㊺旅―冒険者(ちびっこ執事他)25
家族の前進。
マテルは王城の大理石の廊下を小さな靴音を響かせながら、きょろきょろと周囲を見回していた。
広い……どこまで続いてるんだろう。
父と母が話していた「元公爵家の館」よりも、ずっと大きい。
その時、背筋を伸ばした長身の男が静かに歩いてきた。
黒い燕尾服に白手袋、動きは無駄がなく、まるで絵画から抜け出したような完璧さ。
マテルは息を呑んだ。
かっこいい……!
男はマテルに気づき、柔らかく微笑んだ。
「坊ちゃま、迷子ですか?」
「ぼ、坊ちゃまじゃないです! 僕、マテルです!」
「そうですか。では、マテル様。こちらへどうぞ」
その声は落ち着いていて、どこか優しい。
マテルは思わず後ろをついて歩いた。
この人……スワロ公爵の執事、リバルセルマーズさんだ。
父が話していた“家族を守る影”の人。
歩き方ひとつで、こんなにかっこいいなんて……僕も、こうなりたい。
「僕もリバルセルマーズさんになりたいです!」
思わず口にした言葉に、リバルセルマーズは一瞬驚き、そして笑った。
「私ですか?…執事って事でしょうか(笑)。…では、まずは歩き方からですね」
その笑顔に、マテルの胸は高鳴った。
こうして、マテルの“憧れ”が始まった。
朝の王城前。
白い石畳に朝日が反射し、スワロ公爵の馬車が陽光を浴びて輝いていた。
リバルセルマーズは荷物の確認を終え、深呼吸をした瞬間、小さな靴音が近づく。
……来たな。
振り返ると、マテルがきらきらした目で立っていた。
「おはようございます♪リバルセルマーズさん、今日も公爵様と一緒に登城して来たの?」
「はい、おはようございます。公爵様をお送りして、館に戻るところでございます」
「じゃあ僕も行く!」
「えっ……?」
リバルセルマーズの眉がわずかに動いた。
「マテル様、それは……。」
「大丈夫!お母さんに言ってきたから!」
そう言うや否や、マテルは御者台の横によじ登り、ひょいと座った。
「僕知ってる!見習いはここに座るんでしょ!僕、良い子!」
御者は目を丸くして笑った。
「坊ちゃん、落ちないでくださいよ!」
マテルは胸を張って答える。
「大丈夫だよ!」
その無邪気な声に、馬車から降りたスワロ公爵が笑い声を漏らした。
「面白い子だな。リバルセルマーズ、乗せてやれ。今日一日共にしなさい。夕刻に迎えに来てくれ」
リバルセルマーズは心の中で叫んだ。
――ええええ!!公爵様、簡単に許可しないでください……!教育係に任命される未来が見える……!
「承知いたしました。…マテル様、帰りは馬車の中に座りますがマテル様も中に座られますか?」
息をつきながら確認する。
「え!僕はココで良いです。中は駄目だってお母さん言ってた。あと、僕に“様”はいらないです!」
「……承知いたしました。では、マテル、落ちないようにお願いしますね」
「はーい!」
マテルは元気に返事をし、手綱を握ろうとする。
御者は驚き真面目に言う。
「坊ちゃん、手綱は駄目です!」
マテルは口をすぼめ「はーい」と答える。
リバルセルマーズはそっと目を手で押さえ、深いため息をついた。
――この子、本当に執事になる気だな…未来の公爵様。
その背中を見て、彼は少しだけ笑みがこぼれた。
公爵家館に到着後、リバルセルマーズは馬車を降り、荷物を抱えて館の玄関へ向かう。
その背後で、小さな靴音がぴたりとついてくる。
振り返ると、マテルが胸を張って立っていた。
「ここが公爵様のおうち? すごい!」
「はい、スワロ公爵館でございます。マテル、ここからは……。」
「僕も入る!」
「……承知いたしました」
リバルセルマーズは深いため息をつきながら、玄関を開ける。
館の中は高い天井にシャンデリアが輝き、赤い絨毯が長く伸びている。
マテルは目を輝かせて、リバルセルマーズの後ろをぴたりと追いかける。
「これ、掃除するんでしょ? 僕、手伝えるよ!」
「マテル様、これは執事の仕事でございます」
「だから僕、執事になるんだもん!」
リバルセルマーズは心の中で叫んだ。
コルベック様どうしましょう……!
