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僕はメデル〜" "にはなりません〜  作者: はるかかなえ


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㉖旅―冒険者 6

夕方の青い小屋亭。

― 静寂の食堂

夕暮れが町を淡い橙に染める頃、青い小屋亭の食堂には柔らかな灯りがともっていた。

今日はフーマがもう一度ギルドへ向かい、子供たちは宿に残った。

マルデージは食堂の隅で腕を組み、二人を見守りながら言った。

「ルクク、今日はブランデットとメデルと一緒に夕飯食べなぁ!」

「いいの?やったー!」

ルククは目を輝かせて喜び、椅子に飛び乗った。

テーブルには、香ばしいパンと、野菜がたっぷり入ったシチュー。

隣には肉のグリルが湯気を立て、温かな匂いが広がる。

だが、食堂は不思議なほど静かだった。

水、風、光、闇――四つの精霊が結界を張っているため、外のざわめきも、他の客の声も届かない。

笑い声も食器の音も、遠い世界の出来事のように消えている。

空気は澄み、灯りの輪郭が柔らかく揺れ、まるで時間が止まったかのようだった。

その静寂は守りの力でありながら、どこか異世界めいていて、子供たちの笑顔をより鮮やかに浮かび上がらせていた。

ルククはスプーンを握ったまま、目を丸くした。

「……え、なんでこんなに静かなんだ?」

メデルは小さく笑って答える。

「精霊が……守ってくれてるんだよ。秘密だよ。」

その言葉に、ルククはさらに驚き、視線を周囲に走らせる。

だが、結界の光は目に見えない。ただ、音が消え、世界が閉ざされているだけだった。

ブランデットは淡々とパンを割り、シチューに浸した。

「……こういう静けさも悪くないな。」

彼の声は低く、どこか大人びていた。

メデルは頬を緩め、スプーンを口に運ぶ。

温かな味が広がり、胸の奥で小さな安堵が芽生える――けれど、その奥に微かな不安が残っていた。

(フーマ……まだギルドにいるのかな。何をしてるんだろう。危ないことじゃないよね……?)

銀狼の背中が脳裏に浮かび、メデルはスプーンを握る手に力を込めた。

その時、ルククの笑い声が静寂をやわらげる。

「このシチュー、すっごくおいしい!」

その無邪気さが、メデルの胸に温かさと痛みを同時に運んだ。

テティソはその光景を優しい眼差しで見つめながら、心の奥で呟く。

(この二人……ブランデットとメデル。彼らは何かを背負っている。私たちが守らなきゃならないものだ……)

マルデージもまた、視線をルククに移し、静かに思う。

(ルクク……お前は十歳になったら、すぐDランクになれるほど戦える。だが、その力をどう使うか……彼らを守れ。彼らは何かを背負っている……)

