㉞旅―冒険者(兄弟)14
王宮私室の間。
王宮の静かな私室。重厚な扉が閉じられ、外の喧騒は遠く、柔らかな光が窓から差し込む。壁には古代の紋章が刻まれた絹のタペストリーが揺れ、空気には緊張と静寂が漂っていた。
ベルセル王子は、深く息を吐き、目の前に座る双子の子——ルクセルとリクセルを見つめた。彼の瞳には、王としてではなく、一人の兄としての苦悩が宿っていた。
「……お前たちに、話しておかねばならないことがある。」
双子は顔を見合わせる。王子の声はいつになく低く、真剣だった。
「28年前に魔力が無いと言われたテティソという名の子が誕生した。……お前たちは私の子ではなく兄弟だ。そして今回知った彼もまた、同じ父を持つお前たちの兄だ。」
リクセルが息を呑み、ルクセルが眉をひそめる。
「僕達の事は…知っているけど、彼は…お兄様は魔力がない、ただそれだけの為に……?」
ベルセルは頷き、苦々しい表情を浮かべた。
「ああ、愚かな前王と前王妃だ。まだ生まれたばかりで、魔力の循環が未熟だっただけだ。魔道具が反応しなかった。それだけのことだった。だが、前王妃はそれを“欠陥”と見なし、無理やり魔力を送り込んだ。結果、魔力路が壊れた。」
彼の拳は膝の上で震えていた。
「その子を殺すよう命じられたのは、青騎士デジルだった。だが彼は……その命令に背いた。王都外門近くに家があった彼は、森に赤ん坊と自分の代わりを置き、自分の家族と共に帝国外れの辺境へ逃げた。冒険者として生きる道を選んだ。」
リクセルが震える声で問う。
「……お兄様は、生きているの?」
「生きている。デジルが守った。だが、帝国の誰もその存在を知らない。私も、最近になってようやく知ったのだ。前王の子として、そして私の弟として、彼は……帝国に戻るべき存在だ。」
ルクセルが静かに言った。
「僕たちに他に兄弟がいたなんて……知らなかった。」
ベルセルは双子の肩に手を置いた。
「ルクセル、お前が神殿に入ったのも、帝国の歪みを正すためだ。テティソの存在は、その歪みの象徴でもある。彼を迎え入れることは、帝国の再生の第一歩になる。」
リクセルは目を伏せながらも、強く頷いた。
「私たちが、弟として、妹として、お兄様を守る。王としてそう決めたわ。」
ベルセルは微笑み、静かに言った。
「ありがとう。お前たちなら、きっとそう言ってくれると思っていた。」
その瞬間、王宮の私室に差し込む光が、三人の影を優しく包み込んだ。帝国の未来は、過去の傷を癒すことで、ようやく動き始めようとしていた。
王宮の会議室
室内は荘厳な静けさに包まれていた。高い天井には精霊の紋章が刻まれ、壁には歴代王の肖像画が並ぶ。長い楕円形の会議卓の中央には、女王リクセルが静かに座っていた。彼女の瞳は冷静でありながら、どこか揺らぎを秘めていた。
その場には、宰相エルグレイ・ヴァルム、メビゲンル公爵、スワロ公爵、青魔法騎士団長クラフ・ブエルタ・トナル・ゲーツ子爵、重鎮の老貴族数名、そしてベルセル王子が揃っていた。空気は張り詰め、誰もがこれから語られる事実の重さを感じ取っていた。
ベルセル王子が立ち上がり、ゆっくりと口を開いた。
「女王陛下……。今日は、帝国の未来に関わる重大な報告があります。」
リクセルは頷き、静かに促した。
「聞きましょう。その言葉を。」
ベルセルは一瞬目を伏せ、そして語り始めた。
「28年前、帝国に一人の子が生まれた。名はテティソ。彼は、前王と前王妃の命により“欠陥”とされ、魔力がないという理由で排除されようとした。」
会議室にざわめきが走る。スワロ公爵が眉をひそめ、クラフ子爵は拳を握りしめた。