その後も、マテルは廊下を歩くリバルセルマーズの後ろをちょこちょことついて回り、
「これは何?」「この部屋は誰の?」と質問攻め。
リバルセルマーズは答えながら、ふと笑みをこぼした。
リバルセルマーズは、マテルの大きな瞳に宿る光を見て、胸の奥で何かが動いた。
――この子は、ただの好奇心ではない。本気で学ぼうとしている。
「マテル様、執事とは掃除をする者ではございません」
歩みを止め、振り返ったリバルセルマーズの声は、いつになく厳かだった。
「執事とは、主を守り、館を守り、誇りを守る者です」
マテルはきょとんとした顔をしたが、すぐに胸を張った。
「守るって、剣で?」
「剣ではなく、心でございます」
リバルセルマーズは微笑み、絨毯の端を指差した。
「まずは、ここを整えてみましょう。小さなことから始めるのです」
マテルは小さな手で絨毯を丁寧に直し、顔を上げた。
「できた!」
「ええ、立派な仕事です」
その瞬間、リバルセルマーズの胸に温かなものが広がった。
――この子に、教えてみよう。本気で。
「では、マテル様。執事修行、始めましょう」
リバルセルマーズは、マテルの小さな手が絨毯を整える様子を見つめながら、静かに言葉を続けた。
「執事の務めは、目に見えるものだけではございません。心を尽くし、誰よりも先に気づくこと。それが、主を守る第一歩です」
マテルは真剣な顔で頷き、きらきらした瞳で問いかける。
「じゃあ、僕も気づけるようになる?」
「ええ、努力すれば必ず」
その答えに、マテルの胸は高鳴った。
廊下を進む二人の足音が響く中、リバルセルマーズは次の課題を示した。
「では、クロークの靴を揃えてみましょう。乱れは心の乱れと同じです」
マテルは小さな靴を一足ずつ丁寧に並べ、顔を上げる。
「できた!」
「素晴らしい。執事の道は、こうした積み重ねでございます」
その言葉に、マテルの笑顔がぱっと咲いた。
リバルセルマーズはふと、胸の奥に芽生えた感情に気づく。
――この子に教えることは、私自身を磨くことにもなる。
「マテル、今日からあなたは私の見習いです」
その宣言に、マテルは飛び跳ねるように喜び、声を弾ませた。
「やった!僕、絶対立派な執事になる!」
広い館に響く笑い声は、未来への扉を開く音のようだった。
玄関ホールに笑い声が響いたそのとき、階段の上からゆったりとした足音が降りてきた。
コクベックが姿を現し、腕を組んで二人を見下ろす。
「リバルセル、何をしているんだ?」
その声に、リバルセルマーズは背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
「コクベック様、マテルが執事修行を始めたいと仰せで……公爵様が許可されました。」
コクベックは一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。
「ははは(笑)、面白い。未来の執事か、それとも未来の公爵か?」
マテルは胸を張って答える。
「僕、どっちもなる!」
その言葉に、コクベックはさらに笑みを深めた。
そこへ、廊下の奥からルククが駆けてきた。
「マテル!? 何やってんだよ!」
兄の驚きに、マテルは得意げに言う。
「僕、執事になるんだ!リバルセルマーズさんが教えてくれるのー!」
ルククは目を丸くし、リバルセルマーズに視線を向ける。
「……本気で?」
「ええ、マテルの覚悟は本物でございます」
その厳かな声に、ルククは頭を抱えた。
「お母さんに怒られるぞ……」
さらに奥から、コクベックの長女エリザマールが現れ、微笑を浮かべる。
「まあ、可愛い弟子ね。リバルセル、しっかり鍛えてあげて」
その言葉に、リバルセルマーズは心の中で叫んだ。
――鍛える? ええ、鍛えますとも……!
