない!」

少し落ち着きを取り戻した東雲の目には狂気が宿っている。

「今日はここまででいい、アレがこちらに到着してから続きをする事にしよう」

その言葉で東雲は、椅子にがっくりと腰を下ろし〈にやり〉と笑った。

取調室を後にした秋山は、片瀬に何事か囁きオペレーションルームに戻った。


渡辺と恵美が科警研に戻ってきた時にどこかに行っていた片瀬も戻ってきた。

片瀬が報告する。

「科捜研からサンプル頂いてきました、これでこちらでも検査できます」

と言った。

「皮膚片ですか?」

と恵美が聞く。

「そうだ、まずは五件の被害者のDNAと皮膚片を照合する、その後東雲の犯行を確定させてから尋問を再開する」

「片瀬、二日で立証できるか?」

片瀬が頷きこう言った。

「詳しい検査は科捜研に任せるとして簡易検査なら、加工前だったと思われる〈さいたま市〉の被害者の分だけでも立証可能だと思われます。」

「バッグやランプシェードにされてるモノに関しては雑要素が多すぎて二日じゃ厳しいですね」

「その線で勧めてくれ」

「吉羽と渡辺は所轄と協力して一ヶ月単位で、できうる限りのヤツの足取りを立証してくれ」

「それと並行して過去の事故死扱いになってる〈背乗り〉の件も資料を集めてくれ」

「私の方でも〈蛇の目〉を使って立証可能な奴の行動を洗い出す」

そこまで言って秋山が補足した。

「五件の殺人と過去に事故死扱いになっている二件も含めてこれから東雲の犯行と仮定しての捜査になる」

と言い、チームは新たな任務に着くこととなった。


恵美たちの捜査は困難を極めた。

東雲の行動確認は〈蛇の目〉の助言もあり、さしたる障害はなかったが、問題は事故死扱いになっている柳瀬と安藤の事故情報しか手に入らなかった為である。

当時の情報では安藤の方は交通事故、柳瀬の方は海難事故で司法解剖されていなかったのである。

この二件の物証面での立件は無理筋と見られた。

後は東雲自身の自白が頼りである。

この報告を受けた秋山の決断は、東雲に自白させるべく物証をできるだけ集めることに注力された。

七月一日、秋山の尋問に尋問官として同席を許された恵美の手腕が試されることとなるのであった。

そこは奇妙な空間であった。

正面はガラス張りになっており、三方を精神科病棟の一室のように白で統一された空間に椅子とテーブルが並べられ、そこに座らされた東雲の手には手錠がかけられテーブルと鎖で繋がれていた。

