㊿旅―冒険者(サレム国)30
朝食後、
宿の部屋で、僕たちは新しい手提げ鞄10個を魔法袋に変えた。
魔力を合わせるたび、空気が震えて、暖炉の炎がぱちぱちと踊った。
でも、その代償は大きかった。
ケルビスとルククは魔力を使いすぎて、ベッドでぐったりしている。
「……寝かせておけ。回復には時間がかかる」
ケルメデスアールが静かに言って、二人のそばに座った。
その銀の瞳が優しく光っていて、僕は少し安心した。
「では、僕たちはギルドに行って来る。」
ブランデットお兄様の声に、僕は小さく頷いた。
フーマが腕を組んで立ち上がり、マルコはため息をつきながら腰を上げる。
「……俺、絶対聞かなかったことにするって決めたのに、なんで一緒に行くんだろ」
「マルコ兄様、頼りにしてます!」僕が笑うと、マルコは顔を両手で覆った。
「やめてくれ……」
外に出ると、雨はすっかり上がっていた。
石畳がしっとりと濡れていて、雲の切れ間から淡い光が差し込んでいる。
空気はひんやりしているけど、胸の奥が少しだけ軽くなった。
僕は鞄の紐をぎゅっと握りしめながら、ブランデットお兄様とフーマ、マルコと一緒にギルドへ向かった。
ギルドの扉を押すと、中はざわめきと酒の匂いでいっぱいだった。
冒険者たちの笑い声、金属の音、紙をめくる音――全部が僕の耳に飛び込んでくる。
胸がどくんと鳴った。
「落ち着け、メデル」お兄様が小声で言う。
「はい……」僕は深呼吸して、カウンターに向かった。
受付の女性が笑顔で迎えてくれる。
「いらっしゃい。今日はどんな用件?」
フーマが低い声で答えた。
「情報だ。古代遺跡、古代遺品、マジックバック……全部だ」
その声に、受付の女性の笑顔が少しだけ固まった。
「マジックバック……? あんたたち、何を探してるの?」
「旅の準備だ」ブランデットがさらりと答える。
その声は落ち着いていて、僕も少し安心した。
「古代遺跡なら、帝国の外れにいくつかあるけど……マジックバックは噂話だよ?」
受付の女性が帳簿をめくりながら言う。
「噂でもいい。場所の手がかりをくれ」フーマの声は低く、鋭い。
僕は横で黙っていたけど、心臓がばくばくしていた。
鞄の紐をぎゅっと握りしめると、革の表面で花模様がきらりと光った。
「……っ!」
僕は慌てて隠したけど、マルコが小声で突っ込む。
「おい、模様が増えてないか?」
「増えてません!」
僕は必死に否定したけど、風の精霊がひらりと舞って、紐に葉っぱを追加した。
「葉っぱ増えたぁぁ!」
僕は心の中で絶叫した。
受付の女性は気づいていない。よかった……。
「情報はあるけど、報酬は高いよ?」
「構わない」フーマが即答した。
その声に、僕は胸の奥で何かが高鳴るのを感じた。
受付の女性が帳簿を閉じ、声を潜めた。
「……魔法袋の話なんて、もう百年以上前の伝承だよ。サレム国の記録にもほとんど残ってない。ただ、古い地図には“空間を折り畳む術”って言葉が載ってる場所がある」
彼女は古びた羊皮紙を広げ、指で一点を示した。
「ここ、サレム国の北の断崖。霧が深くて、魔獣が巣を作ってるって噂よ。誰も近づかない」
フーマが腕を組んだまま、銀の瞳を細める。
「断崖か……昔、魔法袋を作る術を知っていた時空魔法の神官たちが祠を守っていた場所だな」
彼の声は低く、重い。
「だが、今は廃墟だ。空間を折り畳む魔法を扱える者なんて、サレム国でもほとんどいない」
受付の女性がさらに声を落とした。
「もう一つ噂がある。祠の奥には“魔法袋の原型”が眠ってるって。小さな袋に山ほどの荷物を詰め込める、旅人にとって夢の道具さ。でも……誰も確かめたことはない」
僕の胸がどくんと鳴った。
魔法袋の原型……それって、僕たちが作ったものと同じ?