こうして、館の空気は笑いと温もりに包まれ、師弟関係の始まりは家族の視線に見守られながら、静かに幕を開けた。
そのとき、奥のサロンからリバルセルマーズの父リムリムマーズがゆったりと現れた。
「何やら楽しそうだな」
低い声に、全員が振り向く。リムリムマーズはマテルの小さな背筋がぴんと伸びているのを見て、目を細めた。
「リバルセル、弟子を取ったのか?」
「はい、公爵様が許可されました。マテルが強い覚悟をお持ちで……」
リバルセルマーズは必死に言葉を選んだが、リムリムマーズは朗らかに笑った。
「良いではないか。執事の誇りを学ぶのは、誰にとっても価値あることだ」
その言葉に、マテルは胸を張り、声を弾ませた。
「僕、絶対立派になる!」
リムリムマーズは頷き、コクベックに視線を送る。
「テティソ様の子は、面白いな」
コクベックは肩をすくめ、笑みを浮かべた。
「血筋だろうな。好奇心と負けん気はベルセル王子にそっくりだ(笑)、家族の証だ」
そこへ、コクベックの次女ココリスが優雅に歩み寄り、マテルの頭を撫でる。
「あら、可愛い見習いね。制服を作らなきゃ」
「えっ、制服!?」
マテルの目がさらに輝き、ルククは頭を抱えた。
「やめて下さい、ほんとにやる気になります!」
そのやり取りに、皆声を上げて笑い、館の空気は一層明るくなった。
賑やかな声に誘われて、廊下の奥から小さな足音が二つ近づいてきた。
「何してるの?」
先に顔を出したのはブランデット、その後ろにメデルがちょこんと立っている。二人とも目を丸くして、絨毯の端を整えるマテルを見つめた。
「僕、執事になるんだ!」
マテルは胸を張って宣言する。
「えええ!? 執事って、あのリバルセルマーズさんみたいに?」
ブランデットが驚き、メデルはきらきらした目で言った。
「すごい!じゃあ、僕もやる!」
マテルはくるりと振り返り、伝える。
「僕が、一番弟子だからね!」
「えっ?」ブランデットが首をかしげる。
「だって、メデルたちとお兄ちゃんは、また旅に出るでしょ?だから僕がここで頑張るんだ!」
その言葉に、メデルはぱちぱちと瞬きをしてから、ふわりと笑った。
「すごいね、マテル。じゃあ、僕が帰ってきたら執事の先生になってね」
「うん!絶対なる!」
マテルの声は館中に響き、リバルセルマーズは思わず目を細めた。
――この子、本当に未来を見ている。小さな背中に、大きな決意がある。
コクベックは腕を組んだまま、にやりと笑う。
「いい心意気だ。旅に出るメデル達や兄に負けないくらい、ここで学べ」
その言葉に、マテルはさらに胸を張り、リバルセルマーズの横にぴたりと立った。
「師匠、次は何をするの?」
リバルセルマーズは深呼吸し、静かに答えた。
「では、礼儀作法から始めましょう。一番弟子にふさわしい所作を」
マテルの目がきらりと光り、ブランデットとメデルは顔を見合わせて笑った。
エリザマールは楽しげに手を打ち、ココリスは「制服三着ね」と冗談を言う。
ルククは頭を抱えながらも、どこか誇らしげな顔をしていた。
こうして、館の広いホールは笑い声で満ち、旅立つ者と残る者、それぞれの未来への第一歩が、館の温かな空気の中で重なり合った。
……
城の大食堂の扉をくぐり抜けた瞬間、テテは目を見張った。
高い天井に吊るされたシャンデリアが昼の光を反射し、銀の食器がきらめいている。
香ばしい肉とハーブの匂いが漂い、昔と変わらぬ活気が広がっていた。
「テテじゃないか!」
背後から声が飛び、振り向くと昔の同僚ミーナが皿を抱えて駆け寄ってくる。
「久しぶりだねぇ!……って、あんた、28年前と全然変わってないじゃないの!」
テテは目を丸くした。
「えぇ?そんなことないわよ、しわも増えたし……」