守られたこの空間と、外の現実――その落差が胸に重くのしかかる。

遠く、ギルドへ向かった銀狼の影を思いながら、

この静寂の中で、彼らは束の間の平穏を噛みしめていた。


夕食を終えた後、部屋に戻ったメデルが突然声を弾ませた。

「今日は一緒に寝よー!!」

ブランデットが目を丸くし、ルククは笑顔で飛び跳ねる。

「えっ、フーマのベッドで?」

「やったー!」

銀狼のベッドは広く、毛布はふかふかで温かい。

三人は並んで潜り込み、肩を寄せ合った。

「……広いね。」ブランデットが小さく呟く。

「フーマの匂いする……」メデルは毛布に顔を埋めて笑った。

ルククは両手を広げて「ここ、俺の場所!」と宣言し、三人の笑い声が夜の静けさに溶けていく。

外では風が窓を叩き、遠くで馬車の音が響いていた。

けれど、この部屋は精霊の結界に守られ、静かで温かい。

水、風、光、闇――四つの精霊が淡い光を放ち、毛布の端や窓辺に小さな輝きを散らしている。

その光は、まるで子供たちの夢を包む守護の手のようだった。

「フーマ、早く帰ってくるかな……」メデルがぽつりと呟くと、ブランデットが毛布を引き寄せた。

「大丈夫だよ。フーマは強い。」

その言葉に、ルククも力強く頷く。

「俺も強くなる! みんなで守るんだ!」

銀狼のベッドで三人――小さな群れは、笑いながら眠りに落ちていった。

その夜、精霊の光が淡く揺れ、彼らの夢を静かに守っていた。


同じ頃、部屋の外

廊下の片隅、二人は低い声で言葉を交わしていた。

「……楽しそうだな。」

マルデージが扉の隙間から覗き、微笑を浮かべる。

「笑ってる顔を見ると、こっちまで救われるな。」

テティソの声は柔らかいが、その奥に鋼の意志があった。

「結界は私達は弾かない様だな…精霊に認められたのかもしれん。…最近、精霊が視えるんだ。あの光……守ってるんだな。…」

しばし沈黙の後、マルデージが呟く。

「ルクク……あの子は、すぐDランクになれるほど戦える。だが……」

「だが、その力をどう使うかだろう?」テティソが言葉を継ぐ。

「そうだ。あの二人――ブランデットとメデル。彼らは何かを背負っている。私たちが守らなきゃならないものだ。」

結界の淡い光が扉の隙間から漏れ、二人の影を床に落とす。

マルデージはその光を見つめ、低く呟いた。

「……帝国の歪みは、あんな小さな子に影を落としている。」

テティソは静かに頷き、視線を扉に向けた。

「だからこそ、俺たちは守る。銀狼が戻るまで――いや、その先も。」

遠く、ギルドへ向かった銀狼の影を思いながら、

二人の決意は、夜の静寂に溶けていった。


深夜――フーマの帰還

重い扉が静かに開き、銀色の尾が夜の灯りを受けてゆるやかに揺れた。

フーマは足音を殺しながら部屋に入る――そして、目を見開いた。

「……おいおい、なんだこれは。」

自分のベッドに、三人が並んで眠っている。毛布にくるまれ、頬を寄せ合い、安らかな寝息を立てていた。

ルククの腕がメデルに絡み、ブランデットは弟を守るように抱き寄せている。

その小さな群れを囲むように、精霊たちが淡い光を放っていた。

水の精霊は毛布の端で小さな雫を転がし、光の精霊は子供たちの髪に星屑のような輝きを散らす。

風の精霊はカーテンをそっと揺らし、闇の精霊は影を柔らかく包み込む。

まるで「見て、見て!」と誇らしげに、彼らの守りを銀狼に示しているかのようだった。

その光景は、祝福の儀式のように静かで、温かく、幻想的だった。

フーマはしばらく無言で立ち尽くし、やがて低く笑った。

「……ったく、俺のベッドを占領しやがって。」

その声には、呆れと――深い温かさが混じっていた。

彼は毛布の端をそっと直し、三人の髪を軽く撫でる。

「……群れってのは、こういうもんか。」

銀狼の瞳に、柔らかな光が宿った。

精霊たちはその言葉に応えるように、ふわりと光を強めた。

水の精霊が毛布に小さな波紋を描き、光の精霊が銀狼の髪に一瞬きらめきを落とす。

風が彼の耳をくすぐり、闇が椅子の影を深める――まるで「あなたも群れの一部だ」と告げるように。

その夜、フーマは椅子に腰を下ろし、剣を傍らに置いたまま、静かに見守った。

精霊の光が淡く揺れ、守る者の影とともに、部屋は深い安らぎに包まれていた。

銀狼の耳がわずかに動き、彼は小さく笑った。

「……悪くない夜だな。」


朝――銀狼のベッドで目覚めて

窓から差し込む淡い朝日が、毛布の端を金色に染めていた。

メデルが小さく身じろぎし、目をこすった。

「……ん……あれ……?」

隣にはブランデットとルクク。三人はまだ毛布にくるまっている。

――フーマの姿がない。

メデルはぱちりと目を開き、胸がきゅっと痛んだ。

(フーマ……いない……)

