㊴旅―冒険者 19
雨がしとしとと降り続く午後。
屋敷の窓から外を眺めていたメデルは、ふと振り返ってブランデットに声をかけた。
「ねえ、お兄様。今日は外に出られないから、屋敷の中を探検してもいい?」
ブランデットは少し考えたあと、微笑んで頷いた。
「いいけど、まずはケルクマージス様に聞いてみよう。勝手に動くのはよくないからね。」
「うん!」
二人は廊下を抜け、書斎へ向かった。扉の前で軽くノックすると、中から落ち着いた声が返ってきた。
「入っていいぞ。」
書斎の中では、ケルクマージス様が巻物を整理していた。銀糸の刺繍が施された外套を肩にかけ、背筋はまっすぐ。その姿は、まるで絵画の中の貴族のようだった。
「ケルクマージス様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
ブランデットが丁寧に頭を下げる。
「どうした、ブランデット。そんなに改まって。」
メデルが一歩前に出て、元気よく言った。
「今日は雨で外に出られないから、屋敷の中を探検したいんです!知らない部屋とか、通路とか、見てみたい!」
ケルクマージス様は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。
「探検か……ふふ、よろしい。だが、危険な場所には近づかないこと。使用人たちの邪魔をしないこと。そして、何か見つけたら必ず報告すること。いいな?」
「はいっ!」
「もちろんです。」
「よし。では、屋敷の地図は渡せないが、ロビンに簡単な地図を持たせて見守りを頼んでおこう。彼なら、君たちの動きにも目を配れる。」
「ロビンさん……あの、肩に水の小人さん載せて何時も笑っている人ですよね?」
メデルが首をかしげると、ケルクマージス様は少しだけ驚き。
「そうだ。彼は真面目で信頼できる男だ。…メデル…ロビンには小人が付いているのか?」
メデルが再び首をかしげ頷く。
「うん!マキナって人の守り精霊だった水の小人さんが今ロビンさん守って居るの~。じゃあ、ロビンさん探して行ってきます!」
「ああ…気をつけてな。屋敷は広い。思わぬ発見があるかもしれんぞ。」
その言葉に背中を押されるように、メデルとブランデットは廊下を駆け出した。雨音が遠くで響く中、屋敷の探検が静かに始まろうとしていた。
ブランデットとメデルが元気よく廊下を駆け出していった後、書斎には再び静寂が戻った。雨音が窓を叩く音だけが、遠くで響いている。
ケルクマージス様は巻物を閉じ、ふと隣の控えの間へと視線を向けた。扉は半分開いており、そこには気配がある。
「……聞いていたか、ロビン。」
控えの間の奥から、静かに姿を現したのは、若き側仕えのロビンだった。肩には、淡い水色の光をまとった小さな精霊――水の小人がちょこんと乗っている。
「はい、ケルクマージス様。メデル様の声は、よく通りますから。」
ロビンは落ち着いた口調で答えながら、軽く頭を下げた。
「…私にも見える…小人が見えるとは、メデルの言葉は本当だったか……マキナの守り精霊が、今は君に付いているのか?」
ロビンは少しだけ目を伏せ、静かに頷いた。
「姉が屋敷を離れ亡くなった日から、ずっとです。彼女が精霊と契約した時、僕はまだ子供でしたが……今は、僕を見守ってくれています。」
ケルクマージス様は椅子に深く腰を下ろし、静かに言った。
「マキナは優秀な侍女だった。あの者が精霊に選ばれたのも、当然のことだ。……君も、よく支えてくれている。」
「もったいないお言葉です。」
ロビンは深く頭を下げた。肩の小人が、ちょこんと跳ねて、ケルクマージス様の方へ向かって小さく手を振った。
「……ふふ、礼儀正しい精霊だな。」
ケルクマージス様は微笑みながら、窓の外の雨を見つめた。
「メデルたちの探検、見守ってやってくれ。屋敷は広い。だが、彼らの目は、時に我々の見落としたものを見つける。」
「承知しました。彼らが無事に戻るよう、目を離しません。」