「増えたって言っても、髪も艶々だし、背筋ピンだし!うちの若い子より元気じゃない!何食べて生きてきたのよ?若返りの魔法?」
テテは笑って肩をすくめた。
「肉とパンと、孫の心配ばっかりよ!」
「孫?見てるのかい?」
テテは少し声を震わせながら答えた。
「孫は手を離れたわぁ……マテルはもう6歳、上の子のルククは冒険に行っちゃったし……」
ミーナは腰に手を当てて豪快に笑った。
「じゃあ働きな!孫見ないなら皿見な!」
「えぇっ……」
「ほら、手は覚えてるだろ?あんたの給仕、早くて丁寧で評判だったんだよ!」
テテは思わず笑った。
そうだねぇ、家でじっとしてるより、ここで働いた方がいいかもしれない。
「じゃあ……仕事してみようかな、夫に確認するわぁ」
ミーナは満面の笑みで肩を叩いた。
「よし、決まり!今、私ここで責任者補佐やってるの(笑)。人が居ないから明日からお願い!旦那は元青騎士だし身元もバッチリ!」
その声に、テテの胸に小さな灯がともった。家族が前に進んでるなら、あたしも前に進まなきゃねぇ。
テテの初仕事
翌朝、テテは胸の奥に小さな緊張を抱えながら、大食堂の扉をくぐり抜けた。
ここは昔の食堂とは違う。広さも、匂いも、流れる空気も。
目に飛び込んできたのは、磨き上げられた長卓と、天井から吊るされた豪華なシャンデリア。昔働いていた食堂は、もっと素朴で木の温もりがあった。ここはまるで別世界だ。
「テテさん、こっち!」
ミーナが笑顔で手を振る。その声に背中を押され、テテは給仕台へ歩み寄った。
「10番から30番のテーブル担当ね!まずはパンとスープを運んで!」
「はいはい……」
トレイを手に取った瞬間、テテは昔の記憶がよみがえる。木製のトレイ、素焼きの皿、湯気の立つシチュー……あの頃は、客と顔を合わせれば世間話が始まった。
でも今は違う。銀の皿、透き通るガラスの器、そして客の視線は冷ややかだ。
ここじゃ、笑顔だけじゃ通じないのねぇ。
テテは深呼吸して、パン籠とスープ皿を載せる。足を踏み出した瞬間。
「きゃっ!」
少年が走り抜け、トレイが傾いた。だが、テテの手は昔の感覚を覚えていた。反射的に角度を変え、スープをこぼさず受け止める。
「おっとっと……!」
周囲から「おお!」と歓声が上がり、テテは苦笑した。
違う食堂でも、体は覚えてるじゃないの。
席に着いた客にスープを差し出すと、昔の癖が自然に戻ってくる。
「お待たせしました、熱いのでお気をつけてくださいねぇ」
その声に、士官の老紳士が目を細めた。
「見覚えが……君、塀の側の食堂で働いていたかね?」
「ええ、28年前ですがねぇ。ずいぶん昔ですが孫の手が離れたのでまた働きはじめました(笑)、給仕は好きなの。(笑)またよろしくお願いします。」
テテは照れ笑いしながら、次のテーブルへと足を運ぶ。
昼前には、パンの追加、肉料理の配膳、ワインの注ぎ……忙しさの波が押し寄せる。だが、テテの動きは軽やかだった。
「テテはやっぱり、早いねぇ!」
ミーナが感心して声をかけると、テテは肩で息をしながら笑った。
「昔の食堂で鍛えられたのよ!あっちは狭いけど、客の注文は早かったんだから!」
二人の笑い声が、食堂の喧騒に溶けていった。
違う場所でも、あたしはやれるわぁ。
テテは心の中でそう呟き、次の皿を手に取った。
給仕の合間、テテはパン籠を片付けるために厨房へ足を踏み入れた。
熱気、鉄鍋の音、ハーブの香り……懐かしい。
昔働いていたのは、城の塀の側にある小さな食堂だった。木の梁がむき出しで、窓から差し込む光が床に模様を描いていた。客は兵士や職人ばかりで、笑い声と酒の匂いが絶えなかった。
あの頃は、給仕の手を止めれば、誰かが冗談を飛ばしてきたっけ。
その瞬間、奥から低い声が響いた。