その瞬間、毛布の端で淡い光がふわりと踊った。

水の精霊が小さな雫を転がし、風の精霊がメデルの頬をそっと撫でる。

『泣かないで。フーマは帰ってきたよ。夜はここにいた。ずっと見守ってた。』

光の精霊が窓辺できらめき、闇の精霊が柔らかく影を包む。

『……すぐ戻る。パンの匂いを運んでくるよ。』

その声は風に溶けるように優しく、メデルの胸に温もりを灯した。

けれど、隣の二人はまだ知らない。

「フーマ……!」メデルが声を上げると、ブランデットも飛び起きた。

「えっ!? どこに行ったんだ?」

ルククは毛布から顔を出し、寝ぼけた声で言った。

「え……まさか、怒ってる……?」

三人は慌てて部屋を見回す。剣はない、椅子も空っぽ。

「ギルド? また行ったのかな……」メデルの声が不安に揺れる。

ブランデットは唇を噛み、ルククは毛布を握りしめた。

その時――扉が静かに開いた。

「おいおい、朝から騒がしいな。」

銀色の尾が揺れ、フーマが片手にパンの籠を提げて立っていた。

「……何してんだ、お前ら。」

三人は同時に声を上げた。

「フーマ!!」

メデルが飛びつき、ブランデットとルククも続く。

「どこ行ってたの!?」「怒ってない?」

フーマは一瞬きょとんとし、やがて低く笑った。

「怒るかよ。マルデージにパン貰ってきただけだ。」

彼は籠をテーブルに置き、三人の頭を軽く撫でる。

「……ったく、俺のベッドで寝やがって。群れってのは、こういうもんか。」

その声には、呆れと――深い温かさが混じっていた。

窓辺で精霊たちが小さく光を揺らし、まるで笑っているかのようだった。

水の精霊がパンの籠に小さな雫を落とし、光の精霊が朝日とともにきらめきを散らす。

風がカーテンをふわりと揺らし、闇が影を柔らかく包む――「ほら、みんな無事だよ」と告げるように。

朝の光と精霊の輝きに包まれ、部屋は再び穏やかな空気に満ちていった。

フーマは低く笑いながら、パンをちぎって三人に渡した。

「さあ、食え。今日は忙しくなるぞ。……朝ギルドで依頼受けて、昼から孤児院にも顔を出す。準備はしっかりな。」


――朝

銀色の尾が静かに揺れ、フーマは長い廊下を歩いた。

昨夜の結界の余韻がまだ残っている。空気は澄み、窓辺に淡い光が漂い、風が微かに囁く。

(……精霊の気配、消えてないな。まるで見張っているみたいだ。)

角を曲がると、マルデージがパンの籠を抱えて待っていた。

「おう、フーマ。子供たち、よく眠ってたぞ。はいよ、パン(笑)」

「……そうか。ありがとう。」

フーマは短く答え、籠を受け取る。温かな香りが鼻をくすぐった。血の匂いがまだ記憶に残っているのに、パンの匂いがそれを遠ざける。

その時、背後から声がした。

「昨夜の結界……すごかったな。」

テティソが歩み寄り、低く笑った。

「俺も視えたんだ。精霊が、はっきり。」

フーマの耳がぴくりと動く。

「……視えた?」

「ああ。今まで感じるだけだったのに、昨夜は姿が見えた。光が踊ってた。……あれは、祝福みたいだった。」

フーマは無言でテティソを見つめ、内心で呟く。

(精霊が視えるようになった……これは報告案件か? 帝国じゃ、精霊の減少が問題になってる。異例だな。)

「魔力があるからか?」フーマが低く問うと、テティソは苦笑した。

「少しだけな。……昔はないと思われてたんだ。」

フーマの視線が鋭くなる。

「捨てられたのか?」

「ああ。生まれた時、魔道具が反応しなかった。『魔力なし』と決めつけられて、森に捨てられた。……でも、命じられたマルデージの父が拾ってくれた。」

テティソは淡く笑ったが、その奥に深い影があった。

「成長するうちに、少しだけ治った。でも俺は、魔力がほとんどないと思ってる。」

フーマは視線を窓に向ける。朝の光が差し込み、精霊の残光が淡く揺れている。

(……いやいや…あいつら毎晩抱っこされて何かしてたぞ……治しているのか?……え?聖女…いやいや…。)……溜息。

「大丈夫。私がテティソを夫に貰ったから(笑)」マルデージが笑いながら言った。

「うん。ありがとう、お嫁に来てくれて…ルククも授かって嬉しいよ」とテティソがにこやかに言った。

「あ”!そうだ……昨夜の件はどうだった?」マルデージが声を潜める。

フーマは低く答えた。

「三年前に北の村を襲った魔獣は片付けた。Aランクだが、首を落とした。」

マルデージの目がわずかに見開かれる。

「一人でか……やっぱり銀狼だな。」

フーマはパンの籠を持ち直し、視線を窓に向けた。

朝の光が差し込み、精霊の残光が淡く揺れている。

(精霊の変化……帝国の歪みと関係あるかもしれん。報告するか……いや、まだ早い。)

