㊵旅―冒険者 20
地下の広間を後にした探検隊は、静かに階段を上がり、再び屋敷の廊下へと戻ってきた。
雨はまだしとしとと降り続いており、窓の外は灰色の空に包まれている。
メデルは少しだけ疲れた様子だったが、その瞳には確かな輝きが宿っていた。ブランデットがそっとその肩に手を置き、優しく言った。
「ケルクマージス様に報告しよう。あれは……きっと、重要な発見だ」
ロビンは頷きながら、地図と記録帳を整えた。
「私からも補足いたします。あの魔法陣は、王城の祈りの間と同じ構造との事ですので…。記録に残すべきです」
ケルビスは黙っていたが、眉間にしわを寄せ、何かを深く考えているようだった。
ルククは地図に最後の印をつけ、メデルは精霊に小さく「ありがとう」と囁いた。
書斎の扉の前に立つと、ブランデットが軽くノックした。
すぐに、ケルクマージス様の落ち着いた声が返ってきた。
「入っていいぞ」
扉を開けると、書斎には静かな空気が流れていた。
ケルクマージス様は机に向かって巻物を広げていたが、彼らの姿を見ると手を止め、ゆっくりと顔を上げた。
銀糸の外套が肩にかかり、窓の外の雨を静かに見つめていたその姿は、まるで屋敷そのものの重みを背負っているようだった。
「ケルクマージス様、探検の報告に参りました」
ブランデットが丁寧に頭を下げる。
「ふむ。何か見つけたか?」
ロビンが一歩前に出て、記録帳を開いた。
「はい。西棟の古い廊下の奥に、中央の地下厨房に続く隠し通路を発見しました。料理長のおやつの時間が十四時半であることも判明しました」
ケルクマージス様は思わず小さく笑った。
「それは……有益な情報だな。料理長には伝えておこう」
ロビンは続けた。
「また、ムルメイさんとフェンさんが、お付き合いを始められたようです。控えの間でのやり取りを偶然目撃しました」
ケルクマージス様は少しだけ目を細めたが、すぐに穏やかな表情に戻った。
「そうか……ムルメイが、心を開いたのか。フェンは誠実な青年だ。よい知らせだ」
ロビンは最後に、声の調子を少し変えて言った。
「そして、東棟の奥、使用されていない倉庫の床下に、地下通路がありました。そこに、王城の祈りの間と同じ構造の移転陣が刻まれていました」
ケルクマージス様の眉がわずかに動いた。
「王城と同じ……それは確かか?」
ブランデットが答える。
「紋章の配置、魔力の流れ、構造の一致。間違いありません。しかも、私達が魔力を注いでも反応しなかったのですが、ケルビスとメデルが触れた際に、陣が光を帯びました」
「……祈りの間…あるとは聞いていたが…そんな所に…。」
ケルクマージス様は静かに立ち上がり、窓の外を見つめたまま言った。
「メデル……君の魔力は、精霊に選ばれている。だが、それだけでは説明がつかん。君の中に、何か特別なものがあるのかもしれないな」
メデルは少しだけ首をかしげた。
「僕、王家じゃないよね?」
ケルクマージス様は微笑みながら、メデルの頭に手を置いた。
「それは、今はまだわからん。だが、君が見つけたものは、確かに意味がある。よく見つけたな」
ルククが地図を差し出し言う。
「貸していただいた簡単地図に今回の発見をしるしをつけています。」
ケルビスは魔法陣の縁に感じた違和感について、静かに語った
「陣…紋章が…まだ、魔力を欲しがっている感じがしました…多分ですが…。」
ロビンは記録帳に記された文字を読み上げ、ブランデットは全体の流れを補足した。
ケルクマージス様は全員の話を聞き終えると、深く頷いた。
「この報告は、王都にも伝えるべきだ。だが、まずは屋敷の記録に残しておこう。ロビン、君に任せる」
「承知しました」
「そして、メデル。君には、もう少しだけ、自分の力について考えてもらいたい。精霊が選ぶ理由は、時に血よりも深い」
「……うん」
メデルは静かに頷いた。