手の中の鞄が、きらりと光った気がした。
「……」
慌てて隠すけど、風の精霊がひらりと舞って、紐に葉っぱを追加した。
「葉っぱ増えたぁぁ!」
心の中で絶叫する僕をよそに、フーマは静かに言った。
「情報料はいくらだ?」
「金貨三枚。それと……この話を聞いたこと、他言無用だよ」
「わかってる」
ブランデットの声は落ち着いていた。
その時、視線を感じた。
酒場の隅で黒い外套の男が、こちらをじっと見ている。
目が合った瞬間、背筋がぞくりとした。
受付で古びた地図を受け取ったとき、背後から低い声が響いた。
「……珍しい話をしてるな」
僕はびくっとして振り向いた。
そこに立っていたのは、黒い外套をまとった男。顔の半分を影に隠していて、目だけが鋭く光っている。
「魔法袋の噂……興味があるんだろ?」
その言葉に、僕の心臓がどくんと鳴った。――聞かれてた!?
ブランデットお兄様が一歩前に出る。
「ただの噂話だ。何の用だ?」
男はゆっくりと笑った。
「用? 取引だよ。俺は商人だ。珍しい情報には価値がある」
その声は低く、どこか甘い響きがあったけど、目は笑っていなかった。
フーマが銀の瞳を細める。
「……何を売る?」
「古代遺品だ。魔法袋を作るために必要な“時の繊維”を知っている」
男は懐から小さな布切れを取り出した。淡い光を放つ、不思議な繊維。
「これがあれば、袋は壊れない。空間を折り畳む力を安定させる」
彼の声は静かで、周囲のざわめきが遠くなるほどだった。
「……条件は?」ブランデットの声が低くなる。
「金貨五枚。か…俺に魔法袋を作る時現れる。時の精霊の雫石が欲しい“時の精霊の雫石”を渡せ」
その言葉に、僕は息を呑んだ。
雫石!? そんなもの、僕たちが持ってるってどうして……?
男の目が鋭く光った。
「雫石は、時を編む力の核だ。俺には必要なんだ」
その声には、切実さが滲んでいた。
「……なぜだ?」フーマの声が低くなる。
男は一瞬だけ視線を落とした。
「……娘がいる。十歳だ。早老症で、時間が彼女を奪っていく」
その言葉に、僕の胸がぎゅっと締め付けられた。
娘……。
男は顔を上げ、鋭い目で僕たちを見た。
「雫石があれば、時を止められる。……頼む」
僕は鞄の紐をぎゅっと握りしめた。
革の表面で花模様がきらりと光り、葉っぱがひらりと増えた。
「やめてぇぇ!」心の中で絶叫する僕をよそに、風の精霊が楽しそうに舞っている。
火の精霊まで『炎のラインを足そうか?』なんて言ってるし、時の精霊は窓辺で静かに笑っていた。
『……選択の時は、必ず来る』
「来なくていい!」僕は心の中で叫んだ。
男は最後に一言だけ残して、カウンターを離れた。
「……もし考えが変わったら、サレム国の“霧の市場”に来い」
その声が耳に残ったまま、僕は深く息をついた。
宿に戻った僕は、花模様の鞄を抱きしめながら深く息をついた。
あの商人の言葉が頭から離れない。
「雫石は、時を編む力の核だ」
核……? 魔法袋を作ったとき、僕たちの魔力が集まって、陣が光って……その時、何か小さな光が生まれた気がする。
あれが……雫石?
窓辺に視線を向けると、そこに時の精霊が静かに立っていた。淡い光をまとい、まるで時間そのものが形を取ったような存在。
「……時の精霊さん」声が震える。
「魔法袋を作ったとき……小さな光が出ました。それって……雫石ですか?」
精霊はゆっくりと目を閉じ、雨上がりの空気みたいに澄んだ声で答えた。
『……そうだ。雫石は、時を編む力の核。空間を折り畳む術を安定させるために、時の流れから生まれる結晶だ』
僕の胸がどくんと鳴った。
「じゃあ……僕たち、もう持ってるんですか?」
精霊は首を横に振った。
『ああ持ってる、しかし奴の欲しがっている核は別だ。お前たちが作った袋は、絆と魔力で織られたもの。だが、奴が欲しがっているのは真の核。雫石がなければ、命は長くは保たない』
「……じゃあ、どうすれば?」
『時の祠に眠る石盤。その陣を完成させ、時の流れを編み切ったとき、雫石は生まれる』
僕は唇を噛んだ。商人が欲しがっていたのは、その雫石。彼の娘を救うために。でも、それを探すことは……僕たちの旅を遅らせる。
「……選ばなきゃいけないんですね」
精霊は静かに頷いた。
『選択の時は、必ず来る。お前の心が、未来を編む』
その時、カーロが静かに頭の中で言った。
「……時の祠を探しに行きましょう。あの子を救うために」
僕は思わず息を呑んだ。
あの子って、商人さんの娘さんのことだよね?