「その命令を受けたのは、青騎士デジルだった。だが彼は命令に背き、赤子を守った。帝国外れの辺境へ逃れ、冒険者として生きる道を選んだ。」
リクセルは静かに問う。
「伯父は……生きているのですね?」
ベルセルは頷いた。
「はい。彼は私の兄弟です。前王の子であり、私の弟。」
宰相エルグレイが低い声で言った。
「帝国の記録には存在しない者……だが、血筋は確か。彼の存在は、帝国の歪みの象徴でもある。……殿下達の兄でもある事も正す必要が来ましたね。」
メビゲンル公爵が重々しく言葉を継ぐ。
「彼を迎え入れることは、帝国の再生に繋がる。だが、民の理解と、貴族たちの承認が必要だ。」
リクセルは立ち上がり、会議卓を見渡した。
「私は、女王としてではなく、妹として彼を迎えたい。帝国が過去の過ちを赦し、再び歩み出すために。」
スワロ公爵が静かに頷いた。
「その決意に、我が家も力を貸そう。彼が戻るならば、精霊の加護もまた戻るだろう。」
クラフ子爵は目を閉じ、かつての同期であるデジルの名を胸に刻むように言った。
「デジルは、騎士として最も誇り高い選択をした。彼の守った命を、我々が守らねばならない。」
ベルセルはリクセルの前に歩み寄り、膝をついた。
「ありがとう、リクセル。お前が女王で良かった。帝国は、きっと変われる。」
リクセルは彼の手を取り、静かに微笑んだ。
「兄として、王子として、そして父として……あなたの言葉は、帝国の未来を照らす光です。」
会議室の窓から差し込む光が、集まった者たちの影を優しく包み込んだ。帝国の再生は、過去の真実を受け入れることから始まる——その第一歩が、今、踏み出された。
貴族会議
王宮の貴族会議室は、荘厳な静けさに包まれていた。壁には精霊の加護を象徴する七つの紋章が輝き、天井からは魔力を帯びた光球がゆるやかに揺れている。床には深紅の絨毯が敷かれ、重厚な木製の椅子に帝国の重鎮たちが並んでいた。
中央の玉座には、女王リクセルが静かに座していた。その瞳は冷静でありながら、内に秘めた決意が揺らめいていた。彼女の両脇には、宰相エルグレイ・ヴァルム、メビゲンル公爵、スワロ公爵、クラフ子爵が控え、各地の領主たちが列席していた。
宰相エルグレイが立ち上がり、低く響く声で口火を切る。
「議題は二つ——テティソの帝国復帰と、双子の血筋の真実だ。先ずはテティソの帝国復帰について。諸侯の皆様、帝国の記録にない者を迎え入れることは、前例のない決断です。しかし、彼は前王の血を引く者であり、青騎士デジルによって命を守られた存在です。」
会議室にざわめきが走る。数名の領主が顔を見合わせ、囁き合う。
メビゲンル公爵が重々しく立ち上がり、言葉を継ぐ。
「魔力の有無で命を選別する時代は、終わらせねばならぬ。彼の存在は、帝国の歪みを正す象徴となる。彼を拒むことは、過去の過ちを繰り返すことに他ならない。」
スワロ公爵が静かに立ち上がる。その姿は威厳に満ち、声には確信が宿っていた。
「我が家は、精霊との契約を代々守ってきた。最近、精霊の気配が戻りつつある。これは、帝国が正しい道を選び始めた証だ。テティソの帰還は、その流れを強めるだろう。精霊は、真実と赦しを望んでいる。」
クラフ子爵も頷き、言葉を添える。
「デジルは、騎士として最も誇り高い選択をした。命令に背いてまで守った命を、帝国が受け入れねば、騎士道そのものが揺らぐ。彼の行動は、帝国の誇りであるべきだ。」
そして、ベルセル王子がゆっくりと立ち上がる。彼の顔には苦悩と覚悟が刻まれていた。
「もう一つ、明かさねばならぬ双子の血筋の真実だ。双子——ルクセルとリクセルは、私の子ではない。彼らは、前王と私の妃との間に生まれた子です。帝国の未来を担う者として育ててきましたが、血筋の真実を隠すことは、もはや許されない。」