その瞳には、少しだけ不安と、でもそれ以上に強い光が宿っていた。
ケルクマージス様の書斎には、雨音と巻物の紙の音だけが静かに響いていた。
探検隊の報告が終わり、空気は一瞬、落ち着いたように見えた。
だがその沈黙を破ったのは、メデルの小さな声だった。
「じゃぁ…あのねぇ…書斎の横の執務室?…にねぇ…隠しドアがあるの!」
その言葉に、部屋の空気が一変した。
ロビンが目を見開き、ルククが地図を見直し、ケルビスは息を止めたように動きを止めた。
ブランデットが驚いたようにメデルに問いかける。
「メデル……どういうことだ?」
メデルは少しだけ困ったように眉を寄せながら、でも真剣な目で答えた。
「老いた精霊様が教えてくれたの……ドラン辺境の守りの結界が、そろそろ消えちゃうからって。だから、隠しドアの向こうに“結界の陣”があるって……」
ケルクマージス様は、静かに立ち上がった。
その目は、窓の外の雨ではなく、メデルの言葉の奥を見つめていた。
「……結界の間。確かに、先代の記録に“守りの中心”が屋敷内にあると記されていた。だが、場所は伏せられていた。誰にも知られぬようにと…数代前に途絶えた記憶だ。」
ロビンが地図をめくりながら言う。
「書斎の横の執務室?は地図にも詳細は記されていません。」
ケルビスが低く呟く。
「結界が消える……それが本当なら、領地の防衛に関わる重大な問題です」
ルククは地図に新たな印を加えながら、静かに言った。
「メデルが見た精霊様……それは、過去の守り手かもしれないね。記録に残らない精霊の声は、時に真実を告げる」
ケルクマージス様は、メデルの前に歩み寄り、膝をついて目線を合わせた。
「メデル。君が見た精霊様は、何か言っていたか?結界の陣について、何か他に……」
メデルは少し考えてから、ゆっくりと答えた。
「うん……“鍵は、選ばれし者の血にあり”って。あと、“光の記憶を持つ者が、扉を開く”って言ってた」
その言葉に、ケルクマージス様の表情が変わった。
それは驚きでも、恐れでもなく――深い納得のような、静かな覚悟だった。
「……光の記憶。あの言葉は、我が家に代々伝わる古い誓いの一節だ。だが、それを知る者は限られている。メデル……君は、やはり特別な存在だ」
ブランデットは驚きながら言う。
「メデル“光の記憶を持つ者”はメデルだよ!精獣翠鳥様がメデルの事“光の記憶を持つ者”って言ってた!」
ケルクマージス様は、ブランデットとメデルの言葉を聞いたまま、しばらく沈黙していた。
窓の外では、雨が静かに降り続いている。だが、書斎の空気は、まるで嵐の前のように張り詰めていた。
「……光の記憶を持つ者が、扉を開く」
その言葉を繰り返すように、ケルクマージス様は低く呟いた。
その声には、遠い記憶を手繰るような響きがあった。
「その言葉は、我が家に伝わる古い誓いの一節だ。だが、今では誰もその意味を語らぬ。記録も、語り部も、途絶えて久しい……」
ロビンが静かに言葉を継ぐ。
「ですが、メデル様はその言葉を精霊から聞いた。しかも、結界の陣の場所まで……」
ケルビスは腕を組み、深く考え込んでいた。
「“選ばれし者の血”……それが王家の血筋を指すのか、それとも精霊に選ばれた者のことなのか……」
ルククは地図に印をつけながら、ぽつりと呟いた。
「メデルが“光の記憶を持つ者”なら……陣も、扉も、彼を待っていたのかもしれないね」
ブランデットは、メデルの顔を見つめながら言った。
「精獣翠鳥様が、メデルのことを“光の記憶を持つ者”って言ってた。あれは、ただの比喩じゃなかったんだ……」
メデルは、少しだけ不安そうに目を伏せた。
でも、すぐに顔を上げて、まっすぐケルクマージス様を見つめた。
「……僕は、導くって言われたよ。だからケルクマージス様かケルメデスアール様かケルビス君と一緒に行ってみたい。その隠しドアの向こうに、何があるのか……知りたい。」