ガラス面を背後に並べられた椅子に腰を掛けた恵美と秋山は、テーブルを挟んで東雲と対峙した。

その一室には東雲のあの部屋が数々の証拠品と共に再現されていた。

東雲は自分の作品群を愉悦の表情で眺めていた。

「さぁ始めるとしよう」

その合図とともに恵美が立ち上がり物証のひとつを手に取った。

「これ、貴方が殺した矢野翼のものよ」

そう声をかけた東雲の表情には愉悦どころか興奮した表情で見つめている。

「女の名前は分からない」

あっさりと、しかしハッキリとそう言った。

「その状態まで仕上げるのに拉致も含めて一月かけたんだ、素晴らしいだろう?」

その言葉を聞いて恵美は東雲の異常性に戦慄した。

そこからの東雲は更に異常だった。

「例えばそのバッグ、女二人分の革で出来てんだよ!そこまで仕上げるのに半年もかかったんだ!アンタが持つと似合うと思うぜ!」

そこには〈柳瀬〉のような品行方正さは無く、一人の怪物が目の前にいて、自身の異常なトロフィーを自慢げに、得意げに話すのであった。

驚くことに犯行のうち〈目黒区〉〈文京区〉〈江戸川区〉〈さいたま市〉その四件全ての被害者の名を全く覚えていなかった。

時にはカフェで、またある時は道端ですれ違っただけでこの男は被害者を監視し、拉致のタイミングだけに思考を巡らせていたのだった。

そんな東雲が唯一被害者の名を覚えていたのは十五年に起きた〈保土ヶ谷〉の事件だった。

「あの女のことは覚えてるよ。〈関谷玲子〉(せきやれいこ)、当時の俺は上手く出来なかったんだ」

「勿論殺すつもりもなかった!ちょっぴり皮を頂くだけで良かったのに、途中で目を覚ましやがった」

「そのせいで台無しになったんだよ!あーあれは失敗だったなぁぁ!」

「遺体を火事に見せかけて燃やした三件とさいたま市の違いはなんなの?」

「さしたる理由なんてねーよ!単に燃やす為の廃屋が勿体なかっただけだ」

「女を捌くのに廃屋は必要だろう?それが勿体なかっただけだ」

そこまで言って東雲は下卑た笑いを始めた。

最早精神は崩壊しているかのようであった。


「アンタも綺麗な肌してるなぁ!俺に任せてくれればいい塩梅に仕上げてやるよ」

恵美は言いようのないどす黒い欲望に悪寒を感じた。

その後、事故死扱いになっている二件を聞いたものの、東雲の口からは興味が無い為か、真相を聞き出すことは出来なかった。

そこまで黙っていた秋山が口を開く

「では最後に聞こう君は我々に協力出来るかね?」

「協力?」

東雲が笑いながら聞く。

「あるシステムに協力してくれるなら、君は裁判もなく量刑を科される事も無い」

東雲が狂気の目を大きく見開きこう答えた。

「俺の作品を返してくれればやぶさかでもねぇよ」

この期に及んでも東雲は自身の罪の重さを感じることなく条件を口にした。

しばしの沈黙の後秋山が

「それは無理な相談だが協力してくれるなら、君の愉悦の時間を永遠にする事は約束できる」

「興味あるかね?」

「裁判も死刑もないなら喜んで協力してやるよ」

秋山の言葉の真の意味を理解せぬまま東雲は同意した。

「では契約成立だ」

秋山は席を立つと、部屋を後にした。

恵美はそんな秋山の背を見つつあとに続くのであった。

一人残された東雲は周りにある自信の作品を愉悦の表情で眺めながら、大きな勘違いを悔いることなく笑っていた。

オペレーションルームに戻った恵美は秋山に言葉を投げた。

「東雲を〈蛇の目〉に使うんですか?」

「そうだ」

「あんな騙し討ちのような契約滅茶苦茶じゃないですか!」

「問題ない、やつが同意したという事が重要だ」

秋山が言葉を続ける。

「君は奴が裁判を受ける権利を行使して、極刑を持って罪の精算をすればいいと思っているようだが、私からすると生温い!奴にはそれ相応の罪の償いとして我々の役に立ってもらう」

「これはチームリーダーとしての私の判断だ、その為に奴を確保した」


この時に恵美は以前、秋山が〈逮捕〉では無く〈確保〉と言った意味を初めて理解した。

「室長は何時からヤツを〈蛇の目〉に組み込もうとしてたんですか?」

「最初から言ってあっただろう〈IF〉の犯人はサイコパスのシリアルキラーだ、その犯人を確保して未だ未完成の〈蛇の目〉を完成させる、その為に我々第二課が存在するんだ」

この時点で恵美は自分も大きな勘違いをしていたことに気づく、最初からシリアルキラーの捜査では無く、〈蛇の目〉に組み込む為にシリアルキラーを〈確保〉する事が目的だったのだ。

点と点が繋がり、恵美の胸には後悔と自分の役割さえも〈蛇の目〉の一部であることに気づいた瞬間であった。

「君は犯人プロファイルという手法についてどう思う?」

唐突に聞かれた。

「プロファイルですか...」

「それは知ってます、犯罪現場の分析、犯行の特徴の特定、心理的特徴の推測、行動特性の推測、地理的プロファイル、過去のデータとの比較これらの要素を複合的に行うのがプロファイルですよね?」

「そのプロファイルが問題だ」

秋山がさらに続ける...