「頼んだぞ、ロビン。」
その言葉に、ロビンは静かに頷き、控えの間へと戻っていった。雨音が少しだけ強くなり、屋敷の空気に静かな緊張と期待が漂い始めていた。
廊下を駆けるメデルとブランデットの足音が、静かな屋敷に軽やかに響いた。雨はしとしとと降り続き、窓の外は灰色の空に包まれている。
「ロビンさん、どこかなぁ……」
メデルが廊下の角を曲がりながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
「控えの間か、書庫の整理か……あ、いた!」
ブランデットが指差した先には、廊下の突き当たりで書類を抱えて歩いているロビンの姿があった。肩には、淡い水色の光をまとった小さな水の小人がちょこんと乗っている。
「ロビンさん!」
メデルが駆け寄ると、ロビンは驚いたように目を見開き、すぐに微笑んだ。
「メデル様、ブランデット様。お探しでしたか?」
「うん!ケルクマージス様から、探検の見守りをお願いされたって聞いて!」
「ええ、承知しています。屋敷は広いですから、案内役がいた方が安全です。」
水の小人が、メデルに向かってぴょこぴょこと跳ねて挨拶する。
「こんにちは~」
メデルが手を振ると、小人もくるりと回って返事をした。
「じゃあ、さっそく行こう!隠し通路とか、秘密の部屋とか、見つけたいな!」
メデルが目を輝かせる。
「厨房の裏とか、地下の倉庫とか、怪しい場所はいっぱいあるぞ。」
ブランデットが笑いながら言う。
ロビンは少しだけ苦笑しながら、二人の後ろに立った。
「では、まずは西棟の古い廊下から参りましょう。あそこは使用人でも滅多に通らない場所です。」
「わくわくするね!」
メデルが跳ねるように歩き出し、三人と一匹(小人)は屋敷の奥へと進んでいった。
メデルとブランデットは、ロビンの案内で屋敷の奥へと足を踏み入れた。古びた扉が軋む音を立て、廊下には微かな風が流れている。
ロビンは得意げに「この屋敷には秘密の部屋があるんですよ。」と囁き、二人の好奇心をくすぐった。
その時、階段の影から軽やかな足音が響き、ルククが姿を現した。背中には小さな荷物を背負い、目を輝かせて「探検って聞いたよ!僕も行く!」と笑顔で駆け寄ってくる。
続いて、廊下の奥からケルビスが現れた。落ち着いた足取りで近づきながら、「お父様には内緒だぞ。屋敷の構造を知っておくのも、領主の務めだ」と冗談めかして言う。
黄魔法士らしく、土の気配を感じ取っていたのか、壁の一部に違和感があると指摘する。
「えええケルクマージス様に許可貰ってしまった(笑)」
「なに!(笑)そうか。まあ行こう(笑)」
「はーい。」
「メデルわくわくするね!疲れたら言って背負い袋に水とビスケット貰って来たよ(笑)」
こうして五人は揃い、屋敷の探検隊が結成された。ロビンが先頭に立ち、ルククがロビンから簡単な地図を貰いその地図に描く、ケルビスが魔力で隠し扉を探る。
メデルとブランデットは、精霊の気配を感じながら、兄弟のように寄り添って歩いていく。
雨音が遠くで響く中、屋敷の静かな探検が始まった。誰も知らない扉の向こうに、どんな秘密が眠っているのか――それは、まだ誰にもわからない。
西棟の廊下は、長い年月の重みを静かに抱えていた。誰も通らなくなって久しく、壁紙は色褪せ、装飾の金糸もほつれ、雨に濡れた空気がそのすべてを沈黙の中に閉じ込めている。窓の外では灰色の空が広がり、しとしとと降る雨が、屋敷全体を夢のような静けさで包んでいた。
メデルとブランデットの足音が、そんな静寂の中に軽やかに響く。埃が舞い、空気が揺れるたび、何かが目覚めそうな気配がした。
「……この辺り、風が違う」
ケルビスが立ち止まり、壁に手を添える。黄魔法士としての感覚が、土の気配の揺らぎを捉えていた。
ロビンは目を細めて周囲を見渡す。「通路があったと聞いたことはありません。ですが……何か、記録にない空間があるような……」
ルククが壁の模様を指でなぞる。「ここ、地図にないよ。何か隠れてるかも」