会議室は静まり返る。誰もがその言葉の重さを感じていた。女王リクセルが立ち上がり、ゆっくりと視線を巡らせる。
「私は、女王としてではなく、妹としてテティソを迎えたい。そして、帝国の歪みを正すために、私自身の出自も受け入れます。精霊たちも、それを見守っている。」
その瞬間、天井に刻まれた精霊紋章が淡く光を放った。魔力の流れが変わり、空気に柔らかな温もりが満ちていく。光球が静かに脈動し、精霊の気配が会議室全体に広がった。
一人の老領主が立ち上がり、深く頭を下げる。
「我が家は、女王陛下の決断を支持いたします。精霊の兆しは、帝国の再生の証です。」
続いて、次々と貴族たちが立ち上がり、承認の意を示す。誰もが、過去を乗り越えようとする女王の姿に心を動かされていた。
リクセルは静かに頷き、玉座に戻る。
「では、帝国は新たな兄弟を迎え入れましょう。テティソの名と共に、精霊の加護を再び我が国に。」
会議室の光が一層強く輝き、帝国の未来が静かに、しかし確かに動き始めた。
青騎士の再会
王宮の中庭に隣接する騎士団の控え室。石造りの壁に陽光が差し込み、静かな風が古びた旗を揺らしていた。そこに、二人の男が向かい合って立っていた。
一人は、青魔法騎士団長クラフ・ブエルタ・トナル・ゲーツ子爵。もう一人は、かつての青騎士——デジル。帝国の命令に背き、赤子を守るために姿を消した男。今は、辺境の冒険者として生きてきた。
ゲーツがゆっくりと歩み寄る。
「……デジル。生きていたか。」
その声には、怒りでも驚きでもない。深い安堵と、長年の問いの答えを得た者の響きがあった。
デジルは静かに頷いた。
「生きていた。命令には背いたが、誇りは捨てなかった。」
ゲーツは目を細め、かつての若き日の記憶を思い出すように言った。
「お前が消えた日、俺は何度も探した。だが、誰も口を開かなかった。王家はお前が死んだと言い、俺は……何もできなかった。」
「副団長だった時に俺は、真実を知った。命令の内容も、子の状態も。だが、騎士団の中でそれを口にすれば、俺も処罰される立場だった。……それでも、心の中ではずっと、お前が逃げてくれることを願っていた。」
デジルは拳を握りしめる。
「俺は、命令に背いた。だが、あの子を殺すことはできなかった。魔力がないというだけで、命を奪うなど……それが帝国の正義なら、俺は騎士ではなくなる。」
ゲーツは深く頷いた。
「今なら分かる。あの時、お前が守った命が、帝国を救う鍵になるとはな。」
そして、ゲーツは懐から古びた帳簿を取り出した。
「皆がな……お前の青騎士口座に、28年間ずっと金を入れていた。誰も引き出していない。テテの名義で作ってた商業口座にも入れているが、ずっと動きがなかった。」
デジルの目が見開かれる。
「……そんなことを……」
ゲーツは微笑む。
「お前がいなくなった時、当時の上司も、先輩も、誰も口には出さなかったが……心優しいお前なら、きっと逃げると信じていた。だから、口座を止めなかった。いつか戻ってくると信じていた。」
「報告書には誰もお前を責めていなかった。“デジルなら、あの子を抱いて逃げる”と、皆が思っていた。だから、誰も口を開かなかった。守るために、黙っていたんだ。」
沈黙の中、ゲーツが一歩近づき、右手を差し出す。
「28年ぶりだ。ようやく、騎士としてお前に礼を言える。……ありがとう、デジル青騎士。」
デジルはその手を見つめ、ゆっくりと握り返した。
「俺こそ……ありがとう。お前が今も騎士でいてくれて、嬉しい。」
その瞬間、控え室の扉が静かに開かれ、数名の若き青騎士たちが訓練の報告に訪れた。彼らはその光景を目にし、言葉を失った。
