67旅―冒険者(アルセルフ国)47
数日後の王宮広間。
理を糺した結界の余韻はまだ空気を震わせ、虹光が天井の装飾に淡く反射していた。
椅子に深く腰掛けたラディウス国王は、長い息を吐く。
二人掛けのソファに並ぶアルディス王太子とミルフェン王子も、肩の力を抜き、静かに視線を交わした。
「……終わったな。」
王の声は低く、しかし確かな安堵を含んでいた。
広間の中央、三人掛けのソファにはメデル、ブランデット、ケルビスが並び、対する一掛けの椅子にはケルメデスアールが静かに座っている。
ドア付近にはフーマとマルコが護衛と共に立ち、銀毛が光を受けて揺れていた。
…そして、何故かルククは膝にロカを乗せて光銀竜の背にちょこんと乗り、足をぶらぶらさせている。
その小さな仕草が、緊張の中に一瞬の微笑みを生んでいる。
ブランデットが翠龍の言葉を胸に、静かに告げた。
「……アルセルフ国は、癒されました。」
その瞬間、広間に安堵の溜息が広がる。
だが、次の声はその静けさを切り裂いた。
銀毛を揺らし、フーマが一歩前へ出る。
「……ここで一つ、提案がある。」
その声は低く、しかし鋭く響いた。
「もうすぐ一年になる。カーロの期限も迫っている。…精霊の森があるシンノ国へ、先に向かうべきだと思う。」
わずかな間を置き、彼は続ける。
「獣人国の地竜は祠に居る。呼べば来るとのことだ。」
メデルは小さな手をぎゅっと握り、ブランデットは視線を落とした。
その小さな仕草が、緊張の中に一瞬の微笑みを生んだ。
ラディウス国王はメデルに歩み寄り、その小さな肩に手を置いた。
「お前たちの旅は、我らの未来を繋ぐものだ。……誇りを持って進んでくれ。」
その言葉に、メデルの胸が熱くなる。
ブランデットは視線を上げ、翠龍の声が再び響いた。
…『森へ還れ。それが理だ』。
アルディス王太子はブランデットに近づき、静かに言葉を紡ぐ。
「君の勇気は、我らの記憶に刻まれる。」
ミルフェンはメデルの手を握り、震える声で呟いた。
「……また、会えるよね?」
メデルは小さく頷き、精霊の光が二人の間に淡く舞った。
その瞬間、広間の扉が開き、外の光が差し込む。
砂漠に緑が戻り始めた景色が、遠くに見えた。
王冠に反射する虹光が、まるで祝福の証のように輝く。
精霊たちが虹光の粒となって舞い、旅立ちの道を静かに照らしていた。
重厚な扉が閉じる音が、背後で低く響いた。
その瞬間、広間の荘厳な空気が遠ざかり、一行は石畳の道を歩き始める。
長い緊張の糸が切れたように、マルコが大きく肩を落とし、呻いた。
「……頼む、下街で一泊取ってくれ~……」
その声は、王宮の威厳を忘れさせるほど脱力していた。
フーマが銀毛を揺らし、片眉を上げる。
「……おい、マルコ。」
「な、なんだよ……」
銀狼は鋭い視線を光らせ、ルククの背後を指差した。
「アルセルフ国の光銀竜は返して来い!何で乗って出て来たんだ!!」
一同の視線が一斉にルククへ向かう。
光銀竜の背にちょこんと座り、膝にロカを乗せて足をぶらぶらさせている少年は、きょとんと首を傾げた。
「え?だって、竜さんが『一緒に行く』って言ったよ?」
その瞬間、光銀竜の虹光がふわりと揺れ、静かな念話が響く。
『……大丈夫だよ~。すぐに帰るよ?』
その声は澄んだ水のように穏やかで、どこか楽しげだった。
ルククは竜の背で笑いながら手を振る。
「ほらね!竜さんが言ってる!」
マルコは頭を抱え、深いため息をつく。
「……外交問題にならないならいいけどな……」
フーマは低く唸った。
「……“すぐ”って、どのくらいだ?」
竜は虹光をきらめかせ、再び念話を送る。
『……君たちが外門塀を超えるまで、少しだけ。護りたいんだ、あの小さな命を。』