ケルクマージス様は、静かに頷いた。
その瞳には、かつての領主としての責任と、今の守護者としての覚悟が宿っていた。
「よかろう。だが、慎重にな。その扉の向こうにあるものは、我々が守ってきた“何か”だ。君が選ばれたのなら……その意味を、共に確かめよう」
ロビンが記録帳を閉じ、ケルビスが魔力の気配を探る準備を始めた。
ルククは地図を折りたたみ、ブランデットはメデルの手をそっと握った。
ケルクマージス様は、机の引き出しから古びた鍵を取り出した。
それは、銀の装飾が施された小さな鍵で、柄の部分には“光”の紋章が刻まれていた。
「この鍵は、先代から受け継いだものだ。だが、使い方は教わっていない。今ならわかる……これは、あの扉のためのものだ」
ケルクマージス様がメデルの言葉に頷いた直後、書斎の奥の扉が静かに開いた。
そこに現れたのは、落ち着いた足取りで歩み寄る一人の人物――前ドラン辺境伯、ケルメデスアール様だった。
銀髪に淡い光を宿し、深い青の外套を纏ったその姿は、まるで時の流れを超えて現れたような威厳を放っていた。
彼の瞳は静かで、しかしその奥には、長年領地を守ってきた者だけが持つ深い知識と覚悟が宿っていた。
「……聞いていた。光の記憶、そして結界の陣。ついに、その時が来たか」
ケルクマージスは、父の姿に一礼し、静かに言葉を返した。
「メデルが導かれた。精霊が語った言葉は、我らが忘れかけていた誓いの残響だ」
ケルメデスアールはメデルの前に立ち、膝をついて目線を合わせた。
「メデル。お前が“光の記憶を持つ者”ならば、我らはその扉を開くために共に立たねばならぬ。だが、扉の向こうにあるものは、ただの記憶ではない。守りの核、そして……血の証だ」
メデルは少しだけ目を見開いたが、すぐに頷いた。
「……わかってる。でも、僕、行きたい。精霊様が“導く者は、恐れずに進む”って言ってたから、僕もグラウス師の様に導く者になるの!」
ケルメデスアール様は微笑み、立ち上がった。
「ならば、行こう。我ら三人で」
ケルクマージス様、ケルメデスアール様、そしてメデル。
三人は書斎を抜け、隣の執務室へと向かった。ロビン、ケルビス、ルクク、ブランデットは後ろから静かに見守る。
執務室は長らく使われていなかったが、壁の一角に、誰も気づかなかった継ぎ目があった。
ケルクマージス様が先代から受け継いだ銀の鍵を取り出し、メデルに手渡す。
「この鍵は、光の紋章を持つ者にしか反応しない。君が選ばれたのなら、扉は応えるはずだ」
メデルは鍵を受け取り、壁の継ぎ目にそっと差し込んだ。
すると、静かな音とともに壁がわずかに震え、隠し扉がゆっくりと開いていく。
その奥には、円形の石床に刻まれた古代の紋章――結界の陣が広がっていた。
空気はひんやりとしていたが、どこか柔らかく、精霊の気配が満ちていた。
ケルメデスアール様が陣の前に立ち、両手を広げて低く唱える。
「我らが守りし地に、光の記憶を。選ばれし者よ、その心を陣に捧げよ」
メデルはそっと陣の中心に歩み寄り、両手を胸の前で組んだ。
「精霊さん……お願い。僕の魔力、少しだけ貸して」
その瞬間、陣が淡く光を帯び、紋章が脈打つように輝き始めた。
ケルクマージス様とケルメデスアール様が左右に立ち、魔力を陣に注ぐ。
三人の魔力が重なった瞬間、陣の中心から光が立ち上り、屋敷全体に柔らかな波動が広がった。
それは、結界の再起動――そして、守りの誓いの再生だった。
ロビンが記録帳を開き、ケルビスは魔力の流れを感じ取り、ルククは地図に新たな印を刻んだ。
ブランデットは、メデルの背中を見つめながら、静かに呟いた。
「……メデルは、やっぱり導く者なんだ」
雨音が静かに響く中、屋敷の奥に眠っていた“扉”は開かれ、光の記憶は、再びこの地に息を吹き込んだ。
陣が光を放ち、空間全体が静かに脈打つように揺れた。
