⑤神殿の対峙――風と土の記憶
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神殿の大広間には、重々しい空気が漂っていた。
魔術師団の長、帝国使節団、公爵家の兄弟たちが一堂に会し、メデルの魔力の扱いを巡って緊張が高まっていた。
「調和者の力は、国家の戦略資源だ。帝国の管理下に置くべきだ」
グラウス魔術師団長が冷たく言い放つ。
「王家の保護下に置くことで、秩序と安定が保たれる」
使節団の代表が続ける。
メデルは兄たちの間で怯えながらも、じっと耐えていた。
マル婆ちゃまは静かに彼を抱きしめ、兄ヴェルメールは剣の柄に手を添えたまま、怒りを抑えていた。
その時、スワロ公爵が一歩前に出た。
黄土色のローブが揺れ、銀縁の眼鏡の奥の瞳が鋭く光る。
「メデルは“力”ではない。彼は“心”だ。家族の絆の中で育まれた存在だ。帝国も魔術師団も、彼を“道具”として見るなら、我が家はその意志に抗う」
使節団の代表が眉をひそめる。
「公爵殿。あなたは感情に流されている。帝国の未来を見据えるべきでは?」
その瞬間、扉が開き、風がふわりと吹き抜けた。
現れたのは、帝国王太子――テラ・スボルト・フラクシス・ドン・ルト・ルビール・ベルセル。
「それ以上は言わせない」
ベルセルは、軽やかに歩み寄りながら、真剣な眼差しで使節団を見据えた。
「メデルは、帝国の道具ではない。彼は“調和者”であり、“家族”の中で生きるべき存在だ。
帝国の名を語って、彼の心を縛ることは、私が許さない」
その言葉に、コルベックはベルセルを見つめた。
瞳には、幼き日の学園の庭園で交わした約束がよみがえっていた。
――回想:学園の庭園
風が柔らかく吹き抜ける午後、学園の庭園では、二人の少年が木剣を手に向かい合っていた。
周囲は静かで、風が木々を揺らし、土の香りがほんのり漂っている。
「コル、構えが硬いよ!もっと、風の流れに乗るように!」
ベルセル皇子は、笑いながら木剣を軽く振る。
その動きは、陽気な雰囲気とは裏腹に、洗練された技術が垣間見える。
コルベックは眼鏡を押し上げながら、冷静に応じた。
「君はいつも“風”の話をするけど、僕は“土”の力を信じてる。地に足をつけて、動く方が安定するんだ」
「でもさ、風は自由だよ?縛られない。コルも、もっと自由に動いていいんだよ」
「…君は、自由を恐れないんだな。僕は、理論がないと不安になる」
ベルセルは木剣を下ろし、コルベックの隣に腰を下ろした。
「コルってさ、頭が良すぎて、いつも考えすぎてる気がする。もっと、感じてみてもいいんじゃない?」
コルベックは少し黙ってから、ぽつりと答えた。
「君といると、そう思える時がある。…不思議だよ」
ベルセルはにっこり笑った。
「それ、褒め言葉?だったら、僕も嬉しい」
しばらく沈黙が流れ、二人は空を見上げた。
雲がゆっくりと流れていく。
ベルセルは、少し真面目な顔でコルベックを見つめていた。
「コル、僕たち…いつか、離れ離れになるかもしれないよね」
コルベックは眼鏡の奥の瞳を細め、静かに頷いた。
「君は王子。僕は公爵家の子。立場が違えば、道も違う。…でも、それがすべてじゃない」
ベルセルは、懐から小さな布袋を取り出した。中には、彼が自分で彫った小さな木の紋章が入っていた。
「これ、僕が作ったんだ。風の紋章。君の土の紋章と合わせたら、きっと強くなる」
コルベックは驚いたようにそれを受け取り、懐から自分の土の紋章を取り出した。
「…君は...ありがとう、ベルセル」
ベルセルは少し照れながら言った。
「僕たちが別々の場所にいても、この紋章を持っていれば、繋がってるって思えるでしょ?」
コルベックは、しばらく黙ってから、そっと手を差し出した。
「じゃあ、約束しよう。風と土が交わるように、僕たちも、どんな時でも“話せる”関係でいよう」
ベルセルはその手を握り返し、力強く言った。
「うん。僕が風なら、コルは土。違うけど、支え合える。…僕は...」
コルベックは少し目を伏せてから、静かに微笑んだ。
「君の側は心地いい。…この約束、誰にも言わない。僕たちだけの秘密だ」
二人は、紋章を交換し、胸元にしまった。
その瞬間、風がふわりと吹き抜け、足元の土が柔らかく包み込むように感じられた。
それは、幼き日の純粋な誓い。そして後にそれぞれの道を歩むことになる二人にとって、かけがえのない記憶となった。
神殿の大広間。
コルベックは静かに言った。
「…君は、変わらないな。風のように自由で、でも芯は揺るがない」