メデルはその声に胸を熱くし、ブランデットは静かに頷いた。
フーマは銀毛を揺らし、ぼそりと呟く。
「……クスクスって笑うな、竜が……」
竜は楽しげに虹光を揺らし、さらに念話を重ねる。
『……笑ってないよ?ちょっとだけ、楽しいだけ。』
下街の宿。
木の梁がむき出しの古い部屋に、砂蠍の丸焼きの香ばしい匂いが漂っていた。
「……うまっ!」
マルコが頬張り、ルククが笑う。
「マルコ兄ちゃん、顔が幸せそう!」
「当たり前だろ……王宮の緊張で胃が石になってたんだぞ……」
精霊たちはテーブルの上で小さな光を踊らせ、パンを転がして遊んでいる。
ケルビスが苦笑しながらパンを拾い、ブランデットは肩をすくめる。
「……精霊まで宴会気分だね(笑)。」
メデルは窓辺で外を見つめ、炎火竜・風白竜・光銀竜の魔力が遠くで揺れるのを感じた。
『『『大丈夫!護るよ。皆で。』』』
その声に、メデルは小さく微笑んだ。
ブランデットは慌ててメデルの手を握った。
「……メデル、僕の弟を精霊にしないで!」
メデルはくすりと笑い、肩をすくめる。
「大丈夫だよお兄様。……竜様達守ってくれるって。」
フーマは椅子に深く腰掛け、銀毛を揺らしながら低く言う。
「……明日、朝出発だ。準備はいいな?」
マルコが肉を頬張りながら片手を上げる。
「……その前に、もう一皿頼んでいい?」
「……お前、緊張が解けすぎだ。」
フーマがため息をつくと、宿の空気に笑いが広がった。
朝日が砂漠を染める頃、一行は外門塀の前に立っていた。
空気は澄み、遠くで精霊の歌声が風に乗って響く。
祠の石が淡い光を放ち、地面が低く唸り始める。
「……何か来る。」フーマの声が低く響いた。
地竜の影がゆっくりと姿を現し、大地を震わせる。
その荘厳な光景に、仲間たちは息を呑んだ。
メデルは胸の奥で翠龍の声を感じる。
――『理を繋げ、森へ還れ。』
大地竜が大地を響かせ、静かに告げる。
『……大丈夫。精霊の森へ行っておいで、可愛い子達。呼べば向かうから…。』
その声は深く、優しく、砂漠の風に溶けていった。
その時、精霊の歌声が風に乗り、遠くで虹光が揺れる。
光銀竜は静かに首を垂れ、念話を送った。
『……ここまでだよ。僕はついて行かない。』
ルククが驚いて光銀竜の背から身を乗り出す。
「えっ!?なんで!?一緒に森まで行こうよ!」
光銀竜は優しく虹光を揺らし、声を重ねる。
『……この国を護る役目がある。砂漠に緑を戻すために、僕はここに残らなきゃ。そしてあの小さな命を。護るよ。』
メデルは胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。
「……でも、僕達も護ってくれるって……」
『護るよ。ここからずっと見ている。君たちが森に着くまで、僕の光は風に乗って届く。』
ルククの目に涙がにじむ。
「……光銀竜さん……絶対、また会える?」
『もちろん。理が繋がれば、必ず。』
虹光が朝日に溶け、光銀竜の姿がゆっくりと砂漠の彼方へ消えていく。
その瞬間、砂漠に小さな緑が芽吹き、風が優しく頬を撫でた。
朝日が砂漠を染める中、一行は祠を後にした。
風が頬を撫で、遠くで精霊の歌声が微かに響く。
砂漠の地平線は揺らめき、熱気と光が混ざり合っていた。
「よし、飛んで行こう!」
ルククが両手を広げ、光銀竜のいない空を見上げる。
その声に、マルコが顔をしかめた。
「……お前、まだ諦めてなかったのか。」
フーマが銀毛を揺らし、冷静に言い放つ。
「……無理だ。二週間の距離を飛んだら、途中で全員落ちる。」
「えぇ~!じゃあどうするの?」
「走る。」
「は、走る!?砂漠を!?」
マルコが絶望的な声を上げる。
「俺、二週間走るとか聞いてない!」
フーマは肩をすくめ、淡々と告げた。