メデルの魔力が中心に注がれ、ケルクマージス様とケルメデスアール様の魔力がそれに呼応するように陣へ流れ込む。
その瞬間、空気が震え、陣の中心から霧のような光が立ち上がった。
まるで記憶の層がめくれるように、幻影が広がっていく。
最初に現れたのは、王城の祈りの間。
荘厳な石造りの空間に、同じ紋章が刻まれた円形の魔法陣が輝いていた。
若き王が精霊と契約を交わす場面。
その王の傍らには、ドランの初代領主が立ち、共に陣に手をかざしていた。
次に映し出されたのは、現在の屋敷の地下。
構造は祈りの間と寸分違わぬ造り。
だが、そこでは陣が“結界の陣”として機能していた。
精霊たちがその周囲を囲み、守りの力を陣に注いでいた。
メデルは、陣の中心から一歩下がり、周囲を見渡した。
石床の模様、壁の構造、天井の高さ――どれも、先ほど探検隊が見つけた地下の広間と同じだった。
そして、ぽつりと呟いた。
「……あれ? ここって……先ほど発見した移転陣の場所?」
その言葉に、場の空気が再び揺れた。
ブランデットが目を見開く。
ルククは地図を広げ、ケルビスは魔力の流れを再確認するように目を閉じた。
ケルクマージス様がゆっくりと頷いた。
「そうだ。ここは、祈りの間であり、結界の間でもある。
かつて王家と精霊が契約を交わした“移転陣”は、時を経てこの地に移され、守りの陣として再構築された。だが、構造は変わらず、力も眠ったままだった」
ケルメデスアール様が静かに言葉を継ぐ。
「この場所は、王家の祈りと精霊の守りが重なる“交点”だ。
移転陣としての力と、結界陣としての力――その両方が、選ばれし者によって再び目覚める。
そして今、それが起きた」
メデルは、少しだけ驚いたように目を丸くしたが、すぐに頷いた。
「じゃあ……精霊様が“導く者が来るまで、陣は眠る”って言ってたの、ほんとだったんだね」
ケルビスが低く呟いた。
「つまり、あの時の探検で見つけた陣は、ただの移転陣じゃなかった。守りの核であり、王家の記憶が刻まれた場所だったんだ」
ルククは地図に印を重ねながら言った。
「“祈りの間=結界の間”……記録には別々に書かれていたけど、実際には同じ場所だった。
メデルが気づかなかったら、僕たちも見落としてたかもしれない」
陣の光が収束し、空間に静けさが戻った頃、ケルクマージス様が振り返り、控えていたロビンに声をかけた。
「ロビン、記録のために中へ――」
だが、ロビンが一歩踏み出し、扉の前に立った瞬間、空気が変わった。
まるで見えない壁が立ちはだかるように、彼の足が止まった。
扉の枠に淡い光が走り、ロビンの前に結界のような膜が張られた。
「……入れません」
ロビンは静かに言った。驚きはあったが、恐れはなかった。
水の小人が肩の上でぴょこぴょこと跳ね、扉の前でくるりと回ってから、ロビンの耳元で何かを囁いた。
「……“選ばれし者のみが通れる”……だそうです」
ケルメデスアール様が深く頷いた。
「この間は、祈りと守りの核。精霊との契約がなされた場だ。入れるのは、血を継ぐ者か、精霊に選ばれし者のみか。」
ロビンは一歩下がり、静かに頭を下げた。
「記録は、外から行います。中の様子は、皆様の言葉で残しましょう」
メデルは扉の内側から、少し心配そうにロビンを見つめた。
「ロビンさん……ごめんね」
ロビンは微笑んで首を振った。
「いいえ、メデル様。これは、あなたの役目です。私は、見守る者としてここにいます」
ケルビスが扉の縁に手を当て、魔力の流れを感じ取る。
「この結界……精霊が守ってる。外からの干渉を防ぐためのものだ。ロビンが入れないのは、精霊の判断だ」
ブランデットがふとケルクマージス様の方を向き、少し躊躇いながらも口を開いた。
「ケルクマージス様……お伝えしておくべきことがあります」
ケルクマージス様はブランデットの真剣な表情に気づき、静かに頷いた。