でも、祠って……時の精霊が言ってた、雫石が眠る場所……。
「カーロ姉様……」声が震える。
「それって……危ないんじゃないの? だって、時を編む力って……普通じゃないって……」
カーロは僕を見て、優しく微笑んだ。
「危ないかもしれない。でも、見捨てる方が……もっと苦しいわ」
僕の心臓がきゅっと縮む。
見捨てる方が苦しい…その言葉が、僕の中で何度も繰り返された。
「でも……僕たちの旅は……精霊の森にカーロ姉様を返すことが一番大事で……」
言葉が詰まる。
「もし、祠に行って……何かあったら……」
その時、隣でブランデットが静かに息をついた。
「メデル」
僕の名前を呼ぶ声は、いつもより低くて、でも優しかった。
「僕たちの旅の目的は、カーロを守ることだろ? それは変わらない」
ブランデットは僕の肩に手を置いた。
「でも、守るっていうのは……ただ隠して逃げることじゃない。カーロ姉様が選んだ道を、一緒に歩くことだ」
僕は顔を上げた。ブランデットの瞳は、深い青の中に光が揺れていて、その光が僕の不安を少しずつ溶かしていく。
「……でも、僕……怖い」小さな声が漏れる。
「時の祠って……時を編む力って……僕、よくわからないし……」
ブランデットは微笑んだ。
「わからなくてもいい。僕だって全部わかってるわけじゃない」
その声は、風みたいに柔らかかった。
「でも、僕たちには絆がある。魔法袋を作ったときだって、できるはずがないって思ってたのに……できた」
彼は僕の鞄を指差した。花模様が、まだきらきら光っている。
「それは、僕たちが一緒だったからだ」
僕の胸が、どくんと鳴った。
一緒だったから…その言葉が、心の奥に灯りをともす。
「……一緒に、行く?」
僕は問いかける。
ブランデットは力強く頷いた。
「もちろん。僕たちは、ずっと一緒だ」
その瞬間、風の精霊がふわりと舞い、炎のラインが鞄にひとすじ加わった。時の精霊は、静かに笑っていた。
選択の時は、必ず来る…その声が、遠くで響いた気がした。
僕は深く息をつき、カーロを見た。
「……じゃあ、僕も行く。祠に」
カーロの瞳が、優しく揺れた。
その時、低い声が部屋の空気を震わせた。
「……ブランデット、何が起きている?」
フーマだった。銀色の毛並みが、月明かりに光っている。
僕は思わず肩をすくめた。その声には、怒りじゃないけど、鋭い何かが混じっていて……まるで獣が獲物を見定める時みたいだった。
ブランデットはゆっくりと顔を上げる。
「……時の祠に行くことになった」
短い言葉。でも、その重さは僕の胸にずしんと落ちた。
フーマの耳がぴくりと動く。
「時の祠……?」その声は低く、冷たい風みたいだった。
「お前たち、何を考えてる。あそこは…。」
「わかってる」ブランデットが遮った。
「危険だ。でも、カーロ姉様が……どうしても行きたいって」
僕は息を呑む。どうしても…その言葉が、また胸の奥で響いた。
フーマは、しばらく黙っていた。その沈黙が、僕には怖かった。怒ってる? 呆れてる? それとも……。
「理由は?」ようやく、低い声が落ちてきた。
ブランデットは、ほんの少し視線を落とす。
「商人の娘を救うためだ。雫石が必要なんだ」
その瞬間、フーマの瞳が鋭く光った。
「雫石……時を編む核か」
その声には、獣の牙みたいな緊張があった。
「……お前たち、どこまで知ってる?」
僕は思わず鞄を抱きしめた。花模様が、きらりと光る。
僕たち、どこまで知ってるんだろう。時の精霊の言葉、カーロ姉様の決意、ブランデットの強さ……全部が、僕の中で渦を巻いていた。
ブランデットは、静かに答えた。