「聞いてないじゃなくて、走れ。体力維持のためだ。精霊が補助する。文句は後で言え。」
ケルビスが苦笑しながら腰の水筒を確認する。
「……砂漠で走るなんて、初めてだよ。」
ブランデットは真剣な表情でメデルの手を握り、静かに言った。
「メデル、無理はしないで。僕が絶対守るから。」
メデルは小さく頷き、胸の奥で翠龍の声を感じた。
『走れ。理を繋ぐ道は、足で刻め。』
その時、ケルメデスアールが静かに笑った。
「……若い者は元気だな。だが、砂漠を甘く見るなよ。」
フーマがちらりと視線を向ける。
「……あんたも走るんだぞ、ケルメデスアール様。」
「もちろんだ。だが、私の脚は昔より速くはない。……皆、置いていくなよ?」
マルコが即座に返す。
「俺の方が置いていかれるわ!」
その言葉に、一行の緊張が少しだけほぐれた。
「よし、行くぞ!」
フーマの号令とともに、一行は駆け出した。
砂漠の風が頬を切り、足元の砂が舞い上がる。
精霊たちが虹光の粒となって背を押し、風精霊が足取りを軽くする。
光精霊が汗を冷やし、炎精霊が靴底を温めて砂の沈み込みを防ぐ。
その疾走は、ただの移動ではなく、未来への誓いだった。
「うわっ、速っ!フーマ、待って!」
ルククが必死に叫ぶ。
「置いていくぞ!」
フーマが振り返りもせずに答える。
「ひどい!僕まだ子供だよ!」
「子供でも走れ!」
「……俺も子供でいいかな……」
マルコがぼやきながら必死に足を動かす。
「ダメだ、マルコ兄ちゃんは大人だよ!」
ルククが笑いながら返す。
ケルメデスアールは後方で息を整えながら、静かに仲間たちを見守っていた。
「……この光景、若い頃を思い出すな。だが、あの頃より……今の方が、守りたいものが多い。(笑)」
その言葉に、ブランデットがちらりと振り返り、微笑んだ。
「……僕たちも、守りたいものがあるから走るんだ。」
メデルは走りながら、風に乗る精霊の歌声を聞いた。
――『走れ、走れ、理を繋ぐ者たちよ。光は君たちの足跡に芽吹く。』
その声に、胸の奥が熱くなる。
砂漠の地平線に向かって、一行は疾走を続けた。
虹光が風に溶け、彼らの影を長く伸ばしていく。
夕暮れの砂漠は赤金に染まり、風が熱を運んでいた。
一行はようやく足を止め、岩陰に簡易な野営地を作り始める。
砂を踏みしめる音が止むと、耳に届くのは遠くで響く精霊の歌声と、仲間たちの荒い息だけだった。
「……はぁ……死ぬ……」
マルコが背中から倒れ込み、両手を広げて砂に埋もれる。
「まだ一日目だぞ。」
フーマが銀毛を揺らし、冷たい視線を送る。
「一日目でこれだよ!?あと十三日って正気か!?」
「正気だ。走れなきゃ、飛べないんだからな。」
「飛ばないって言ったのフーマでしょ!」
ルククが笑いながら水筒を差し出す。
「ほら、飲んで。僕はまだ元気!」
「お前、元気すぎだろ……」
マルコが水を一気に飲み干し、砂に顔を埋めた。
その時、ルククが荷物を漁りながら目を輝かせた。
「ねぇ!花の精霊から貰った蔓のハンモック、使おうよ!」
ブランデットが顔を上げる。
「……あれ、森用じゃなかった?」
「え?砂漠でも吊れるでしょ!」
フーマが即座に冷たい声で返す。
「……砂漠に木はない。」
「えぇ~!?じゃあどうするの?」
「砂ベッドだ。」
「砂ベッド!?埋まるじゃん!」
「埋まらないように精霊が風を送る。」
マルコが顔をしかめてぼやく。
「……俺、ハンモック楽しみにしてたんだけどな……」
ケルメデスアールが岩に腰を下ろし、静かに笑った。
「……昔は硬い岩の上で寝たものだ。それに比べれば、砂は柔らかい。」
「柔らかいけど、熱いんだよな……」
マルコが砂を触り、ため息をつく。
その時、光精霊がふわりと舞い、砂を冷やす虹光を広げた。