ブランデットは静かに頷き、メデルは壁に耳を当てた。すると、ほんの一瞬、壁の向こうから風の音が聞こえたような気がした。誰も声を発していないのに、誰かが「……開いた?」と呟いたような気がした。
ケルビスが違和感を感じた壁際の下の穴に、古びた棒を差し込む。すると、軋む音とともに壁の一部がずれ、暗い通路が現れた。まるで屋敷が、彼らの訪れを待っていたかのように。
通路は狭く、湿った空気が漂っていた。石造りの壁には苔が生え、遠くから微かな音と香りが流れてくる。ブランデットが呟いた。
「怖い……真っ暗だ……」
メデルはそっと手を合わせ、精霊に呼びかける。「光の精霊さん、お願い」
すると、淡い光がふわりと灯り、通路の奥に古い石階段が浮かび上がった。階段は下へと続いている。
「ケルビス!え?おりるの?」
メデルが驚いた声を上げるが、ケルビスはすでに一歩を踏み出していた。
階段を下りると、空気が変わった。甘く、温かく、懐かしいような匂いが鼻をくすぐる。ルククが囁く。
「……誰かいる?」
長い通路の先に、珍しい引き戸があった。木製で、装飾もなく、ただ静かにそこに佇んでいる。ロビンが先に出て、戸に耳を当てた。
「……鼻歌が聞こえるような……どうやら厨房のようです」
ケルビスが思い切って引き戸を開けると、ぼんやりとした灯りの中に、大きな鍋と人影が浮かび上がった。料理長らしき人物が、何かを混ぜながら鼻歌を歌っている。
「おや、坊ちゃんたち。こんなところに?」
その声は柔らかく、どこか夢の中のようだった。テーブルには、焼きたての何かが並んでいた。ビスケットのようでいて、少し違う。果物のような香りもするが、見たことのない色をしている。
「……食べていいの?」
メデルがそっと尋ねると、料理長は笑って頷いた。
ケルビスは黙って一つ手に取り、ルククは地図に何かを書き加えた。ロビンは水の小人に小皿を渡し、ブランデットは静かに椅子に座った。
雨音が遠くで響く中、探検隊はひとときの休息を得た。
厨房でのおやつの時間が終わり、探検隊は再び屋敷の奥へと足を進めていた。
ロビンの案内で、中央館の回廊を抜け、古い書庫の裏手にある通路へと向かう途中、メデルがふと立ち止まった。
「……誰か、話してる?」
耳を澄ますと、壁の向こうから微かな声が漏れていた。
ルククが地図を見ながら首を傾げる。「この先、使用人の控えの間があるはずだけど……」
ケルビスが静かに手を上げ、皆を制止する。「物陰に隠れて。誰かいる」
五人はそっと壁際に身を寄せ、古い棚の影に身を潜めた。
そこから見えるのは、半開きの扉の向こうに立つ二人の姿――ムルメイとフェンだった。
フェンは控えめな笑みを浮かべながら、ムルメイに小さな花束を手渡していた。
季節外れの、色も香りも控えめな花々。包み紙には、彼の丁寧な気持ちが込められていた。
ムルメイはそれを受け取ると、少しだけ視線を落とし、言葉を探すように口を開いた。
「……ありがとう。でも、フェン。私、あなたより十五歳も年上なのよ」
その声は、静かで、どこか揺れていた。
フェンは首を振り、優しく言った。
「年齢なんて、僕には関係ない。ムルメイさんが、ムルメイさんであることが大事なんです」
彼の瞳には、迷いがなかった。
ムルメイの歩んできた時間、彼女が抱えてきたもの――それらすべてが、フェンにとっては尊敬と憧れ、そして愛情の源だった。
ムルメイはしばらく沈黙していた。
控えの間の窓から差し込む薄曇りの光が、彼女の横顔を淡く照らしている。
手の中の花束を見つめながら、指先で包み紙の端をそっと撫でる。
「……フェン」
彼女はようやく口を開いた。
その声は、いつもより少しだけ震えていた。
「あなたの言葉……とても、嬉しかった。こんな私に、そんなふうに言ってくれるなんて……」
「でもね、私は……もう若くないの。あなたのように、未来を自由に選べる年齢じゃない。過去も、傷も、たくさん抱えてる。……それでも、あなたは私を選ぶって言ってくれるのね」