ベルセルは微笑みながら答えた。
「コル。僕は、君と交わした約束を忘れていない。風と土が交わるように、僕たちも支え合えると」
コルベックは懐から、古びた木の紋章を取り出した。
「この紋章を、君から受け取った日を、僕は忘れていない。君が風なら、僕は土。違うけれど、君の言葉は、いつも僕の理論を超えてくる」
ベルセルは、胸元から土の紋章を取り出し、そっとコルベックの手に重ねた。
「僕たちは、違うからこそ、繋がれる。メデルもそうだ。彼の力は、属性を超えている。だからこそ、縛ってはいけない」
コルベックは目を細め、静かに言った。
「君がそう言うなら、僕は信じる。…いや、君だからこそ、信じられる。君は、帝国の王太子である前に、僕の“友”だ。そして、風と土の誓いを交わした者だ」
ベルセルは、少し照れたように笑った。
「コル…君がそう言ってくれるなら、僕は何だってできる気がするよ」
コルベックとベルセルが並び立ち、メデルの前に立ったその瞬間――
空気が変わった。
メデルは、そっとコルベックの手に触れた。
その手には、風の紋章と土の紋章が重なっていた。
「おじちゃま…風しゃんと土しゃんが、いっしょに笑ってるでしゅ…」
メデルの声は、幼いながらも澄んでいて、神殿の空気を震わせた。
すると、紋章が淡く光り始めた。
風の紋章は、柔らかな青白い光を放ち、土の紋章は、温かみのある黄金色に輝いた。
二つの光が重なり、メデルの掌から、虹のような魔力の波が広がっていく。
その魔力は、神殿の床に刻まれた古代の魔法陣に触れ、静かに共鳴した。
空気が震え、天井の精霊石が淡く光り始める。
魔術師団長が、驚愕の表情を浮かべた。
「これは…属性を超えた調和…いや、理論を超えた“共鳴”だ…!」
使節団の代表も、思わず一歩後退した。
「こんな魔力の反応は、記録にない…まさか、紋章が…?」
コルベックは静かに言った。
「これは、理論では説明できない。これは“絆”の力だ。風と土が交わり、命が応える。
メデルは、我々の“約束”に応えたのだ」
ベルセルは、メデルの頭に手を置き、優しく微笑んだ。
「君は、僕たちの“未来”だ。誰にも縛られない、自由な命だ」
魔術師団長は、しばらく沈黙した後、深く頭を下げた。
「…我々は、調和者の力を“管理”するのではなく、“理解”するべきだった。公爵殿、王太子殿下…我々は、メデルの意思を尊重する」
使節団の代表も、静かに頷いた。
「帝国としても、彼を“守る”立場に立ちます。王家の名ではなく、信頼の名の下に」
リュスクマテルテスは、そっとメデルを抱きしめながら言った。
「メデル様は神の子。皆を繋ぐ存在になります」
そして、神殿の大広間には、静かな光が満ちていた。
それは、信頼の誓いが、生きていることを証明する光だった。
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精霊と小人の記憶 ―
神殿の大広間に静寂が戻った後、リュスクマテルテスはふと空を見上げ、静かに呟いた。
「かつて、この神殿には、風の精霊が舞い、土の小人が歩いていた。彼らは、魔力の流れを整え、子どもたちの成長を見守っていた。だが今――その姿を見られる者は、ほとんどいない」
セレナ補佐官が、驚いたように言った。
「精霊が…減っているのですか?」
リュスクは頷いた。
「魔力が“力”として扱われるようになってから、精霊たちは姿を隠した。小人たちも、魔力の乱れに耐えられず、土に還っていった。今、彼らを“感じる”ことができるのは、ほんの一握りの者だけだ」
リュスクは、そっとメデルの背に手を添えながら言った。
「メデル様は、感じておられます。風の声、土の温もり、小人たちの足音。それは、魔力ではなく“心”で繋がっているからです」
コルベックが静かに言った。
「理論では、精霊も小人も“存在しない”とされている。だが、メデルの魔力は、理論を超えている。
彼の“ありがとう”が、彼らを呼び戻しているのだ」
ベルセルは、懐から風の紋章を取り出し、そっとメデルの手に重ねた。
「風は、自由で繊細。土は、安定と記憶。精霊と小人は、その間に生きている。メデルは、その“間”に立つ者――調和者だ」
メデルは、にこにこしながら言った。
「風しゃん、土しゃん、小人しゃん…みんな、ここにいるでしゅ。
メデル、ちゃんと“スー”って感じてるでしゅ!」
その言葉に、神殿の空気がふわりと揺れた。
天井の精霊石が、微かに震え、淡い光を放つ。
それは、忘れられた存在たちが、再び目覚めようとしている兆しだった。