「何だ、ブランデット」
ブランデットはルククの方をちらりと見てから、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。
「ルククは……前王のお子様の子にあたります。つまり、王家の血筋です」
その言葉に、場の空気が一瞬止まった。
ロビンが記録帳を持つ手を止め、ケルビスが目を見開き、ケルメデスアール様は静かに眉を上げた。
「私の…甥になるのか…。」
ルククは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに苦笑して肩をすくめた。
「えっと……そうみたい。僕のお父さんは、王家の人だったって、母さんが昔ぽろっと言ってた。あんまり詳しくは聞いてないけど……」
ケルクマージス様は、しばらく沈黙したままルククを見つめていた。
その瞳には、驚きよりも、何かを確かめるような深い思索が宿っていた。
「……そうか。ならば、君にもこの陣の力が反応する可能性がある。王家の血筋は、祈りの間と結界の陣に深く関わっている」
ケルメデスアール様が静かに言葉を継ぐ。
「この地に残された陣は、王家と精霊の契約の証。王家の血を引く者と、精霊に選ばれし者――その両者が揃った時、陣は真の力を示す」
ルククは少しだけ戸惑いながらも、前に出て、陣の縁に手をかざした。
すると、わずかに光が揺れ、陣が応えるように淡く脈打った。
「……ほんとだ。さっきは全然だったのに…ちょっとだけ、反応した」
メデルは嬉しそうに笑いながら言った。
「じゃあ、ルククも“選ばれた人”なんだね!」
ケルクマージス様は深く頷いた。
「この陣は、君たちを待っていたのかもしれない。王家の記憶と精霊の導き――それが、今ここで交差した」
雨音が静かに響く中、結界の間には新たな意味が刻まれていた。
それは、血と記憶と精霊の力が織りなす、未来への鍵。
「この発見は、王都にも報告すべきです。そして、メデル様の導きがなければ、陣は目覚めなかった」
ケルクマージス様は、メデルの肩に手を置き、静かに言った。
「よく気づいたな、メデル。君の目と心が、この地の記憶を繋いだ。それこそが、“光の記憶を持つ者”の力だ」
雨音が遠くで響く中、屋敷の奥に眠っていた“祈り”と“守り”は、ひとつに重なった。
そして、メデルの気づきによって、過去と未来が静かに繋がり始めていた。
その時、陣の前に立つメデルの耳に、急かすような声が響いた。
「はやく……はやく……! 時が満ちる前に……!」
それは、若い時の精霊の声だった。
風のように揺れ、鐘のように響くその声は、焦りと切迫を帯びていた。
メデルは戸惑い、周囲を見渡す。
どうすればいいのか分からず、足を止めてしまう。
そのとき、ブランデットの背にある聖獣の卵が、ふわりと光を放った。
卵の中から、柔らかな声がメデルとブランデットの心に届く。
『……陣に円を描いて、皆で魔力を流して……』
メデルとブランデットはその言葉に導かれるように、顔を上げた。
「みんな……円になって、魔力を陣に流して!」
ケルクマージスが頷き、ケルメデスアールが静かに歩み寄る。
ケルビスは目を閉じて魔力の流れを整え、ルククは地図をしまいながら位置を確認する。
ブランデットは卵を抱え直し、メデルの隣に立った。
六人が陣の周囲に円を描くように立ち、手をかざす。
その中心には、紋章が淡く輝いていた。
「始めるぞ」
ケルクマージスの声に応じて、全員が魔力を陣へと流し始める。
陣が脈動を始める。
光が波のように広がり、空間が震える。
聖獣の卵が再び光を放ち、メデルとブランデットに語りかける。
『……中心の紋章へ、あなたの魔力を……今、流して……』
メデルは頷き、陣の中心へと歩み出る。
その足取りは、まるで時の流れに乗っているかのようだった。
彼が手を紋章にかざすと、陣が一際強く脈動し、空間が光に包まれた。