「……あの方は……?」
ゲーツが振り返り、静かに言った。
「紹介しよう。彼は、かつての青騎士——デジル。28年前、帝国の命令に背き、命を守るために姿を消した男だ。」
騎士たちの間にざわめきが走る。
「伝説だと思ってた……本当に生きていたのか……」
あの夜、寄宿舎の食堂。若き騎士たちは談笑の合間に、棚の上に置かれた古びた木箱を見つけた。
「これ……なんだろう?」
箱の中には、一冊の革表紙の記録帳が収められていた。
《青騎士団日報記録帳 筆者:デジル》
ページをめくると、そこには訓練の様子、仲間との会話、任務の報告、そして静かな願いが綴られていた。
“明日、命を守るために動く。騎士として、誇りを持って。”
沈黙が食堂を包む。
「先輩から聞いたんがこの方は任務を遂行するにあたり己の命をかけ帝国の命に否と告げ、騎士でいる事に魂を預けた。……帝国に否と告げる事…俺は出来るかなぁ…。」
「この記録、騎士団の宝だ。誰にも渡さない。」
記録帳は鍵付きのガラス箱に収められ、青騎士団の誇りとして飾られることになった。
翌朝、若き騎士たちは控え室でデジルを囲み、静かに頭を下げた。
一人の騎士が前に出る。
「……あなたが、あの時、小さな命を守った騎士……俺は、騎士見習の時にあなたの記録を読んで10年。命は伏せられていたけど、心に残っていた。……本当に、ありがとうございます。」
デジルは少しだけ目を伏せ、静かに答えた。
「俺は……ただ、目の前の小さな命を守りたかっただけだ。騎士として、そうするしかなかった。」
ゲーツがその横で頷く。
「彼の選択は、帝国の誇りだ。命令に従うだけが騎士ではない。信念を貫くことこそが、真の騎士だ。」
若き騎士たちは、記録に残らなかった英雄の姿を目にし、騎士としての在り方を胸に刻んだ。
そして、帝国の騎士団は、過去と未来が交差する瞬間を迎えた。
静かな酒場「陽だまり」。
夜の帳が降りる頃、常連たちの笑い声が遠くに響く中、奥の席では二人の男が向かい合っていた。
クラフ・ゲーツ子爵は、手元の酒杯を軽く揺らしながら、静かに切り出した。
「デジル……少し、話がある。」
デジルは目を上げる。彼の表情は穏やかだが、どこか警戒を含んでいた。
「なんだ?」
ゲーツは一呼吸置いてから、言葉を選ぶように続けた。
「ベルセル王子が、テティソに会いたいと言っている。だが、彼は謁見を望んでいない。王子として迎えるのではなく……一人の兄として、彼のいる場所に来たいと。」
デジルは眉をひそめた。
「……王子が、帝国の外れの町ガルバトリアに? 『青い小屋亭』に?」
ゲーツは頷いた。
「そうだ。王宮ではなく、玉座でもなく、あの小さな宿で。彼は、テティソに“会わせてほしい”と願っている。命令ではない。訪問の許しを求めている。」
デジルはしばらく黙っていた。酒杯の中の液面が揺れる。彼の胸の内では、28年分の記憶が交錯していた。
「……テティソは、王族として育てられていない。彼はあの町の空気と人々の中で生きてきた。王子が来ることで、彼の平穏が乱されることは望まない。」
ゲーツは静かに言葉を継いだ。
「それは分かっている。だからこそ、王子は“訪問”を望んでいる。謁見ではなく、兄として。彼は、テティソに頭を下げる覚悟でいる。」
デジルは目を細めた。
「……あの子が、兄と呼べる相手に会うのは初めてだ。だが、もしそれが“帝国のため”ではなく、“彼自身のため”なら……俺は止めない。」
ゲーツは静かに微笑んだ。
「ありがとう。伝えておく。王子は、きっと礼を尽くすだろう。彼もまた、今回初めてテティソの存在を知ったからな……」
デジルは酒杯を持ち上げ、静かに言った。