「日々、捜査官が抱える心理的なプレッシャーでPTSDを発症する人数が分かるかね?」

「年間およそ六〇〇人、それだけの人数が発症して休職や退職に直面している」

「そんな状況を軽減させる為に心理カウンセラーを配置し、彼らの心のケアを行ってはいるがまるで追いつかないんだ」

ソファに腰掛けるように即され、恵美は腰を下ろした。

「アメリカのFBIではプロファイラーが単独で犯人プロファイルを行うことはなく、チームとして犯罪に向き合う、更に事件捜査が長引けばそのチームから数ヶ月ごとに別のチームへと引き継がれ、プロファイルはアップデートされ続け事件解決へと向かう」

「その間、引き継ぎを終えたチームには一定期間休養を取らせリフレッシュが義務付けられる」

「そういう過程が日本には未だ存在しないんだ、事件発生から解決まで専任チームが組織され、そのチームだけが全てのプロファイルを行う、この心的ストレスが日本の捜査における最大の問題点だ」

「ただの殺人事件ならそれも良かろうが、今回のような特異な事件に晒された捜査官の心的ストレスを考えてみろ、それは最早看過できない問題なんだ」

そこまで言われた恵美は、言葉を失った。

〈蛇の目〉の存在意義を悟った為だ。

「彼らの人権はどうなるんですか?」

その声が終わる前に秋山が言った。

「彼らに人権などない」

法の執行側とは思えぬ言葉だった。

「リスクに対してもたらされる恩恵を、天秤にかけた場合比重の重さを考えてそれを実行するのが我々、二課の任務だ」

強烈な意志を込められた言葉に恵美はそれ以上の反論を諦めるしか無かった。

東雲の所業を目の当たりにしながらも、恵美の胸には複雑な感情が交差するのであった。

翌日の午後。

「着いてこい」

秋山にそう言われた恵美は〈蛇の目〉の扉の前に立っていた。

秋山が網膜スキャンで扉を開く。

扉の中には既に渡辺と片瀬が〈核〉から伸びる一つのカプセルで何事か作業を行っていた。

「順調かね?」

「ええ、神経接続も含めて今のところ順調です」

片瀬が答える。

カプセルの中で〈蛇の目〉に繋がれた東雲が見える。

恵美が聞く。

「残りの場所にもシリアルキラーを入れるつもりですか?」

「そうだ!〈蛇の目〉のシステムが完成するのはその時だ」

「その為には〈蛇の目〉が提案する〈IF〉事案の解決が不可欠だ」

恵美が最後の質問をぶつけた。

「〈核〉にはどんな犯罪者が収容されているんですか?」

秋山が杖を床にトンと突き〈核〉へと向かう。

〈核〉の前にあるコンソールパネルを操作し、網膜スキャンをすると〈核〉の中から楕円形のカプセルが排出されてくる。

そのカプセルには一人の女が眠っていた。

「彼女は?」

その声に秋山が反応し、話し始めた。

「彼女の名は秋山和葉(あきやまかずは)、私の妻だ」

それは恵美の全ての疑問を解決する長い話だった。


 






