「全部じゃない……と思う。でも、選んだ。カーロ姉様を守るために」
その瞬間、フーマの耳が風に揺れた。
――この子たちは、もう世界に導かれている。
風が舞い、炎が線を描き、時の精霊が静かに笑っている。
これは偶然じゃない。世界が、この選択を望んでいる。
フーマは低く息を吐き、決意を固めた。
「……なら、俺も行く。お前たちだけじゃ、祠は越えられない」
その言葉を口にした瞬間、空気が変わった。
風がフーマの毛並みを撫で、炎が鞄に新しい模様を刻む。
時の精霊の声が、遠くで響いた。
『選択の時は、必ず来る。お前も、その流れにある』
銀狼の牙を静かに研ぎながら、心の奥で呟いた。
――世界よ、導くなら、俺はその牙で守り抜く。
僕の胸が、どくんと鳴った。
フーマも、一緒に。
その瞬間、風の精霊がふわりと舞い、炎のラインがフーマの鞄に加わった。
時の精霊は、ただ静かに笑っていた。
夜、僕は窓辺で鞄を抱きしめながら、決意を固めた。
「……僕、守る。みんなを」
花模様がひとつ増え、精霊たちが静かに頷いた。
路地の暗がりで、黒い外套の男が静かに立っていた。
月明かりが彼の顔を照らすと、その瞳の奥に鋭い光が宿っているのが見えた。
やっぱり、ただの商人じゃない。
その気配は、獣みたいに研ぎ澄まされていた。
「……祠に行くんだろう?」
低い声が夜に溶ける。
ブランデットが頷くと、男ははしばらく黙ってから、深く息を吐いた。
「……ありがとう…。」
その言葉は、意外なほど静かで、重かった。
僕は思わず顔を上げる。
「え……?」
ブルは僕を見て、わずかに笑った。
「お前たちが祠に行くと聞いて……胸が震えた。俺一人じゃ、どうにもならなかった。娘を救うために、雫石が必要なんだ」
その声には、必死さと、長い年月の影が混じっていた。
「…俺はブルセント通称ブルと呼ばれている……昔、Aランクだった。命を賭けることに慣れてる。でも、今は……娘を守るためにしか、その力を使いたくない」
僕の胸がぎゅっと鳴った。
Aランク。死線を越えてきた人が、今はただ娘のために。
「……僕達も、守りたいんだ。世界を。そして……あなたの娘さんも」
声が震えたけど、嘘じゃない。
ブルは深く頭を下げた。
「……感謝する。お前たちが選んでくれたことに、命を賭けて応える」
その言葉が、夜の空気に重く響いた。
風がふわりと舞い、炎が路地に赤い線を描く。
時の精霊が、遠くで静かに笑っている気がした。
――世界が、またひとつ選択を重ねた。
「……ありがとう、ブル。僕たちも、一緒に戦う」
その言葉が、夜に溶けていった。
そして朝…僕たちは祠へ向かって歩き出した。
世界の流れに導かれるように。
朝の空気は冷たく、霧が深く垂れ込めていた。
僕たちは、サレム国の北の断崖に立っていた。
足元には切り立った崖、下には白い霧が渦を巻いていて、その奥に祠が眠っている。
ここからが本当の始まりだ。
「……自己紹介がまだだったな」
黒い外套の男が、霧の中で静かに言った。
「俺はブルセント。ブルと呼ばれている。昔、Aランクだった」
その声は低く、岩壁に響いて重く落ちた。
ただの商人じゃない。獣みたいな気配を隠しているけど、その瞳には決意が宿っていた。
その時、背後から軽い足音が近づいてきた。
「お待たせ!」
ルククが、弾む声で駆け寄ってくる。小さな体に大きな荷物を背負って、笑顔を浮かべていた。
「僕も行くよ! だって、メデルたちを守りたいんだ!」
続いて、マルコが現れた。
「まったく……お前は元気だな」
彼は剣を肩に担ぎ、鋭い視線で断崖を見下ろす。
「でも、俺も行く。兄貴に言われたんだ。お前らを絶対に守れってな」