「……テテ?」
振り向くと、白いコック帽をかぶった男が立っていた。髪に白いものが混じり、顔には深い皺。だが、その眼差しは昔と変わらない。
「料理長……!」
テテの胸に驚きと喜びが同時に広がった。
「まさか、ここで会うとはな。塀の側の食堂で一緒だった給仕頭が、また戻ってくるとは」
料理長は笑い、手にした包丁を軽く振った。
「お前の動き、遠目で見てたが、まだ衰えてないな」
テテは照れ笑いしながら、手を拭いた。
「昔の食堂とは違うけど……やっぱり、体が覚えてるのねぇ」
その時、料理長が後ろを振り返り、声を張った。
「おい、新人!こっち来い!」
現れたのは、栗色の髪を後ろで束ね、腰には小さな剣を下げた女性。背筋はまっすぐ、動きはしなやかで力強い。コック服の袖をまくり上げた腕には、冒険者時代の傷跡が残っている。
「紹介する。今日から厨房に入った新人だ」
テテは何気なく顔を覗き込み笑った。
「……マルデージ(笑)……!」
女性の瞳がテテを見つめ、ぱっと笑顔になった。
「(笑)お母さん!」
料理長が目を丸くした。
「なに?お前ら、親子なのか?」
テテは笑いながら言った。
「ええ、そうよ。まさかマルデージがここで働いてるなんてねぇ食堂って城の食堂なのね!!……」
料理長は豪快に笑い、肩を叩いた。
「じゃあ親子でこの厨房を盛り上げてもらうぞ!マルデージ、お前の腕も見せてもらうからな!」
マルデージは胸を張り、力強く頷いた。
「任せろ(笑)、料理長!肉の解体も、剣より早くやってみせます(笑)!」
その言葉に、厨房の若い料理人たちがざわめいた。
格好良い……。
テテは胸の奥で誇らしさを感じながら、笑顔を浮かべた。
熱気と笑い声が、厨房に広がった。
夕暮れ、大食堂の喧騒が静まり、テテは給仕台の布を整えながら深く息をついた。
久しぶりの仕事、疲れたけど……楽しかったわぁ。
その時、厨房の扉が開き、青い外套を羽織った男が姿を現した。
「テテ、様子を見に来た」
低く落ち着いた声――デジルだ。元青騎士の威厳をまといながら、今はただの夫として微笑んでいる。
「デジル……!」
テテは思わず駆け寄り、笑った。
「迎えに来たよ。初仕事、どうだった?」
テテは笑って肩をすくめた。
「もう、足が棒よ。でもねぇ……楽しかったの。昔の感覚が戻ってきて、あたし、まだやれるって思えたわ」
デジルは目を細め、ゆっくり頷いた。
「そうか……よかった。君が笑ってるなら、それが一番だ」
テテは少し声を弾ませた。
「それにねぇ、驚いたのよ!マルデージがココの厨房で働いてたの!」
デジルの目が丸くなる。
「えっ……食堂の仕事ってお城の大食堂?よく受かったな…豪快で大雑把なマルデージが…。」
「そうみたい。『肉の解体は剣より早くやる』って豪快に笑ってたわぁ。笑ったわ……」
デジルはふっと笑い、包みを差し出した。
「じゃあ、帰ったら聞こう(笑)後、今日は君にご褒美だ。甘いパン、好きだろ?」
テテは包みを受け取り、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
二人の笑い声が、夕暮れの廊下に静かに響いた。
……
明けた日、王城の訓練場は、鋼の剣が打ち合う音と、若い騎士たちの掛け声で満ちていた。
デジルはその光景を静かに見つめていた。
昔は俺も、ここで剣を振るっていたな……。
青騎士として帝国を守った日々が、遠い記憶のように蘇る。
「デジル殿」
低く響く声に振り向くと、そこには元青騎士団長が立っていた。
白銀の鎧に身を包み、鋭い眼差しを持つ男。その存在感は、場の空気を一瞬で引き締める。
「久しいな。噂は聞いている……青騎士の剣は、まだ錆びていないと」
デジルは苦笑した。