第八章


蛇の目



秋山和葉は聡明な女だった。

科警研で働く夫、慎一郎とは結婚して8年が経つ。

夫は寡黙ではあったが、和葉のことを深く理解してくれ、決まって会話を切り出す和葉の話を楽しそうに聞いてくれる男だった。

二人は東京警察病院の健康診断で出会い、三年の交際を経て結婚した。

和葉は病院の看護師であった、世話好きで明るい性格の和葉は生来の美貌もあり、病院では評判の看護師であった。

そんな和葉を射止めた慎一郎は多くの男から嫉妬と羨望の眼差しをかったが、二人の結婚は祝福された。

和葉にとって結婚生活の唯一の不満は、未だに子が授からなかった事である。

原因は和葉にあった。

その事で自身は大いに悩んでいたのだが、そんな和葉に慎一郎は優しく声をかけるのであった。

勿論、不妊治療の為にクリニックに通いそれなりの努力をしていた二人であったが、未だに子宝には恵まれなかった。

慎一郎はそんな和葉の心中を察してか、養子の選択を提案した。

和葉はその提案を喜んだ。

そんなある日、慎一郎が通勤中の車の事故で警察病院へ運ばれてきた。

骨折だけでなく脊椎を損傷した状態で運ばれてきた慎一郎は重症で、一時は命の危機にあった。

そんな危機を脱した慎一郎であったが、後遺症が残り右足を軽く引きずる後遺症が残り、杖が手放せなくなった。

和葉の献身的な介護のかいもあり、日常生活に支障が残ることは無かった。

しかし、この一件により養子の話は白紙になり、その事は和葉には大きなストレスになった。

警察病院というところは、一般人や警察関係者だけでなく、刑務所に収監されている受刑者も運ばれてくることが多い病院である。

そんな病院勤務ではステル〈亡くなる〉患者も多く、人の死に和葉が鈍感になるのも仕方がなかった。

その男は受刑者で、受刑者同士の喧嘩で重傷を負い、警察病院に運び込まれてきた時には瀕死の状態であった。

担当になった和葉は、治療中の患者の苦しそうな状態を見て手を取ると、顔を寄せられた。

「ころ……殺してくれ……」

そう囁かれた和葉は衝撃を受けることになる。

〈助けてくれ〉では無く〈殺してくれ〉と言われた和葉の精神の防波堤は、この時から決壊が始まった。

和葉が担当する患者は受刑者が多く含まれ、話を聞いていると

「死んだ方がマシだ」

と言う患者が多かった。

それは量刑から来る精神的ストレスからの言葉だったが、和葉には心の叫びに聞こえるのだった。

ある日当直で、〈殺してくれ〉と和葉に囁いた患者の糖尿病治療の注射を行うことになった。

男は重度の糖尿病で、インスリン注射がかかせなかった。

病室に入ると男は眠っているようであった。

和葉の気配を察して目を覚ます。

男に注射しようとして近づくと眼前でこう呟かれた。

「殺してくれ」

男は和葉の手を取り、懇願した。

和葉の手は震えていた。

「で……出来ません」

男は静かに頭を下げた……

和葉の震えが全身に広がる……

長い沈黙が流れた。

男の肩に手を載せると目で合図した。

「わ……わかりました……」

言葉を振りしぼる。

和葉はインスリンの過剰投与を考えた。

インスリンならば苦しませることなく楽にできる。

いつの間にか和葉の震えが止まっていた、インスペリンの投与量を変える。

腹部に注射した。

男は目に涙をうかべ和葉の手を強く握った。

「ありがとうございます」

そう呟いた男を寝かせ、病室を後にした。

男は十五分程で意識混濁し、眠るように亡くなるはずだ。

翌朝、亡くなっている男が発見されたが、過剰投与がバレる事は無かった。

投与記録を改ざんしたからであった。

この日から和葉の〈死の天使〉としての裏の顔が始まる。

海外のネット通販を利用してうまくインスリンを入手した。

それを使い、主に受刑者の苦しみを解き放とうと和葉は精力的に活動した。

糖尿病患者でない人間なら、不審死を疑われる量ではなくても楽にしてやれるラインを見極めた。

そうする事で和葉は、発覚する去年までの三年間で八人の人間を闇に葬ったのだった。

和葉の所業の発覚は偶然だった。

厳重に保管していたインスリン溶液が慎一郎に見つかったのだ。


秋山が言葉を続ける。

「和葉は私の詰問に全てを話したあとインスリン注射で自殺を図った」

「一命は取り留めた和葉だったが、植物状態になった」

「そんな和葉を当時、試験段階だった〈蛇の目〉のコアに彼女を組み込んだのは、私の最大の失策だ」

そこまで言った秋山の表情は、恵美の目から見ても苦悩の色が見て取れた。

「〈蛇の目〉は未だ多くの問題がある」

「眠りについている個々の老化は止めようがない、白川と東雲もそれは同じだ。こちらからの指示に彼等は、有益な情報をサイコパス特有の思考で導き出し電気信号となった情報を和葉に送る。和葉はそれを整理して人工ニューロンへと伝達する。その過程で彼等は精神的ストレスを脳に受けることになり、疲弊していくんだ」


「疲弊した脳が崩壊する時は、明日かもしれないし十年後かもしれない、その前に全てのカプセルを満たし、人工ニューロンへと置き換えるのが必要だと考えている」

「それが二課の大きな目的だ」

そこまで聞いていた恵美が口を開く

「完成するんですか?」

「完成させる」

と短く答えた秋山の胸に去来するのは、何なのかを恵美は考えたが答えが出るはずもなく、すぐに諦めた。

未だ発覚することなく犯行を続けるシリアルキラーを捕え〈蛇の目〉を完成させる。

その為だけに存在する科警研第二課、その存在は極秘である。

彼等四人のチームの今後には光か闇、どちらが待っているのかこの時は誰も知りようが無かった。



次巻

蛇の目-IF-に続く……



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