そして…ケルビスが静かに歩み寄る。
「……僕も」
その声は低く、でも揺るぎない。
黄魔法士の彼は、腰に魔法陣の石板を下げ、視線を霧の奥に向けていた。
「守る者として、ここで退くわけにはいかない」
最後に、重厚な気配が近づいてきた。
ケルメデスアール。
ドラン辺境伯の名を持つその人は、深い緑の外套を翻し、静かに僕たちを見渡した。
「……お前たちの選択を、私は誇りに思う」
その声は、岩壁よりも重く、風よりも深かった。
「だが、祠は甘くない。覚悟を持て」
フーマが銀色の毛並みを揺らし、断崖を見下ろす。
すると光が舞い、風が踊り、木々が鳴り――
精霊が集まって、木々も光も風も協力して、ダイナミックで繊細な妖精の階段が出来上がっていく。
『……妖精の階段だよ(笑)クスク』
楽しい、可愛い声が聞こえた。
その言葉に、僕は息を呑んだ。
霧の中に、淡い光が揺れ始める。
小さな妖精たちが現れ、光の階段を編んでいく。
岩壁に沿って、きらめく段がひとつ、またひとつ…まるで星が降りてくるみたいだった。
「……綺麗」
僕の声が震える。
でも、その美しさの奥に、緊張が潜んでいるのを感じていた。
霧は深く、魔獣の気配が濃い。
サレム国の北の断崖は、魔獣が巣を作る場所だって聞いた。
本当に、降りていいのかな。
『導く者が現れた時、霧は晴れる』
ブランデットお兄様が背負う聖獣の卵と、カーロ姉様の声が、風みたいに柔らかく響いた。
その瞬間、霧がゆっくりと動き始める。
白い壁が裂け、光の道が奥へと伸びていく。
導く者…それは、カーロ姉様なのか、それとも……。
僕たちは階段を降り始めた。
足元の光が、かすかに揺れるたび、心臓が跳ねる。
風の精霊が僕の肩に触れ、炎の精霊が鞄に赤い線を描く。
時の精霊は、静かに笑っていた。
その時、低い唸り声が霧の奥から響いた。
黒い影が、霧を裂いて現れる。
巨大な黒狼。
その瞳は、獣の牙みたいに鋭く光っていた。
僕は息を呑んだ。
え!戦うの?
でも、黒狼は一歩前に出た瞬間、動きを止めた。
そして、ゆっくりと頭を垂れた。
ひれ伏すように。
「……導く者を認めたんだ」
フーマの声が低く響く。
黒狼の背に、霧の光が降り注ぎ、毛並みが銀に染まっていく。
その姿は、まるで世界が祝福しているみたいだった。
僕は鞄をぎゅっと抱きしめた。
花模様がきらりと光り、葉っぱがひらりと増える。
――選択の時は、必ず来る。
時の精霊の声が、遠くで響いた気がした。
「……行こう」
ブランデットの声が、風を切った。
ブランデットは剣を手にブルが短剣を抜き、フーマが剣を手に、カーロ姉様が淡い光をまとって前に進む。
ルククが剣を握り、マルコが剣を構え、ケルビスが左手に短剣を右手に魔法陣を展開し、ケルメデスアールが剣を手に外套を翻す。
僕も、左手に短剣を右手に魔法陣を展開し一歩踏み出した。
霧が晴れ、光の階段を降り切ったとき、僕たちは、祠の前に立っていた。
静かな空気。石盤が眠る場所。
時の精霊が淡い光をまとい、祠の扉を照らしている。
本当に、着いたんだ。
僕は深く息をついた。胸がどくんと鳴る。
でも、その隣でブルが立ち尽くしていた。
黒い外套の影が震えている。
彼の瞳は、祠を見つめたまま、信じられないという色を浮かべていた。
「……嘘だろ」
低い声が、岩壁に落ちた。
「こんな……簡単に……」
ブルの拳が、わずかに震えている。
「俺は……何度も挑戦した。何度も……ここに来ようとした。でも、霧が晴れなかった。階段なんて、現れなかった」
僕は息を呑んだ。
度も挑戦して、たどり着けなかった?