フェンは何も言わず、ただ彼女の言葉を待っていた。
ムルメイは、ふっと笑った。それは、悲しみと喜びが混ざった、複雑な笑みだった。
「……ずるいわね、フェン。そんなふうに見られたら、私……もう、逃げられないじゃない」
彼女は、ゆっくりと一歩近づいた。
その距離は、長い年月の分だけ遠く、でも今はほんの少しだけ近づいた。
「私は、あなたの未来を奪いたくない。でも……あなたが、私の時間に触れたいと言ってくれるなら……少しだけ、信じてみようかしら」
その言葉は、まるで雨の中に差し込む光のようだった。
淡く、儚く、けれど確かに温かい。
フェンは、何も言わずに頷いた。
ムルメイの手の中の花束が、ほんの少しだけ揺れた。
その瞬間、物陰に隠れていたメデルは、そっと息を吐いた。
ブランデットが目を細め、ケルビスは静かにその場を離れようとした。
ルククは地図に「ムルメイさんの告白」と書き込み、彼女が受け入れたことを記録した。
ロビンは静かに息を吐き、誰にも気づかれないように、その場を離れる合図を出した。
そのとき、メデルはふと立ち止まり、扉の向こうに残る二人の気配に目を向けた。
ムルメイの手にはまだ花束があり、フェンは彼女の言葉を胸に刻むように、静かに頷いていた。
メデルは、そっと両手を胸の前で組んだ。
声には出さず、心の中で小さく祈る。
――ふたりの時間が、静かで、あたたかくありますように。
精霊の気配が、メデルの肩にそっと触れた。
それは、風のように軽く、光のように柔らかかった。
ブランデットがメデルの手を握り直す。
「……行こう」
メデルは頷き、最後にもう一度だけ、扉の向こうに視線を送った。
ムルメイの横顔は、どこか穏やかで、少しだけ照れているようにも見えた。
探検隊は、静かにその場を後にした。
誰にも知られず、誰にも語られないやり取りが、屋敷の静かな一角で交わされていた。
そしてその場には、誰にも気づかれない、小さな祝福の祈りが、そっと残されていた。
ムルメイとフェンのやり取りを見守った探検隊は、静かにその場を後にした。
屋敷の空気はしっとりと静かで、遠くから雨音が優しく響いている。ロビンの案内で、今度は東棟のさらに奥、使用されなくなった倉庫の裏手へと向かう。
「この先、古い床下通路があると記録にあります」
ロビンが囁くように言うと、ルククが地図を広げて確認した。
「……この辺、地図が空白になってる。何かあるかも」
ケルビスが壁に手を当て、土の気配を探る。すると、天板の一部がわずかに変わっていることに気づいた。
「ここ、変だぞ」
ブランデットがそっと浮いて天板を押すと、軋む音とともに床が開き、地下へと続く階段が現れた。
「え!!浮いている!!」
ロビンとケルビスが驚く。
「あ!…。」
ブランデットは眼をそらし、照れくさそうに笑う。
メデルが光の精霊にお願いすると、淡い光が階段を照らし、探検隊は慎重に降りていく。
「いやいやいや!なんで浮いているんだ!!」
ケルビスが半ば叫ぶように言う。
「え…っと」
メデルが困ったように笑うと、
「僕達も浮けるよ(笑)」
ルククが軽く浮いて見せた。
「はい。」
メデルもふわりと浮き、ブランデットが肩をすくめて笑う。
「また教えるね(笑)」
ロビンとケルビスの顔が引きつりながらも、どこか楽しげだった。
「ああ……よろしく頼む……」
気を取り直して、階段を下りると、地下はひんやりとしていたが、空気は澄んでいた。
奥へ進むと、石造りの広間に出た。中央には、見覚えのある紋章が刻まれた円形の魔法陣――それは、王城の祈りの間にある移転陣と、まったく同じものだった。
「……これって、王城の……?」
ブランデットが驚いた声を漏らす。
「間違いない。紋章の配置も、魔力の流れも一致している」
ロビンが目を見開く。
ブランデットがそっと魔力を紋章の中心に注ごうとするが、何も反応しない。
ルククが試しても、ロビンが試しても、魔法陣は沈黙したままだった。