「子供たちにパンを届ける。……今日は忙しくなるぞ。」

銀狼の声は低く、しかし確かな決意を帯びていた。


昼――青い小屋亭の食堂

肉の匂いが漂い、マルデージが仕込みの手を止めた。

「……あの子たち、今頃ギルドだな。」

テティソが笑みを浮かべ、カウンター越しに頷く。

その時、扉が勢いよく開いた。

「ただいまー! 獲ったぞ!」

豪快な声とともに、父デジルが大きなビッグボアを肩に担いで現れた。

その後ろには、弟マルコが笑顔で続く。

「見ろよ、兄貴! でっけぇだろ!」

「兄貴じゃねぇ、双子の設定だろ!」テティソが苦笑しながら返すと、マルコは悪戯っぽく笑った。

「じゃあ弟で!俺兄ちゃんな!」

「はいはい(笑)」テティソは肩をすくめた。

マルデージは包丁を握り直し、目を輝かせる。

「よし!今日はビッグボアの煮込みだ!骨まで旨味出すぞ!」

デジルが笑いながら肉を台に下ろす。

「久々にでっけぇ獲物だな!」

「ルククー!鍋出せ!火強めろ!」マルデージの声が食堂に響く。

「はーい!」ルククが元気よく走り、鍋を抱えて戻ってくる。

鉄鍋が火にかけられ、油がじゅっと音を立てる。

マルデージが豪快に肉を切り分け、骨付きの塊を鍋に投げ込むと、脂が弾けて香ばしい匂いが広がった。

「水!野菜!塩は多めだ!ビッグボアは濃いからな!」

テティソが玉ねぎを刻む。

テティソは笑みを浮かべ、肉を見つめながら呟いた。

「……これで子供たち、腹いっぱい食えるな。」

マルコが豪快に笑う。

「子供達??銀狼が来ているんだよな!びっくりするぞ!ギルドから帰ったら宴だ!」

外では風が吹き、窓辺で精霊の光が淡く揺れた。

まるで「今日はごちそうだ!」と喜んでいるかのように。


その頃、王都・謁見の間

重厚な扉が静かに閉じ、空気が張り詰めた。

宰相エルグレイ・ヴァルムが一歩前に出ると、青魔法騎士団長クラフ・ブエルタ・トナル・ゲーツ子爵が膝をついた。

――28年。

その年月が、彼の肩に重くのしかかっていた。

爵位を賜り退位を考える今、騎士人生を振り返れば、必ず思い出すのはあの日の“歪み”。

報告しなければならない――それは、遅すぎる償いだった。

「……報告いたします。」

その声に、28年分の重みが込められていた。

ベルセル王子は椅子の肘掛けに指をかけ、鋭い視線を落とす。

「言え、クラフ。」

クラフは深く息を吸い、言葉を選ぶように口を開いた。

「28年前、前王と前王妃の御子――殿下の実弟にあたる子が、生まれてすぐ“魔力なし”と断じられ、捨てられた件についてです。」

謁見の間にざわめきが走る。メビゲンル公爵が眉をひそめ、スワロ公爵は無言で視線を落とした。

ベルセル王子の瞳がわずかに揺れる。

「……続けろ。」

「当時、魔道具が反応しなかったのは、魔力循環が未発達だったため。しかし、前王妃は“魔力がない”と決めつけ、無理やり魔力を送り込み……魔力路を破壊しました。」

エルグレイ宰相が低く唸る。

「魔力路を……壊しただと。」

クラフは頷き、さらに声を落とした。

「その子を森に捨てるよう命じられ、その時の上司が平民上がりの青騎士――デジルに命じました。」

ベルセル王子の指が肘掛けを強く握る。

「デジル……。」

クラフの胸に、あの日の記憶がよみがえる。

命令に背き、赤子を抱いて消えたデジルの背中。

**「あれでよかった」**と安堵した自分。

だが、何もできなかった罪悪感が、28年もの間、彼を締めつけてきた。