ブルの声は、悔しさと驚きで震えていた。
「……導く者がいなければ、祠は閉ざされたままだ。俺には……その資格がなかったって事か…。」
その時、ブランデットが静かに言った。
「資格じゃない、ブル。これは……選択の流れ。あなたが一人で背負っていたものを、今はみんなで背負っている」
ブルは、ゆっくりと僕たちを見た。
その瞳に、深い影と、わずかな光が宿る。
「……そうか。俺は……一人だった。だから、世界に拒まれたんだ」
彼は低く笑った。
「お前たちが……導いたんだな」
僕は鞄をぎゅっと抱きしめた。
花模様がきらりと光り、葉っぱがひらりと増える。
風の精霊が舞い、炎の精霊が赤い線を描き、時の精霊が静かに笑っていた。
世界が、僕たちを選んだんだ。
「……ブル」
僕は小さな声で言った。
「一緒に、祠を開けよう」
その言葉に、ブルは深く頷いた。
「……ああ。今度こそ、娘を救う」
祠の扉が、淡い光をまとって静かに揺れた。
選択の時は、必ず来るその声が、遠くで響いた気がした。
祠の奥は、静かすぎて怖いくらいだった。
石盤が眠る部屋に足を踏み入れた瞬間、空気が重くなった。
ここで、雫石を生み出すんだ。
時の精霊が淡い光をまとい、僕を見ている。
『編め、時を。お前の心で』
その声が、胸の奥に響いた。
「……僕が?」
声が震える。
ブランデットが頷いた。
「メデル、できる。魔法袋を作ったときも、お前が中心だった」
カーロ姉様が優しく微笑む。
「あなたの魔力は、流れを感じる力。時を編むのは、その延長よ」
僕は石盤の前に立った。
古い陣が刻まれた黒い石。
触れた瞬間、冷たい感覚が指先から腕へ走った。
怖い。でも、やらなきゃ。
僕は深く息を吸い、目を閉じた。
その時、世界が変わった。
音が消え、光がゆっくり流れ始める。
時間が、糸みたいに見えた。
銀色の糸が無数に絡まり、空間を編んでいる。
『掴め、結べ、編み切れ』
時の精霊の声が、遠くで響く。
僕は手を伸ばした。
糸が指に触れた瞬間、胸がどくんと鳴った。
これが、時の流れ?
糸は冷たくて、でも優しい。
僕は一本、また一本と結び始める。
絆を思いながら。
ブランデットの笑顔、カーロ姉様の声、フーマの力強さ、ルククの元気、マルコの鋭さ、ケルビスの静かな決意、ケルメデスアールの重い誇り、ブルの娘への想い――全部を心に抱いて。
光が強くなった。
糸が編まれ、陣が輝き始める。
石盤が震え、淡い雫が生まれた。
雫石。
その瞬間、世界が音を取り戻し、仲間たちの歓声が遠くで響いた。
でもそこからが本当の試練だった。
石盤の陣を安定させるために、僕は時の糸を編み続けた。
一度結んだだけじゃ終わらない。
流れは乱れ、何度もほどけそうになる。
そのたびに、僕は糸を掴み、結び、編み直した。
二日…。祠の中は昼も夜もなく、ただ淡い光が揺れていた。
僕の指は震え、視界は霞み、頭の奥で鐘が鳴っているみたいだった。
「メデル、一旦休め!」
ブランデットの声が遠くで響く。
でも、僕は首を振った。
「……まだ駄目……終わってないの……」
声がかすれて、自分のものじゃないみたいだった。
その時、カーロ姉様が肩に手を置く。
「もう十分よ、メデル。あなたは……やり遂げたわぁ」
その声が、風みたいに優しくて僕の胸が、ふっと軽くなった。
糸が最後の光を放ち、陣が静かに閉じた。
雫石が淡く脈打ち、祠の空気が穏やかになる。
終わったんだ。
その瞬間、僕の膝が崩れた。
視界が暗くなる。
「メデル!」
誰かの声が響いたけど、もう遠い。
僕は鞄を抱きしめたまま、静かに倒れた。
最後に見えたのは、花模様がきらりと光り、葉っぱがひらりと増える光景。
精霊たちが、笑っていた。
僕、やったんだよね……?