その光の中から、微かな声が響き始める。
――風の精霊の囁き。
――土の精霊の息吹。
――水の精霊の歌。
――火の精霊の鼓動。
――闇の精霊の沈黙。
――光の精霊の記憶。
――そして、時の精霊の鐘の音。
精霊たちの声が、陣の光に溶け込み、六人の魔力と共鳴する。
そして、陣の中心に、老いた時の精霊が姿を現した。
その姿は、時の流れを纏ったような、深い銀の衣をまとい、瞳は星々の記憶を宿していた。
「……よくぞ来てくれた……」
老精霊は、メデルを見つめ、深く頭を垂れた。
「“光の記憶を持つ者”よ。王家の血を継ぐ者よ。精霊に選ばれし者たちよ。この地を守りし我らに、再び時を与えてくれて、ありがとう……。」
その声には、喜びと感謝、そして長い年月の重みが込められていた。
ケルクマージスが静かに膝をつき、頭を下げる。
ケルメデスアールも、深く礼をし、ケルビスは目を閉じて精霊の気配を受け止めた。
ルククは驚きながらも、そっと手を胸に当て、ブランデットは卵を見つめて微笑んだ。
メデルは、精霊の前に立ち、そっと言葉を紡いだ。
「……こちらこそ、ありがとうです。精霊様。僕たちを、見守ってくれていたんだね」
老精霊は、微笑みながら頷いた。
「この陣は、祈りと守りの交点。今、君たちの力によって、再び目覚めた。この地に刻まれし記憶は、未来への鍵となるだろう」
陣の光が、静かに収束していく。
結界陣に魔力を流し終えた六人が、静かに部屋を後にした。
空間にはまだ、精霊の声の余韻が残っていた。
その余韻は、まるで風の中に残る祈りのように、静かに彼らの背を押していた。
扉の前に差しかかったとき、ケルビスがふと立ち止まった。
彼の視線が、扉の表面に浮かぶ微かな模様を捉える。
それは、光に照らされて初めて見えるほどの、繊細な紋章だった。
「……紋章がある。ここにも、何かが……」
彼はそっと手をかざし、魔力を流し込む。
すると、紋章の縁取りが淡く光り始めたが、半分までしか満たされず、光はそこで止まった。
「……足りない。魔力が……」
ルククがすぐに反応し、手を紋章に当てて魔力を流そうとする。
だが、紋章は彼の魔力を拒むように、何の反応も示さなかった。
「僕は……だめだ。入らない……」
メデルも試みたが、同じく紋章は沈黙したまま。
ブランデットが卵を抱えたまま魔力を注ごうとするが、光は揺れるだけで、紋章には届かない。
そのとき、ケルメデスアールが静かに前に出た。
彼の手から流れ出る魔力は、紋章に吸い込まれるように入り、縁取りがさらに満たされていく。
「……反応した。だが、まだ足りない」
ケルクマージスが頷き、彼もまた魔力を紋章に流し込む。
二人の魔力が重なった瞬間、紋章が一際強く輝き、扉全体に光が走った。
そして――
紋章が完全に満ちた瞬間、結界が音もなく解け、空気が変わった。
部屋の外、屋敷の回廊、庭園、そして領地全体に、柔らかな光が広がっていく。
空気が澄み渡り、風が静かに流れ、木々がざわめき、地面が微かに震えた。
空は曇っていたはずなのに、雲の隙間から光が差し込む。
その光は、ただの陽光ではなかった。
精霊の加護を帯びた、祝福の光だった。
遠くの塔の鐘が、誰も触れていないのに鳴り始める。
その音は、領地の隅々に響き渡り、古の記憶を呼び覚ますようだった。
屋敷の壁に刻まれた古文が淡く輝き、庭の泉が静かに波紋を広げる。
精霊の気配が、風に乗って屋敷の隅々まで届き、古の記憶が静かに呼吸を始める。
ケルクマージスが扉の前で立ち止まり、静かに言った。
「……これで、守りは完全に満たされた。
この地は、再び精霊と王家の契約のもとに守られる」
ケルメデスアールが頷き、扉に手を当てながら言った。
「結界を守るには、この地を守る者の魔力が必要なのだな……。それが、精霊との契約の証でもある」