「しかし、彼は命令に従わず、王都外門近くに家があった為、森には自分と赤ん坊の適当な代わりを置き……家族と共に帝国外れの辺境へ逃亡しました。身を隠しながら。」

スワロ公爵が静かに息を吐く。

「……やはり……ブランデットとメデルの手紙に書いてある、ベルセル王子とリュスクマテルテス神官と同じ魔力の綺麗な人とは彼の事ですね。」

クラフは最後に言葉を重ねた。

「職務違反ですが当時の上司と私達同僚は、心優しいデジルなら逃げると信じ、託したのです。彼が帝国外れの辺境へたどり着いた事は2年後彼が冒険者になった事でわかりました。」

謁見の間に沈黙が落ちる。

ベルセル王子はゆっくりと立ち上がり、冷たい光を宿した瞳で宰相を見た。

「――その子は、今は帝国外れの辺境いるんだな。」

クラフはその問いに答える前、胸の奥で静かに呟いた。

(これで、ようやく……二十八年前の罪を正せる。)

28年前――デジル一家王都を離れる夜。

夜の森に冷たい風が吹き抜ける。

デジルは荒い息を吐きながら、腕の中の小さな命を見下ろした。

赤子は弱々しく泣き、かすかな温もりを彼の胸に伝えている。

「……魔力がない?そんなはずがあるか。」

低く呟いた声は震えていた。

王妃の命令が脳裏に響く――『森に捨てろ。王家に不要な子だ』。

背後には、粗末な布に包まれた“終わった形”が置かれていた。

自分と赤子の影を模した偽りの形。

「……これで、奴らは満足するだろう。」

彼は赤子を抱き直し、暗い森の奥へ足を踏み出す。

胸の奥で、騎士としての誓いが崩れ落ちる音がした。

命令に従うか、命を守るか――選ぶのは今だ。

「俺は……騎士じゃなくて、父になる。」

その言葉は夜に溶け、彼の決意を固めた。

――夜明け前、王都外門近くの小さな家。

デジルは静かに扉を閉じ、背中に剣、腕には赤子を抱えていた。

震える妻テテと、まだ幼い二人の子――マルデージが弟マルコを抱いて立っている。

「……本当に、行くの?」テテの声はかすれていた。

「ああ……ここにいれば、この子――テティソが殺される。最悪、全員だ。」

デジルは短く頷き、低く続ける。

「俺たちに選択肢はない。」

マルデージが怯えた瞳で父を見上げる。

「おとうさん……どこにいくの?」

デジルは膝をつき、娘の目線に合わせた。

「遠くへ。誰も追ってこない場所だ。」

「……お父さん、騎士やめるの?」

デジルは一瞬だけ目を閉じ、深く息を吐いた。

「騎士じゃなくて、父になる。」

その言葉は、彼自身への誓いでもあった。

荷車に最低限の荷を積み、家族は夜の闇に紛れて動き出す。

王都の灯りが遠ざかるたび、胸の奥で何かが崩れ落ちる。

帝国の道を外れ、森を抜け、川を渡り――追手の影を恐れながら。

途中、マルデージが泣き出した。

「おなかすいた……。」

テテが必死に抱き寄せ、乾いたパンをちぎって渡す。

デジルは剣を握りしめ、暗闇に耳を澄ませる。

狼の遠吠え、馬の蹄の音――すべてが敵に思えた。

「……必ず守る。」

その言葉を何度も心で繰り返しながら、彼は歩き続けた。

辺境までの道は果てしなく遠い。

だが、腕の中の赤子がかすかに指を握るたび、彼の足は止まらなかった。

こうして、帝国の歪みに抗う一家の逃亡が始まった。

その旅路の果てで、彼らは新しい名を得る――

そして二十八年後、ブランデットとメデルがその真実に触れる時、

帝国の運命は大きく揺らぐことになる。

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