その想いを胸に、意識が闇に溶けていった。
時の精霊が静かに頷いた。
『お前の心が、未来を編んだ』
僕はゆっくり目を開けた。
祠の光が淡く揺れていて、仲間たちの顔が見えた。
「メデル!」ブランデットお兄様が駆け寄ってきて、僕の肩を支える。
「よかった……目を覚ましたんだなカーロが大丈夫だと言っていたけど心配した。」
「……僕……どれくらい……?」
声がかすれて、自分のものじゃないみたいだった。
「二日だ。ずっと眠ってた」
二日……。僕は深く息をついて、胸がどくんと鳴った。
その時、僕の体がふっと軽くなったと思ったら
「……お腹すいた」
声が勝手に漏れた。
みんなが一瞬、きょとんとした後、笑い声が広がった。
「そりゃそうだろうな」ブランデットが苦笑する。
「二日も寝てたんだ。何か食べさせないと」
ルククがぱっと立ち上がる。
「僕、持ってきた干し肉あるよ!あと、甘い果実も!」
マルコが肩をすくめる。
「祠の中で宴会か……悪くないな」
フーマは低く笑った。
「食え。力を取り戻せ。まだ帰り道がある」
二日……。
僕は雫石を思い出した。
「……雫石……」
その言葉に、ブランデットが頷いた。
「ある。お前が編んだ力で、ちゃんと生まれた」
その時、時の小人たちがひょこっと現れた。
小さな体に、きらきら光る目。
『雫石の使い方、教えてあげるね!』
楽しそうな声が響く。
ブランデットが身を乗り出した。
「頼む」
小人は指を立てて、ちょっと偉そうに言った。
『湯を張って、雫石を入れるんだよ。それに毎日10分は浸かること。一年か、二年くらい続ければ、時の流れが整って命が保たれる』
僕は思わず目を見開いた。
「……そんなに長く?」
小人はくすっと笑った。
『時を編むって、簡単じゃないんだよ。お金もかかるね、湯を毎日だもん』
ブランデットが苦笑して肩をすくめる。
「……確かにな」
その時、ブルがゆっくり歩み寄った。
黒い外套の影が、祠の光に溶ける。
彼の手には、淡く光る雫石が握られていた。
その瞳は、深い影と強い決意を宿していた。
「……これで、娘を救えるんだな…。」
低い声が、祠の空気を震わせる。
「一年でも二年でも、俺はやる。金がかかろうが、命が削れようが、構わない…大丈夫だ!」
その言葉に、僕の胸がぎゅっと鳴った。
ブルは雫石を見つめ、静かに続けた。
「俺は何度も挑戦して、祠にたどり着けなかった。でも……お前たちが導いてくれた。感謝する」
その声は、岩より重く、風より深かった。
僕は鞄を抱きしめ、花模様がきらりと光るのを見た。
「……ブル、僕たちも手伝うよ。娘さんを救うまで!帰ろう!!」
その言葉に、ブルはわずかに笑った。
「……ああ。必ず救う」
時の精霊が、静かに祠の奥で光を揺らした。
『選択の時は、お前たちだ』
その声が、遠くで響いた気がした。
ブルの家に着いたとき、僕は思わず目を見開いた。
――大きい……。
外観は質素だけど、奥行きがあって、広い庭まである。
「商人って……やっぱりすごいんだな」
ルククが小声でつぶやくと、マルコが肩をすくめた。
「元Aランクだ。稼ぎ方を知ってるんだろ」
中に入ると、広い居間に暖炉があり、扉の奥には湯を張れる大きな木の浴槽があった。
ブルは無言で雫石を取り出し、湯にそっと落とす。
淡い光が水面に広がり、部屋全体が静かな銀色に染まった。
時の精霊の気配が、窓辺で揺れている。
少女ブルの娘ララは、細い体で眠っていた。
顔色は白く、息は浅い。
ブルは彼女を抱き上げ、湯衣のまま湯に浸す。
雫石の光が肌に溶け、銀の糸が体を包むように揺れた。
「……これで、時の流れが整う」
カーロ姉様が静かに言う。
『この子の場合毎日、一年続けるんだよ10日くらいで起きれるけど止めたらまた病状が進むから』
時の小人の声が軽やかに響く。
「…この子の場合毎日、一年続ける必要がある様だ10日くらいで起きれるけど止めたらまた病状が進むとの事だ…長いな」ブランデットが伝える。
「お金もかかるね」ルククがぽつりと呟いた。
ブルは首を振った。
「構わない。金なんて、命の前では塵だ」
その言葉に、僕の胸が熱くなった。
少女の指が、わずかに動いた。
ブルはその手を握り、低く呟く。
「必ず……守る。どんなに長くても、俺はやり遂げる」
その声は、岩より重く、風より深かった。
僕は鞄を抱きしめ、花模様がきらりと光るのを見た。
――世界を編む力は、こうして命をつなぐんだ。
時の精霊が、窓辺で淡い光を揺らした。
『選択の時は、必ず来る。未来を編むのは、お前たちだ』
その声が、遠くで響いた気がした。