ケルビスは扉に手を当てたまま、目を閉じてその変化を感じ取っていた。
彼の表情は、静かな感動に満ちていた。
メデルは、広がる光を見つめながら、そっと呟いた。
「……精霊様が、喜んでる……」
聖獣の卵が、ふわりと光を放ち、静かに脈動した。
それは、祝福のような、再生のような、未来への合図だった。
領地全体が、静かに息を吹き返した。
それは、過去の記憶と未来の希望が交差する瞬間だった。
森の奥。
結界の再成形を感じ取ったフェンリル=ブランジュは、ゆっくりと尾を揺らしながら歩いていた。
その足元には、光の粒となった精霊たちが集まり始める。
葉の陰から顔を出す者、花の中からひょっこり飛び出す者、木の幹をすり抜けて現れる者どの精霊も、どこか嬉しそうに、ブランジュの周囲をくるくると舞っていた。
「ブランジュ! 見たよ見たよ! 結界、ぴかーって光った!」
「メデルって子、すごいね! あんなに優しい魔力、久しぶりに感じたよ!」
ブランジュは鼻先をくすぐる光の精霊に、くすぐったそうに目を細める。
「ふふん、メデルはね~、やる時はやるの。メデルの魔力、ほんとにあったかいの~」
「ねえねえ、ブランジュ! またあの歌、歌ってよ! ほら、契約の時に歌ってたやつ!」
「そうそう! “風と土の誓い”のやつ!」
ブランジュは一瞬考え込むように首を傾げたが、すぐに尻尾をふわりと振って、低く響く声で口ずさむ。
「風は巡り、土は眠る。命は芽吹き、記憶は還る。我らは守る、光の記憶を――」
精霊たちは歓声を上げ、葉を揺らし、花を咲かせ、光を放つ。
その様子はまるで祝祭のようで、森全体が喜びに包まれていた。
「ブランジュ、結界の番人になるの?」
「ならないよ~、今回はみんなで守るみたい。」
「やったー! じゃあ、また遊びに来てくれる?」
「もちろんなの~。精霊たちが元気なら、森も元気。みんなで守るのが一番なの~」
風が優しく吹き抜け、精霊たちの笑い声が森に響く。
その中心に、フェンリル=ブランジュがゆったりと横たわり、周囲の精霊たちと語らっていた。
「ねえねえ、ブランジュ! メデル、ほんとにすごいね!」
「うんうん! だって、あの“闇を纏った人間”まで癒しちゃったんだよ! あんなに魔力が濁ってたのに!」
ブランジュは尻尾をふわりと揺らし、満足げに鼻を鳴らす。
「メデルはね~、光も闇も、分けないの。全部、心で見てるの~」
「でもさ、あの人、最初は怖かったよね! 目がぎらぎらしてて、魔力が黒くて、森の花がしぼんじゃったもん!」
「そうそう! 木の精霊が泣いてたよ!」
精霊たちはその時の様子を思い出しながら、葉の上でぴょんぴょん跳ねる。
一体は、メデルの真似をして両手を胸の前で組み、「だいじょうぶだよ」と小さな声で言ってみせた。
「それそれ! その言葉! あれで、闇を纏った人間の魔力が、すぅーって落ち着いたんだよね!」
ブランジュは静かに頷いた。
「メデルは、癒すために生まれた子なの~。闇を恐れず、光に驕らず、ただ“心”を見てる。それが、精霊の記憶を継ぐ者の力なの~」
精霊たちはその言葉に感動し、葉の上で小さな拍手を送る。
木々がざわめき、花が咲き、風が優しく吹き抜ける。
「メデル、また来てくれるかな?」
「うん! 今度はお礼に、森の歌を教えてあげようよ!」
「それいい! あと、闇を纏った人間にも、精霊の果実を分けてあげよう!」
ブランジュは笑うように喉を鳴らし、森の奥を見つめた。
「メデルは、きっとまた来るの~。その時は、みんなで歌って、踊って、森の力を見せてあげるの~」
そして、森の精霊たちは、祝福のように光を放ちながら、再び葉の間へと舞い戻っていった。
フェンリル=ブランジュはその中心で、誇らしげに胸を張りながら、精霊たちと語らい続けた。
その姿は、まさに“守りの象徴”でありながら、どこか親しみやすく、森の仲間たちにとっては頼れる友そのものだった。