「ただし、『青い小屋亭』に来るなら、王子の外套は脱いでもらう。あそこでは、肩書きより人間が見られる。」
ゲーツは笑みを深めたが、その目には苦い色が浮かんでいた。
「ああ……大丈夫だ。彼は歪んだ両親……王と王妃、そして王子妃の元で、まともに育ってきたからな……」
デジルの目が鋭くなる。
「歪んだ?」
ゲーツは酒杯を置き、低く答えた。
「ああ。最近明らかになったことだが……王は狂っていた。そして王妃も、王子妃も。帝国の中枢が、長い間腐っていた。ベルセル王子は、その中で唯一、正気を保ち続けた者だった。」
デジルは静かに息を吐いた。
「……あの子が、そんな場所に戻るのか。」
ゲーツは頷いた。
「戻るんじゃない。向き合うんだ。過去と、血と、帝国の歪みと。そして、テティソと。」
酒場の灯が揺れ、二人の影が壁に伸びる。
その夜、「陽だまり」の奥の席では、帝国の未来を左右する静かな約束が交わされていた。
その時、酒場の扉が静かに開いた。
風が一瞬、店内を撫でる。誰もがちらりと視線を向けたが、すぐにまた自分の会話に戻る。だが、ゲーツはその気配にすぐ気づいた。
「……来たか。」
デジルがゆっくりと振り返る。扉の前に立っていたのは、旅装束に身を包んだ一人の男。肩にかけた外套は質素で、王族の紋章は見えない。だが、その立ち姿には、確かな気品と覚悟が宿っていた。
ベルセル王子だった。
彼は静かに店内を見渡し、誰にも気づかれぬように、奥の席へと歩みを進める。足音は軽く、だが一歩一歩に迷いはなかった。
ゲーツが立ち上がり、軽く頭を下げる。
「王子殿下……いや、今夜は“テティソの兄”として来られたのだな。」
ベルセルは微笑み、静かに答えた。
「そのつもりだ。肩書きは、扉の外に置いてきた。」
デジルは立ち上がらず、酒杯を持ったまま王子を見つめていた。目の奥には、警戒と探るような光があった。
「……ここは、玉座ではない。民たちの酒場だ。王族の言葉より、人の言葉を聞きたい。」
ベルセルは頷いた。
「だから、ここに来た。俺は、テティソに会いたい。命令ではなく、願いとして。兄として、彼の世界に触れたい。」
デジルはしばらく黙っていた。酒杯の中の液面が揺れる。
「……あの子は、帝国の外で生きてきた。王族の影を知らず、民の中で育った。お前がその世界に踏み込むなら、覚悟がいる。」
ベルセルは真っ直ぐにデジルを見つめた。
「覚悟はある。俺は、歪んだ王家の中で育った。だが、今は違う。俺は、兄として、彼に会いたい……家族が…欲しい。」
デジルは少し目を細めて言った。
「…家族……お子様達がいるだろう…。」
ベルセルは静かに答えた。
「いる。だが、彼らもまた……俺の兄弟だ。血の繋がりと運命の繋がりとして。」
ゲーツが静かに座り直し、酒を注ぎ直す。
「まずはここで一杯。民の酒場に来たなら、礼儀としてな。」
ベルセルは笑みを浮かべ、椅子に腰を下ろした。
「……では、テティソの義理父ならば、私の義理の父としての初めての一杯を。」
三人の杯が静かに触れ合い、酒場「陽だまり」の夜は、帝国の未来を照らす小さな灯となった。
ゲーツが静かに前を向き、デジルに話しかける。
「…デジルもまだ追いついていないかもしれんが……ベルセル王子のお子様達は、テティソのご兄弟だ。」
デジルは酒杯を見つめたまま、低く息を吐いた。
「…兄弟……歪んだ両親…王子妃…!(溜息)」
ベルセルはその言葉に、静かに目を伏せた。
「俺は……その歪みを終わらせたい。テティソに会うのは、帝国のためではない。俺自身のためだ。彼に、兄として会いたい。……それだけだ。」
酒場の灯が揺れ、三人の影が壁に伸びる。
その夜、「陽だまり」の奥の席では、帝国の過去と未来を繋ぐ、静かな誓いが交わされていた。