「錆びてはいませんが、昔ほど速くは動けませんよ」
元団長はわずかに口元を緩めた。
「速さではなく、教えだ。若い騎士たちに、剣と心を伝えてほしい」
「……私に、指導を?」
「そうだ。私は老いただが、帝国は今、騎士の魂を必要としている。お前の剣は、ただの技ではない……生き方そのものだ。」
その言葉に、デジルの胸に熱が灯った。
もう剣を振るうことはないと思っていた。だが、教えることなら……。
「わかりました。私にできる限りを尽くしましょう」
元団長は力強く頷いた。
「期待している、デジル殿」
訓練場に響く剣戟の音が、再び彼の心を震わせた。
家族が前に進んでいるなら、俺も前に進む時だ。
デジルの初指導。
訓練場の空気は熱気に満ちていた。鋼の剣が打ち合う音が乾いた空に響き、若い騎士たちの掛け声が土埃を震わせる。汗の匂い、革鎧のきしむ音、遠くで馬の嘶き……帝国の心臓部が脈打っているようだった。
デジルは中央に立ち、静かに剣を抜いた。
この感覚、何年ぶりだろう。剣を握る手が、まだ震えないのは幸いだ。
「静まれ!」
元団長の声が鋭く響き、場のざわめきが止む。
「今日から、この男が剣を教える。青騎士として帝国を守った、デジル殿だ」
若者たちの視線が一斉に集まる。尊敬と緊張、そして好奇心が入り混じった眼差し。デジルは深く息を吸い、声を張った。
「剣は、力で振るうものじゃない」
その言葉に、若者たちの眉が動く。
「速さでもない。剣は……心だ。迷えば遅くなる。恐れれば鈍る。怒りに任せれば折れる」
彼の声は低く、しかし確かに響いた。土埃の中で、若者たちが息を呑む。
デジルは一歩前に出て、木剣を手にした少年を指名した。
「君、構えろ」
少年がぎこちなく剣を構える。肩に力が入りすぎている。デジルはその前に立ち、静かに剣を下げた。
「まず、呼吸を整えろ。剣を握る前に、心を握れ」
少年が深呼吸すると、デジルは微笑んだ。
「よし、打ってこい」
少年の剣が振り下ろされる瞬間、デジルの剣が軽く触れただけで、その動きを止めた。
「力じゃない。流れを読むんだ」
デジルは剣を返し、少年の肩に軽く当てる。
「剣は相手を倒すためじゃない。守るためにある。仲間を、帝国を、そして自分の誇りを」
その言葉に、訓練場の空気が変わった。若者たちの目が輝き、剣を握る手に力が宿る。元団長が遠くで頷き、わずかに笑みを浮かべる。
まだ、俺の剣は生きている。
デジルは胸の奥でそう呟き、次の騎士を呼んだ。
剣戟の音が響く訓練場で、デジルは若い騎士たちに剣を教えていた。
「剣は力じゃない。受け流せ――」
その言葉を口にした瞬間、背後から低い笑い声が聞こえた。
「相変わらず固いな、デジル」
振り向くと、そこに立っていたのは、かつて共に戦場を駆けた仲間たちだった。
青騎士団の元副長で今は伯爵となった男、片腕に古傷を抱えた子爵、そして引退した騎士たち。鎧ではなく軽装だが、その眼光は昔と変わらない。
「お前ら……!」
デジルの胸に熱が走る。
「噂を聞いてな。お前が剣を教えてるって。俺たちも少し体を動かしたくなった」
伯爵が笑いながら木剣を手に取る。
「若い連中に、昔の青騎士の剣を見せてやろうじゃないか」
訓練場がざわめく。若い騎士たちが目を輝かせ、元団長が静かに頷いた。
「いいだろう。今日は特別だ。青騎士の魂を、若者に刻み込め」
次の瞬間、木剣が打ち合う音が再び響き渡った。
デジルと伯爵が構え合い、互いに笑みを浮かべる。
「昔みたいに、手加減はしないぞ」
「望むところだ」
剣が交わるたび、土埃が舞い、若い騎士たちの歓声が上がる。
木剣が交わる音が訓練場に鋭く響いた。
デジルと伯爵が一歩踏み込み、互いの剣が火花を散らすようにぶつかる。土埃が舞い、若い騎士たちが息を呑んだ。