風精霊がそよ風を送り、炎精霊が焚き火の熱を調整する。
「……おお、快適!」
マルコが驚き、笑いが広がった。
「ハンモックよりいいかも!」
ルククが砂に寝転び、星空を見上げる。
ケルビスは焚き火の準備をしながら、ブランデットに声をかける。
「……メデルは大丈夫?」
ブランデットは弟の肩に布を掛け、静かに頷いた。
「疲れてるけど……笑ってる。精霊がずっと支えてくれているみたいだ。」
精霊の歌声が風に乗り、星々の間を渡っていく。古代語の響きが、夜空に淡く溶けていった。
その時、ケルメデスアールが岩に腰を下ろし、静かに笑った。
「……若い頃を思い出すな。野営は不味かったが、今は違う。マルコやルククが居るから、ご飯が美味しい。」
フーマがちらりと視線を向ける。
「……あんた、まだ余裕そうだな。」
「余裕じゃない。だが、心は落ち着いている。……この旅は、意味があるからな。」
その言葉に、ブランデットが小さく頷いた。
「……僕たちも、意味を刻むために走ってる。」
焚き火がぱちぱちと音を立て、炎の光が仲間たちの顔を照らす。
精霊たちは火の周りで小さな光を踊らせ、風精霊が涼しい空気を運んでくる。
ルククが笑いながら砂蠍の丸焼きを掲げた。
「ご飯できたよ!今日の勝者は僕だね!」
「勝者って何だよ……」マルコがぼやきながらも、肉を頬張る。
「……うまっ!」
その声に、疲れた空気が少しだけ和らいだ。
メデルは炎を見つめながら、胸の奥で翠龍の声を感じた。
『理を繋ぐ道は、まだ続く。だが、君たちの足跡に光が芽吹いている。』
その言葉に、メデルは小さく微笑んだ。
砂漠の夜空には、無数の星が瞬き、精霊の光がその間を渡っていた。
こうして、一行の最初の夜が静かに更けていった。
夕食後の広間、柔らかな灯りの下で、ミルフェンがぽつりと呟いた。
「……ブランデットって、やっぱり綺麗だったなぁ……」
その声に、アルディスが眉をひそめる。
「何を急に思い出してるんだ?」
ミルフェンは頬を赤くしながら、視線を泳がせた。
「だって……アルお兄様がお姉様のお腹の子以外に、あと三人産んだら……僕、帝国にお嫁に行ってもいい?」
広間の空気が一瞬止まった。
ラディウス国王がゆったりと笑い、さらりと言う。
「帝国は同性婚、大丈夫だよ。」
「えぇぇぇぇ!?」
アルディスが椅子を鳴らして立ち上がる。
「おい!お前は男だ!!」
ミルフェンはきょとんとした顔で首を傾げる。
「え?僕男の子だよ?知ってるけど??だめなの?」
その横で王太子妃リリカが口元を押さえ、くすくす笑った。
「あら、良いじゃない!帝国の法律なら問題ないわよ。(笑)」
「やめろ!俺の胃が死ぬ!」
アルディスが絶叫する。
リリカはさらに楽しそうに続ける。
「ドレスはブランデット様が着る?ミルフェンが着る?多分ミルフェンはお父様にもアルディス様にも似ているから体格が良くなりそうだかブランデット様かしら…あぁ、想像しただけでロマンチック!」
「ロマンチックじゃない!悪夢だ!」
アルディスが頭を抱える。
その時、広間の隅で光銀竜が虹光をきらめかせ、ひょいっと首を伸ばした。
『……ドレスなら僕が運ぶよ?帝国まで飛んでいこうか?』
「飛ばなくていい!!」
アルディスが即座に叫ぶ。
ミルフェンが笑いながら竜の鼻先を撫でる。
「光銀竜さん、結婚式の演出もできるの?」
『もちろん。虹光で祝福のアーチを作るよ。』
「やめろぉぉぉ!!」
アルディスの絶叫が広間に響き渡る。
ラディウス国王は肩をすくめ、杯を傾けながら笑った。
「止める必要あるか?面白いじゃないか。」
リリカはさらにくすくす笑い、精霊たちが虹光をひらひらと舞わせる。
砂漠の旅の疲れを忘れる、ひとときの雑談だった。