フーマガルバトリアの町出る前の晩
酒場「瞬足の輝」
帝国の外れ、ガルバトリアの町は、夜になると静けさの中に灯りがともり、風が石畳を撫でるように吹き抜ける。町の北端、古びた木造の建物がひっそりと佇むその場所に、獣人たちの憩いの場――**酒場「瞬足の輝」**がある。
扉を押し開けた瞬間、フーマは懐かしい獣人たちの笑い声と、香ばしい肉の匂いに迎えられた。炉の火が揺れ、壁には古びた武具と寄せ書きが飾られている。天井の梁には、かつての戦いの名残が刻まれ、床は獣人たちの足音で磨かれて艶を帯びていた。
「おう、銀狼の兄ちゃんじゃねぇか!」
狼耳の大男――ドルが、豪快な声で叫びながらジョッキを掲げる。その声に酒場の空気が一瞬揺れた。彼はパーティー「獣星の絆」の一員で、子供好きな頼れる兄貴分。ギギとフォルにもよく肉を分けている。
「また誰かの護衛か? それとも、散歩かい?」
虎耳の女戦士――セルマが、挑発的な笑みを浮かべてフーマを見つめる。彼女の瞳は鋭く、だがどこか優しさを含んでいた。剣の手入れをしながら酒を飲む姿は、若い獣人たちの憧れでもある。
「フーマ様が来るなんて、珍しいな。さては面白い話でも?」
猫耳の弓使い――サイスが、耳をぴくりと動かしながら軽口を叩く。彼の声は軽やかだが、目は真剣だった。弓の腕は確かで、酒場の奥にある的に矢を打ち込むのが日課だ。
フーマは苦笑しながら、三人の前に腰を下ろした。ジョッキを受け取り、少しだけ口を湿らせると、静かに話し始めた。
「……ボブの家にいる獣人の幼子、ギギとフォルのことだ。知っているよなぁ。彼奴らは多分、銀狼の血を引いてる可能性があるんだ。銀狼は身を守る手段が出来なければ郷から出れない……。俺は20の時に出た切り戻っていない…今回坊主達の護衛の傍ら獣人国に行って来る、2、3年で戻る予定だが……この街に定住してる獣人冒険者は、お前たちだけだ。頼めるのはお前らしかいない。」
酒場の喧騒が、まるでその言葉に応えるように静まり返った。
ドルは拳を握りしめ、真っ直ぐにフーマを見つめた。
「ぁぁあの獣人の幼子達か……任せとけ。ギギには俺の声、届かなくても心は届くさ。あの子、強い目をしてた。」
セルマは頷きながら、ジョッキを傾けた。
「フォルには剣の振り方でも教えてやろうかね。言葉がなくても、強さは伝えられる。あの子、手の動きが鋭かったよ。」
サイスは笑いながらも、真面目な口調で言った。
「俺が弓の構えでも見せてやるよ。耳も口も関係ない。見て、感じて、覚えるさ。……それに、あの子たち、きっと何か持ってる。」
フーマは深く頷き、ジョッキを掲げた。
「ありがとう。あの子たちは……俺達種族の未来だ。」
三人もそれぞれジョッキを掲げ、静かに杯を交わした。酒場の灯りが揺れ、獣人たちの誓いがその夜、確かに結ばれた。
その時、カウンターの奥から、熊耳の老獣人――マスター・グリムが顔を出した。かつて北方で名を馳せた戦士だった彼は、今は料理と酒を振る舞う日々。ギギとフォルのために、果実酒を煮詰めてジュースを作るのが日課だ。
「フーマ、あの子たちのことは、ここにいる皆が見てる。安心して行ってこい。」
その言葉に、フーマは静かに頭を下げた。
奥の席では、耳の遠い老猫――ミャル婆が、昔話を語って静かに歌を歌っている。彼らの姿は、酒場の灯のように温かく、静かに照らしていた。
外では、ガルバトリアの風が静かに吹いていた。フーマは酒場を後にしながら、夜空を見上げた。
「ギギ、フォル……お前たちが笑って過ごせるように、俺は行ってくるよ。」
その言葉は、夜の風に乗って、遠くボブの家の窓辺に届いたようだった。