「まだ腕は鈍ってないな!」伯爵が笑う。
「お前こそ、貴族の椅子に座ってる割に動けるじゃないか!」デジルが応じる。
次の瞬間、伯爵の剣が横薙ぎに走る。デジルは体をひねり、受け流しながら逆に踏み込んだ。木剣が伯爵の肩をかすめる。
「ほう、まだ速い!」伯爵が目を細める。
その背後で、片腕の子爵が笑いながら声を上げた。
「俺も混ぜろ!」
彼が木剣を構え、二人の間に割って入る。三本の剣が交錯し、乾いた音が連続して響く。
「三人でやるか!」デジルが笑みを浮かべる。
「昔みたいに、背中は預けるなよ!」子爵が冗談めかして言う。
若い騎士たちは目を輝かせ、歓声を上げる。
「すげぇ……これが青騎士団……!」
剣戟の音が重なり、土埃が陽光に舞う。デジルの額に汗が流れ、胸の奥が熱くなる。
これだ。この感覚。この仲間たちと剣を交える瞬間が、俺の血を熱くする。
最後に、デジルが一歩踏み込み、伯爵の剣を受け流して子爵の剣を弾いた。三人が同時に笑い、剣を下ろす。
「まだまだやれるな、デジル!」
「お前らもな!」
その笑い声に、訓練場の空気が震えた。
デジルは心の奥で呟いた。
俺たちも前に進む時だ。
……
王都の朝は、ガルバトリアの町とは違う。石畳を踏む馬車の音、鐘楼から響く時刻の鐘、遠くに見える白い城壁……そのすべてが、テティソの胸に重く、そして少し誇らしく響いていた。
「ここが……俺たちの新しい家か」
目の前に広がるのは、王城近くの石造りの館。広い庭に陽光が差し込み、子供たちの笑い声が弾む。マテルが駆け回り、ルククは剣を振る真似をしている。
テティソはその光景を見つめながら、胸の奥で複雑な感情が渦巻いていた。
俺は、王の子として捨てられた。魔力がないと誤解され、森に置き去りにされた。
その記憶は、まだ消えない。だが今、目の前には家族がいる。妻のマルデージが豪快に笑いながら荷物を運び、母テテが子供たちに声をかけている。
「テティソ、こっち手伝って!」
マルデージの声に、テティソは我に返った。
「はい!」
彼は荷物を抱えながら、ふと空を見上げる。王城の塔が遠くにそびえ、その先に過去の影がある。だが、今は違う。
俺はもう、捨てられた子じゃない。守るものがある。家族だ。
胸の奥に、静かな決意が灯った。
「ここで……やり直すんだ」
その呟きは誰にも聞こえなかったが、テティソの心に深く刻まれた。
兄ベルセルが用意した王都の館の窓辺で、テティソは深いため息をついていた。
「残るか……解らない……。」
その言葉を胸の奥で繰り返す。
残れば、血筋のことがまた騒がれる。魔力のことも……隠しきれないかもしれない。
指先がわずかに熱を帯びる感覚に、彼は気づかないふりをした。
その時、ドアが勢いよく開いた。
「ただいまー!」
マルデージの声は、まるで戦場から勝利を持ち帰った戦士のように明るい。
両腕には食材の袋、腰には新しいエプロンがぶら下がっている。
「城の食堂でコックの仕事、決めてきたよ!」
テティソは目を瞬いた。
「……え?」
「え、じゃないよ! これで食うには困らない!」
マルデージは笑顔で袋をテーブルに置き、腰に手を当てた。
「アンタ、この屋敷に来るって決めたのにまだ悩んでるんだろ? 残るかどうかって」
「……ああ」
「じゃあ残るんだよ!」
「いや、まだ――」
「決めた! あたしが仕事決めたんだから、アンタも覚悟決めな!」
テティソは言葉を失った。
残るかどうか、まだ決めていないのに。
だが、マルデージの笑顔は、迷いを吹き飛ばすほど豪快だった。
「悩む暇があったら肉焼け! 陰謀なんて塩ふっときゃ味変わるんだよ!」
「……そんなこと言うの、マルデージくらいだよ(笑)」