「ケルビス、やってみて」
ブランデットが言うと、ケルビスは少し戸惑いながらも、紋章の中心に手をかざした。
すると、魔法陣がふわりと光を帯び、紋章の中心が淡く輝き始めた。
光は静かに広がり、円の外縁まで届くと、まるで呼吸するように脈打った。
「反応した……!」
「メデルも、やってみて」
ブランデットが言うと、メデルは驚きながらも、紋章の中心に手をかざした。
「……お願い、精霊さん。ちょっとだけ、力を貸して」
メデルの魔力が反応して、魔法陣がふわりと光を帯び、紋章の中心が淡く輝き始めた。
光は静かに広がり、円の外縁まで届くと、まるで呼吸するように脈打った。
ロビンが驚きの声を上げ、石板の文字を指差す。
「あそこの石板に、王家の血筋しか魔力が入らないって……記録されています」
探検隊は顔を見合わせた。
メデルは、そっと手を引きながら、少しだけ不思議そうに首を傾げた。
「……僕、王家じゃないよね?」
ブランデットは静かにメデルの肩に手を置いた。
「でも、君の魔力は、精霊が選んでる。それって、血筋よりも深い何かかもしれない」
ルククは地図に「地下移転陣(王家紋章)」と記し、ロビンは記録帳に詳細を書き留めた。
ケルビスは魔法陣の縁に手を当て、何かを感じ取ろうとしていた。
その場には、静かな謎と、柔らかな光が漂っていた。
王家の血筋に関する秘密が、少しずつ顔を覗かせ始めていた。
結界の再成形から数日後。
ケルクマージス様の執務室の前、控えの間でフェンが書類を整理していると、ロビンがそっと近づいてきた。
「フェンさん、……なんだか顔が柔らかいですね」
ロビンは真面目な顔をしていたが、目元には明らかな笑みが浮かんでいる。
フェンは手を止めて、ちらりとロビンを見た。
「ん? そうか? いつも通りだと思うが?」
「いえいえ。ムルメイさんと、付き合うことになったって噂、精霊たちから聞きましたよ」
ロビンは声をひそめながらも、耳がぴくりと動いている。
フェンは少しだけ頬を赤らめたが、すぐに咳払いして誤魔化す。
「……お前精霊と話出来るんだったなぁ……たく!あいつら、口が軽いな。森の精霊ってのは、どうしてこう……」
「でも、いいですね。ムルメイさん、優しくて綺麗で、料理も上手で。ムルメイさん、ついに“結界の外”に出たんですね」
「おいおい、俺は結界の中でも十分に満たされてたぞ? ただ、まあ……ムルメイの笑顔は、ちょっと特別だな」
ロビンはくすっと笑いながら、書類を一枚手渡す。
「ケルクマージス様も、きっと喜ばれますよ。“フェンがようやく落ち着いたか”って、昨日の夜、少しだけ笑っておられました」
フェンは目を細めて、静かに頷いた。
「……あの方に仕えて十年。ようやく、俺も一歩踏み出せたのかもしれんな」
ロビンは真面目な顔に戻りながらも、最後に一言。
「でも、ムルメイさんに振られないように、ちゃんと髪整えてくださいね。昨日、寝癖すごかったですよ」
「……お前、言えようぉ‥‥ほんとに真面目か?」
「はい。真面目に、からかってます。」
フェンは苦笑しながら、椅子に深く腰を下ろした。
「……まったく、若いのに口が達者だな。お前、恋の一つでもしてみたらどうだ?」
ロビンは少しだけ目を泳がせたが、すぐに背筋を伸ばして言った。
「今は任務優先です。ケルクマージス様の側仕えとして、私情は控えるべきかと」
「……真面目すぎるのも、損だぞ。ムルメイに言われたんだ。“フェンさん、昔はもっと尖ってたのに、今は丸くなった”ってな」
フェンはどこか照れくさそうに笑う。
「それ、褒め言葉ですか?」
「さあな。……でも、丸くなった分、誰かに寄り添えるようになったのかもしれん」
ロビンはしばらく黙っていたが、ふと口元に笑みを浮かべた。
「じゃあ、私も……少しだけ、丸くなる練習、してみます」
二人の笑い声が、控えの間に静かに響いた。
その空気は、どこか温かく、結界の守り手たちの日常に、ささやかな幸せが灯っていた。