「あたしくらいじゃなきゃ、アンタの悩みなんて焼けないだろ(笑)。ルククは旅に出るんだろ?マテルなんてスワロ公爵の執事リバルセルマーズさんに憧れて、後ろをちょこちょこついて歩いてるんだよ! 母さんは大食堂で昔の同僚に『孫見ないなら働きな!』って言われて、給仕で働くことにしたし、父さんは元青騎士団長から『指導頼む』ってスカウトされてたよ!」
マルデージは両手を広げて笑った。
「みんな前に進んでるんだよ! アンタだけだよ、窓辺でため息ついてるの!悩みはミンチにしてハンバーグにしちまえ!」
「……ハンバーグって(笑)…そうかもしれないね…。」
テティソは思わず笑った。
その瞬間、体の奥に温かな光が灯った。
指先に微かな輝きが走る――決意の予兆。
不安は消えない。だが、この人と、この家族となら――残る未来も悪くないかもしれない。
王城の回廊は静かだった。
遠くで鐘の音が響き、夕陽が赤く石壁を染めている。
テティソは深く息を吐き、胸の奥のざわめきを押さえようとしていた。
俺にできるのか?女王の補佐なんて……。
その時、背後から落ち着いた声が届いた。
「テティソ」
振り向くと、兄ベルセルが立っていた。白銀の紋章を刻んだ外套をまとい、その眼差しは昔と変わらず鋭く、しかし温かい。
「兄さん……」
「迷っているな」
ベルセルは歩み寄り、窓辺に視線を向けた。
「帝国は今、均衡を失いかけている。リクセルが即位したが、まだ若い。支える者が必要だ」
テティソは拳を握った。
「俺は……ブランデットとメデルが癒してくれた魔力もまだ少ないし、王族として捨てられた身で。補佐なんて……」
「違う」
ベルセルの声が低く響く。
「お前は、誰よりも人を見てきた。町で、家族で、仲間で。魔力じゃない。帝国を支えるのは心だ」
その言葉に、テティソの胸に熱が灯った。
俺にしかできないことがあるのか……。
ベルセルは肩に手を置き、静かに言った。
「リクセルを守れ。お前ならできる。俺も共に居る。」
テティソは深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。俺も前に進む。リクセルを支えるために」
ベルセルの口元にわずかな笑みが浮かぶ。
「それでこそ、俺の弟だ」
夕陽が二人の影を長く伸ばし、王城の石床に重なった。
ベルセルが去った後、回廊に静寂が戻った。
テティソは深く息を吐き、胸の奥に灯った決意を確かめるように目を閉じた。
――俺は、リクセルを支える。帝国を守るために。
その瞬間、空気が変わった。
冷たい石壁に、柔らかな光が差し込む。風もないのに、回廊のカーテンがふわりと揺れた。
「……?」
テティソが顔を上げると、光の粒が舞っていた。淡い緑と金の輝きが、夕陽に溶けるように広がっていく。
「テティソ」
耳元で、澄んだ声が響いた。
振り向くと、そこには人の形をした光の精霊だった。長い髪のような光が揺れ、瞳は深い翠色に輝いている。
「お前の決意を、聖樹が聞いた」
精霊の背後、回廊の奥にある大窓から、聖樹の枝が見えた。黄金の葉が静かに揺れ、まるで祝福するかのように光を放っている。
「帝国を支えるのは、魔力だけではない。心だ」
精霊の声は、ベルセルの言葉と重なった。
「お前の心は、揺るぎない。だから、聖樹がお前に加護を授けるとの事だ。」
光の粒がテティソの肩に降り、温かな力が体を包む。
魔力ではない、もっと深いもの……命の根に触れるような感覚。
「……ありがとう」
テティソは静かに頭を垂れた。
精霊は微笑み、聖樹の葉がひとひら、風もないのに舞い落ちて彼の掌に収まった。
「その葉は、誓いの証。決して手放すな」
テティソは葉を握りしめ、胸に誓った。
――俺は、必ず守る。リクセルを、帝国を、そしてこの光を。




